2008年01月15日
マインド・タイム 脳と意識の時間
「私たちの感覚世界へのアウェアネスは、実際に起こった時点からかなりの時間遅延することになります。私たちが自覚したものは、それに先立つおよそ0.5秒前にすでに起こっていることになるのです。私たちは、現在の実際の瞬間について意識していません。私たちは常に少しだけ遅れていることになるのです。」
認知科学で有名な意識の遅延に関する理論を、研究の第一人者の認知心理学者ベンジャミン・リベット自らが一般向けに語っている。この理論によると。私たちが意識の上で「今」だと感じている瞬間は正確には0.5秒くらい前なのである。
「自由で自発的なプロセスの起動要因は脳内で無意識に始まっており、「今、動こう」という願望や意図の意識的なアウェアネスよりもおよそ400ミリ秒かそれ以上先行していることを私たちは発見し、明らかにしました。」
何かを意識にのぼらせるには、脳の電気的な準備プロセスが必要で、それに必要な時間だけ意識は遅延する。0.5秒というのはかなり長い時間なので、「人それぞれの性格や経験が、それぞれの事象の意識的な内容を変えてしまう可能性」もあるのだという。認識の個人差、感受性の違いの根本原因は、この意識の遅延にこそあるのかもしれない。
リベットらの意識の研究によって、人間の行動には無意識が支配している部分も多いことがわかってきた。たとえば自転車を走らせていて子どもが飛び出してきたとする。この場合、人間は150ミリ秒くらいでブレーキを踏んでいる。危ないからブレーキを踏まなければと意識が思うのは500ミリ秒くらいの、実際に踏んだ後なのである。
なんだか不思議に思えるが、さらに日常の発話も無意識におう所が大きいらしい。確かに私たちは次に何を話そうか、どんな単語を使おうかと意識で考えないでも、自然にぺらぺら言葉を繰り出している。
「発声すること、話をすること、そして文章を書くことは、同じカテゴリに属します。つまりこれらのことはすべて、無意識に起動されるらしいということです。単純な自発的行為に先行して、無意識に始まる脳の電位変化は、また話したり書いたりといった類いの他の自発的行為にも先行するという、実験的な証拠がすでにあります」。
「話された言葉が話し手が意識的に言おうとしていたこととどこか異なる場合、通常話し手は自分が話したことを聞いた後に訂正します。実際に、もしあなたが話をする前に一つ一つの単語を意識しようとすると、あなたの話す言葉の流れは遅くなり、ためらいがちになります。流れがスムーズな話し言葉では、言葉は「ひとりでに」現れる、言い換えれば、無意識に発せられるのです。」。楽器の演奏もおなじだそうである。
表現行為の多くが無意識の創作を意識が追認していくプロセスだというのは、私たちの経験に照らして正しそうに思える見解である。自然な動作はたいがい「ひとりでに」おきる。自由意志、顕在意識が行う行為は人間の行動の中では案外、限定的なのであるということがわかる。私たちは自由意志で生きていると思っているが、無意識の結果を追認しているだけのようにも思えてくるのである。
当然のことながら、このテーマを突き詰めると「人間に自由意志はあるのか」という哲学的な問いに収斂する。第6章の「結局、何が示されたのか」ではリベットと心脳論の祖デカルトが仮想的な対話をする趣向が用意されている。ここで意外にもリベットは自由意志や魂の存在を否定せず、理論的にその存在の余地を残そうと努力している。
リベットは脳科学、認知科学の本にしばしば研究内容が引用されているが、本人の著作も実験結果の分析にとどまらず、哲学的な問題意識で書かれていて、相当面白いものであった。
・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html
リベットらの研究をベースにして意識科学を総合する大傑作。
・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html
・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html
・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html
・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html
・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html
2008年01月08日
知覚の扉
この本のタイトルから「ドアーズ」という伝説のバンド名が生まれ、その内容は往年のサイケデリックムーブメント、意識革命、ニューエイジ運動の火付け役ともなった。
オルダス・ハクスリー(1894-1963)は、立会人や録音装置を前に、幻覚剤メスカリンを服用して、自らの精神が変容していく様子を記録した。薬が効き始めると、時間や空間の認識が弱まり、代わりに事物の存在度の強さ、意味の深さ、パターン内部の関係性が強く認識されるようになった。そして「すべてが<内なる光>に輝き、無限の意味に満たされている世界」を発見した。
ハクスリーは化学的な力を使って「知覚の扉」を開くことができること、それは芸術家や宗教者たちに創造的インスピレーションを与える超越的なビジョンと同質のものであると語る。「偏在精神(マインド・アット・ラージ)」と「減量バルブ」という二つの概念を使って、人間の内部意識と外部世界の関係を見事にモデル化している。
「人間は誰でもまたどの瞬間においても自分の身に生じたことをすべて記憶することができるし、宇宙のすべてのところで生じることすべてを知覚することができる。脳および神経系の機能は、ほとんどが無益で無関係なこの巨大な量の知識のためにわれわれが圧し潰され混乱を生まないように守ることであり、放っておくとわれわれが時々刻々に近くしたり記憶したりしてしまうものの大部分を閉め出し、僅かな量の、日常的に有効そうなものだけを特別に選び取って残しておくのである。」
見たもの、聞いたものをすべて記録し再生する潜在能力を、ハクスリーは<偏在精神>と呼んだ。これは特別な力ではなく、人間がみな持っている基本能力であるという。
「この<偏在精神>は脳および神経系という減量バルブを通さなければならない。このバルブを通って出てくるものはこの特定の惑星の表面にわれわれが生き残るのに役立つようなほんの一滴の意識なのである。この減量された意識内容に形を与えそれを表現するために、人間は言語と名付けられている表象体系とそれに内在する哲学を創り上げ絶えず磨きをかけてきた、個人はすべて各自がそこへ生まれおちた言語慣習の受益者であると同時に犠牲者である。」
こうした理論のもと、ハクスリーは脳内の化学作用で減量バルブを制御することで、人間は世界に潜在する豊かな意味を、自在に知覚することができる、意識を拡張することができるとした。
超越的ビジョンをみる芸術家や宗教家は、意味にあふれた「素晴らしい原存在」を、脳の減量バルブを迂回するパイプを通して、直接に受け取ることができる人たちなのだ。そのために必要なのは精神修行か薬であるとハクスリーは結論する。
古代人は栄養不足に置かれることが多かったから、現代人よりも変性意識状態に陥りやすく、幻覚を見ることが多かったのではないか、という後半の考察も興味深かった。原始宗教の発生や、宗教の衰退の説明として説得力もあった。
サイケデリックムーブメント、ニューエイジ運動、サイバパンクなどのサブカルチャーの背景にある基本思想を確認したいという動機で読み始めたのだが、全編を通して勉強になるというより、非常に面白かった。この本、決してオカルトではないのである。かなりまっとうな科学であり、哲学であり、総合的な思想の本だったのである。
・すばらしい新世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004977.html
作家ハクスリーの代表作。逆ユートピア小説。
・ジョン・C・リリィ 生涯を語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004756.html
・脳と心に効く薬を創る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002497.html
・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html
・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
2007年08月08日
IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実
「心理テストはウソでした。」の著者の最新作。
日本では知能について真正面から語ることがほとんどタブーになっている。この本の冒頭で紹介されているように、多くの人はIQという言葉は知っているが、何十年も前の古い知能検査法のイメージでとらえている。知能については漠然としか知らない。書籍もほとんどない。今の日本は、世界の知能研究の最新情報がほとんど入ってこない暗黒時代であると著者は嘆いている。
この本の前半では知能研究の歴史が語られている。
「1908年のビネ・シモン検査は、検査問題の難易度を年齢別にそろえるだけで、知能が1次元的に序列化できることを示したが、序列化を避けるために、精神年齢という言葉を使った。一方、スピアマンは知能が一般知能gと特殊知能sから構成されるという数学モデルを提案した。この一般知能を具体的に表現したのが知能指数という概念である。」
この一般知能gは、短期記憶や決断・反応速度、読み書き、視空間能力、数学的能力など何十項目もの個別の能力テストの値を因子分析することで確認される最上位因子である。最新の知能因子理論のCHC理論では、一般知能gの下に16の因子があり、さらにその下に多数の特殊な因子が配置されている。
多数の課題の成績を相関分析することで、課題ごとに特殊な因子と、ほとんどの課題に共通の因子をみつけることができる。一般知能gが具体的に何なのかは諸説があるわけだが、俗に言う「頭の良さ」は測定可能であるということになる。
一般知能gは測定可能である。それが世界の常識なのに、日本では、知能は複雑で測定はできないとする、多重知能理論が人気があるそうだ。これに対して著者は「マスコミや教育関係者には、知能が1次元的ではないという主張が心地よく響く。序列化の必要がなく、各自の個性が尊重できるからである。しかし、gは統計的に分離可能で、かなりの影響力がある。」と述べている。
知能を脳という臓器のはたらきだと考えれば、身体能力と同じように、能力を測れてもおかしくはないかもしれない。測れないことにしておいたほうが社会的には都合がよいということなのだろう。遺伝と知能の関係も近年、明らかになってきているそうだが、これも差別や偏見を助長するからか、おおっぴらには語られない。
英国での60年に及ぶ大規模なIQ追跡研究の結果は興味深い。IQは生涯にわたって安定していたのだが、驚くべきはIQが高かった人は長生きし、低かった人は早死にしている事実である。原因はわかっていないが、頭の良い人は健康的な環境や行動を選び、その結果、長生きするのではないかと言われているらしい。
あまり知られていない知能研究の実態を知ることができておもしろい本だ。
・「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003417.html
2007年07月10日
ぼくには数字が風景に見える
円周率22500桁を暗唱し、10ヶ国語を話す天才で、サヴァン症候群でアスペルガー症候群で共感覚者でもある著者が書いた半生記。これらの病は稀に天才的能力を持つ者を誕生させるが、自閉症やその他の精神障害を併発することが多いため、こうした本を書ける人が出てくることは稀である。
まさに天才の頭の中がのぞける貴重な内容。
「ぼくが生まれたのは1979年の1月31日、水曜日。水曜日だとわかるのは、ぼくの頭のなかではその日が青い色をしているからだ。水曜日は、数字の9や諍いの声と同じようにいつも青い色をしている。ぼくは自分の誕生日が気に入っている。誕生日の含まれている数字を思い浮かべると、浜辺の小石そっくりの滑らかで丸い形があらわれる。滑らかで丸いのは、その数字が素数だから。31,19,197,79,1979はすべて、1とその数字でしか割ることができない。9973までの素数はひとつ残らず。丸い小石のような感触があるので、素数だとすぐにわかる。ぼくのあたまのなかではそうなっている。」
カレンダー計算や素数の判別を行うには高度な計算が必要だ。著者は累乗などの難しい計算を、瞬時にイメージ上の操作で行うことができるのだ。「ある数を別の数で割ると、回りながら次第に大きな輪になって落ちていく螺旋が見える。その螺旋はたわんだり曲がったりする。割る数が違えば、螺旋の大きさも曲がり方も変わる。ぼくは頭のなかで視覚化できるために、13÷97のような計算も小数点以下第100位くらいまで計算できる」。
複数の感覚が連動してしまう共感覚者が稀にいることは知られているが、著者はその中でも極めて珍しい数字と色や形、感情が結びついているタイプである。数字を見るとイメージが頭にあふれてしまうらしい。
自閉症である著者は、この数字を感情にむすびつける能力を使って他者の感情を理解するという離れ業でカバーしていると告白している。たとえば友達が悲しい、滅入ったと言ったら、6の暗い穴に座っている自分のイメージみたいなことかなと想像する。怖いは9のそばにいる感覚だそうだ。
サヴァン症候群ではない普通の私たちも直感でかなりの高度な判断ができるわけだが、そうした直感の隠れたレイヤーには似たような脳内の情報処理が隠れているのかもしれない。そのプロセスをかなり明瞭に言語化できる著者は脳の仕組みの解明に役立つ重要な存在になる可能性がある。
なお、2007年8月にNHK番組「地球ドラマチック選」で「ブレインマン」として著者が登場する番組が放映される予定。同ドキュメンタリは世界40カ国で放映されて話題を呼んだ。今読んでおくと話題を先取りできる旬な一冊である。
このブログではこの種の話題については何度も取り上げてきたので関連書の一覧を掲載。
・火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004319.html
・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html
・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003736.html
・共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000533.html
・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html
・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html
・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html
・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html
・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html
・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html
・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html
・喪失と獲得―進化心理学から見た心と体
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002945.html
・ひらめきはどこから来るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001692.html
・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
・音楽する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004148.html
・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html
・天才はなぜ生まれるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001320.html
・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html
2007年06月27日
超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会
・超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会

とても素晴らしい先端科学ガイド。
遺伝子操作による身体能力や精神の改造、インプラント(体内埋め込み)による心身の能力拡張、脳とコンピュータの融合によるテレパシー通信の実現など禁断のテクノロジー領域に迫る。テクノロジーが人類という種を超人類に進化させる可能性を、最新の先端科学の成果で検証し、未来への展望を探る。
内容はかなり衝撃的である。特に脳とコンピュータの接続は実験レベルでは成功例が次々にでてくる。
脳に電極を埋め込んだ四肢麻痺患者ジョニー・レイは、猛訓練に取り組んだ。電極は機能していない左腕の神経に接続され、出力は無線経由でコンピュータに送られる。これは動かない左腕を動かそうと意識すれば、コンピュータを操作できるシステムだ。
「ただし、カーソルを動かす訓練は生半可なものではなかった。いつでも思った方向に移動してくれるとは限らないのだ。うまく制御しようとするのは、腕の動かし方を一から学習し直すようなもので、思考錯誤の積み重ね、とてつもなく骨の折れる作業だった。しかし、レイは少しずつコツをつかんでいった。数ヵ月後には、文字やアイコンを選んでクリックして名前や文章をタイプし、「I'm Hungry(腹がすいた)」などと伝えることができるまでになっていた。それだけではない。腕を動かそうと考えるのをやめた、と言うのだ。文字やアイコンに集中するだけで、何かを介することなしにカーソルを動かせるようになっていたのだ。ある意味、コンピュータがレイの一部になったと言える。」
心に思い浮かべたことが直接デジタルのイメージに変換されている。盲目の患者が視神経に直接信号を送ることでイメージを投影し、車を運転できるようになった例もある。強化された視覚では、肉眼では見えない赤外線やX線が見えるようになり、デジタルズームも可能になるという。
思考や視覚を脳から直接キャッチできるのだから、これを他者の脳へ直接送ることも考えられる。「次のステップは、私たちの生物学的な脳の統合である。今や、心のなかの考えや経験を解き放ってたがいに共有し合い、それらを紡ぎあげてワールド・ワイド・マインドをつくり上げていくべきときなのだ。」
脳とコンピュータの接続によって、人類は記憶を拡張し、認識力を強化することができる。さらに自身の信念や感情を、電気刺激で自ら制御してしまうことも可能らしい。感情のコントロール技術はうつ病の治療で効果を上げた例が報告されている。
「これらの知見を足がかりとして二、三〇年のうちには新しい薬が開発され、人間の行動に関するいろいろな面、たとえば熱愛、カップルの絆、共感、食欲、宗教心、スリル探究、性的興奮などをつくり出したりできるようになるかもしれない。性的指向までも自由に変えられるかもしれない。もしも脳に対する遺伝子治療が可能になったときには、性格を永久にあるいは半永久に変えるという選択もできるだろう。」
この他に、遺伝子治療による寿命の延長と老化の阻止技術、身体能力やIQの強化などの、超人類実現のための技術の現状が冷静に語られる。グレッグ・イーガンのSF作品そっくりの近未来を著者は、現在位置から展望しているのである。著者は、そうした未来に対して危うさよりも、明るい世界観を見出している。
(たとえば脳が相互に接続され、考えていること、感じていることが、互いに手に取るようにわかる男女の恋愛、セックスは、素晴らしいものになるだろうと著者は書いているが、いやはや、それはどうなのであろうか。愛しているから言わないこともあっていいんじゃないのかとか思ったりするわけだが(笑)。)
著者はマイクロソフトでインターネットエクスプローラとアウトルックを開発した技術者でもある。技術を使う人を意識して科学の未来像を描いているなあと感動した。科学読み物として第一級である。脳科学、先端領域に関心がある人には自信を持ってお勧めしたい本だ。
2006年12月26日
脳は空より広いか―「私」という現象を考える
ノーベル医学・生理学賞を受賞したジェラルド・M・エーデルマンが、クオリアと意識の科学に迫る。
脳はプログラムにしたがって動くコンピュータとは異なる。外界の情報を入力として受け取って、生存のために行動を最適化していく単純なフィードバック機械でもないと著者は述べている。
「再入力」はこの理論のキーワードである。
「再入力とは、いくつもの脳領域を結びつける並行的、同時進行的な信号伝達であり、行ったり来たりくり返し行われる信号のやりとりである。そしてこのやりとりによって、別々の脳領域の活動が時間的および空間的に協調するというわけだ。よく引き合いに出される「フィードバック」は出力された信号が出力元に戻ってきて、その間にエラー調節をするという単純なループ内の順次的な伝達であるが、再入力はそうではない。並列的、双方向的なたくさんの経路が関わった再帰的な伝達方式であり、あらかじめ決められたエラー修正機能はついていない。
こういった動的なプロセスが遂行される結果、脳のいろいろな場所で起きているニューロン活動が広範囲にわたって「同期」する。これによって機能的に異なったニューロン活動がひとつにまとまり、全体として意味をなす出力が可能になる。」
私の理解では、発生選択と経験選択によって脳にかなり複雑なシナプスの結合ができて、その複雑さの上を流れる信号が響きあってコヒーレントな状態を刻々とつくりだす。そのマクロな状態が意識のプロセスであるということらしい。ダイナミックコア仮説という。
「複数の領域が、再入力という再帰性の信号伝達で行う相互作用」は、瞬間的に、特定の出力を持つ回路を構成する。次の瞬間、この回路は消滅するが、前と同じ働きをする新しい構造の回路を構成し、同じ出力をする。これによって別々の場所にある複数の知覚機能を統合し、一貫した知覚像を維持することができる。
この仮説では、脳の機能局在や司令官(ホムンクルス)の存在を必要としない。神経ダーウィニズムと呼ばれる神経細胞淘汰の仕組みによって意識が生まれるように調整されていく。なぜ意識が必要なのかといえば、意識があったほうが個体の生存確率が高まるからだ。
脳と意識の関係については併立関係であると答えている。ある脳の状態(C´)が、ある意識(C)をもたらすのは、C´がCを識別するのに必要なプロセスになっているからだという。だからC´には必ずCが伴うわけだが2つの結びつきは強いので、随伴現象というのではなくて、CはC´の特性とみなすというのが併立の理論である。そしてC´なくしてCは識別できないのだから、有名な哲学的ゾンビの問題は、そもそも問題として成立し得ないと退けている。
この本には意識のメカニズム、心身問題について統合的な理論が述べられている。とても刺激的。ただし、内容は一般向けだが高度なので、予備知識として何冊か、クオリア関係の本は読んでから挑戦することをおすすめ。
2006年07月06日
うぬぼれる脳―「鏡のなかの顔」と自己意識
大きくテーマは3つ。
・セルフ・アウェアネス
・心の理論
・自己認識の右脳局在
他者の心的状態を推察する能力=心の理論を調べるスマーティ・テストの話が面白い。
「
スマーティ・テストでは、子どもAにスマーティというお菓子の箱を見せて、箱の中に何が入っていると思うかとたずねる。Aは当然、「お菓子」と答える。そこで研究者は箱を開けて、実は鉛筆が入っているのを見せる。研究者は鉛筆を箱に戻してから「これからお友達のBちゃんがこの部屋に入ってくるんだけど、Bちゃんはこの箱の中に何が入っていると思うかな?」とたずねる。もしAが、「鉛筆」と答えたら、それはAがBの考え、あるいは心的状態を理解できないというしるしである。AがBの心的状態を推察できるなら、正解は「お菓子」になるはずだ。
」
このテストでは三歳児は合格せず、四歳児は合格するという一貫性のある結果が出るという。実験後、「最初にこの箱を見たとき、箱を開ける前は、なかに何が入っているとあなたは思っていた?」とたずねると、50%以上の三歳児は最初から鉛筆が入っていると思っていたと答えるという。
三歳児ではまだ自分の思考をモデル化できていない。だから他者の思考をモデル化することができない。心の理論には高度なセルフアウェアネスが必要なのである。この能力の獲得に前後して嘘をつくこと(欺瞞)も覚えるらしい。欺瞞もまた自己と他者の認識を必要とする。
こんな実験がある。数字が面白い。こどもの気をそそるおもちゃを置いた部屋に三歳前後の子どもを入れ、そのおもちゃに触ってはいけないと言い聞かせて、一人で部屋に残す。すると一人になった子どもの88%がおもちゃに触った。しかし、触ったことを認めた子どもは3分の1だけで、66%の三歳児が嘘をついたという。
さらに心の理論課題(他者の心を推察する能力)で高成績な子どもの97%が嘘をつき、成績の悪い子どもでは56%しか嘘をつかなかった。発達すればするほど嘘をつく。しかも、これほど低年齢で高率に発現するということは、人間はうまれつき嘘をつく動物なのではないかと著者は述べている。
著者は自己認識には右脳が強く影響していると述べている。左利きの人(右半球優位)は右利きの人よりも、欺瞞の検知に優れているのだという。多数の特異な脳の障害事例とともに、自己認識における右脳のはたらきが示される。
「うぬぼれる」には高度な自己認識が要る。うぬぼれることができるのは人間くらいなのである。
2006年03月06日
火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者
実におもしろい脳についてのエッセイ集。
トゥレット症候群の外科医は、普段は身体をねじり物を物をいじりまわす衝動に抗うことができないが、手術中は発作が止み、一流の手術を施せる。
サヴァン症候群の画家は数秒で見たものを記憶し精確に絵に描ける特異な能力を持つ。
30年前の故郷の記憶にとらわれた画家はその過去世界の記憶の強制想起に悩まされ、現実と過去との二重の人生を生きる。写真的な記憶から描いた風景画は高く評価され故郷の名誉市民となった。
事故で脳を損傷した全色盲の画家は、白と黒しか見えなくなった。苦悩の果てに白黒の世界を更なる芸術に昇華させ、色のある世界に戻るつもりがなくなった。
30年間の全盲状態の後、手術で視力を取り戻した患者は、頭の中のイメージと視覚イメージの対応がとれず、「見えているが、見えない」。
極端な健忘症患者は、注意が途切れると数分前のことも忘れてしまう。
映画「レナードの朝」の原作者としても知られる脳神経学者のオリバー・サックスが、7人の脳の機能障害患者の人生を語った医学エッセイ集。障害はハンディだが、ときに超人的な能力と創造性の源になる。著者は患者の病を欠点としてではなく、ユニークな個性の一部として見ている。
博士号を持つ自閉症の動物学者は自ら発明した抱きしめ機械に癒されながら、研究開発の仕事をすすめていく。研究対象の動物の行動は理解できても、人間の心の動きがわからない。感情のドラマが把握できないから物語を味わうことも出来ない。感情とはどういうものか、経験から得た知識を使って他者の心を意識的にシミュレーションする毎日。彼女は自分は「火星の人類学者」みたいな気分で社会生活を生きているのだと言う。
世界の認識方法には多数のバリエーションがありえて、健常者を名乗る者たちの認識もそのひとつに過ぎないことがわかる。「その他大勢」の私たちを冷静に眺めている火星の人類学者たちの持つ世界観が、古い世界観を壊し、新しい変化を生み出していく原動力にさえなるのではないかと思った。
・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html
・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003736.html
・共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000533.html
・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html
・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html
・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html
・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html
・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html
・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html
・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html
・喪失と獲得―進化心理学から見た心と体
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002945.html
・ひらめきはどこから来るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001692.html
・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
・音楽する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004148.html
・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html
・天才はなぜ生まれるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001320.html
・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html
2006年02月21日
書きたがる脳 言語と創造性の科学
ハイパーグラフィア(書かずにいられない病)とライターズ・ブロック(書きたくても書けない病)について、自ら両方の症状を経験した医師でもある著者が、脳科学と精神医学の視点で言語と創造性の科学に迫る。
最初から最後まで共感するところの多い一冊だった。
付箋紙の数が久々に30枚を超えた。
私はブログを毎日更新するようになって約900日目だ。それ以前には3年ほどメールマガジンを定期発行していた時期もある。さらに遡ると大学時代はサークル広報誌の編集長兼ライターだった。日常的に物を書くという習慣は15年以上続いていることになる。思えば書くことや文字へのこだわりは子供の頃からだった。書かずにはいられない。軽いハイパーグラフィアであることは間違いなさそうだ。
著者によるハイパーグラフィアの基準:
1 同時代の人々に比べて圧倒的に大量の文章を書く
2 外部の影響よりも強い意識的、内的衝動に駆られて書く
3 書いたものが当人にとって哲学的、宗教的、自伝的意味を持っている
4 当人にとっての重要性はともかく、文章が優れている必要はない
仕事として原稿を書く立場になってからは、ライターズ・ブロックもしばしば経験した。締め切りが迫っているのに書けない。怠惰や多忙が理由でなくて書けないときはどうしようもない。アイデアがわきあがるまであの手この手で気分を変えながら、待つしかない。特にコラムや評論のような創造性が必要な執筆のときに陥る。
ライターズ・ブロックがやる気の問題、自己管理能力の欠如と異なる側面があることは間違いないのではないか。もしそうならば出版社はライターや編集者に自己啓発セミナーを受けさせたり、マネジメントコーチをつけているはずだ。そういうケースはあまり聞かない。
外発的要因があれば創造的な作品が書けるわけではない。原稿料や編集者との人間関係はライターズブロック脱出には本質的に影響しないからだ。書く気のしないテーマの原稿料が1ページ当たり100万円だったらどうか。たぶん、無理にでも私は書くだろう。ただし、その場合、書きたくて書くときの原稿と比べて、質がいいものを提出できる自信がない。
著者によると書く能力は大脳皮質という進化的に新しい領域に存在し、書きたいという欲求はより古い辺縁系と呼ばれる領域に存在する。二つの領域がうまく働かないと書き物仕事を幸せに行うことは難しいようだ。その上で、ハイパーグラフィアはライターズブロックと表裏一体の関係にありそうだと著者は結論する。そして、その真の原因を脳機能や精神科学に求めていく。
脳の機能障害や精神病が、極端なハイパーグラフィアの原因になるという研究が紹介される。特に側頭葉の研究が詳しい。脳科学では前頭葉は合理的判断能力に、側頭葉は創造的能力に関係があると言われてきた。
側頭葉てんかんや一部の認知症患者に異常なレベルのハイパーグラフィアが含まれる。彼らの側頭葉の機能は通常より低下していると考えられるが、一部は亢進しているようにもみえる。側頭葉は創造意欲を亢進と抑制を担当する部位であるらしい。
強烈なハイパーグラフィアは一種のビョーキということだ。このほか、作家や詩人はうつ病の発生率が10倍から40倍高いという報告もある。統合性失調症や失語症という脳機能の障害が、書く意欲に与える影響も分析されている。歴史的にも多作の大作家の多くがてんかんやうつ病を患っていたり、自身もしくは血縁者に精神障害患者を持っていた。
・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html
・天才はなぜ生まれるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001320.html
天才とビョーキは紙一重説は上記の本が詳しい
創造性を発揮するには、理性を失うほど病気に犯されていては難しい。ちょっと病的な傾向を持ちながら、社会性を失わない人たちが、文章の世界で活躍できるということになるだろう。豊富な臨床研究の調査と自身の深刻な体験から4年間考察にかけた本書は、プロ・アマを問わず物書きにとって極めて興味深い洞察と示唆に富んだ内容である。
終盤では、詩神、ひらめきはどうして訪れるのか、宗教的体験と創造性の類似性という、深遠なテーマも扱う。解説を担当する脳科学者茂木健一郎氏は「人間の脳という不思議な臓器が見せる様々な可能性---情報の洪水の中を生きる現代人に勇気を与えてくれる秀逸なロマンチックサイエンス」と形容している。
・喪失と獲得―進化心理学から見た心と体
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002945.html
・ひらめきはどこから来るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001692.html
・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html
・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html
2006年02月07日
感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ
脳科学と哲学の融合。
悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる。楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる。恐怖は身体がこわばるから心が怖いと感じること。心の動きを感情、身体の動きを情動と定義したとき「感情の前に情動がある」とダマシオはいう。
情動と感情の関係は、一般的には逆のように考えられている。内面的な動きが原因となって、外面の動きがあると私たちは考えがちである。だが、進化的には情動が先行して存在し、感情は後からできたものであることは疑いない。人間以外の動物には複雑な感情がないからだ。神経科学や心理学の実験でも、身体の反応(反射)が、意識される感情よりも時間的に早く出てくることがわかっている。
いま身体がどのような状態にあるかを知覚することが感情の主な内容なのだと著者は説明する。脳には身体の感覚マップがあり、そのニューラルパターンが、心的イメージである感情を喚起する。この情動と感情のプロセスを引き起こすのは外的要因だけではなく、人間の場合は記憶が引き金になることもある。悲しい思い出を想起すると、人間はバーチャルに泣くことができ、それは本当の悲しさを感じるときの身体反応を引き起こす。
感じるということが、考えるということよりも本質的な作用ということになる。同じことを17世紀半ばにオランダで考えたのが哲学者のスピノザであった。スピノザは主著「エチカ」のなかで「心は身体の観念からなる」といい、「人間の心は、その身体の変化(刺激状態)の観念によって以外、いかなる物体も現実に存在するものとして知覚しない」と述べた。身体の存在なしには、心はありえないということだ。
「人間の心はひじょうに多くのものごとを知覚することができる。また、その身体がひじょうに多くの影響を受けるとき、それに比例して心が知覚するものも多くなる」とも述べている。刺激の多い場所ほど豊かな思考が成り立つ。
著者もスピノザも、情動→感情プロセスの引き金として外部の刺激だけではなく、過去の記憶や想像が大きな役割を果たすことを認めている。人間はネガティブな感情を意識的にポジティブに変換することができる。情動が感情を支配しているということは自由意志を否定するものであるかのように思えるが、人間は自らの思考でこの過程を制御できる。「理性は道を示し、感情は決断をもたらす」。
有名な脳科学者が書いたこの本、前半は脳科学の研究で、次第にスピノザ哲学と融合し、最後は完全に哲学で終わるという構成になっている。ふたつの世界の架け橋として大変勉強になる一冊だった。
・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html
・脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004066.html
・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html
・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003736.html
・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html
・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html
・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html
・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html
・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html
・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html
・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html
2006年01月12日
音楽する脳
著者は認知学者でミュージシャンというこのテーマにうってつけの人物。音楽と脳の共進化仮説を提唱し、音楽の本質とは何かを、生物学的、文化的、社会学的に分析していく。音楽が単なる娯楽ではなく、人類とその社会にとって、いかに重要な役割を果たしているかを、膨大な情報量で語る。
私たちの音楽の感動体験の中身とは何なのか、演奏する喜びはどこからくるのか、
この本ではいくつかの法則が提唱され、事例や比喩を使って説明されていく。重要度の高い法則を、それぞれ抜き出して、私なりのひとこと説明でまとめてみた。
「
人間社会の法則:
人間は、その神経系が相互作用の同時性を通して結びつくとき、人間固有の社会的空間を作りだす。
」
「皆で拍子を合わせること」はチンパンジーにはできない。音楽は人類の文化だ。
「
二つの環境:
中枢神経系は、外部世界と体内環境という二つの環境で役目を果たしており、体内環境に代わって、外部世界と体内環境のあいだの関係を調節している。
」
身体は中枢神経系を通じて他者の神経系とも同調できる、ひとつになれる。
「
等価の法則:
一人の身体にある複数の振動子(指や足など)が結びついて起こるリズミカルな動作は、二人以上の異なる身体にある振動子の結びつきで起こる動作と、同じ力学にもとづいている。
」
独奏も合奏も背後にある原理は同じである
「
アンサンブルの状態は縮小する:
音楽しているアンサンブルの、集合的な神経系の状態空間の大きさはそのアンサンブルの代表的な一人の状態空間に近づく。
」
人はたくさんの演奏者の合奏をひとつのゲシュタルトとして認知する
著者によると、こうした法則を持つことで、人と世界、人と人を結びつけるのが音楽の機能であり社会的役割である。こうした音楽の才能は、生物学的な適応として生じた脳の機能モジュールもあるが、文化的、社会的に発達し、個人が後天的に習得する部分も大きい。
人は演奏でリズムを刻むとき、振動子を使うのか、カウンターを使うのかという興味深い研究もあった。たとえばトン・トン・タというリズムを刻む場合、演奏の習得時には意識的に数えるからカウンター的な脳の機能を用いている可能性が高い。技能が身につくと数えなくても自然に身体が動くようになる。身体には振動子が内蔵されていて、技能者の複雑なリズム演奏は、振動子の周期を組み合わせて実現されているようである。これはドラム演奏などをちょっとかじれば体感できるところだ。
西洋の音楽は、リズム、メロディ、ハーモニーの3要素に還元される。この中で反復するリズムを著者はグルーブの流れ、メロディをジェスチャーの流れと命名した。反復するグルーブは時間の流れを止め、音楽が生まれる精神的空間をつくりあげる。その空間の中でジェスチャーの流れが感情を揺り動かす物語的な意味を語っていく。脳にはこのふたつの音楽要素を感受するモジュールがあることを脳科学や認知科学の実験から説明している。
音楽空間における感情体験はバーチャルなもので、日常生活における感情体験とパラレルだがイコールではない。音楽を聴くことで高揚したり、メランコリックになったりする。脳の動きも実際にその感情を感じているときと似た動きをしている。だが、物悲しい音楽を聴いた気分は本当の悲しみとは明らかに異なる。感情が音楽によって捏造されている。音楽で感動した際の言葉にしようのない気持ちは、バーチャルな感情生成の原理に起因するものなのだろう。
人類進化において音楽の果たした役割、脳の諸機能と音楽、音楽の天才たちの脳のはたらきや、労働における音楽の社会的役割、音楽文化の未来などテーマは多彩。演奏者の視点も多いので、プレイヤーにとっても勉強になる科学がたくさん紹介されている、実に面白い本。
2005年12月14日
脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説
私は心脳問題に答えをみつけたと断言した挑戦的な仮説本。
知情意(知性、感情、意思)、記憶と学習といった脳のはたらきは、脳の中の無数の機能モジュール(こびと)の相互作用の結果であると、脳科学では考えられている。「私」=意識は、この一連のプロセスを川とみなすなら、一番上流にいて、全体をコントロールする存在だと、従来は考えられてきた。
しかし、著者は、意識は川の最下流にいて、小びとたちの民主的な議論(相互作用)の結果を、ただ眺めている(追体験する)だけの受動的な存在なのだという仮説を提案している。そこには、あたかも意識が上流にいるかのような錯覚をさせる、無意識の仕組みがあるのだという。根拠にする研究データも含めて、ノーレットランダーシュのユーザイリュージョンに近い意見である。
だから、
「
意識は小びとたちの決定に従っているのに、あたかも「意識」が「自分」を従えているかのように錯覚していると考えても、何も矛盾はないのだ。
」
意識は小びとたちの自律分散的な処理を眺めた結果、個人的体験としてエピソード記憶を行うために存在していると、意識の存在理由まで説明している。受動仮説は、<私>とは何かという哲学的問題、バインディング問題、クオリア問題に対して、明確な答えを打ち出せると著者はいう。
この本は一般向けの要約なので、詳しい理論はその後公開されたこちらの学会論文が詳しい。
・ロボットの心の作り方
―受動意識仮説に基づく基本概念の提案―
http://www.maeno.mech.keio.ac.jp/Maeno/consciousness/rsj2005kokoro.pdf
さて、読み物として、心脳問題のトピックを統合しようとする面白い内容だったのだけれど、本当にこの仮説が正しいのかどうかは、よくわからない。「私」も「意識」も錯覚であるという結論なのだが、じゃあ、錯覚ではない正しい知覚とはなんなのだろうか。
検証することができるとすれば、著者は、心のメカニズムを理論解明したので心を持つロボットを造ることが可能になったと述べているので、実際にこの考え方で誰かが心を持つ機械を作ってくれるのを待つしかないだろう。
・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html
・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html
・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003736.html
・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html
・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html
・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html
・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html
・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html
・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html
・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html
2005年09月19日
「脳」整理法
机の上を整理する小手先の整理法ではなく、思考の大局を整理しようとする脳科学者茂木 健一郎の本。
「従来の整理法がともすればコンピュータにもできることをせこせこと手作業でやることに重点を置きがちだったのに対して、ここでは、人間にしかできないこと、人間という生命の躍動(エラン・ヴィタール)に結びついた、ダイナミックで能動的な情報の「整理」をこそ志向し、問題にしたいのです」
■世界知と生活知と偶有性
人間の世界には世界知と生活知の二つの知恵があると著者は大別する。
世界知 世界はどのようなものであるか 世界の成り立ち、科学的な知
生活知 いかに生きるか 人生の意味、哲学的な知
世界知は三人称的な立場に立つ統計的心理であるが、人生は一回性の大切さの連続である。世界知でいえば宝くじに当たるのは100万人に1人であっても、生活知では、当たるか当たらないか2分の1であるとも考えられるわけだ。
そこには、半ば偶然で半ば必然であるという「偶有性」が関係している。
「
完全に規則的ではないが、全くランダムでもない、偶有的な状況を生きるための知恵を考えるうえでは、科学的世界観にもとづく「世界知」と、一人称の個別の生に寄り添う「生活知」は一致しないことが多い
」
素敵な恋人との出会い、科学的な大発見といったセレンディピティは、本当は完全に偶然でもないし、必然でもない。それは、気づき、受容し、行動する人間の成果である。
客観的な数学的言語では、世界知を生活知にひきよせて活用することができない。
そこで、
「
自然言語こそが、世界の中の偶有性に対して現時点で最も有効な「知識整理法」のツールである
」
と著者は、ことばで考える重要性を述べている。
■ディタッチメントとパフォーマティブ
最も面白かったのがディタッチメントとパフォーマティブという二つの態度の話。ディタッチメントとは「あたかも「神の視点」に立ったかのように、自らの立場を離れて世界を見ること」で、パフォーマティブとは「現実社会においてどのような効果を与えるのかを、あらかじめ計算して言葉を選ぶ態度」のこと。
「
自らの生に密着した私秘的な視点と、擬似的な神の視点のもとでの公共的な視点の双方を行き来することができる点にこそ、私たち人間のすばらしい可能性が秘められているのです。
」
自然言語において固定化した「大文字の概念」には気をつけろという。たとえば「人間」、「国家」、「価値」、「生」、「死」といった大きな概念は、主語として使われ続けると、偶有性を離れて絶対化しやすい。戦争や原理主義は、大文字の概念が引き起こす。
「本来偶有的に変化していくべきものを不変と思いこむときに、社会にさまざまな弊害がもたらされてしまう」と著者は危惧する。世界知と生活知はハイブリッドである必要がある。
脳の内部のはたらきが偶有性を取り込めるようなインフラとして機能しているという説明がある。
(1)神経細胞は、外界からの刺激の入力がなくても、つねに自発的に活動し続けている
(2)神経細胞の結合(シナプス)は、その両側の神経細胞が同時に活動すると強化される(ヘッブの法則)
つまり、脳は放っておいても変わる柔軟な自律性を備えている。だから、「「私」に接続し、「私」を経由することによって、不変の存在だと思われた概念も、ふたたび偶有性を取り戻すことができるのです」という。
クオリアとの関係についてはこう書いている。
「
「赤」や「青」といった感覚を司るクオリアは、絶えざる神経細胞のダイナミクスを背景にもちつつ、ダイナミクスととりあえずは切り離されたかたちでの、安定したラベルを提供します。それに対して、自然言語は、一応はダイナミクスから切り離されたかたちで安定したラベルを立ち上げつつも、なおもダイナミクスとの共役を偶有性というかたちで確保することで成り立っているのです。
」
自然言語は曖昧な部分や危険な部分もあるが、こうした世界知と生活知の安定性とダイナミクスを同時に記述できる唯一の言語である。その証拠に科学論文でさえも、自然言語を使って書かれているではないかという。
ディタッチメントでパフォーマティブなことばを書くこと。確かにそれが情報社会のいま、一番重要な気がする。
・脳と創造性 「この私」というクオリアへ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003268.html
・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html
・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html
・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html
・意識とはなにか―「私」を生成する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000561.html
2005年08月30日
脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
脳科学を語らせたら当代随一の研究者ラマチャンドランが、名著「脳のなかの幽霊」の続編を出版した。前作のファンならば必読。一般向けの講演の記録がベースになっているので、さらに、わかりやすい。
■脳にとって芸術とは何か
脳にとっての芸術を語る章を読んでいて思わず唸った。芸術は現実の写しではない。芸術とは脳が喜ぶ効果を生み出すために意図的に誇張したり、ゆがませる行為であると著者は言う。そして、ゆがませかたについての普遍法則を10ほど書き出した。
ラマチャンドラン教授が提唱する芸術の普遍的活動
1 ピークシフト 特徴を誇張する
2 グループ化
3 コントラスト
4 孤立
5 知覚の問題解決 いないいないばあ
6 対称性
7 偶然の一致を嫌う/包括的観点
8 反復、リズム、秩序性
9 バランス
10 メタファー
著者は芸術の多様性の90%は文化によるものだが、10%は上記の普遍性によって芸術として成立していると述べている。世界中の人が見て美しいと思う芸術が存在する可能性があるということになる。美だけでなく、思いやり、敬虔さ、愛情もこうした脳の仕組みで理解できるはずだと説く。
美や愛をニューロンの活動結果に要素還元してしまうことは人間を矮小化することにはつながらないと強く主張している。むしろ、脳が実際にそのように機能していることこそ、本当にそう思っている(愛している、美しいと思っている)証拠であり、実在の意義なのだと述べる。
「
美という問題の解は、脳にある30の視覚中枢と情動をつかさどる辺縁系とのつながり(および内部のロジックとそれを動かしている進化的根拠)をさらに徹底して解明することによって得られると私は確信しています。これらのつながりが明確に解明されれば、C・P・スノウが言った二つの文化 ---片や科学、片や芸術、哲学、人文学という二つの文化を隔てている大きな溝をせばめることができるでしょう。
」
ラマチャンドランの脳科学に対する野心や情熱を感じる。
■共感覚ふたたび
前作同様に音や数字に色や形を感じてしまう共感覚者の話題がたくさんでてきた。説明が一層洗練されている。
たとえばこんな例。
・Synaesthesia - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Synaesthesia

上記の図はWikipediaから引用。
このふたつは火星人のアルファベットの最初の2文字です。右と左の形状をみたとき、どちらが”Kiki”っぽくて、どちらが「Booba」っぽいでしょうか?
この質問をすると英語圏でもタミール語族の人たちでも、98%が左がKikiで右がBoobaだと思うと答えるそうだ。
これはギザギザの視覚的形状と同じように、”Kiki”が脳の聴覚皮質に表象する「キキ」という音にも鋭い屈曲が共通してあることが原因だと論じられている。回答者は形に音を感じ取ってしまっているわけで、98%の人は共感覚の基本能力があることになる。
共感覚は脳の配線が混乱してしまっているのではなくて、むしろ原初的な感覚こそ共感覚に近いもので、万人が持っているものではないかと意外な結論に至る。
クロスモーダル(二つの感覚の統合)の活性化としては、人がはさみを使うときに、無意識に歯を食いしばったり、ゆるめたりしている事実も取り上げられる。大きいや小さいを意味する言葉を話すときにも、口を大きく開けたり、小さく開けたりしている。共感覚の名残は多くの人にある一般的なものなのだ。
だが、普通の人の脳では、色が数字に、味が形に、模様が音に感じてしまうような高度な共感覚は、日常生活に厄介なので抑制されている。
■世にも奇妙な症例たち
またまた世にも奇妙な脳の障害の患者の事例が次々に紹介されている。
本当にそのような人がいるのか信じがたい症例もある。
コタール症候群という病の患者は、あらゆる感覚が脳の情動中枢と切り離されてしまっている。この症候群の患者たちは、自分は死んでいると思い込んでいる。何を見聞きしても情動を感じることができないために、彼らは自分たちが死んでいるという推論を下し、信じ込んでしまうのだそうだ。
患者は死人は血が出ないということには同意するが、実際に針で刺して血が出ると大変驚く。だが、自分が生きているとは思わない。そうではなくて、死人も血が出るのだと考えを改めるそうである。感覚や情動が推論をねじまげてしまうのである。
こうした感覚は、普通の人が大怪我をしたときなどに、一時的に情動中枢を停止させて、不安や恐怖など無力化を起こす情動を回避するのと共通の仕組みではないかと著者は推測している。本来は緊急時に発動して生存率を高める回路が、脳の損傷によって常時起動してしまっているのが、コタールの患者なのではないかと言うのだ。
壊れた脳の奇妙な症状が他にも何十も紹介されるのだが、著者は常に例外から普遍を浮き上がらせようとしているのが面白い。部分的に壊れた脳を研究することで、正常な脳との差を比較し、脳の特定機能の部位や複雑な配線を解明しようと試みる。
私たちの意識は、無意識や物理的な脳の情報処理プロセスに深く依存していることが次々にわかってくる。前作に夢中になった人なら特におすすめの一冊。
・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html
・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html
・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html
・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html
・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html
・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html
・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html
・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html
2005年08月08日
神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
凄い本。今年の読書ベスト3には間違いなく入りそう。
著者はプリンストン大学心理学教授のジュリアン・ジェインズ。米国内外の大学で哲学、英語学、考古学の客員講師を歴任し、著名な学術誌の編集委員もつとめた人物。この本が生涯でただ一冊の著書。初版は1976年で、90年に加筆された「後記」を含めて、今年の5月に初めて邦訳された。出版時は様々な議論と批判を呼びながら「20世紀で最も重要な著作の一つ」と評された話題作だという。1997年没。
■古代人は意識を持たなかった?
この本が打ち出したのは、3000年前まで人類は現代人のような意識を持たず、右脳に囁かれる神々の声に従っていた、という途方もない仮説。
意識が何であるか、どのような性質を持っているか。最初に常識を疑うところから始まる。内観としての意識は世界の複写ではなく、概念や学習、思考、理性にすら不要で、その邪魔にさえなると述べる。
「
しかし、話を先に進めよう。意識が心の営みに占める割合は、私たちが意識しているよりははるかに小さい。というのも、私たちは意識していないものを意識することができないからだ。これは言うのはたやすいが、十分理解するのはなんと難しいことか。暗い部屋で、まったく光の当たっていない物を探してほしいと、懐中電灯に頼むようなものだ。懐中電灯はどの方向にあろうと自分が向く方向には光があるので、どこにでも光があると結論づけるに違いない。これと同じように、意識は心のどこにでも行き渡っているように思えてしまう。実際にはそうではないのに、だ
」
意識の連続性に対しても疑問を投げかける。
「
懐中電灯のたとえで言えば、自身が点灯しているときにしか、点灯していると意識することはない。たとえ点灯していない時間がかなり長かったとしても、周囲の状況にほとんど変化がなければ、懐中電灯には光がずっと点灯していたように思われるだろう。
」
意識は断片的にしか世界をとらえていないし、常に意識があるわけでもない。そして内観は不自由だ。何かを判断しようとするのに何百の言葉や比喩を用いざるを得ない。実はこうした内観的意識を使わなくても、人間は複雑な判断を正確に行うことができることが、いくつかの社会心理学的実験結果から結論できるという。
逆に私たちはピアノを弾くだとか、火をおこすだとか、熟練を要する作業をする際に、自分が何をしているか考えてしまうと、うまくできない。意識は思考に必須のものではなくて、おまけ程度のものである可能性がある。思考の大半は自動化されているからだ。
難しいことを言っているようでいながら、当たり前のことを言っている気もする。私たちは深く物事を意識して考えなくても、十分に日々生きていけるということだ。言葉を使って考える意識は、ここ数千年程度の新しいトレンドなのではないか、と著者は結論した。
■意識は比喩から生まれた世界のモデル
意識の本質は比喩と言語であるという。意識が使う比喩は、言語の比喩よりも広い概念で、メタファーだけでなく、連想や類似を含む。私たちは比喩能力と言語能力を使って、意識的に考える。その考え方には構造がある。
意識の特徴として次の6つの構造が挙げられた。
空間化 「心の空間」の中に目を向け、並べ、分別し、はめ込む
抜粋 見るものの一部に注目し、抜粋する
アナログの<私> 私が心の中にいて、何かをしたり、決意する
比喩の<自分> 比喩の私がいる。自分が何かをするのを想像することができる
物語化 行動に理由をつくりだしてしまう
整合化 過去に学習したスキーマに認知を整合化する、つじつまをあわせる
ところが、数千年前の記録である「イーリアス」「オデュッセイア」や旧約聖書には、こうした構造の記述が一切ないことを、著者は検証していく。精神的な事柄を表す言葉が見当たらない。神話の英雄たちは神々の声を聞き、それに従うのみである。世界の古代の記録や神話を比較して、それが特定の文学的手法である可能性も排除していく。
■沈黙した神々
そして共通して見出される要素に神々の声がある。古代人たちは二分心と呼ばれる心を持っており、片方の脳から神々の声を強い幻聴として聞き、それに従って生きていたのではないかというのだ。
現代においても神々の声を聞く人たちがいる。統合失調者の一部の患者たちである。彼らは耳元に幻の声を聞く。その命令に逆らえない人もいる。これは脳科学の進歩によって、理由が解明されつつある。脳には確かに神の声を聞くモジュールがあり、かつてそれは大きな役割を果たしていた可能性がある。
神々の声が消えた時代は、ちょうど共同社会の形成や文字の出現の時期に重なる。言語の出現で脳の使い方が変わり、神々の声は聞こえなくなる。この過渡期には神占政治やシャーマンの活躍があった。彼らは沈黙した神々の声を聞くことのできる二分心の脳の生き残りであったという。
3000年前まで人類は意識を持っていなかった。今も統合失調症に見られる、神々の声を聞き、強烈に信じる能力こそ、古代人の思考の本質であったのではないか、というのがこの本の要旨である。だからこそ、疲れを知らずに大ピラミッドのような偉大な建造物を作ることもできたのではないかという。
統合失調症が進化の原因とした本は過去にも書評している。
・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html
脳の構造の変化と意識の発生が、文明の始まりの時期にあって、それが現代に続く数千年の文明を作り上げてきた可能性があるという点は似ている。
とても緻密に織り上げられた理論で、ひとつの物語として、読後の満足度は極めて高い本だった。無論、検証する方法がない事柄も多いので、この仮説が全面的に肯定されることはないだろうし、完全否定されることもないだろう。ただただ面白いのだ。
ちなみに訳者は名著「ユーザーイリュージョン」と同一人物で、二人の著者にも交流があり、ノーレット・ランダーシュはこの本を「途方もない重要性と独創性を持った著作」と評したらしい。
・ユーザーイリュージョンの書評
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html
博物館で古代の遺物を見るとき、それはどのような精神の持ち主が作り上げたのだろうかとしばらく考えてみることがある。あまりに現代と異なる表現様式に、精神構造がまるで異なっていたのではないか、と思うこともしばしばだ。もしかすると、古代の遺物に感じるあの違和感は、こうした意識構造の違いに起因するものであるかもしれない。
2005年04月07日
脳と創造性 「この私」というクオリアへ
■コンピュータと脳の違い
人間の脳の創造性とは何かについて考察したエッセイ集。
「
人間の場合には、まず直感で指し手がわかった後に、それを論理で裏付ける。ディープ・ブルーの場合は、それとは逆に、まずは論理で全ての可能性を検討して、その後にやっと指すべき手がわかる。つまり、結論と論理の順番が、人間とディープ・ブルーでは逆転しているのである。
」
#ディープ・ブルー=人工知能のチェスプログラム。人間の名人を破った。
人間の直感とコンピュータの論理では根本的に仕組みが違うのではないか、という問題意識が、この本の大前提。
「
コンピュータと比べた時、人間の脳が新しいものを生み出す仕組みに潜む最大の驚異は、その「歩留まり率」が異常に高いことである。ある特定の状況で、新しいアイデアが必要とされる時、私たちはうんうんとうなりながらかんがえながらそれをひねり出そうとする。なかなかでなくて苦労することもあるが、いったん「これだ!」とひらめいた時には、そのひらめきの結果生み出されてきたものは、たいていの場合は意味のあるものなのである。
」
「
何の指針もなく、ただ単にランダムに自発的な活動をしていても、そこからは何の価値あるものも生み出されることはない。脳の神経細胞が自発的な活動をしていることは、創造性の前提条件である。その自発的活動を、意味のある創造的なプロセスに結びつける、何らかのメカニズムが必要なのである。
」
コンピュータで、発想支援ソフトというのはあっても、発想自体をしてくれるソフトでまともに機能するものはない。コンピュータがランダムか何らかの固定アルゴリズムに従って出す答えや、選択肢の順列組み合わせをすべて試す機械的発想法(MECE)からでは、クリエイティブなものは滅多に生まれない。文脈に対して完全に依存するのでもなく、ランダムでもなく、”自由に”ものを考えることから創造性が生まれる。
そしてこの創造性の歩留まり率を高くしているもの、その何らかのメカニズムの重要な要素として、直感、感情、意識があるのではないかといい、著者の持論のクオリア哲学へと展開していく。
■ぎこちなさ、退屈、一回性
ユニークなクオリアがあるかどうかが、創造性の質を決めるという「クオリア原理主義
」という言葉まで登場する。
新しいことをするときの「ぎこちなさ」の中に将来の創造性が隠れているのではないかという考え方がとても興味深かった。人間は大人になるにつれて、次第に器用になって洗練される分、型にはまったレディメードなものしか生み出さなくなる。不慣れな世界に恐る恐る一歩を踏み出すときの、ぎこちなさはレディメードと対極にある。
器用な芸術家は何でもそれなりにレディメードな作品を生み出せるが、過去に類例のない、オリジナリティのある作品を生み出す資質に欠けていることが多い。ぎこちなさこそ、まったく新しい何かの萌芽であり、一回性の人生において、創造性の源泉になるという考え方。
退屈する時間も創造性には必要な時間だと著者は説く。退屈することもまたオンラインの文脈から離れることであり、ユニークなクオリアの獲得につながる。青春時代に何かに熱中するだけでなく、無為な退屈した時間をもやもやしながら過ごす、というのも、実は必要なことなのではないか、と著者は自分の体験からも述べている。
一回性の人生を迷いながら生きているからこそ、人間は創造性を発揮できるのだということらしい。コンピュータには意識や感情や一回性の人生はないから、今の延長線上では創造性にあふれたパソコンと言うのは登場しそうにない。
やはり当面はコンピュータは人を創造的にする環境支援をする役割と言うことになりそうだ。死ぬほど退屈させてくれるメールソフトとか、ぎこちないブラウザーとか、一回しか起動できないソフトウェアとかが大切なのだな、いや、そんなわけないな、とくだらない、もやもやした思考の袋小路に陥ってしまった。面白いことってすぐにはなかなか思いつかない。それでも考え続けているといいことがあるよ、というような内容の本だった。
・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html
・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html
・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html
・意識とはなにか―「私」を生成する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000561.html
2005年03月07日
脳のなかの幽霊
■脳の中の幽霊
切断された手足がまだあるかのように感じる「幻肢」現象は中世から知られていたが、長い間、患者の気のせい、思い込みに過ぎないとして軽く扱われてきた。ラマチャンドランはこの現象は脳内にある身体地図と関係があるのではないかと考えた。
幻肢の患者は顔の一部を触ると幻の手足に触られたと感じるケースがある。顔のどこを触ると手足のどこを触られたと感じるかを調べると一定していることがわかる。脳内の地図では手足と顔は近い部分に位置している。切断された手足に対応する地図上の手足が、近接する顔の部分と統合するように、間違った配線が行われてしまったのではないかと著者は考えた。
そして、脳にそうした後天的学習が可能なのであれば、脳を騙すことで、逆に幻の手足を消す学習も可能なのではないかと考え、鏡で幻の手足を見せる実験で、見事に幻肢を消すことに成功する。
他にも、脳梗塞の患者に見られる、視野の半分しか意識できなくなる「半側無視」、視力ゼロの人間が渡された手紙を無意識にポストの細い穴に投函できてしまう不思議な現象「盲視」、近親者を偽者だと主張する「カプグラ・シンドローム」など、さまざまな脳の障害事例が紹介される。
こうした例外、異常から、脳の仕組みの解明に迫ろうとする。
著者の研究実験は危険な脳の外科手術やfMRIのような大掛かりな観察装置を必要としないものが多い。綿棒や視力検査のようなパターンを描いた図を使って、脳や感覚の奇妙を発見してみせる。
視覚の盲点の話はとりわけ興味深かった。人間の目には盲点がある。この本に掲載された絵はそれを証明する。片目である一点を注視した状態で、視点を前後にずらしていくと、描かれているはずの点が見えなくなる。あるいは二つの途切れた線が、視野をずらすとつながって見える。本来、人間の目には盲点があってその部分の情報が不足してしまうが、脳はその部分を周囲の情報から勝手に補足してイメージを作り上げてしまう。だから、視野の中に真っ黒な盲点を私たちは感じることがないのだ。
想像妊娠も脳の中の幽霊が関係している。
1700年代に想像妊娠は200例に1例もあったそうだ。現代ではおよそ1万人に1人の珍しい症例である。これは過去には女性はこどもを産まねばならないという社会的圧力が強かったこと、妊娠を早い時期で確認する科学的方法がなかったこと、などが原因だという。想像妊娠は実際に生理が止まり、お腹が大きくなる人もいるそうだ。死産でしたと告げるとすぐに膨れたお腹はしぼんでしまうらしい。
脳の中の幽霊は私たちの認識に大きな影響を与えていることの一例である。この幽霊は現実と区別がつかない。正常な知覚とされているものも、結局は幽霊を見ているのかもしれないと思えてくる。
■クオリアの三法則
脳の配線や情報処理回路の究明を進めていくと意識に突き当たる。終盤のテーマはやはりクオリア(感覚質、こころにうかぶあらゆるもの)である。人間は環境情報に対して自動的に反応するだけの哲学的ゾンビではない。自由意志を持って、状況に柔軟に対応するには、ゾンビにはないこころが必要である。こころとはクオリアを扱うシステムである。
ラマチャンドランはこの本でクオリアの三法則を定義した。
「クオリアの三法則」
・入力側の変更不能性
赤いものは赤いものとして存在する
・短期記憶に保持
記憶(知覚)のバッファに「赤いもの」が短期間保持される
・出力側の融通性
赤いものから自由に自己は想起する















