2004年02月21日

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・心はどのように遺伝するか―双生児が語る新しい遺伝観
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面白い。見方によっては、古典優生学的と批判されかねない、きわどいテーマを扱っていると思う。

■こころの遺伝を証明することの危うさ

私は学校で、姿形や体質、病気は遺伝することがあると習った。しかし、知能や性格が遺伝するとは教わらなかった。社交的で明るいだとか、語学の習得が早いとか、プレッシャーに弱い、異性の好みやつきあい方に偏りがある、などの「こころ」の性質は、後天的な学習と育ちの環境が決めるものであって、遺伝子が決めるわけではない、ということになっている。

なぜ、”そういうことになっている”のか?。ひとつの理由はそれが倫理的に「Politically Correct」な言説だからだろう。「こころ」が遺伝するとすれば、優秀な家系の子どもは優秀で、犯罪者の家系は犯罪者を生むという論理につながる。実際、そういうこともあれば、そうでないこともあるわけで、「それは遺伝である」という言説は差別にもつながりかねない。社会的に受け入れられにくい。

もうひとつの理由は、遺伝と、後天的学習及び環境の要因を切り離して分析することが不可能だと考えられるからだ。親が優秀で裕福な家庭は、そうでない家庭よりも、比較的恵まれた環境をこどもに与えることができると考えられる。逆の環境の仮定もありえる。だが、実際に成長した子どものこころを、遺伝的な部分と学習・環境要因と切り分けて分析することは難しい。測れないものは証明できない。

つまり、この本のテーマはきわどい。「こころは遺伝する」ことを科学的に証明した上で、且つ、社会的に受け入れられる説明をしなければならない。そんなことができるだろうか?。この本はその難しい挑戦に、慶応大学の助教授が果敢に挑んでいるスリリングな内容である。

■双子の研究からわかること

科学的証明のてがかりは、「別々に育てられた一卵性双生児」である。

そもそも双子がこの世に生まれないとする。計算によると通常の遺伝プロセスを人類の絶滅まで繰り返しても、同じ遺伝子を持つヒトは生まれてこないらしい。人類絶滅までの延べ人口は大きく見積もっても20桁程度の数字。これに対して、遺伝子の組み合わせパターンは2400桁レベルと考えられるからだと言う。

それゆえ、一卵性双生児は遺伝的に奇跡とも言える貴重な研究材料なのだと著者は考えた。その事例を多数集めて、双子の各々のたどった一生や、性格、能力を調べていく。IQ、学業成績、宗教性、創造性、外向性、職業興味、神経質などの項目の類似性を数値化する。

稀にだが、事情があって何十年も生き別れになって異なる環境で育った一卵性双生児がいる。異環境の一卵性双生児の事例を多数集める。これは同環境で育った双子と区別して集計する。

同時に遺伝的には少し離れた関係にある二卵性双生児でも、同環境・異環境に分けてサンプルを集め、類似度を数値化する。こうして、一卵性(同環境、異環境)、二卵性(同環境、異なる環境)の4つの類似度が集計される。

4つの類似度の相関度を算出する。一卵性は遺伝子を100%共有しており、二卵性は50%の共有度であるから、この違いも加味して、有意な相関項目がみつかれば、こころの性質のうちで遺伝するものがみつかる、というわけだ。

IQや明るい性格その他、幾つもの要素に強い相関が発見される。

まったく異なる環境で、お互いの存在さえ知らなかったのに、学校の成績や職業、乗っている車種、好きなお酒の銘柄、離婚歴、果ては妻と子どもの名前(好きだから名づけた)まで一緒だった双子の例が紹介される。

こうして、こころの遺伝の証明の第一歩が始まる。この部分は数値やグラフでデータが多数示され、最も読み応えのある部分である。

■こころの遺伝は決定的なのか?

上記の方法で、遺伝と学習・環境要因を切り離して分析するとしても、完全な遺伝の証明にならないと著者は考える。遺伝は遺伝子が確率的に複製されるだけであって、その表現形が複製されるわけではない。抱えた遺伝子が必ず発現するとも限らない。例えば「美人の顔」は、顔の個々のパーツの性質(目がパッチリ、鼻が高いなど)できまるわけではなく、組み合わせ全体で決まるわけだし、癌の遺伝子を持っていても癌になるとは限らない。

環境や学習に対しても、著者は鋭い分析を続ける。得意なことが好きになって、自分も他人も、もっとその能力を伸ばそうとする。環境も学習も、与えられたものという面は極一部で、本人が選択したり変革していくものととらえる。

「遺伝」の意味が一般にいかに誤解されているか、著者は専門的な概念を、分かりやすい例を挙げながら解説し、遺伝=決定論の偏見イメージを突き崩し、科学的な理解とは何かを語る。

こうした事柄を論じたうえで、この本は最後に「こころの遺伝」の存在と、その意味を結論するクライマックスへ向かう。最終章にいたって、私としてはこの本は、前述の「Politically Correct」の問題を、なるほどね、という落としどころへ持っていくことでクリアしているように思える。

この本、じっくり読まないと著者は、一見、遺伝決定論者のように見える。いや、著者は中立に書いているのかもしれないが、この人自身の肩書きが、俗世間的にはエリートなわけで、一般読者としてはどうしても、そう読みがちになる。読後感としては、中立の人っぽく感じたけれど、まだ分からないでいる。

分からないから、面白くて一気に読めたのかもしれない。新書でとっかかりやすい。データ量も豊富で、トリビア的にも、かなり、おすすめの一冊。


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Posted by daiya at 2004年02月21日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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