2008年03月30日
心の科学 戻ってきたハープ
不妊治療を受けている女性を二つのグループに分け、一方のグループは他者からの祈りを受ける、他方は受けない。被験者及び現場の治療スタッフはこの実験が行われていることを知らない。二つのグループの妊娠率を計測した。すると「実験の結果は驚異的だった。祈りを受けた女性群の妊娠率は、受けなかった女性群の二倍に近かった。数値はそれぞれ50%と26%で、このようなことが起こる確率は0.0013未満。非常に意味のある統計差だ」。
こんな実験もあった。被験者を画面の前に座らせて好きなときにボタンを押させる。すると数秒後にランダムに「感情的を揺さぶる写真」か「静かな写真」が表示される。被験者は手に電極をつけて生体反応を計測される。「これまでの実験には131人の参加者がいましたが、それで判明したのは、感情的な写真を見る前は、静かな写真を見る前よりも、わずかに汗をかく量が増えることです」。こうした実験では、その予知のタイミングを調べると、コンピュータが乱数発生回路を使って、次に出す内容を決める前に、生体反応が検出されるという。
著名な心理学者が、祈りの効果、虫の知らせ、ジョー・マクモニーグルらの未来予知、行方不明者や遺失物を発見するダウジング、テレパシーなどの超常現象を徹底分析する。昔から科学者によってこうした実験が行われてきたが、多くの驚異的な結果報告は、非科学的であるとされて科学の表舞台に出る前に排斥されてきた事実を著者は事例を多数挙げて解説する。
心理学者が書いた本らしい興味深いロジックがあった。それはゲシュタルト認知のあり方を、科学と超心理学の関係になぞらえた次のような記述だ。(認知心理学の実験でよく使われる、見方によって複数の解釈ができる影絵が挿絵にある。)
「もう一つ、ゲシュタルト心理学者によって明らかになったことがある。それは見える絵......たとえば杯か横顔か......を切り替えるのは、慣れれば上手くできるようになっても、両方を同時に見ることはできない、ことだ。つまり、杯と横顔は同時に前景にはなり得ない。一つの見方で知ったこと、もう一つの見方で知ったことを統合できれば役立つことがわかっていても、同時に二つを見るように知覚を働かせることはできない。」
異なる宗教を持つ人の世界理解にも同じことが言えそうである。ある世界観を持つということは、別の世界観を見えなくしている。重要なのは二つの世界観が両立するメタ世界観を確立すること、二つの見方ができる眼を持つことだ。
超能力や超常現象の報告を詳細を調べもせずにすべてナンセンスだとして排斥してしまうのは、合理的、科学的な考え方とはいえないと思う。99%以上はナンセンスなのだろうけれども、科学の歴史は本流の科学者の考え方を異端とされていた研究がひっくり返す歴史でもあった。
あとがきで訳者がこう書いている。「ある面で、これに不思議はないかもしれない。なぜならテレパシーや予知、透視や念力などの体験は、人類に共通しており、古今東西、あらゆる文化圏において普遍的に報告されているからだ。」。
・幽霊を捕まえようとした科学者たち
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005228.html
2008年03月07日
サイレント・パワー―静かなるカリスマ
社会的に中堅になるとペラペラ自己主張をしゃべることが必ずしもプラスに評価されなくなるものだ。実力も実績もあって当たり前。安定や落着きこそ求められる。この本は静かなカリスマが持つオーラ「サイレント・パワー」とは何か、どうしたらそれを身につけられるかを語る、スピリチュアル要素50%の指南書。
他人と違う雰囲気、自然に惹かれる魅力を持った人は何が違うのか。それはまず心の持ち方が違うのだ、寄りかからないことが大切なのだと著者は次のように最初のステップを教える。
1 自分のものでないものに寄りかかるのを止めること
2 未来に寄りかかって、いつも先のことばかり話すのをやめること
3 他人に何も要求しないですむような人生を設計しよう
そして寄りかからないためには、個人的なことはあまり詳しく人に話さないようにすること、心理的に相手の下に入るようにしてみることが重要なのだという。
「だから、人と張り合わないように、会話に気をつけることだ。誰かがフランス旅行に行った話をしてきたとしよう。もしあなたがフランスに二十年間も住んでいたことがあったとしても、そのことは口にしないことだ。ただ、相手の話を聞けばいい。そう心がけることで、あなたはだんだんと、人の下に入る会話スタイルを身につけることができるようになる。」
ただのしゃべらない人と、サイレントパワーのある人の違いは、内に秘めたエネルギー量の違いらしい。この本ではスピリチュアル用語の「エーテル」として説明されている。科学的にはともかく、自信があるかないかは、しゃべろうがしゃべるまいが自然に態度に現れてくるというのはわかる気がする。
「最大の防御は、他人に対する批判や判断をできるだけ控えることだ。恨みや、憎しみ、反感を持たないようにしよう。防御すべきものを持たないことこそ、最大の防御だ。」
隙をなくして、ゆったりと構えよ、そういう人にサイレントパワーは備わるということみたいだ。「カリスマ性」という言語化しにくいものを、感覚的にとらえることができる面白い本である。
2007年10月16日
事故と心理 なぜ事故に好かれてしまうのか
交通事故はなぜ起きるのか、事故を起こしやすい人とはどんな人か。著者自身と世界の学者の近年の研究成果を多数引用しながら、交通心理学者として科学的に結論できることを書いている。
運転者には事故を繰り返す事故多発者というグループが存在するそうだ。
事故多発者には以下の特徴がある。
・安全への動機づけ(価値観)が低い
・注意がうまく機能しない
・隠れた刺激を見つけない(危険の予兆の発見ができない)
・自己認知が的確でない
・反応が突出する
こうした事故多発者は適性検査によってある程度事前に判別できるという話が興味深かった。適性検査は「なにを計測しているのかわからない」という批判がなされるにも関わらず、なにかを計測しており、判別結果に有意性が見いだせるというのだ。
「事故に好かれる状態は人生のある一定期間持続することがある。自己多発者は、車社会に参加する際の安全への動機づけが希薄な人である。自己を避けるためには危険をあらかじめ察知し、回避できなければならない。そうであらねばならないと思っても、なにしろ人間は言行不一致で、合理性は徹底しない。さまざまな危険に同時に遭遇したときに、注意の配分バランスが崩れたり、反応の一部が突出する。いつのまにか認知や反応に偏りが生じることがある。それを防ぐには、絶えず自己モニター機能を働かせ、自分の状態を監視する必要がある。そうでないと事故に好かれてしまう。」
事故に好かれる一定期間を経過すると、事故を起こさなくなったりするそうである。毎日長時間車に乗るタクシー運転手を調べたところ、少数特定の運転者に事故が集中していることがわかった。長期の調査を行ったところ、事故多発の傾向は、一生継続するわけではなく、数年間程度の持続した後に、事故を起こさなくなるものらしい。
そして、事故の当事者になりやすい(事故に好かれる)人は若者、女性、老人である。特に10代の事故が突出して多い。他の年齢層の倍以上である。
「年齢と性とで区切った免許人口のなかから、死亡事故の第一当事者となった人がどれだけでたかの発生率が死亡事故惹起率である。有責死亡事故率という呼び方もある。各カテゴリーの死亡事故の件数を免許保有者の人口で割って、免許保有者一万人当たりの死亡事故の発生件数としたのが図中の縦軸(死亡事故惹起率)である。たとえば十八〜十九歳の男性の免許保有者一万人のうち八人弱が死亡事故を起こしたということになる。」
若者の死亡事故惹起率は世界で共通して高く、その理由に俗説は多いが、科学的にはわかっていないと著者は正直に述べている。この本全体を通して、著者は統計や実験から、科学的に結論できることを慎重に選んで結論を述べているところが、良印象をもてた。事故の調査分析の手法を知る上でも参考になる点が多い本だ。
2007年09月03日
超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ
・超常現象をなぜ信じるのか―思い込みを生む「体験」のあやうさ

UFOや超能力を信じていなくても、占いやジンクスは信じている日本人が多い。テレビでは毎朝、星座占いが放送されているし、大安吉日には結婚式が多い。60年周期の丙午の年に生まれた女性は夫を食うと言われて出生数が減少する。前回の1966年の丙午は出生数が27%も減少したそうだ。その前の1906年(明治時代)には減少は12%だったそうだから、科学的教育が行き届いた現代の方が迷信を信じてしまったことになる、と著者は述べている。
テレパシーは存在するか、生まれ変わりはあるか、死者の霊は存在するか、という超常現象に関する調査を大学生向けに行うと多くの項目に肯定的な回答が集まった。文系よりも理系の方が超常現象を、科学的推論の帰結として肯定する学生が2割も多かったらしい。不思議現象を信じる心理は、無知や教育の欠如から生まれるとは限らないのである。
「不思議現象を実際に体験することこそが、確信とも言えるほど強力な信じ込みを生みだすことがある」と著者はその超常現象信仰の原因を指摘する。そして、視覚の錯誤、認知の錯誤、記憶の錯誤、推論の誤り、不思議を信じたがる心理など、人間が、何らかの体験から、超常現象を信じ込んでしまう理由を、わかりやすい例をたっぷりと挙げて説明してくれる。
認知バイアスの話が面白かった。
「私たちは、目立ったことが二つ続けて起こると、単にその二つのできごとが目立つという理由だけで、両者の間に関連性があると判断することがよくあるのです。」
「人やできごとなどを集合で考えたときに、多数の要素が備えている特徴に比べ、少数の要素に特有な特徴はより目立って認知されます。」
「治療した、治った、ゆえに治療に効果があった」というロジックで治療を評価することは「三た論法」と呼ばれて厳しく戒められています。」
つまり、私たちは普段は合理的に考えていても、日常体験の中で起こる珍しい出来事があると、起こりやすさの確率の見積もりに失敗しやすいということなのである。たとえば、ある人が夢の中に出てきて翌日にその人が死ぬということは、確率的には大都市では毎晩何件か発生する。たまたま自分がその体験者になると「夢のお告げ」だと信じやすい。夢は見たが何も起こらなかった大多数の事例は、注目されることがないので、なかったことになる。
「しかしもうおわかりのように、幸福グッズを買ったから幸せになれたと言いたいのなら、つまり両社に因果関係を主張するのなら成功した例をいくら並べてもあまり意味はないのです。正しく判断するために必要なのは、買ったけれども幸せにならなかった人、買わないけれども幸せになった人がどれくらいいるのかについての分割表です。残念ながら、こうした情報が掲載されることはまずありません。」
そういった知覚や認知、思考の錯誤は、ありがちなことをすばやく推測することで、日常生活をうまくやるために発達してきたものらしい。日常的な問題は「治療した、治った、ゆえに治療に効果があった」で思ったことが当たりなことが多いわけだ。
で、思うのだが、人間が感じる幸福感というのも、同じような錯誤の一種である可能性もあるのじゃないかと、ふと考えた。運命の人と出会って結ばれた人生、九死に一生を得た人生、稀に見る波瀾万丈の人生。人生のドラマを感じる心は、冷たい確率計算を超えたところにあるし、そう思うことが生きる知恵のような気もする。「ありがたい」ことをたくさん感じるために、こういった欠陥が人間にビルトインされているのかもしれない。
著者は必ずしも超常現象を否定しているわけではなく、「私は体験したのだから、不思議現象(霊でも超能力でも)はたしかに存在するのだ」と考えるとしたら、その考え方が誤りだと」いう。知覚や認知の錯誤、思考バイアスの事例が満載で、面白く読み進められる本である。
・フィールド 響き合う生命・意識・宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002668.html
・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html
・人類はなぜUFOと遭遇するのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002440.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
・霊はあるか―科学の視点から
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002003.html
・科学は臨死体験をどこまで説明できるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004528.html
2007年08月07日
群衆心理
1895年に書かれた群衆心理学の古典。ル・ボンは、「これからは群衆の時代になる」と20世紀の展開を正しく予言した。すぐれた研究であるが故に、現実の独裁者にも参考にされ、ヒトラー、ムッソリーニ、レーニンらが好んで引用した本でもあった。
群衆は衝動的で、動揺、興奮しやすく、暗示を受けやすい。物事を軽々しく信じてしまう。指導者の言葉がうみだす心象(イマージュ)に操られてしまう、など、群衆の一般的性質と特殊的な性質、その原因を説明する。出版から100年以上が経過し、メディアやコミュニケーション手段はめざましく発達したが、群集心理の基本はここに書かれた状態とあまり変わってはいないようだ。
群集心理を操る指導者は言葉を巧みに選び、理性ではなく感情に訴えかけることで、抗いがたい心象(イマージュ)を人々の心の中に呼び起こす。断言、反復、感染というテクニックがその扇動効果を倍増させる。現代でも使われている選挙の公約や、社会運動メッセージの技術である。
「道理も議論もある種の言葉やある種の標語に対しては抵抗することができないであろう。群衆の前で、心をこめてそれらを口にすると、たちまち、人々の面はうやうやしくなり、頭をたれる。多くの人々は、それらを自然の力、いや超自然の力であると考えた。言葉や標語は、漠然とした壮大な心象を人々の心のうちに呼び起こす。心象を暈す漠然さそのものが、神秘な力を増大させるのである。言葉や標語は、会堂の奥深く隠れて信心家がびくびくしながら近づく、あの恐るべき神々にも比せられよう。」
」
歴史を動かす英雄や独裁者の本質を見抜いた記述が見事だなと感動した。
「指導者は、多くの場合、思想家ではなくて、実行家であり、あまり明晰な頭脳を具えていないし、またそれを具えることはできないであろう。なぜならば、明晰な頭脳は、概して人を嫌疑と非行動へ導くからである。指導者は、特に狂気とすれすれのところにいる興奮した人や、半狂人のなかから輩出する。彼等の擁護する思想や、その追求する目的がどんなに不条理であろうとも、その確信に対しては、どんな議論の鋭鋒もくじけてしまう。軽蔑も迫害も、かえって指導者をいっそう奮起させるだけである。一身の利益も家庭も、一切が犠牲にされている。指導者にあっては、保存本能すら消えうせて、遂には、殉教ということが、しばしば彼等の求める唯一の報酬となるのだ。強烈な信仰が、大きな暗示力を彼等の言葉に与える。常に大衆は強固な意志を具えた人間の言葉に傾聴するものである。群衆中の個人は、全く意志を失って、それを具えている者のほうへ本能的に向かうのである。」
つまり、政治家になってほしい、と思われるような理性的でマトモな人は、歴史的変革の指導者にはなりえない、ということでもある。指導者は、自身の信念を盲信しているからこそ、群衆を従えるだけのパワーを持っている。その後の日本や世界の有力な政治家を振り返っても、そういった傾向はあるなあと思う。
煽動されたくない人と、世界征服や独裁者を目指す人、共に必読の古典である。
2007年07月18日
妄想に取り憑かれる人々
最もふさわしくない場面で、最もふさわしくない「おぞましい想念」を考えてしまう精神状態に関する、強迫性障害の世界的権威の書いた一般向けの心理学の本。
ここでいうおぞましい想念とは、たとえば、
・誰かがこの地球上から消えてなくなるよう切に願う想像
・幼い子供や老人を残虐な暴力の犠牲にしたくなる衝動
・パートナーを痛めつけるような性行為への衝動
・動物とセックスをする空想
・公共の場でみだらなことを口ばしる衝動
というような妄想である。これらは攻撃的なもの、性的なもの、宗教への冒涜的なものの3カテゴリに大別できるそうだ。
高層ビルを見てそこから飛び降りること想像したり、自分が子供を橋から投げ落としてしまうのではないかと考えたり、女性を見てレイプすることを想像してしまったりする人は意外に多い。これが日常的に起きる強迫性障害に該当する人は、少なく見積もって米国の人口の1%で200万人以上いると著者は推計している。軽微ないけない妄想くらいならば、さらに多くの人が考えている。
そして、おぞましい想念を思い浮かべる人たちは、ほぼ間違いなく、実際には、その行為には及ばないという。むしろ、場にふさわしくないことを考えてしまうことを悩んで一生を過ごす。この本には、そうした普通の人たちのおぞましい想念の実例が多数紹介されている。
進化論的見地からすると、これらの妄想は次のような意味を持っていたと著者は述べる。
・「セックスのことをしょっちゅう考えていた祖先の方があまり考えなかった祖先よりたくさん子孫を残した」
・「攻撃的な男性の先祖が、グループのリーダーになる傾向があった」
・「幼いわが子に恐ろしいことが起きるという、残虐な想像をすればするほど、母親はわが子の安全を確認するために頻繁に点検する」
同時にこれらの想念を抑制する機構も進化の過程で発達した。だから、人間だれしも不適切な考えを持つことはあるが、実行に移してしまう人はほとんどいないのである。本当にやってしまうかどうかは、その人の過去の行為が最高の予測因子となるそうで、過去にやっていないならば、これからもやらないと考えてよいから安心しなさい、と著者は断言している。
ただ思考は過度に抑制しようとすれば強化されてしまうというこころの仕組みが存在する。たとえば「1分間キリンのことはまったく考えないこと。キリンが頭に浮かぶたびに手を挙げること」という思考抑制の指示を与えると、人はキリンのことを普段よりも考えてしまうそうである。考えてはいけないことを消し去ろうとすることで、逆に強化してしまうのだ。こうしてイケナイことを考える自分に悩む人が増える。
この本の後半は「おぞましい想念を治す技法」がたっぷり解説されている。最良の方法はなんと、いやというほどその想念と向き合わせる暴露療法であった。その人が恐れる状況を逃げ場がないような状況で体験させたり、人を殺したりしてしまう妄想の最悪のシナリオをテープに吹き込ませて、毎日何度も聞かせたりする。おぞましい想念は飼いならして、想起してもスルーできるようにするのが最良の解決策だそうである。
頻度や深刻さの差はあるだろうが、イケナイ妄想ってほとんどの人が経験があるものだと思う。こういう妄想力は、創作には不可欠だろうし、ユーモアや笑いの背景にも「考えてはいけないこと」が前提されている場合が多い。そうした人間心理のメカニズムや制御方法がわかりやすく書かれていて大変興味深い内容だった。
2007年06月10日
眼の冒険 デザインの道具箱
図版約400点(内カラー110点)を使った、ビジュアルデザインのカタログ的なエッセイ集。雑誌「デザインの現場」連載42本に加筆したもの。各章のテーマは「線の乱舞」「縦と横」「デシメトリ」「周辺重視」「覆う、包む」「縦書き」「!と?」といった感じでバリエーションが広い。それぞれに近現代の優れた作品の、眼をひく写真がいっぱいある。
まさに目の冒険ができる本だ。
デザインは時代の空気を表すことが多い。
「前述したように流線形デザインがはやった1930年代、角張ったエンジンなどに、流麗な外皮、ボディを纏わせて、実際の実力はともかく、いかにも速そうにみせようとする工夫が、あらゆるデザイン領域を席捲していた。これは二十世紀初め、機械技術の進歩がもたらした新しい概念「速度」の視覚化をめざした結果だった。そのムーヴメントの立役者でもあるインダストリアルデザイナーの草分けレイモンド・ローウィは、列車のサイドに数本の横ストライプを描き込むことで、「速度」感の獲得に成功した。いわば十九世紀までのキリスト教を中心とした縦社会に対する、「横」によるアンチテーゼ、モダニズム的攻撃のようにも思える。」
今でも電車のデザインは大抵は横ストライプである。縦ストライプの電車ってあるだろうか。やはり、進行方向の横に線を引くと動きがイメージされるからだろう。機能的には同じものも表面塗装の違いでずいぶん印象が変わるものだ。そういえば知人が「中央線は機関車トーマスの顔を先頭車両に描くといいですね」と言っていた。飛び込み自殺者が減るだろうとのこと。ニコニコ笑った機関車トーマスに轢かれて最期を遂げたい人はいないだろう。実際に効果がありそうだ。
独裁者は大衆心理をイメージで操る。ナチスのニュルンベルク党大会の光のモニュメントの写真は見事である。闇にちらちらするサーチライトは催眠効果をもたらしたという。

北朝鮮のマスゲームも視覚的に大きなインパクトがある。国家レベルの壮麗なビジュアルデザインには気をつけないといけないのかもしれない。
この本にはこうしたカラー写真がたくさん収録されていて図鑑のような楽しさがある。プロダクトデザインのネタ帳としても使える面白い一冊。
2007年06月05日
考えることの科学―推論の認知心理学への招待
抽象的で形式的に表現された問題と、具体的で日常的に表現された問題。どちらが解きやすいだろうか。普通に考えれば後者の方が易しそうだが、必ずしもそうではない。この本では、こんな古典クイズが引用されている。
「坂道を荷車で重そうな荷物を運んでいる二人がいた。前で引いている人に「後ろで押している子どもは、あなたの息子さんですか」と聞くと「そうだ」という。ところが、その子に「前にいるのは、あなたのお父さんですか」と聞いたら「違う」というのである。いったいどういうことなのだろうか」
これは前で車を引いているのが母親であると考えられれば何もおかしなことはない。しかし、荷車を引くのは普通は男の仕事だという思い込みがあると、混乱してしまう。同じ問題をXやYで表していたら、混乱は少なくなるだろう。
「ある街のタクシーの15%は青で、85%は緑である。あるときタクシーによるひき逃げ事件が起きた。一人の目撃者の証言によると、ひいたのは青タクシーであるという。ところが現場は暗かったこともあり、目撃者は色を間違えることがありうる。そこでこの目撃者がどれくらい正確かを同様の条件下でテストしたところ、80%の場合は正しく色を判断できるが、20%の場合は逆の色を言ってしまうことがわかった。さて、証言通り青タクシーが犯人である確率はどれだけだろうか。」
正解はベイズ理論で41%だが、多くの被験者が80%に近い回答をしてしまうそうである。人間の直感は事前確率を無視する傾向があるという。たとえば珍しい病気の症状に、自分や患者の症状が一致すると、その病気だと思い込んでしまうということがある。「典型的な症状であるが、まれな病気」よりも「典型的症状とはいえないが、よくある病気」の可能性の方が高いのに。
上のような、ひっかけ問題も落ち着いて考えれば、多くの人が正解できるはずだが、日常の直感的判断では、領域固有の実用的推論スキーマや、ヒューリスティックス(経験から学んだうまいやり方)が使われるが故に間違うことが多いと著者は述べている。
人間の日常的な推論は、認知的な制約や感情的な要因が入っていて合理的といえない結論をしてしまうことがありがちだ。著者は多くの実例を出しながら、人間の認知の欠陥を指摘していく。簡単な論理式や図を使って、わかりやすく且つ厳密に説明してくれるので、読みやすくて勉強になる。とても面白かった。
2007年05月17日
心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション
この人はどこまで本気なのだろう?と眼が離せない脳機能学者 苫米地英人氏の近刊。幅広い分野で活躍する同氏はカルト宗教信者のマインドコントロールを解除する方法の研究でも知られる。
「他人を動かす方法は、基本的に人参ぶらさげ式でしかありません。人参をぶらさげる高さは、相手の視点の高さに合わせます。視点の低い人には低い位置で、高い人には高い位置でぶらさげるのです。」
「しかも、相手が意識している空間ではなく、無意識の空間にぶらさげることが重要です。相手に気がつかれたら「何かやってるなぁ」と思われてしまいます。」
「ですから、意識の空間での論理的判断をされることを防ぎます。防いだ上で、人参をぶらさげるのです。相手に気づかれてはいけないのです。相手の意識している空間は、意識されているがゆえに操作できません。無意識の空間だからこそ操作できるのです。」
ということでゲシュタルト操作が人を動かすには有効であると論じる。
ゲシュタルトとは部分の総和として全体を理解するのではなく、全体と部分の双方向的関係を認知する脳のはたらきのこと。こういうと難しくなるが、日常、私たちの心に浮かぶ多くの事柄は、100%要素に還元できないイメージなのであって、脳の情報空間はゲシュタルトの操作系なのだである。
「例えば、数学者と多次元空間や虚数空間の話していると、「このあたりが......」などと言いながら、空中の何かを触るような仕草をします。けれども、多次元空間や虚数空間を、この世界で触れるわけがないのです。あくまで抽象的なものです。ところがそれができる、ということは、情報空間を、臨場感をもって体感している、ということです。」
こういう抽象的感覚はわかる気がする。たとえば、私は、日常で物事がうまくいっているときは瑞々しく濡れている感覚がある。逆に万事うまくいかないときはかさかさになっている感じがある。かさかさのときに、心に響く言葉と出会うと、瑞々しさを取り戻せる。何がかさかさなのか?と言われても説明できないのだが、私にとっては極めて臨場感のあるイメージだ。高次の情報空間のゲシュタルトの問題なのだろう。
そうしたゲシュタルト操作の基本として、
「相手を自分の臨場感の世界に引きずりこむためには、その人の臨場感に対して記述をすればいいのです。言葉を使わないやり方もありますが、言葉を使うと簡単です。相手の体の状態に対する記述をするのです。」
と著者は教えている。
たとえば何気なく座っているときに「イスの感触を感じていますね」と言われると、人はそれを意識するが、椅子に座っている自分の意識は、そのとき作られたものである。「この本」と言われてその本を見ると、それは相手が記述した世界の本を見てしまう。こうして、相手のリアリティ(R)を記述によって揺らいだリアリティ(R´)に置き換えて、R´を操作する方法論の概要を紹介している。
認知心理学、脳科学、情報科学、組織論、宗教、洗脳術など著者の得意分野が、リーダーのためのマインドコントロール術に体系化されている。著者の断定口調には反発を感じる部分もあるのだが、読み進めるうちに、次第にそうかなあと思ってきたりする。まずい。操作されているかも。
2007年03月21日
好かれる技術
ビジネスマン(男女)の身だしなみ、姿勢、ジェスチャー、カラーコーディネートなど言葉以外のコミュニケーションの秘訣について、イメージコンサルタントがわかりやすく図解で教えてくれる本。
見た目で好印象であることは、話を聞いてもらうための大前提だと思う。個性は大切だが基本も重要である。握手の仕方、微笑み方、うなずき方、足の組み方、スーツの選び方など、成功例と失敗例、それぞれどのような印象を与えるかについての具体的な解説がある。
「人間は先端が気になるものです。「髪」「足元」「手」。この3点は誰もが目がいくところですから、キレイで清潔でなければいけません。」
かっこよく見えるためのベースとなる姿勢や立ち居振る舞い。自意識過剰はかっこ悪いが、他者からどう見えているかを意識することが、イメージ改善の鍵になる。「鏡をよく見ている人と見ていない人とでは、よく見ている人の方が男女とも自己意識が高まり、その人自身の行動がより望ましい方に変化した」という心理学の実験結果があるそうである。
ところで、私もエラそうなことが言えない勉強中の身であるが、この数年でひとつだけ意識的に直したポイントがある。長年の癖だった貧乏ゆすりである。これを人前でまったくしなくなった。損だからである。
この癖は親しい人から注意されても止める気がなかったのだが、仕事の微妙な交渉の場で相手が神経質そうに貧乏ゆすりを始めたことがあった。それを見て私は「この議論勝てるな」と思ってしまった。そして実際に勝ってしまった。貧乏ゆすりはあからさまにイライラや不安を表に出してしまう不利なボディーランゲージだと気がついた。それ以来、相手が貧乏ゆすりをはじめると内心ニヤーっとしてしまう。自分は絶対にしないようになった。
実利的な損がわかると悪い癖をやめやすい。
最近はやっていないが学生時代は徹夜マージャンをよくした。当時の私のマージャンは喰いながら染めて大きめで上がる戦略なので、他のメンバーに手の内を読まれると失敗する。ポーカーフェイスが重要である。しばし連勝したが、あるとき、一向に勝てなくなったのでどうしたものかと思っていると、ふと友人が「橋本さん、テンパイ(もう一枚でアガリ)になるとタバコに火を点けますよね(笑)」ともらした。愕然とした。
そうだったのか。テンパイ前後でも黙らないように気をつけたり、牌の昇降順を毎回変えたりと工夫していたのに、他のメンバーには私がライターをカチリと点ける音だけで気取られてしまっていたのである。
マージャンも一種の交渉であるから、材料がわかれば利用できる。以後、私はタバコを吸わないのではなく、タイミングをずらすことにした。テンパイが遠いのに火をつけてみたり、黙り込んでみたり。かく乱戦術によって勝率はまた向上した。そういった意味では相互情報下であれば、タバコも貧乏ゆすりも、わざと使うという手もあるのかもしれない。
大切なのはボディランゲージの基本は何か、それを見るものはどう思うかを把握しておくことなのだと思う。そのうえでやりたいようにやればいいのだと思う。そのための基本がこの本にはいっぱい図解で収録されている。
2007年03月16日
夢見の技法―超意識への飛翔
著者のカルロス・カスタネダは、ニューエイジ運動のカリスマであり、この本はスピリチュアル系のオカルト本である。メキシコのインディアン呪術師に師事して、夢見の技法を修得するまでの著者の15年間の体験を綴っている。夢見の技法とは、夢を完全に意識でコントロールすることによって、高次元の世界と接触する古代呪術である。
呪術師の教えによれば、すべての人間は右肩甲骨の2フィート背後に光輝く「集合点」を持つ。その光は呪術師にしかみることができないが、集合点には宇宙エネルギーが集まり、その状態が人間の世界認識に影響を及ぼしている。これは光とレンズと写像の関係に似ていると思った。レンズとしての集合点が動けば光エネルギーの受け方が違った形になって、異なる世界認識の像を与えるのである。
普通の人間はみな同じ位置に集合点が固定されている。だから通常は固定観念を離れることができない。だが、夢を見ている間は第二の注意力と呼ばれる超常意識状態を得ることができ、集合点をずらすことができる。意識を覚醒させたまま夢を見ることで、集合点をずらしたまま保つことができるようになると呪術師は教える。
この本はオカルトであるが、これに似た明晰夢という現象が実際にある。世界のいくつかの部族は訓練を積むことで夢の内容を意識で制御し、見たい夢を見ているそうである。心理学や意識科学の研究者が検証したりもしていて、本当のことらしい。(夢の内容は自己申告だから研究者のいうこととはいえ、それが本当かどうかを証明することは難しそうだが)。
呪術師は変性意識を自由に操るうちに、高次元の世界を知る。すべてはエネルギーであり、形あるものは実在ではなく、物の見方によって移り変わる幻影にすぎないと悟る。そして彼らは夢見の中で、別の在り方をする世界と接触する。そこでは非有機的存在、偵察、死の使者などと呼ばれる高次元の存在が、夢見の探究者に干渉をしてくる。ときにその干渉は夢の中から現実にまで影響を及ぼす。著者は師の教えにより、夢見の技法を習得して危険な異次元とのコンタクトを何度か体験する。
スピリチュアルの指導書として読んだ場合、トンデモ荒唐無稽な内容なのだが、幻想小説として評価すると極めてオモシロい本である。ハヤカワSFの一冊であっても売れたのではないか。映画スターウォーズにたとえると、呪術師ドンファンは老師ヨーダであり、著者はルーク・スカイウォーカーであり、夢見の技法はフォースとその暗黒面の話である。そんな師弟の禅問答(禅の影響も感じられる)がこの本の内容である。そんな類似がベストセラーになた理由かもしれない。
夢に現実感を感じることは多いし、逆に夢を見ながらそれが夢だと意識する体験はよくあることだ。いいところで目が覚めてしまって続編を希望しながら二度寝すると、続きが見られることがあったりもする。誰しも体験する夢見の技法の入口はリアリティがある。その先に高次の存在との接触が本当にあるかどうかは知らないが、フィクションとしての面白さには、特筆すべきものがある奇書なのである、これは。
・ヒトはなぜ、夢を見るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001062.html
2007年02月23日
だまされる視覚 錯視の楽しみ方
眩暈がするような面白い本。
止まっているのに図なのに、動いて見えたり、光って見えたり、実物より大きく見えたり、色の濃さが違うと感じたり。
錯視デザイン研究の第一人者 北岡明佳氏が一般向けに、錯視の事例と面白さを語った本。同氏のWebサイトは私も始まった頃から見ていた。人間の知覚を騙す図が満載である。特に「回転する蛇」は静止画なのに何回見ても動いて見える。
・北岡明佳の錯視のページ
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/index-j.html
この本は白黒であるが、多数の作図例が紹介されている。長時間続けて見ているとめまいや気分の悪さを感じてしまうほど私には強烈だった。自分の目が信じられないという事実に精神的にも動揺するのだ。研究が進んでいる事例では、なぜそう見えてしまうのかの原理を著者は説明してくれる。
すべての錯視がすべての人に有効というわけではないそうだ。人によってある錯視は見えるが、別のものは見えないということがあるらしい。私もこの本に収録された図のうち2割くらいはうまく見ることができなかった。ステレオグラムも苦手である。研究者の中には遺伝が関連していると考える人もいるようだ。がんばっても見えないものは見えないのかもしれない。
錯視は日本よりも海外で評価が高いらしく、海外にも充実したサイトがある。
Optical illusion
http://www.ophtasurf.com/en/illusion.htm
Optical illusion :: Optical illusions - Just a painting.
http://www.optical-illusion.org/
3Dによる錯視に挑戦している人もいる。
・田村貞夫「3Dによる錯視図形」集
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/8198/
・錯視―視覚の錯覚
http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/basics/visual/index.html
2006年12月03日
スピリチュアルにハマる人、ハマらない人
精神科医の香山リカが書いたスピリチュアルブーム論。特に人気のスピリチュアルカウンセラー江原啓之の人気の分析が詳しい。江原啓之の著作は書店で平積みだしテレビでも顔をよく見る。立ち読みしてもよくわからず、何者だろうと気になっていた。
この人だ。
スピリチュアルのリーダーは胡散臭さ、怪しさをどう払拭するかが成功のカギである。それまでのスピリチュアルのリーダーは偉い科学者のお墨付きを得ようとする傾向があった。だが、江原氏の本の推薦文を書いているのは林真理子、室井祐月、酒井順子ら若い女性に人気の作家達である。その影響力によって女性ファンに圧倒的な支持を受けた。
「
おそらく、江原氏の著作に「東大教授もその能力に感嘆」といった推薦文が記されていたとしたら、彼は今のような人気を得ることはむずかしかったであろう。博士号や学会などではなく、ポピュラーな人気を誇る作家やエッセイストの名前こそが現代の権威であることを、江原氏は見抜いていたのではないだろうか。
」
そして「波動」や「オーラ」というキーワード。
「
「低級霊に憑依されて霊障が起きていますね」などと言われれば不気味に感じる人でも、「あなたのオーラはきれいなグリーンですね」であればすんなり聞くことができるのではないか。
」
すべてを受け入れ、やさしく肯定してくれる存在なのである。
精神分析学者ウィニコットのいう「移行対象」としての江原啓之という著者の見方が面白い。移行対象とは乳幼児が、自分と母親だけの閉じた関係から第三者がいる外的世界へ出ていく中間領域の存在のこと。
移行対象はふつうはヌイグルミや毛布がその役目を果たす。大人には必要が無いものだ。だが、現代の閉塞的な状況が、大人にとっても似た存在を必要とさせているのではないかという。ファンの女性にとって、江原啓之はトトロやリラックマと同じだと著者は指摘している。
スピリチュアルの人気を支えているのは圧倒的に女性であるそうだが、男性だってこういうものを信じていないわけではないだろう。ビジネス系自己啓発本にも科学的根拠が無い精神論を説くものが多い。信じられるものが欲しくて癒されたい時代の象徴なのだと思う。
2006年06月06日
科学は臨死体験をどこまで説明できるか
「
臨死体験の頻度に関する調査としては、1982年にギャラップ社がアメリカで行った世論調査が最も優れている。この調査は、アメリカ人の4%に相当する約800万人が臨死体験をしていると結論づけた。
」
その内容とはどのようなものであろうか?。
米国の精神科医であるヴァージニア大学教授のグレイソンは、74人の臨死体験者のインタビューにもとづき、報告によく見られた16の要素からなる、評価スケールを作成した。臨死体験研究者は、これを点数化して、一定水準以上の体験を臨死体験とみなしている。
・グレイソン・スケール
1 時間の流れ方が変わる
2 思考の加速
3 人生の回顧
4 突然すべてが理解できたという感じ
5 安らぎ
6 歓喜
7 宇宙との一体感
8 光を見る、または、光に包まれる
9 鮮明な感覚
10 超越的知覚
11 幻視
12 肉体からの離脱
13 超自然的な場所
14 神秘的な存在との交流
15 死者や宗教的な人物との邂逅
16 後戻りできなくなる点の認識
「
臨死体験は古くから世界中で報告されており、年齢を問わず、あらゆる性格の人に見られる。ボッシュの絵に描かれているような明るい光、トンネル、光の存在との出会い、死んだ親戚との再会、肉体からの離脱などの決まった要素がある反面、まったく同じ体験をする人はいない。体験者は、死に瀕している間も意識は明晰で、秩序だった思考ができたと主張し、そのときのことを長く記憶している。
」
九死に一生を得た人たちが「走馬灯のように人生の思い出が駆け巡った」などと話すのを聞く。光のトンネルをくぐっただとか、お花畑と川が見えたなどという人もいる。こうした話は細部は違えど世界中の臨死体験者が似た話をするそうだ。宗教や文化が違うと、それが三途の川の話、最後の審判の話などにアレンジされ、意味づけられたりもする。だが、私たちが死に臨む際に、似たような原型を持つイメージを体験している可能性は高そうだ。
興味深いのは、脳の機能が停止し意識のはたらきが不可能であると、検査データが示していた状況で、患者がそうした体験をしていることである。著者はそれが臨死状態の前後ではなく最中に体験されたことを証明しようとする。中には幽体離脱して、自分の手術の様子を上から見下ろしていたと話す人もいる。著者は、町中の病院の天井に、下からは読めないメッセージを書いたパネルを取り付けて、それを読む臨死体験者が現れるのを待つ実験もした。おかげでマスメディアに面白おかしく取り上げられ、図らずも有名になってしまったりもした。
著者は救急救命医で基本姿勢は科学者なのだが、今は非科学とされている「魂」の存在を、科学的手法で立証しようとしている真っ最中である。心が脳とは関係なく存在できる可能性や、幽体離脱を科学で説明しようとしているのである。トンデモな部分が2割、科学が8割くらいの内容。
「
私は、神学的または哲学的なものも含めたすべての問題は、究極的には科学によって客観的に研究できると信じている。われわれの研究から、生命の終わりに心や意識が脳とは独立に存在しうるという結論が出たら、それが神学的および哲学的な「死後の生」を裏づけるものであり、科学者が「意識」と呼ぶものが古くから「魂」と呼ばれてきたものと同一のものであると断定してよいと考えている。どのような言葉で呼ぶかは問題ではない。その過程を科学的に調べることが大切なのだ
」と語る。
死後の世界に興味はあるけれど、宗教やニューサイエンス系のノリは敬遠したいという人が手に取ると、とても面白く読める。それに脳についてはともかく、心については現代科学はまだ何も解明していないも同然である。著者の研究がまったく新しい事実の解明の糸口になる可能性もあるような気がする。
・フィールド 響き合う生命・意識・宇宙
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002668.html
・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html
・人類はなぜUFOと遭遇するのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002440.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
・霊はあるか―科学の視点から
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002003.html
2006年05月21日
奇妙な情熱にかられて―ミニチュア・境界線・贋物・蒐集
無意味なこだわり=奇想について、精神科医が書いたつれづれエッセイ。
次の4つの奇想がテーマ。どうやら著者自身のこだわりでもあるようで、独白が濃い。
ミニチュア 非現実感とともにリアリティを提示する
境界線 見えないはずの抽象的存在への関心
贋物 取り返しのつかないオリジナルを取り返す
蒐集 時間の漂流物が流れ着く孤島をつくりあげる
どれも私にも少し当てはまる要素を感じた。
私の友人に変わった男がいる。親しくなって随分してから、彼の奇妙な習慣を知って驚いた。彼は本が好きだが、同じ本を必ず2冊買う。一冊は読むための本で、一冊は並べるための本だそうである。手垢がついた本は本棚に並べたくないそうである。しかし読む本は中古であってもよいそうだ。彼は読書家であると同時に蒐集マニアなのだ。
この本でも収集癖が取り上げられている。精神科医として著者は蒐集を強迫神経症の傾向として説明している。強迫神経症には、ウォッシャーとチェッカーの2種類がいる。ウォッシャーというのは、手を100回洗わないと汚い気がして洗い続けるタイプ。途中で人に声をかけられると1からやり直さないと気がすまなかったりする。チェッカーは、外出してから家の火の始末が完璧かどうか、気になって気になって、何度も家に戻ってしまうタイプ。コレクターも2種類の動機がありそうだ。私の友人は前者かもしれない。
「
さてコレクションという営みは、基本的に無意味かつ無償の行動である。投機の対象とか、財力や権力の誇示のための蒐集は論外である。周囲からは物好きとか変人などと思われ、常に自分のコレクションの欠落と不完全さを覚えつつ、密やかで小さな世界へ没入するコレクターたちの姿は、その業のような行動において強迫神経症的なのである。蒐集することは、浮世を忘れさせ楽しさをもたらすいっぽう、完全癖とライバルへの対抗心から心の安静を約束してくれない。蒐集は喜びと苦痛の双方を同時にもたらす。
」
総じて人間はプレッシャーがかかると、世界をまるごと相手にするより、戦線を縮小して、扱う世界を小さくしようとする。その小さな世界が蒐集の世界なのだと著者は分析している。蒐集に凝るというのは心の弱さということらしい。
最近、2歳半の私の息子の行動を見ていて可笑しくなった。彼は歩道を歩くとき、視覚障害者用に作られた、凹凸つきの黄色い線上を歩こうとする。ここから少しでもズレると気に入らなくて、泣いて怒る。この癖は子供の頃の私にもあった気がする。黄色い線上を歩いているときは、安心なのだ。広い世界に対して戦線の縮小で対応していたわけだ。
他にもミニチュア、境界線、贋物へのこだわりが分析されていた。精神科医ということもあって極端な事例がいろいろでてくる。私はこだわり派だと思っていたが、結構、普通なんだなあと残念なような安心したような。
・「巨大な物が怖いという」まとめサイト
http://www.geocities.jp/kyodainamono/index.html
ミニチュアが好きの逆でこういうこだわりもある。巨大なモノ分類と写真。2ちゃんねるのログから。そしてこの奇妙な関心世界にさらにどっぷりとはまりこむにはこんな雑誌も。
・ワンダーJAPAN―日本の《異空間》探険マガジン (1(2005 Winter))

たいへん面白いムックでした。日本中の奇妙な情熱にかられる建築物を写真と記事で深く解説しています。この新書に興味を持った人には特におすすめ。
内容:
「ウルトラマン」第12話〈ミイラの叫び〉のロケ地・山奥の巨大工場《奥多摩工業》、
「ウルトラマンタロウ」第3話〈ウルトラの母はいつまでも〉に使われ
新東京百景にも選ばれた地下霊場のある《威光寺》、
「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野監督が地下をテーマにイベントを行った《首都圏外郭放水路〜地下神殿》、
マンガ「武装錬金」や「SORA!」に登場し今回表紙も飾っている有名廃墟《志免炭鉱》、
NHKアニメ「あずきちゃん」に登場する千住ほうちょう公園の《タコすべり台》、
ゲーム「零2〜紅い蝶〜」にでてきそうな《廃村》・・・といういわゆる“聖地”の他、
『廃墟の歩き方』の栗原亨氏による廃墟画像、『珍寺大道場』『お寺に行こう!』の小嶋独観氏による
珍寺画像、さらには、萌える巨大工場や、地味にジワジワと面白い給水塔やタコ滑り台などから、
有名廃墟「志免炭鉱」「豊後森機関庫」や「首都圏外郭放水路」の撮り下ろし画像など、
魅力的な写真が詰まってます!
【追記】
本エントリの誤記を俺と百冊の成功本の聖幸さんから即効でご指摘いただきました。
ありがとうございました。聖幸さんのブログも奇妙な情熱にかられた感じがします。
[俺100]:「an・an」に“アダルトDVD
http://blog.zikokeihatu.com/archives/001000.html
今日のエントリも気になります。
2006年04月03日
フロー体験 喜びの現象学
生きる喜び、仕事の楽しさ、とは何か。社会心理学者チクセントミハイが「楽しみの社会学」でフローの概念を発表してから25年後に、研究の集大成として著したのがこの本である。この期間に、フロー体験は仕事の効率性を高めるノウハウではなく、幸福に生きるための一般原理として、壮大な理論に実を結んだ。
・楽しみの社会学
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004302.html
フロー体験の基本的な要約についてはこちら。
一言で言うならフロー体験とは、自己目的的体験に夢中になることだ。ただそれが楽しいと感じるから没頭する瞬間である。そうしたフロー体験が生じる最適経験について、著者らの研究グループは長年、さまざまな研究を行った。
「
最適経験とは、目標を志向し、ルールがあり、自分が適切に振舞っているかどうかについての明確な手がかりを与えてくれる行為システムの中で、現在立ち向かっている挑戦に自分の能力が適合している時に生じる感覚である。注意が強く集中しているので、その行為と無関係のことを考えたり、あれこれ悩むことに注意を割かれることはない。自意識は消え、時間の感覚は歪められる。このような経験を生む活動は非常に喜ばしいものなので、人々はそれが困難で危険なものであっても、そこから得られる利益についてほとんど考えることがなく、それ自体のためにその活動を自ら進んで行う
」
フロー体験は人生のあらゆる場面に求められる。
「
最も単純な身体的行為ですら、それがフローをうむように返還されるならば楽しいものとなる。この変換過程の基本的な段階、(a)全体目標を設定し、現実的に実行可能な多くの下位目標を設定すること、(b)選んだ目標に関して進歩を測る方法をみつけること、(c)していることに対する注意の集中を維持し、その活動に含まれるさまざまな挑戦対象をさらに細かく区分すること、(d)利用し得る挑戦の機会との相互作用に必要な能力を発達させること、(e)その活動に退屈するようになったら、困難の度合いを高め続けること、である。
」
このやり方で変換できるよう再設計するなら、ただ歩くことでさえ、生きる喜び、関心の尽きない挑戦の連続になる。不安と退屈の間にある適度な挑戦を繰り返し、結果から正のフィードバックを受けながら、能力を向上させていくことに秘訣がある。
フロー体験に通じやすい経験の特徴も研究されている。外的資源の多大な消費を必要とする活動が必ずしもフロー体験をうみやすいとは限らない。たとえばテレビを観る、モーターボートに乗る、ドライブをする、といった経験よりも、ただ互いに話をしている、編み物をしている、庭仕事をしている、趣味に熱中している、という経験のほうが人は幸福を感じやすかった。お金や外的資源よりも心理的エネルギーを投入する活動がフローになりやすいという結論。
だから、思考そのものもフロー体験となる。哲学や科学は思考することが楽しいから繁栄したと著者は述べている。人々の必要、政治や経済における需要が、科学技術を発展させたという唯物論的決定論の歴史観に異議をとなえている。人類の文化文明の多くは、それをするのが楽しかったから発達してきたのだという。
家庭の役割、フロー体験の多い社会のあり方、身体活動のフロー(運動やセックス、日常の行為)、思考のフロー、楽しい人間関係、楽しい仕事、文明論など、各章で詳しく論じられている。そして後半で「意味」について扱われる。フロー体験の本質とは、人生のあらゆる局面が意味に満たされることなのである。
出版後、著者は「日常生活の心理学について今世紀最高の研究者」と評され、本書は13カ国に翻訳されたベストセラーである。研究書というよりは、もっと一般的な人生論として大変な説得力があった。何かに迷っているときにもおすすめの一冊。
私にとっての身近なフロー体験ってなんだろうか。やはり、こうしてブログを書いているとき、かなあ(笑)。おかげで900日以上、続いております。
2006年03月27日
戦争における「人殺し」の心理学
こんなテーマだが、読む価値がある素晴らしい本である。
著者のデーヴ・グロスマンの経歴。
「
米国陸軍に23年間奉職。陸軍中佐。レンジャー部隊・落下傘部隊資格取得。ウエスト・ポイント陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授、アーカンソー州立大学軍事学教授を歴任。98年に退役後、Killology Research Groupを主宰、研究執辞活動に入る。『戦争における「人殺し」の心理学』で、ピューリツァー賞候補にノミネート。
」
この本は米軍学校で教科書として使われている。
人は戦争で敵を前にすると、銃を撃てないし、弾は当たらないという事実にまず驚く。
多くの戦争で銃を使う兵士たちのうち発砲したのは15%〜20%であった。8割の兵士は発砲しないで戦闘を終える。理論的には命中率50%の状況で発砲しても、一人を倒すのに数十〜数百発を要する。8割の発砲しない兵士たちは、決して怖気づいて戦闘不能になっているわけではない。弾薬補充や仲間の救出などに回って、撃つより危険な任務をこなそうとする傾向があるという。
なぜそうなるのか。そこには深い人間心理が隠されている。
精神的に弱いわけでもなく、訓練が未熟なわけでもなかった。人は人を殺したくないのだ。特に一対一で、相手が見える距離ではほとんどの人間は殺す行為を回避しようとする。銃剣やナイフ、素手での殺人をできた兵士は、実際の戦闘ではほとんど存在していないという調査もある。戦闘機の空中戦でも敵のコックピットが見えてしまうと、大半の操縦士は発砲できない。それをためらうことがない”生粋の兵士”1%の戦闘機が4割の撃墜数を占めているという。
戦車のように複数の人員で操作する武器、長距離砲やレーダー操縦の爆撃のように、一対一での殺人を意識しないで済む場合の発砲率はほぼ100%になる。権威者の命令や集団行動下では撃ちやすい。この本には引き金を引き、人を殺した兵士の体験談が多数引用されている。
「
私はぎょっとして凍りついた。相手はほんの子供だったんだ。たぶん12から14ってとこだろう。ふり向いて私に気づくと、だしぬけに全身を反転させてオートマティック銃を向けてきた。私は引き金を引いた。20発ぜんぶたたき込んだ。子供はそのまま倒れ、私は銃を取り落とし声をあげて泣いた。
ベトナムに従軍したアメリカ特殊部隊将校
」
そして、人を殺した兵士は嫌悪感、罪悪感、重度のトラウマに悩まされる。第2次世界大戦では、50万人以上が精神的虚脱で兵士として働くことができなくなり、除隊処分になった。戦争とは人を殺すストレスとの戦いなのである。
しかし、ベトナム戦争以後では、発砲率は95%に劇的に高まった。発砲時の殺傷率も高くなった。こうした人間心理を研究した上で、米軍は兵士の訓練方法を変えたからである。条件付けを行い殺人に対する抵抗感をなくすように洗脳を始めたのである。
そうした研究に関わった著者の苦悩の深さがこの本からも伝わってくる。この本には殺人に対する人間の心理の動きが多角的に分析されている。どのように仕向ければ人が人を殺すかが詳細に書かれている。読んでいて恐ろしくなる秘密である。仕事上の研究とはいえ著者もこうした知識が、戦争以外で使われないことを深く願っているようだ。
この本の邦題は「戦争における「人殺し」の心理学」だが、英語の原題は「戦争と社会における...」である。著者は現代のマスメディアには人殺しのメッセージが多く登場する状況は、ベトナム以後の米軍の殺人訓練の手法と似ていて危険であると問題提起をしている。
アマゾンのレビューにも絶賛コメントが多いが、この本は戦争における人殺しの実例から、人間存在の本質へと深く切り込む洞察に満ちた素晴らしい本だと思う。「殺人本」に素晴らしいという形容詞を使うのは少しためらわれるのだが。
2006年03月13日
第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい
最初の2秒の状況判断=第一感はかなり正しいということの科学。
全米連続50週のベストセラー、世界34カ国で翻訳された話題の本。
赤いカード2組と青いカード2組の4つの山がある。カードには「○ドルの勝ち」「○ドルの負け」と書いてある。4つの山から、自由に選んでカードを何度もめくり、儲けを競うルールがある。プレイヤーには知らされていないが、実は赤いカードには大勝も多いが大きな負けも多い。青いカードは大勝は少ないが、負けを引いても損が少ない。だから、青を引き続ければ勝てるという、必勝法があるゲームである。人は何枚引いたらこの必勝法を見抜くものだろうか。
アイオワ大学の研究では、ほとんどの人が50枚を引いた頃に「青を引けば勝てる」となんとなく気がつくものだという。さらに続けて、80枚をめくると、なんとなくは確信に変わり、必勝の理由も説明できるようになる。これが常識的な学習である。
ところが、被験者の手に汗の出方を計測するセンサーをつけてみると、面白いことがわかった。汗の出方からはストレスの強さを測ることができる。ほとんどの人が10枚をめくった時点で、赤いカードをめくるときにストレスを感じていることが判明する。意識がなんとなく気がつく遥か前に、人は無意識的に法則を感知し、危険を回避しようとしているのだ。
この一気に結論に達する脳の働きは、適応性無意識と呼ばれる。意識が思考して正しいと判断する前に、正解を直観するひらめき能力のことである。凄腕営業マンはお客を見たとたん、買う客か、ひやかしかを見抜く。鑑定士は美術品の真贋を一目で判別できる。百戦錬磨の司令官は細かいデータがなくても戦況を瞬時に判断する。そんな第1感の成功事例が多数、紹介されている。その判断時間はおよそ2秒である。経験のある専門家は熟考を必要としない。状況の輪切りで正しく判断ができるものなのだ。
専門家の第1感は役立つことが多いが、一般人の第1感はだまされやすいものでもあることも警告される。見た目や、もっともらしさ、考えすぎ、に引きずられて、誤った選択をしてしまう。よくある、おっちょこちょいである。
米国大企業500社を調べたところ、男性CEOの平均身長は182センチだったそうだ。全米男性の平均は175センチだから、7センチも高い。背が182センチを超える人は米国男性の14.5%に過ぎないが、CEOでは58%である。188センチ以上の人は米国全体で3.9%であるが、CEOでは30%以上もいる。身長で昇進を決める制度を持つ会社など存在しないはずだが、結果は歴然だ。人々は無意識のうちに背の高い人をリーダーに選んでしまっているらしい。
人は無意識のうちに先入観を抱えてしまっている。背の高い人は有能であるだとか、黒人は犯罪者が多い(あるいは運動能力が高い)など。見た目にもだまされやすい。しばしばパッケージのデザイン印象と商品の中身の品質が同一視されてしまう。こうしたプライミング効果や感情転移現象について、事例を挙げての説明がある。
直観の正しさの根拠やそれを鍛えるノウハウが詰まっていて勉強になる本である。始めてみたときの第一印象をメモする癖がある古美術研究者の話が出ていたが、常に直観の判断をメモしておくと言うのは名案な気がした。正確ならばその後も自分の直観を頼ればいいのだし、間違ったならば自分のだまされやすさを把握できることになるから。
・瞬間情報処理の心理学―人が二秒間でできること
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000624.html
2006年02月28日
楽しみの社会学
社会学者チクセントミハイの「楽しむということ」(1973)の新装改訂版。「フロー体験」という概念はこの本から始まった。いまや古典に位置する社会学の本。
楽しいから、やる。
楽しいの正体とは何か?。なぜ楽しさが発生するのか。
著者らは、ロッククライマー、チェスプレイヤー、職業作曲家、モダンダンサー、バスケットボール選手、外科医といった集団に楽しさについてのアンケートを実施した。各集団には世界トップクラスの熟達者もいれば、初心者もいた。
「
研究対象グループにはすべて一つの共通点があった。それは、世俗的報酬をほとんど生まない活動に、多くのエネルギーを注ぎ込んでいる人々から成り立っていたということである。しかし世俗的な誘因の欠如は、報酬の欠如を意味しない。彼らは明らかにこれらの活動から、何らかの満足を引き出しており、その満足自体が報酬となるが故に、これらの活動の追求へと動機づけられている。我々の研究の目的は、彼等が外発的に報いられることのないさまざまな異なった活動から引き出してくる、これらの内発的報酬が何であるかをよりよく理解することである。
」
そして回答の因子分析から発見した楽しさの秘密が「フロー体験」であった。それは「全人的に行為に没入している時に人が感ずる包括的感覚」のことで、フロー体験自体が行為の目的となる、自己目的的体験の一種である。フロー体験こそ人間の行動における最大の内発的報酬となる。
本を読んでいるとたまに内容に集中するあまり、通過駅を忘れる。夢中で好きなことをしゃべっていると時間を忘れる。演奏体験に没入して楽器を弾いていることを意識しなくなる瞬間がある。そうしたときがフロー体験である。
フロー体験に関係する変数は二つあるという。不安と退屈である。挑戦に対して自分の技能があまりに低いとき、人は不安になる。逆に挑戦のハードルに対して技能が高すぎると退屈になる。挑戦と技能のバランスが適切に設定されたとき、人はフローを体験する。
内発的報酬としてのフロー体験で行動する人間に対しては、金銭や名声などの外発的報酬は、効果がないばかりか、時に逆効果に働くことが知られている。純粋に楽しいからやっている行為に、時給を与えても、生産性は高まらないことが多い。
フロー体験は技能の向上やピークパフォーマンスの秘訣でもある。Linuxの創始者リーナス・トーバルズは「それがぼくには楽しかったから」という自伝を書いている。彼は儲からなくても、ただ楽しかったから、大組織にも困難な独自のオペレーションシステムをつくることができたのだろう。
日常生活の中にもマイクロフローと呼ばれる小さな自己目的的体験が無数に存在していることを著者は発見した。なんとなくテレビを見る、雑誌をぱらぱら流し読む、喫煙する、無駄話をする、ぶらぶら歩く。こうした無目的な活動を剥奪する実験を行ったところ、被験者たちの創造性は低下し、全般的に生きる意欲が減衰してしまった。
仕事を成し遂げるためにも、毎日を楽しく生きるためにも、フロー体験をいかに増やしていけるかが、重要なポイントになる。この本は、さまざまなフロー体験者たちへのアンケートとインタビューから、楽しさの秘密に迫っていった。
統制群を使わない実験であったことや自己評価ベースであることなど、研究手法として完璧でないことは著者も最初に触れている。だが、楽しいと感じるときにベストパフォーマンスが出ることは誰しも実感していたことだろう。楽しさと成果は両立し得る。その方法を自分なりに考えてみたい人におすすめの一冊。
2006年02月09日
子供の「脳」は肌にある
臨床発達心理学者によるスキンシップのすすめ。
成人の対人関係について米国で学者がアンケート調査したところ、大きく以下の3分類に分けられた、という米国の研究が紹介されている。
安定型(56%) 他人と親しくなるのがたやすく、人間関係が好き
アンビバレント型(24%) 他人は自分が望むほど親しくしてくれない、と思う
回避型(20%) 他人と親しくするのが嫌い
この3タイプは、そのまま母子関係の母親3タイプに割合に対応していると著者は指摘する。母子関係が成人してからの対人関係につよく影響するというのである。
安定型(60%) 子供の要求にすぐに反応するタイプ
アンビバレント型(19%) なかなか反応しないタイプ
拒否型(21%) 拒否的に反応するタイプ
そして、対人関係は恋愛パターンをも支配しており、その人物が安定した人間関係を築いて幸せに暮らせるかどうかと深い相関関係があるとされる。母子関係(広い意味では父子関係も含む)がいかに子供の人生にとって大切なものか、示唆される。
関係の中でも特に重要なのがスキンシップであった。大学生への調査の結果、母親とのスキンシップが多かった学生は安定型になり、アンビバレント型になりにくかった。そして自分に自信を持ち、他人を信頼する傾向があった。父親とのスキンシップは、少し異なり、回避型になるのを防ぐ傾向があったそうである。
母親とのスキンシップが多いと依存型の、マザコンになるというのは誤解であるとこの本は俗説を否定する。なでなで、くすぐり、添い寝、抱きしめる。スキンシップが、こどもの思いやりを育て、キレない脳をつくるのだと多数のケースで説明がある。
医療の現場でも患部への「手当て」が効果をあげることが報告されている。心臓病の患者の腕に看護婦が手を当てるだけで心拍が下がって安定する。痛みが抑えられる。ストレスが低下する。こうした癒し効果は自分の手で触っても、他人のときほど期待できない。肌にある末梢神経は脳に通じている。他者とのリラックスした触れ合いはこの回路を起動させ、良い効果を挙げるようだ。
2歳の息子は意思表示がしっかりしてきて、あまりスキンシップを取りすぎていると「パパはあっち(へ行って)」と向こうを指差すようになってしまった。この本を読んでくれるといいのだが、無理か。
2006年01月16日
偽薬のミステリー
プラセボ(プラシーボ)効果の徹底研究。
かつて医薬は魔術、心理学、身体の治療の3本柱から成り立っていた。実証主義科学の勝利と物質還元主義の時代の到来によって、西洋医学では魔術要素はすべて消し去られた。心理学要素も一度は消えたが、精神医学、行動心理学によって部分的に現代医療に蘇っている、と著者は医薬の歴史を総括した。
一般的に、医薬は服用することで、薬学的に活性な分子が身体に作用し、患者の病気を治すものと考えられている。しかし、薬学的には何の効果も持たない薬(偽薬)を使っても、本物の薬と同じか、それ以上の効果を発揮するケースが多々あることを、この本は紹介している。医者、患者、薬の3者の相互作用する空間に強力な治癒効果が生まれる。
不安、うつ病、月経前症候群、癌性腫瘍、術後疼痛、頭痛、咳、リューマチ、結核、腫瘍の成長などの分野で、偽薬効果は研究され、平均して30%の(かなり高い)効果が認められた。分野によって強弱は異なるが、あらゆる病気の治療過程で偽薬効果があるようだ。古代の呪術や中世の錬金術も、当時、それを信じた人々には効果をあげていた。
「この薬を飲めば直りますよ」は、看護婦がいうより医者が告げたほうが、さらには”名医”と呼ばれる権威が告げたほうが、投薬効果が高まるという。患者が医者の言葉を信頼していればいるほど、効果がてきめんになる。興味深いのは、患者だけでなく、医者自身もそれを信じている方が効果が高まるという事実だ。医者がその言葉を自信を持って告げられるからだと考えられる。
錠剤の色や薬の名前も医薬の効果に影響する。精神安定剤には緑色の錠剤がよく使われる。効きそうな薬の命名法というのも存在する。効きそうな薬は本当に効いてしまう。医師である著者は豊富な臨床経験から、プラセボ効果は、意識的にせよ、無意識的にせよ、現代医療の背後に不可欠な存在になっていることを指摘する。
そもそも、薬学辞典に含まれる多くの薬が、臨床試験で効果があったというだけで認定されており、実際の薬学的な活性は怪しいものが多いのだという。その事実を医師は知りつつも、処方すれば効果があるので利用されている。特に治療方法がわからない病気、手のつけようのない病気、放っておいても治る病気の際の投薬は偽薬的な内容であることが多いらしい。
偽薬は医学の表舞台では長く無視されてきた。医師の権威を損なうものであるからだ。しかし、軽い病気では、副作用など危険のある古典医療よりも、偽薬を使った方が、安全に病気を治せるのではないか、と、著者はその意義を積極的に評価している。
市販の風邪薬を選ぶ際に、私はついつい効能の記述が多い、高い製品を買ってしまう。実際に効果が高い気がする。この本に紹介される事例でも、同じ医薬が、高いコストを支払っているという意識がある場合に、そうでない場合に比べて高い治癒効果をあげている。何でも安ければいいというものではないらしい。信憑性が重要なのだ。
日本には「病は気から」という言葉がある。薬ではなく、コミュニケーションや信心で病が本当に治せるなら、偽薬効果の科学はもっと研究されていっていいと思った。
2006年01月10日
自爆テロリストの正体
9.11同時多発テロの実行犯の実像を追ったドキュメンタリ。実行犯家族への取材や原理主義指導者への直接インタビューなど、実地の取材で肉付けしていて興味深く読めた。自爆テロは自らの命を犠牲にする行為であり、無宗教の日本人にとっては理解しがたい境地である。その心理状態がどのように形成されていったのかを著者は分析していく。
「神の道のために殺された者を、けっして死者と考えてはならない。いな、主のみもとで扶助を賜って生きているのである」(コーラン)
「神とこの使徒たちの言いつけを守る者は、神が恩恵を垂れたもうた預言者たち、誠実な人たち、殉教者たち、善行者たちの仲間にはいる」(コーラン)
9.11テロは、過激なイスラムの聖戦というイメージが、メディアを通して印象づけられている。しかしイスラム教自体は平和を愛する温和な宗教である。イスラムの経典コーランには上のような殉教の意義についての記述はあるものの、飽くまで歴史的文脈の中での記述に過ぎない。決して現代において殺人を肯定しているわけではない。
テロを正当化しているのは一部の過激な原理主義者たちに過ぎない。しかも、原理主義の真のリーダーたちは自爆テロを指示しただけであった。自らの命を捧げたのは生粋のイスラム原理主義エリートではなく、改宗者が多かったという。
テロの実行犯には欧米での生活や留学経験のあるものが多い。フランスなどヨーロッパ国籍のものもいる。彼らは生まれついてのイスラム教徒ではなく、欧米文化とイスラム文化の狭間で育ち、差別やアイデンティティの問題に悩まされた若者であった。
「貧困の中で世の中の不平等に絶望し、テロに走った」という見方は誤りで、「彼らがテロを起こした決定的な理由は貧困ではなく、自己の内面に起きた変化だ」と著者は分析する。
実際、実行犯の多くは貧困な家庭に育ったわけではなく、比較的恵まれた環境に育ったものが多かったようだ。大卒も多い。だが何らかの自身の弱さに起因する挫折や、欧米社会からの差別的待遇への絶望を募らせたものが多かった。俗世間的な意味での成功者がいない。「そこそこの教育は受けたものの、その後社会で進むべき道を失った人々」であった。著者のことばでは「大卒の出来損ないこそがテロリストになる」。
若者に共通の「自分探し」の悩み、アイデンティティの悩みを抱いた彼らに、システマチックな布教と洗脳を施したのがアルカイダであったとされる。感受性の強い若者を選び、巧妙に心の弱さにつけこんで、殉教の意義を信じさせる。
実行犯は、にわかづくりのテロリストなので、ゴルゴ13のようにはいかないと著者は批評している。事実、9.11前に捕まってしまったものもいれば、他のテロでは自爆前に逃亡したものもいた。
9.11テロは単なる犯罪なのであって、イスラム教世界とキリスト教世界の宗教戦争などと、大騒ぎすると、原理主義者の思うつぼであると著者は警告している。オウム真理教のテロを「仏教徒のテロ」と呼ぶのと同じくらい的外れな視点だという。
9.11テロを宗教と切り離して考えるべきなのかは、私にはまだよくわからない。宗教が根源的にもつ危うさは別に考えるべき問題である気がする。だが、実行犯の出自や生育環境を取材した情報を見る限り、一部の原理主義指導者に、若気の至りがうまく利用されたのが、あのテロの現場レベルの実状であることがうかがえる。オサマ・ビン・ラディンやブッシュがいう聖戦や悪の帰結によるものではないことがわかる。
実行犯の妻たち、親や兄弟への積極的取材なども生々しい。
2005年11月06日
人は見た目が9割
非言語コミュニケーション入門。
・非言語(ノンバーバル)コミュニケーション
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000549.html
このテーマでは上述の名著があるのだが、少しばかり出版が古い。この本でも参考にしつつ、最新の研究成果を紹介している。著者は本業が演出家であるため、日常のコミュニケーション論だけではなく、役作りのノウハウを絡めてこのテーマを語った点が面白かった。
心理学者アルバート・マレービアンの研究によると、人が他人から受け取る情報の割合は以下の通りで、
・見た目・身だしなみ、仕草・表情 55%
・声の質(高低)、大きさ、テンポ 38%
・話す言葉の内容 7%
言葉は7%しか伝えていない。
そもそも話す以前に話し手の顔のかたちも影響する。演出では丸顔は「明るい」「包容力」「決断力・行動力がない」、角顔は「情に流されない」「短気」「積極的で意思が強い」、逆三角形顔は「明るくない」「学者タイプ」「先頭に立って仕事をするタイプではない」などの印象を与えるのだという。役者選びの際には、顔の形の持つ印象も参考にしているらしい。
確かにドラえもんのスネ夫くんが丸顔だったら、スネ夫くんらしくない。
演劇の演出や漫画の原作をてがける著者は、「こういう役はこういうしゃべり方」という典型があるとして次のような例を挙げている。
「
貧しい農民は東北弁、ケチは大阪弁。浮世離れして上品な人物は京都弁。ヤクザは広島弁。志が大きな男は土佐弁(坂本竜馬のイメージ)。男っぽくて逞しいと博多弁。人望のある傑物は薩摩弁(西郷隆盛のイメージ)。
」
漫画では「可愛い女の子」は、膝を内側を向けて立つ姿で描き、ぎこちない感じを出すと効果があるらしい。目は大きく開き、両目の距離をくっつけすぎないように描けば、隙があるように見えて一層効果的。こぶしは握った方が少年っぽさを演出して、逆に可愛い感じになるとのこと。作例も提示されていて納得。
顔つき、仕草、目つき、匂い、色、温度、距離など非言語コミュニケーションの研究成果やノウハウが各章にまとめられている。深く知るに当たっての入門書としてとっつきやすい本だった。
・マンガ・心理分析
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002605.html
・人と人との快適距離―パーソナル・スペースとは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001278.html
・間合い上手 メンタルヘルスの心理学から
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003644.html
・しぐさでバレる男のホンネ、女の本心
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003936.html
2005年10月27日
人はなぜ恋に落ちるのか?―恋と愛情と性欲の脳科学
夏に日本科学未来館でこんな展示を家族で見た。
・日本科学未来館 特別企画展(既に終了)
『恋愛物語展 − どうして一人ではいられないの?』
http://www.miraikan.jst.go.jp/j/event/2005/0815_plan_01.html
「
恋愛という言葉を聞くと、誰もがなぜか反応します。
人間であると同時に、一つの生命システムに組み込まれた一つの個体であるわたしたち。その個体はさらに細かく見ていけば、さまざまな物質の集合体です。そんな人間にとって、他人を好きになり、パートナーを見つけ、生涯を送るということにどのような意味があるのでしょうか。
このような疑問から、わたしたちは「恋愛」というものを、あえて科学的な立場からとらえ直してみることにしました。すると、それが生命の神秘であると同時に、人間という生命にとってきわめて特徴的な行為であるということが見えてきました。
」
ハイテクで触れる展示が多くて、2歳の息子も楽しんでいた。
恋愛を科学するというのは、娯楽としても成立するのだなと思った。
この本は、恋愛感情は主に脳内で交配衝動を作動させるための動機システムであるという脳科学の本。前作では生物学的に人間の愛は4年しか続かないという内容で物議を醸した人類学者が書いている。今回は熱烈恋愛中や失恋直後の被験者を集めて、fMRI装置にかけて、脳内部位の活性状態を分析するなど、意欲的な実験も満載。
・浮気性か家庭的かはホルモンバランスで決まる
・なかなか手に入らない相手に燃える
・好きになったら引き返せない
・近くにいる人と恋に落ちやすい
・男性が好む理想の女性の体型は世界中でウエスト:ヒップ=7:10
など、恋愛カウンセラーではなくて、学者がデータに基づいて真面目に知見を述べる。
「愛」の中身は、
1 性欲
2 恋愛感情
3 愛着
であり、それぞれが、出会いたいと思うこと、熱く燃えること、長く安定した愛情を維持することに関与している。3つの仕組みを動作させる脳内の化学物質も列挙されている。著者の手にかかると「愛」が化学物質や脳の活性化に還元されていく。
「
しかし、恋愛を理解したからといって、感じかたまで変わったわけではない。ベートーベンの第九の楽譜をすべて知っていたとしても、それを耳にするごとにおぼえる興奮が変わらないのと同じだ
」
まあ、そういうことかもしれないが、割り切ってしまうのも、割り切れない気がする読後感であった。























