2008年01月15日

マインド・タイム 脳と意識の時間

・マインド・タイム 脳と意識の時間
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「私たちの感覚世界へのアウェアネスは、実際に起こった時点からかなりの時間遅延することになります。私たちが自覚したものは、それに先立つおよそ0.5秒前にすでに起こっていることになるのです。私たちは、現在の実際の瞬間について意識していません。私たちは常に少しだけ遅れていることになるのです。」

認知科学で有名な意識の遅延に関する理論を、研究の第一人者の認知心理学者ベンジャミン・リベット自らが一般向けに語っている。この理論によると。私たちが意識の上で「今」だと感じている瞬間は正確には0.5秒くらい前なのである。

「自由で自発的なプロセスの起動要因は脳内で無意識に始まっており、「今、動こう」という願望や意図の意識的なアウェアネスよりもおよそ400ミリ秒かそれ以上先行していることを私たちは発見し、明らかにしました。」

何かを意識にのぼらせるには、脳の電気的な準備プロセスが必要で、それに必要な時間だけ意識は遅延する。0.5秒というのはかなり長い時間なので、「人それぞれの性格や経験が、それぞれの事象の意識的な内容を変えてしまう可能性」もあるのだという。認識の個人差、感受性の違いの根本原因は、この意識の遅延にこそあるのかもしれない。

リベットらの意識の研究によって、人間の行動には無意識が支配している部分も多いことがわかってきた。たとえば自転車を走らせていて子どもが飛び出してきたとする。この場合、人間は150ミリ秒くらいでブレーキを踏んでいる。危ないからブレーキを踏まなければと意識が思うのは500ミリ秒くらいの、実際に踏んだ後なのである。

なんだか不思議に思えるが、さらに日常の発話も無意識におう所が大きいらしい。確かに私たちは次に何を話そうか、どんな単語を使おうかと意識で考えないでも、自然にぺらぺら言葉を繰り出している。

「発声すること、話をすること、そして文章を書くことは、同じカテゴリに属します。つまりこれらのことはすべて、無意識に起動されるらしいということです。単純な自発的行為に先行して、無意識に始まる脳の電位変化は、また話したり書いたりといった類いの他の自発的行為にも先行するという、実験的な証拠がすでにあります」。

「話された言葉が話し手が意識的に言おうとしていたこととどこか異なる場合、通常話し手は自分が話したことを聞いた後に訂正します。実際に、もしあなたが話をする前に一つ一つの単語を意識しようとすると、あなたの話す言葉の流れは遅くなり、ためらいがちになります。流れがスムーズな話し言葉では、言葉は「ひとりでに」現れる、言い換えれば、無意識に発せられるのです。」。楽器の演奏もおなじだそうである。

表現行為の多くが無意識の創作を意識が追認していくプロセスだというのは、私たちの経験に照らして正しそうに思える見解である。自然な動作はたいがい「ひとりでに」おきる。自由意志、顕在意識が行う行為は人間の行動の中では案外、限定的なのであるということがわかる。私たちは自由意志で生きていると思っているが、無意識の結果を追認しているだけのようにも思えてくるのである。

当然のことながら、このテーマを突き詰めると「人間に自由意志はあるのか」という哲学的な問いに収斂する。第6章の「結局、何が示されたのか」ではリベットと心脳論の祖デカルトが仮想的な対話をする趣向が用意されている。ここで意外にもリベットは自由意志や魂の存在を否定せず、理論的にその存在の余地を残そうと努力している。

リベットは脳科学、認知科学の本にしばしば研究内容が引用されているが、本人の著作も実験結果の分析にとどまらず、哲学的な問題意識で書かれていて、相当面白いものであった。

・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html
リベットらの研究をベースにして意識科学を総合する大傑作。

・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html

・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html

・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html

・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html

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2008年01月08日

知覚の扉

・知覚の扉
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この本のタイトルから「ドアーズ」という伝説のバンド名が生まれ、その内容は往年のサイケデリックムーブメント、意識革命、ニューエイジ運動の火付け役ともなった。

オルダス・ハクスリー(1894-1963)は、立会人や録音装置を前に、幻覚剤メスカリンを服用して、自らの精神が変容していく様子を記録した。薬が効き始めると、時間や空間の認識が弱まり、代わりに事物の存在度の強さ、意味の深さ、パターン内部の関係性が強く認識されるようになった。そして「すべてが<内なる光>に輝き、無限の意味に満たされている世界」を発見した。

ハクスリーは化学的な力を使って「知覚の扉」を開くことができること、それは芸術家や宗教者たちに創造的インスピレーションを与える超越的なビジョンと同質のものであると語る。「偏在精神(マインド・アット・ラージ)」と「減量バルブ」という二つの概念を使って、人間の内部意識と外部世界の関係を見事にモデル化している。

「人間は誰でもまたどの瞬間においても自分の身に生じたことをすべて記憶することができるし、宇宙のすべてのところで生じることすべてを知覚することができる。脳および神経系の機能は、ほとんどが無益で無関係なこの巨大な量の知識のためにわれわれが圧し潰され混乱を生まないように守ることであり、放っておくとわれわれが時々刻々に近くしたり記憶したりしてしまうものの大部分を閉め出し、僅かな量の、日常的に有効そうなものだけを特別に選び取って残しておくのである。」

見たもの、聞いたものをすべて記録し再生する潜在能力を、ハクスリーは<偏在精神>と呼んだ。これは特別な力ではなく、人間がみな持っている基本能力であるという。

「この<偏在精神>は脳および神経系という減量バルブを通さなければならない。このバルブを通って出てくるものはこの特定の惑星の表面にわれわれが生き残るのに役立つようなほんの一滴の意識なのである。この減量された意識内容に形を与えそれを表現するために、人間は言語と名付けられている表象体系とそれに内在する哲学を創り上げ絶えず磨きをかけてきた、個人はすべて各自がそこへ生まれおちた言語慣習の受益者であると同時に犠牲者である。」

こうした理論のもと、ハクスリーは脳内の化学作用で減量バルブを制御することで、人間は世界に潜在する豊かな意味を、自在に知覚することができる、意識を拡張することができるとした。

超越的ビジョンをみる芸術家や宗教家は、意味にあふれた「素晴らしい原存在」を、脳の減量バルブを迂回するパイプを通して、直接に受け取ることができる人たちなのだ。そのために必要なのは精神修行か薬であるとハクスリーは結論する。

古代人は栄養不足に置かれることが多かったから、現代人よりも変性意識状態に陥りやすく、幻覚を見ることが多かったのではないか、という後半の考察も興味深かった。原始宗教の発生や、宗教の衰退の説明として説得力もあった。

サイケデリックムーブメント、ニューエイジ運動、サイバパンクなどのサブカルチャーの背景にある基本思想を確認したいという動機で読み始めたのだが、全編を通して勉強になるというより、非常に面白かった。この本、決してオカルトではないのである。かなりまっとうな科学であり、哲学であり、総合的な思想の本だったのである。


・すばらしい新世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004977.html
作家ハクスリーの代表作。逆ユートピア小説。

・ジョン・C・リリィ 生涯を語る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004756.html

・脳と心に効く薬を創る
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002497.html

・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html

・科学を捨て、神秘へと向かう理性
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002634.html

・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html

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2007年08月08日

IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実

・IQってホントは何なんだ? 知能をめぐる神話と真実
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「心理テストはウソでした。」の著者の最新作。

日本では知能について真正面から語ることがほとんどタブーになっている。この本の冒頭で紹介されているように、多くの人はIQという言葉は知っているが、何十年も前の古い知能検査法のイメージでとらえている。知能については漠然としか知らない。書籍もほとんどない。今の日本は、世界の知能研究の最新情報がほとんど入ってこない暗黒時代であると著者は嘆いている。

この本の前半では知能研究の歴史が語られている。

「1908年のビネ・シモン検査は、検査問題の難易度を年齢別にそろえるだけで、知能が1次元的に序列化できることを示したが、序列化を避けるために、精神年齢という言葉を使った。一方、スピアマンは知能が一般知能gと特殊知能sから構成されるという数学モデルを提案した。この一般知能を具体的に表現したのが知能指数という概念である。」

この一般知能gは、短期記憶や決断・反応速度、読み書き、視空間能力、数学的能力など何十項目もの個別の能力テストの値を因子分析することで確認される最上位因子である。最新の知能因子理論のCHC理論では、一般知能gの下に16の因子があり、さらにその下に多数の特殊な因子が配置されている。

多数の課題の成績を相関分析することで、課題ごとに特殊な因子と、ほとんどの課題に共通の因子をみつけることができる。一般知能gが具体的に何なのかは諸説があるわけだが、俗に言う「頭の良さ」は測定可能であるということになる。

一般知能gは測定可能である。それが世界の常識なのに、日本では、知能は複雑で測定はできないとする、多重知能理論が人気があるそうだ。これに対して著者は「マスコミや教育関係者には、知能が1次元的ではないという主張が心地よく響く。序列化の必要がなく、各自の個性が尊重できるからである。しかし、gは統計的に分離可能で、かなりの影響力がある。」と述べている。

知能を脳という臓器のはたらきだと考えれば、身体能力と同じように、能力を測れてもおかしくはないかもしれない。測れないことにしておいたほうが社会的には都合がよいということなのだろう。遺伝と知能の関係も近年、明らかになってきているそうだが、これも差別や偏見を助長するからか、おおっぴらには語られない。

英国での60年に及ぶ大規模なIQ追跡研究の結果は興味深い。IQは生涯にわたって安定していたのだが、驚くべきはIQが高かった人は長生きし、低かった人は早死にしている事実である。原因はわかっていないが、頭の良い人は健康的な環境や行動を選び、その結果、長生きするのではないかと言われているらしい。

あまり知られていない知能研究の実態を知ることができておもしろい本だ。

・「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003417.html


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2007年07月10日

ぼくには数字が風景に見える

・ぼくには数字が風景に見える
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円周率22500桁を暗唱し、10ヶ国語を話す天才で、サヴァン症候群でアスペルガー症候群で共感覚者でもある著者が書いた半生記。これらの病は稀に天才的能力を持つ者を誕生させるが、自閉症やその他の精神障害を併発することが多いため、こうした本を書ける人が出てくることは稀である。

まさに天才の頭の中がのぞける貴重な内容。

「ぼくが生まれたのは1979年の1月31日、水曜日。水曜日だとわかるのは、ぼくの頭のなかではその日が青い色をしているからだ。水曜日は、数字の9や諍いの声と同じようにいつも青い色をしている。ぼくは自分の誕生日が気に入っている。誕生日の含まれている数字を思い浮かべると、浜辺の小石そっくりの滑らかで丸い形があらわれる。滑らかで丸いのは、その数字が素数だから。31,19,197,79,1979はすべて、1とその数字でしか割ることができない。9973までの素数はひとつ残らず。丸い小石のような感触があるので、素数だとすぐにわかる。ぼくのあたまのなかではそうなっている。」

カレンダー計算や素数の判別を行うには高度な計算が必要だ。著者は累乗などの難しい計算を、瞬時にイメージ上の操作で行うことができるのだ。「ある数を別の数で割ると、回りながら次第に大きな輪になって落ちていく螺旋が見える。その螺旋はたわんだり曲がったりする。割る数が違えば、螺旋の大きさも曲がり方も変わる。ぼくは頭のなかで視覚化できるために、13÷97のような計算も小数点以下第100位くらいまで計算できる」。

複数の感覚が連動してしまう共感覚者が稀にいることは知られているが、著者はその中でも極めて珍しい数字と色や形、感情が結びついているタイプである。数字を見るとイメージが頭にあふれてしまうらしい。

自閉症である著者は、この数字を感情にむすびつける能力を使って他者の感情を理解するという離れ業でカバーしていると告白している。たとえば友達が悲しい、滅入ったと言ったら、6の暗い穴に座っている自分のイメージみたいなことかなと想像する。怖いは9のそばにいる感覚だそうだ。

サヴァン症候群ではない普通の私たちも直感でかなりの高度な判断ができるわけだが、そうした直感の隠れたレイヤーには似たような脳内の情報処理が隠れているのかもしれない。そのプロセスをかなり明瞭に言語化できる著者は脳の仕組みの解明に役立つ重要な存在になる可能性がある。

なお、2007年8月にNHK番組「地球ドラマチック選」で「ブレインマン」として著者が登場する番組が放映される予定。同ドキュメンタリは世界40カ国で放映されて話題を呼んだ。今読んでおくと話題を先取りできる旬な一冊である。

このブログではこの種の話題については何度も取り上げてきたので関連書の一覧を掲載。

・火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004319.html

・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html

・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003736.html

・共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000533.html

・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html

・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html

・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html

・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html

・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html

・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html

・喪失と獲得―進化心理学から見た心と体
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002945.html

・ひらめきはどこから来るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001692.html

・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html

・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html

・音楽する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004148.html

・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html

・天才はなぜ生まれるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001320.html

・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html

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2007年06月27日

超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会

・超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会
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とても素晴らしい先端科学ガイド。

遺伝子操作による身体能力や精神の改造、インプラント(体内埋め込み)による心身の能力拡張、脳とコンピュータの融合によるテレパシー通信の実現など禁断のテクノロジー領域に迫る。テクノロジーが人類という種を超人類に進化させる可能性を、最新の先端科学の成果で検証し、未来への展望を探る。

内容はかなり衝撃的である。特に脳とコンピュータの接続は実験レベルでは成功例が次々にでてくる。

脳に電極を埋め込んだ四肢麻痺患者ジョニー・レイは、猛訓練に取り組んだ。電極は機能していない左腕の神経に接続され、出力は無線経由でコンピュータに送られる。これは動かない左腕を動かそうと意識すれば、コンピュータを操作できるシステムだ。

「ただし、カーソルを動かす訓練は生半可なものではなかった。いつでも思った方向に移動してくれるとは限らないのだ。うまく制御しようとするのは、腕の動かし方を一から学習し直すようなもので、思考錯誤の積み重ね、とてつもなく骨の折れる作業だった。しかし、レイは少しずつコツをつかんでいった。数ヵ月後には、文字やアイコンを選んでクリックして名前や文章をタイプし、「I'm Hungry(腹がすいた)」などと伝えることができるまでになっていた。それだけではない。腕を動かそうと考えるのをやめた、と言うのだ。文字やアイコンに集中するだけで、何かを介することなしにカーソルを動かせるようになっていたのだ。ある意味、コンピュータがレイの一部になったと言える。」

心に思い浮かべたことが直接デジタルのイメージに変換されている。盲目の患者が視神経に直接信号を送ることでイメージを投影し、車を運転できるようになった例もある。強化された視覚では、肉眼では見えない赤外線やX線が見えるようになり、デジタルズームも可能になるという。

思考や視覚を脳から直接キャッチできるのだから、これを他者の脳へ直接送ることも考えられる。「次のステップは、私たちの生物学的な脳の統合である。今や、心のなかの考えや経験を解き放ってたがいに共有し合い、それらを紡ぎあげてワールド・ワイド・マインドをつくり上げていくべきときなのだ。」

脳とコンピュータの接続によって、人類は記憶を拡張し、認識力を強化することができる。さらに自身の信念や感情を、電気刺激で自ら制御してしまうことも可能らしい。感情のコントロール技術はうつ病の治療で効果を上げた例が報告されている。

「これらの知見を足がかりとして二、三〇年のうちには新しい薬が開発され、人間の行動に関するいろいろな面、たとえば熱愛、カップルの絆、共感、食欲、宗教心、スリル探究、性的興奮などをつくり出したりできるようになるかもしれない。性的指向までも自由に変えられるかもしれない。もしも脳に対する遺伝子治療が可能になったときには、性格を永久にあるいは半永久に変えるという選択もできるだろう。」

この他に、遺伝子治療による寿命の延長と老化の阻止技術、身体能力やIQの強化などの、超人類実現のための技術の現状が冷静に語られる。グレッグ・イーガンのSF作品そっくりの近未来を著者は、現在位置から展望しているのである。著者は、そうした未来に対して危うさよりも、明るい世界観を見出している。

(たとえば脳が相互に接続され、考えていること、感じていることが、互いに手に取るようにわかる男女の恋愛、セックスは、素晴らしいものになるだろうと著者は書いているが、いやはや、それはどうなのであろうか。愛しているから言わないこともあっていいんじゃないのかとか思ったりするわけだが(笑)。)

著者はマイクロソフトでインターネットエクスプローラとアウトルックを開発した技術者でもある。技術を使う人を意識して科学の未来像を描いているなあと感動した。科学読み物として第一級である。脳科学、先端領域に関心がある人には自信を持ってお勧めしたい本だ。

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2006年12月26日

脳は空より広いか―「私」という現象を考える

・脳は空より広いか―「私」という現象を考える
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ノーベル医学・生理学賞を受賞したジェラルド・M・エーデルマンが、クオリアと意識の科学に迫る。

脳はプログラムにしたがって動くコンピュータとは異なる。外界の情報を入力として受け取って、生存のために行動を最適化していく単純なフィードバック機械でもないと著者は述べている。

「再入力」はこの理論のキーワードである。

「再入力とは、いくつもの脳領域を結びつける並行的、同時進行的な信号伝達であり、行ったり来たりくり返し行われる信号のやりとりである。そしてこのやりとりによって、別々の脳領域の活動が時間的および空間的に協調するというわけだ。よく引き合いに出される「フィードバック」は出力された信号が出力元に戻ってきて、その間にエラー調節をするという単純なループ内の順次的な伝達であるが、再入力はそうではない。並列的、双方向的なたくさんの経路が関わった再帰的な伝達方式であり、あらかじめ決められたエラー修正機能はついていない。
 こういった動的なプロセスが遂行される結果、脳のいろいろな場所で起きているニューロン活動が広範囲にわたって「同期」する。これによって機能的に異なったニューロン活動がひとつにまとまり、全体として意味をなす出力が可能になる。」

私の理解では、発生選択と経験選択によって脳にかなり複雑なシナプスの結合ができて、その複雑さの上を流れる信号が響きあってコヒーレントな状態を刻々とつくりだす。そのマクロな状態が意識のプロセスであるということらしい。ダイナミックコア仮説という。
「複数の領域が、再入力という再帰性の信号伝達で行う相互作用」は、瞬間的に、特定の出力を持つ回路を構成する。次の瞬間、この回路は消滅するが、前と同じ働きをする新しい構造の回路を構成し、同じ出力をする。これによって別々の場所にある複数の知覚機能を統合し、一貫した知覚像を維持することができる。

この仮説では、脳の機能局在や司令官(ホムンクルス)の存在を必要としない。神経ダーウィニズムと呼ばれる神経細胞淘汰の仕組みによって意識が生まれるように調整されていく。なぜ意識が必要なのかといえば、意識があったほうが個体の生存確率が高まるからだ。

脳と意識の関係については併立関係であると答えている。ある脳の状態(C´)が、ある意識(C)をもたらすのは、C´がCを識別するのに必要なプロセスになっているからだという。だからC´には必ずCが伴うわけだが2つの結びつきは強いので、随伴現象というのではなくて、CはC´の特性とみなすというのが併立の理論である。そしてC´なくしてCは識別できないのだから、有名な哲学的ゾンビの問題は、そもそも問題として成立し得ないと退けている。

この本には意識のメカニズム、心身問題について統合的な理論が述べられている。とても刺激的。ただし、内容は一般向けだが高度なので、予備知識として何冊か、クオリア関係の本は読んでから挑戦することをおすすめ。

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2006年07月06日

うぬぼれる脳―「鏡のなかの顔」と自己意識

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大きくテーマは3つ。

・セルフ・アウェアネス
・心の理論
・自己認識の右脳局在

他者の心的状態を推察する能力=心の理論を調べるスマーティ・テストの話が面白い。


スマーティ・テストでは、子どもAにスマーティというお菓子の箱を見せて、箱の中に何が入っていると思うかとたずねる。Aは当然、「お菓子」と答える。そこで研究者は箱を開けて、実は鉛筆が入っているのを見せる。研究者は鉛筆を箱に戻してから「これからお友達のBちゃんがこの部屋に入ってくるんだけど、Bちゃんはこの箱の中に何が入っていると思うかな?」とたずねる。もしAが、「鉛筆」と答えたら、それはAがBの考え、あるいは心的状態を理解できないというしるしである。AがBの心的状態を推察できるなら、正解は「お菓子」になるはずだ。

このテストでは三歳児は合格せず、四歳児は合格するという一貫性のある結果が出るという。実験後、「最初にこの箱を見たとき、箱を開ける前は、なかに何が入っているとあなたは思っていた?」とたずねると、50%以上の三歳児は最初から鉛筆が入っていると思っていたと答えるという。

三歳児ではまだ自分の思考をモデル化できていない。だから他者の思考をモデル化することができない。心の理論には高度なセルフアウェアネスが必要なのである。この能力の獲得に前後して嘘をつくこと(欺瞞)も覚えるらしい。欺瞞もまた自己と他者の認識を必要とする。

こんな実験がある。数字が面白い。こどもの気をそそるおもちゃを置いた部屋に三歳前後の子どもを入れ、そのおもちゃに触ってはいけないと言い聞かせて、一人で部屋に残す。すると一人になった子どもの88%がおもちゃに触った。しかし、触ったことを認めた子どもは3分の1だけで、66%の三歳児が嘘をついたという。

さらに心の理論課題(他者の心を推察する能力)で高成績な子どもの97%が嘘をつき、成績の悪い子どもでは56%しか嘘をつかなかった。発達すればするほど嘘をつく。しかも、これほど低年齢で高率に発現するということは、人間はうまれつき嘘をつく動物なのではないかと著者は述べている。

著者は自己認識には右脳が強く影響していると述べている。左利きの人(右半球優位)は右利きの人よりも、欺瞞の検知に優れているのだという。多数の特異な脳の障害事例とともに、自己認識における右脳のはたらきが示される。

「うぬぼれる」には高度な自己認識が要る。うぬぼれることができるのは人間くらいなのである。

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2006年03月06日

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者

・火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者
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実におもしろい脳についてのエッセイ集。

トゥレット症候群の外科医は、普段は身体をねじり物を物をいじりまわす衝動に抗うことができないが、手術中は発作が止み、一流の手術を施せる。

サヴァン症候群の画家は数秒で見たものを記憶し精確に絵に描ける特異な能力を持つ。

30年前の故郷の記憶にとらわれた画家はその過去世界の記憶の強制想起に悩まされ、現実と過去との二重の人生を生きる。写真的な記憶から描いた風景画は高く評価され故郷の名誉市民となった。

事故で脳を損傷した全色盲の画家は、白と黒しか見えなくなった。苦悩の果てに白黒の世界を更なる芸術に昇華させ、色のある世界に戻るつもりがなくなった。

30年間の全盲状態の後、手術で視力を取り戻した患者は、頭の中のイメージと視覚イメージの対応がとれず、「見えているが、見えない」。

極端な健忘症患者は、注意が途切れると数分前のことも忘れてしまう。

映画「レナードの朝」の原作者としても知られる脳神経学者のオリバー・サックスが、7人の脳の機能障害患者の人生を語った医学エッセイ集。障害はハンディだが、ときに超人的な能力と創造性の源になる。著者は患者の病を欠点としてではなく、ユニークな個性の一部として見ている。

博士号を持つ自閉症の動物学者は自ら発明した抱きしめ機械に癒されながら、研究開発の仕事をすすめていく。研究対象の動物の行動は理解できても、人間の心の動きがわからない。感情のドラマが把握できないから物語を味わうことも出来ない。感情とはどういうものか、経験から得た知識を使って他者の心を意識的にシミュレーションする毎日。彼女は自分は「火星の人類学者」みたいな気分で社会生活を生きているのだと言う。

世界の認識方法には多数のバリエーションがありえて、健常者を名乗る者たちの認識もそのひとつに過ぎないことがわかる。「その他大勢」の私たちを冷静に眺めている火星の人類学者たちの持つ世界観が、古い世界観を壊し、新しい変化を生み出していく原動力にさえなるのではないかと思った。

・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html

・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003736.html

・共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000533.html

・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html

・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html

・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html

・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html

・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html

・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html

・喪失と獲得―進化心理学から見た心と体
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002945.html

・ひらめきはどこから来るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001692.html

・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html

・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html

・音楽する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004148.html

・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html

・天才はなぜ生まれるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001320.html

・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html

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2006年02月21日

書きたがる脳 言語と創造性の科学

・書きたがる脳 言語と創造性の科学
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ハイパーグラフィア(書かずにいられない病)とライターズ・ブロック(書きたくても書けない病)について、自ら両方の症状を経験した医師でもある著者が、脳科学と精神医学の視点で言語と創造性の科学に迫る。

最初から最後まで共感するところの多い一冊だった。

付箋紙の数が久々に30枚を超えた。

私はブログを毎日更新するようになって約900日目だ。それ以前には3年ほどメールマガジンを定期発行していた時期もある。さらに遡ると大学時代はサークル広報誌の編集長兼ライターだった。日常的に物を書くという習慣は15年以上続いていることになる。思えば書くことや文字へのこだわりは子供の頃からだった。書かずにはいられない。軽いハイパーグラフィアであることは間違いなさそうだ。

著者によるハイパーグラフィアの基準:

1 同時代の人々に比べて圧倒的に大量の文章を書く
2 外部の影響よりも強い意識的、内的衝動に駆られて書く
3 書いたものが当人にとって哲学的、宗教的、自伝的意味を持っている
4 当人にとっての重要性はともかく、文章が優れている必要はない

仕事として原稿を書く立場になってからは、ライターズ・ブロックもしばしば経験した。締め切りが迫っているのに書けない。怠惰や多忙が理由でなくて書けないときはどうしようもない。アイデアがわきあがるまであの手この手で気分を変えながら、待つしかない。特にコラムや評論のような創造性が必要な執筆のときに陥る。

ライターズ・ブロックがやる気の問題、自己管理能力の欠如と異なる側面があることは間違いないのではないか。もしそうならば出版社はライターや編集者に自己啓発セミナーを受けさせたり、マネジメントコーチをつけているはずだ。そういうケースはあまり聞かない。

外発的要因があれば創造的な作品が書けるわけではない。原稿料や編集者との人間関係はライターズブロック脱出には本質的に影響しないからだ。書く気のしないテーマの原稿料が1ページ当たり100万円だったらどうか。たぶん、無理にでも私は書くだろう。ただし、その場合、書きたくて書くときの原稿と比べて、質がいいものを提出できる自信がない。

著者によると書く能力は大脳皮質という進化的に新しい領域に存在し、書きたいという欲求はより古い辺縁系と呼ばれる領域に存在する。二つの領域がうまく働かないと書き物仕事を幸せに行うことは難しいようだ。その上で、ハイパーグラフィアはライターズブロックと表裏一体の関係にありそうだと著者は結論する。そして、その真の原因を脳機能や精神科学に求めていく。

脳の機能障害や精神病が、極端なハイパーグラフィアの原因になるという研究が紹介される。特に側頭葉の研究が詳しい。脳科学では前頭葉は合理的判断能力に、側頭葉は創造的能力に関係があると言われてきた。

側頭葉てんかんや一部の認知症患者に異常なレベルのハイパーグラフィアが含まれる。彼らの側頭葉の機能は通常より低下していると考えられるが、一部は亢進しているようにもみえる。側頭葉は創造意欲を亢進と抑制を担当する部位であるらしい。

強烈なハイパーグラフィアは一種のビョーキということだ。このほか、作家や詩人はうつ病の発生率が10倍から40倍高いという報告もある。統合性失調症や失語症という脳機能の障害が、書く意欲に与える影響も分析されている。歴史的にも多作の大作家の多くがてんかんやうつ病を患っていたり、自身もしくは血縁者に精神障害患者を持っていた。

・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html

・天才はなぜ生まれるのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001320.html

天才とビョーキは紙一重説は上記の本が詳しい

創造性を発揮するには、理性を失うほど病気に犯されていては難しい。ちょっと病的な傾向を持ちながら、社会性を失わない人たちが、文章の世界で活躍できるということになるだろう。豊富な臨床研究の調査と自身の深刻な体験から4年間考察にかけた本書は、プロ・アマを問わず物書きにとって極めて興味深い洞察と示唆に富んだ内容である。

終盤では、詩神、ひらめきはどうして訪れるのか、宗教的体験と創造性の類似性という、深遠なテーマも扱う。解説を担当する脳科学者茂木健一郎氏は「人間の脳という不思議な臓器が見せる様々な可能性---情報の洪水の中を生きる現代人に勇気を与えてくれる秀逸なロマンチックサイエンス」と形容している。

・喪失と獲得―進化心理学から見た心と体
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002945.html

・ひらめきはどこから来るのか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001692.html

・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003679.html

・脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html

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2006年02月07日

感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ

・感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ
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脳科学と哲学の融合。

悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなる。楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる。恐怖は身体がこわばるから心が怖いと感じること。心の動きを感情、身体の動きを情動と定義したとき「感情の前に情動がある」とダマシオはいう。

情動と感情の関係は、一般的には逆のように考えられている。内面的な動きが原因となって、外面の動きがあると私たちは考えがちである。だが、進化的には情動が先行して存在し、感情は後からできたものであることは疑いない。人間以外の動物には複雑な感情がないからだ。神経科学や心理学の実験でも、身体の反応(反射)が、意識される感情よりも時間的に早く出てくることがわかっている。

いま身体がどのような状態にあるかを知覚することが感情の主な内容なのだと著者は説明する。脳には身体の感覚マップがあり、そのニューラルパターンが、心的イメージである感情を喚起する。この情動と感情のプロセスを引き起こすのは外的要因だけではなく、人間の場合は記憶が引き金になることもある。悲しい思い出を想起すると、人間はバーチャルに泣くことができ、それは本当の悲しさを感じるときの身体反応を引き起こす。

感じるということが、考えるということよりも本質的な作用ということになる。同じことを17世紀半ばにオランダで考えたのが哲学者のスピノザであった。スピノザは主著「エチカ」のなかで「心は身体の観念からなる」といい、「人間の心は、その身体の変化(刺激状態)の観念によって以外、いかなる物体も現実に存在するものとして知覚しない」と述べた。身体の存在なしには、心はありえないということだ。

「人間の心はひじょうに多くのものごとを知覚することができる。また、その身体がひじょうに多くの影響を受けるとき、それに比例して心が知覚するものも多くなる」とも述べている。刺激の多い場所ほど豊かな思考が成り立つ。

著者もスピノザも、情動→感情プロセスの引き金として外部の刺激だけではなく、過去の記憶や想像が大きな役割を果たすことを認めている。人間はネガティブな感情を意識的にポジティブに変換することができる。情動が感情を支配しているということは自由意志を否定するものであるかのように思えるが、人間は自らの思考でこの過程を制御できる。「理性は道を示し、感情は決断をもたらす」。

有名な脳科学者が書いたこの本、前半は脳科学の研究で、次第にスピノザ哲学と融合し、最後は完全に哲学で終わるという構成になっている。ふたつの世界の架け橋として大変勉強になる一冊だった。

・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html

・脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004066.html

・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html

・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003736.html

・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html

・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html

・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html

・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html

・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html

・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html

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2006年01月12日

音楽する脳

・音楽する脳
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著者は認知学者でミュージシャンというこのテーマにうってつけの人物。音楽と脳の共進化仮説を提唱し、音楽の本質とは何かを、生物学的、文化的、社会学的に分析していく。音楽が単なる娯楽ではなく、人類とその社会にとって、いかに重要な役割を果たしているかを、膨大な情報量で語る。

私たちの音楽の感動体験の中身とは何なのか、演奏する喜びはどこからくるのか、

この本ではいくつかの法則が提唱され、事例や比喩を使って説明されていく。重要度の高い法則を、それぞれ抜き出して、私なりのひとこと説明でまとめてみた。


人間社会の法則:

人間は、その神経系が相互作用の同時性を通して結びつくとき、人間固有の社会的空間を作りだす。

「皆で拍子を合わせること」はチンパンジーにはできない。音楽は人類の文化だ。


二つの環境:

中枢神経系は、外部世界と体内環境という二つの環境で役目を果たしており、体内環境に代わって、外部世界と体内環境のあいだの関係を調節している。

身体は中枢神経系を通じて他者の神経系とも同調できる、ひとつになれる。


等価の法則:

一人の身体にある複数の振動子(指や足など)が結びついて起こるリズミカルな動作は、二人以上の異なる身体にある振動子の結びつきで起こる動作と、同じ力学にもとづいている。

独奏も合奏も背後にある原理は同じである


アンサンブルの状態は縮小する:

音楽しているアンサンブルの、集合的な神経系の状態空間の大きさはそのアンサンブルの代表的な一人の状態空間に近づく。

人はたくさんの演奏者の合奏をひとつのゲシュタルトとして認知する


著者によると、こうした法則を持つことで、人と世界、人と人を結びつけるのが音楽の機能であり社会的役割である。こうした音楽の才能は、生物学的な適応として生じた脳の機能モジュールもあるが、文化的、社会的に発達し、個人が後天的に習得する部分も大きい。

人は演奏でリズムを刻むとき、振動子を使うのか、カウンターを使うのかという興味深い研究もあった。たとえばトン・トン・タというリズムを刻む場合、演奏の習得時には意識的に数えるからカウンター的な脳の機能を用いている可能性が高い。技能が身につくと数えなくても自然に身体が動くようになる。身体には振動子が内蔵されていて、技能者の複雑なリズム演奏は、振動子の周期を組み合わせて実現されているようである。これはドラム演奏などをちょっとかじれば体感できるところだ。

西洋の音楽は、リズム、メロディ、ハーモニーの3要素に還元される。この中で反復するリズムを著者はグルーブの流れ、メロディをジェスチャーの流れと命名した。反復するグルーブは時間の流れを止め、音楽が生まれる精神的空間をつくりあげる。その空間の中でジェスチャーの流れが感情を揺り動かす物語的な意味を語っていく。脳にはこのふたつの音楽要素を感受するモジュールがあることを脳科学や認知科学の実験から説明している。
音楽空間における感情体験はバーチャルなもので、日常生活における感情体験とパラレルだがイコールではない。音楽を聴くことで高揚したり、メランコリックになったりする。脳の動きも実際にその感情を感じているときと似た動きをしている。だが、物悲しい音楽を聴いた気分は本当の悲しみとは明らかに異なる。感情が音楽によって捏造されている。音楽で感動した際の言葉にしようのない気持ちは、バーチャルな感情生成の原理に起因するものなのだろう。

人類進化において音楽の果たした役割、脳の諸機能と音楽、音楽の天才たちの脳のはたらきや、労働における音楽の社会的役割、音楽文化の未来などテーマは多彩。演奏者の視点も多いので、プレイヤーにとっても勉強になる科学がたくさん紹介されている、実に面白い本。

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2005年12月14日

脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説

・脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説
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私は心脳問題に答えをみつけたと断言した挑戦的な仮説本。

知情意(知性、感情、意思)、記憶と学習といった脳のはたらきは、脳の中の無数の機能モジュール(こびと)の相互作用の結果であると、脳科学では考えられている。「私」=意識は、この一連のプロセスを川とみなすなら、一番上流にいて、全体をコントロールする存在だと、従来は考えられてきた。

しかし、著者は、意識は川の最下流にいて、小びとたちの民主的な議論(相互作用)の結果を、ただ眺めている(追体験する)だけの受動的な存在なのだという仮説を提案している。そこには、あたかも意識が上流にいるかのような錯覚をさせる、無意識の仕組みがあるのだという。根拠にする研究データも含めて、ノーレットランダーシュのユーザイリュージョンに近い意見である。

だから、


意識は小びとたちの決定に従っているのに、あたかも「意識」が「自分」を従えているかのように錯覚していると考えても、何も矛盾はないのだ。

意識は小びとたちの自律分散的な処理を眺めた結果、個人的体験としてエピソード記憶を行うために存在していると、意識の存在理由まで説明している。受動仮説は、<私>とは何かという哲学的問題、バインディング問題、クオリア問題に対して、明確な答えを打ち出せると著者はいう。

この本は一般向けの要約なので、詳しい理論はその後公開されたこちらの学会論文が詳しい。

・ロボットの心の作り方
―受動意識仮説に基づく基本概念の提案―
http://www.maeno.mech.keio.ac.jp/Maeno/consciousness/rsj2005kokoro.pdf

さて、読み物として、心脳問題のトピックを統合しようとする面白い内容だったのだけれど、本当にこの仮説が正しいのかどうかは、よくわからない。「私」も「意識」も錯覚であるという結論なのだが、じゃあ、錯覚ではない正しい知覚とはなんなのだろうか。

検証することができるとすれば、著者は、心のメカニズムを理論解明したので心を持つロボットを造ることが可能になったと述べているので、実際にこの考え方で誰かが心を持つ機械を作ってくれるのを待つしかないだろう。

・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html

・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html

・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003736.html

・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html

・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html

・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html

・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html

・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html

・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html

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2005年09月19日

「脳」整理法

・「脳」整理法
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机の上を整理する小手先の整理法ではなく、思考の大局を整理しようとする脳科学者茂木 健一郎の本。

「従来の整理法がともすればコンピュータにもできることをせこせこと手作業でやることに重点を置きがちだったのに対して、ここでは、人間にしかできないこと、人間という生命の躍動(エラン・ヴィタール)に結びついた、ダイナミックで能動的な情報の「整理」をこそ志向し、問題にしたいのです」

■世界知と生活知と偶有性

人間の世界には世界知と生活知の二つの知恵があると著者は大別する。

世界知 世界はどのようなものであるか 世界の成り立ち、科学的な知
生活知 いかに生きるか 人生の意味、哲学的な知

世界知は三人称的な立場に立つ統計的心理であるが、人生は一回性の大切さの連続である。世界知でいえば宝くじに当たるのは100万人に1人であっても、生活知では、当たるか当たらないか2分の1であるとも考えられるわけだ。

そこには、半ば偶然で半ば必然であるという「偶有性」が関係している。


完全に規則的ではないが、全くランダムでもない、偶有的な状況を生きるための知恵を考えるうえでは、科学的世界観にもとづく「世界知」と、一人称の個別の生に寄り添う「生活知」は一致しないことが多い

素敵な恋人との出会い、科学的な大発見といったセレンディピティは、本当は完全に偶然でもないし、必然でもない。それは、気づき、受容し、行動する人間の成果である。

客観的な数学的言語では、世界知を生活知にひきよせて活用することができない。

そこで、


自然言語こそが、世界の中の偶有性に対して現時点で最も有効な「知識整理法」のツールである

と著者は、ことばで考える重要性を述べている。

■ディタッチメントとパフォーマティブ

最も面白かったのがディタッチメントとパフォーマティブという二つの態度の話。ディタッチメントとは「あたかも「神の視点」に立ったかのように、自らの立場を離れて世界を見ること」で、パフォーマティブとは「現実社会においてどのような効果を与えるのかを、あらかじめ計算して言葉を選ぶ態度」のこと。


自らの生に密着した私秘的な視点と、擬似的な神の視点のもとでの公共的な視点の双方を行き来することができる点にこそ、私たち人間のすばらしい可能性が秘められているのです。

自然言語において固定化した「大文字の概念」には気をつけろという。たとえば「人間」、「国家」、「価値」、「生」、「死」といった大きな概念は、主語として使われ続けると、偶有性を離れて絶対化しやすい。戦争や原理主義は、大文字の概念が引き起こす。
「本来偶有的に変化していくべきものを不変と思いこむときに、社会にさまざまな弊害がもたらされてしまう」と著者は危惧する。世界知と生活知はハイブリッドである必要がある。

脳の内部のはたらきが偶有性を取り込めるようなインフラとして機能しているという説明がある。

(1)神経細胞は、外界からの刺激の入力がなくても、つねに自発的に活動し続けている
(2)神経細胞の結合(シナプス)は、その両側の神経細胞が同時に活動すると強化される(ヘッブの法則)

つまり、脳は放っておいても変わる柔軟な自律性を備えている。だから、「「私」に接続し、「私」を経由することによって、不変の存在だと思われた概念も、ふたたび偶有性を取り戻すことができるのです」という。

クオリアとの関係についてはこう書いている。


「赤」や「青」といった感覚を司るクオリアは、絶えざる神経細胞のダイナミクスを背景にもちつつ、ダイナミクスととりあえずは切り離されたかたちでの、安定したラベルを提供します。それに対して、自然言語は、一応はダイナミクスから切り離されたかたちで安定したラベルを立ち上げつつも、なおもダイナミクスとの共役を偶有性というかたちで確保することで成り立っているのです。

自然言語は曖昧な部分や危険な部分もあるが、こうした世界知と生活知の安定性とダイナミクスを同時に記述できる唯一の言語である。その証拠に科学論文でさえも、自然言語を使って書かれているではないかという。

ディタッチメントでパフォーマティブなことばを書くこと。確かにそれが情報社会のいま、一番重要な気がする。

・脳と創造性 「この私」というクオリアへ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003268.html

・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html

・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html

・意識とはなにか―「私」を生成する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000561.html

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2005年08月30日

脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ

・脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ
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脳科学を語らせたら当代随一の研究者ラマチャンドランが、名著「脳のなかの幽霊」の続編を出版した。前作のファンならば必読。一般向けの講演の記録がベースになっているので、さらに、わかりやすい。

■脳にとって芸術とは何か

脳にとっての芸術を語る章を読んでいて思わず唸った。芸術は現実の写しではない。芸術とは脳が喜ぶ効果を生み出すために意図的に誇張したり、ゆがませる行為であると著者は言う。そして、ゆがませかたについての普遍法則を10ほど書き出した。

ラマチャンドラン教授が提唱する芸術の普遍的活動

1 ピークシフト 特徴を誇張する
2 グループ化 
3 コントラスト 
4 孤立
5 知覚の問題解決 いないいないばあ
6 対称性 
7 偶然の一致を嫌う/包括的観点
8 反復、リズム、秩序性
9 バランス
10 メタファー

著者は芸術の多様性の90%は文化によるものだが、10%は上記の普遍性によって芸術として成立していると述べている。世界中の人が見て美しいと思う芸術が存在する可能性があるということになる。美だけでなく、思いやり、敬虔さ、愛情もこうした脳の仕組みで理解できるはずだと説く。

美や愛をニューロンの活動結果に要素還元してしまうことは人間を矮小化することにはつながらないと強く主張している。むしろ、脳が実際にそのように機能していることこそ、本当にそう思っている(愛している、美しいと思っている)証拠であり、実在の意義なのだと述べる。


美という問題の解は、脳にある30の視覚中枢と情動をつかさどる辺縁系とのつながり(および内部のロジックとそれを動かしている進化的根拠)をさらに徹底して解明することによって得られると私は確信しています。これらのつながりが明確に解明されれば、C・P・スノウが言った二つの文化 ---片や科学、片や芸術、哲学、人文学という二つの文化を隔てている大きな溝をせばめることができるでしょう。

ラマチャンドランの脳科学に対する野心や情熱を感じる。

■共感覚ふたたび

前作同様に音や数字に色や形を感じてしまう共感覚者の話題がたくさんでてきた。説明が一層洗練されている。

たとえばこんな例。

・Synaesthesia - Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Synaesthesia
BoobaKiki.png

上記の図はWikipediaから引用。

このふたつは火星人のアルファベットの最初の2文字です。右と左の形状をみたとき、どちらが”Kiki”っぽくて、どちらが「Booba」っぽいでしょうか?

この質問をすると英語圏でもタミール語族の人たちでも、98%が左がKikiで右がBoobaだと思うと答えるそうだ。

これはギザギザの視覚的形状と同じように、”Kiki”が脳の聴覚皮質に表象する「キキ」という音にも鋭い屈曲が共通してあることが原因だと論じられている。回答者は形に音を感じ取ってしまっているわけで、98%の人は共感覚の基本能力があることになる。

共感覚は脳の配線が混乱してしまっているのではなくて、むしろ原初的な感覚こそ共感覚に近いもので、万人が持っているものではないかと意外な結論に至る。

クロスモーダル(二つの感覚の統合)の活性化としては、人がはさみを使うときに、無意識に歯を食いしばったり、ゆるめたりしている事実も取り上げられる。大きいや小さいを意味する言葉を話すときにも、口を大きく開けたり、小さく開けたりしている。共感覚の名残は多くの人にある一般的なものなのだ。

だが、普通の人の脳では、色が数字に、味が形に、模様が音に感じてしまうような高度な共感覚は、日常生活に厄介なので抑制されている。


■世にも奇妙な症例たち

またまた世にも奇妙な脳の障害の患者の事例が次々に紹介されている。

本当にそのような人がいるのか信じがたい症例もある。

コタール症候群という病の患者は、あらゆる感覚が脳の情動中枢と切り離されてしまっている。この症候群の患者たちは、自分は死んでいると思い込んでいる。何を見聞きしても情動を感じることができないために、彼らは自分たちが死んでいるという推論を下し、信じ込んでしまうのだそうだ。

患者は死人は血が出ないということには同意するが、実際に針で刺して血が出ると大変驚く。だが、自分が生きているとは思わない。そうではなくて、死人も血が出るのだと考えを改めるそうである。感覚や情動が推論をねじまげてしまうのである。

こうした感覚は、普通の人が大怪我をしたときなどに、一時的に情動中枢を停止させて、不安や恐怖など無力化を起こす情動を回避するのと共通の仕組みではないかと著者は推測している。本来は緊急時に発動して生存率を高める回路が、脳の損傷によって常時起動してしまっているのが、コタールの患者なのではないかと言うのだ。

壊れた脳の奇妙な症状が他にも何十も紹介されるのだが、著者は常に例外から普遍を浮き上がらせようとしているのが面白い。部分的に壊れた脳を研究することで、正常な脳との差を比較し、脳の特定機能の部位や複雑な配線を解明しようと試みる。

私たちの意識は、無意識や物理的な脳の情報処理プロセスに深く依存していることが次々にわかってくる。前作に夢中になった人なら特におすすめの一冊。

・脳のなかの幽霊
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003130.html

・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html

・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html

・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html

・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html

・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html

・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html

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2005年08月08日

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

・神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
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凄い本。今年の読書ベスト3には間違いなく入りそう。

著者はプリンストン大学心理学教授のジュリアン・ジェインズ。米国内外の大学で哲学、英語学、考古学の客員講師を歴任し、著名な学術誌の編集委員もつとめた人物。この本が生涯でただ一冊の著書。初版は1976年で、90年に加筆された「後記」を含めて、今年の5月に初めて邦訳された。出版時は様々な議論と批判を呼びながら「20世紀で最も重要な著作の一つ」と評された話題作だという。1997年没。

■古代人は意識を持たなかった?

この本が打ち出したのは、3000年前まで人類は現代人のような意識を持たず、右脳に囁かれる神々の声に従っていた、という途方もない仮説。

意識が何であるか、どのような性質を持っているか。最初に常識を疑うところから始まる。内観としての意識は世界の複写ではなく、概念や学習、思考、理性にすら不要で、その邪魔にさえなると述べる。


しかし、話を先に進めよう。意識が心の営みに占める割合は、私たちが意識しているよりははるかに小さい。というのも、私たちは意識していないものを意識することができないからだ。これは言うのはたやすいが、十分理解するのはなんと難しいことか。暗い部屋で、まったく光の当たっていない物を探してほしいと、懐中電灯に頼むようなものだ。懐中電灯はどの方向にあろうと自分が向く方向には光があるので、どこにでも光があると結論づけるに違いない。これと同じように、意識は心のどこにでも行き渡っているように思えてしまう。実際にはそうではないのに、だ

意識の連続性に対しても疑問を投げかける。


懐中電灯のたとえで言えば、自身が点灯しているときにしか、点灯していると意識することはない。たとえ点灯していない時間がかなり長かったとしても、周囲の状況にほとんど変化がなければ、懐中電灯には光がずっと点灯していたように思われるだろう。

意識は断片的にしか世界をとらえていないし、常に意識があるわけでもない。そして内観は不自由だ。何かを判断しようとするのに何百の言葉や比喩を用いざるを得ない。実はこうした内観的意識を使わなくても、人間は複雑な判断を正確に行うことができることが、いくつかの社会心理学的実験結果から結論できるという。

逆に私たちはピアノを弾くだとか、火をおこすだとか、熟練を要する作業をする際に、自分が何をしているか考えてしまうと、うまくできない。意識は思考に必須のものではなくて、おまけ程度のものである可能性がある。思考の大半は自動化されているからだ。

難しいことを言っているようでいながら、当たり前のことを言っている気もする。私たちは深く物事を意識して考えなくても、十分に日々生きていけるということだ。言葉を使って考える意識は、ここ数千年程度の新しいトレンドなのではないか、と著者は結論した。

■意識は比喩から生まれた世界のモデル

意識の本質は比喩と言語であるという。意識が使う比喩は、言語の比喩よりも広い概念で、メタファーだけでなく、連想や類似を含む。私たちは比喩能力と言語能力を使って、意識的に考える。その考え方には構造がある。

意識の特徴として次の6つの構造が挙げられた。

空間化 「心の空間」の中に目を向け、並べ、分別し、はめ込む
抜粋 見るものの一部に注目し、抜粋する
アナログの<私> 私が心の中にいて、何かをしたり、決意する
比喩の<自分>  比喩の私がいる。自分が何かをするのを想像することができる
物語化 行動に理由をつくりだしてしまう
整合化 過去に学習したスキーマに認知を整合化する、つじつまをあわせる

ところが、数千年前の記録である「イーリアス」「オデュッセイア」や旧約聖書には、こうした構造の記述が一切ないことを、著者は検証していく。精神的な事柄を表す言葉が見当たらない。神話の英雄たちは神々の声を聞き、それに従うのみである。世界の古代の記録や神話を比較して、それが特定の文学的手法である可能性も排除していく。

■沈黙した神々

そして共通して見出される要素に神々の声がある。古代人たちは二分心と呼ばれる心を持っており、片方の脳から神々の声を強い幻聴として聞き、それに従って生きていたのではないかというのだ。

現代においても神々の声を聞く人たちがいる。統合失調者の一部の患者たちである。彼らは耳元に幻の声を聞く。その命令に逆らえない人もいる。これは脳科学の進歩によって、理由が解明されつつある。脳には確かに神の声を聞くモジュールがあり、かつてそれは大きな役割を果たしていた可能性がある。

神々の声が消えた時代は、ちょうど共同社会の形成や文字の出現の時期に重なる。言語の出現で脳の使い方が変わり、神々の声は聞こえなくなる。この過渡期には神占政治やシャーマンの活躍があった。彼らは沈黙した神々の声を聞くことのできる二分心の脳の生き残りであったという。

3000年前まで人類は意識を持っていなかった。今も統合失調症に見られる、神々の声を聞き、強烈に信じる能力こそ、古代人の思考の本質であったのではないか、というのがこの本の要旨である。だからこそ、疲れを知らずに大ピラミッドのような偉大な建造物を作ることもできたのではないかという。

統合失調症が進化の原因とした本は過去にも書評している。

・天才と分裂病の進化論
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001298.html

脳の構造の変化と意識の発生が、文明の始まりの時期にあって、それが現代に続く数千年の文明を作り上げてきた可能性があるという点は似ている。

とても緻密に織り上げられた理論で、ひとつの物語として、読後の満足度は極めて高い本だった。無論、検証する方法がない事柄も多いので、この仮説が全面的に肯定されることはないだろうし、完全否定されることもないだろう。ただただ面白いのだ。

ちなみに訳者は名著「ユーザーイリュージョン」と同一人物で、二人の著者にも交流があり、ノーレット・ランダーシュはこの本を「途方もない重要性と独創性を持った著作」と評したらしい。

・ユーザーイリュージョンの書評
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001933.html

博物館で古代の遺物を見るとき、それはどのような精神の持ち主が作り上げたのだろうかとしばらく考えてみることがある。あまりに現代と異なる表現様式に、精神構造がまるで異なっていたのではないか、と思うこともしばしばだ。もしかすると、古代の遺物に感じるあの違和感は、こうした意識構造の違いに起因するものであるかもしれない。

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2005年04月07日

脳と創造性 「この私」というクオリアへ

・脳と創造性 「この私」というクオリアへ
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■コンピュータと脳の違い

人間の脳の創造性とは何かについて考察したエッセイ集。


人間の場合には、まず直感で指し手がわかった後に、それを論理で裏付ける。ディープ・ブルーの場合は、それとは逆に、まずは論理で全ての可能性を検討して、その後にやっと指すべき手がわかる。つまり、結論と論理の順番が、人間とディープ・ブルーでは逆転しているのである。

#ディープ・ブルー=人工知能のチェスプログラム。人間の名人を破った。

人間の直感とコンピュータの論理では根本的に仕組みが違うのではないか、という問題意識が、この本の大前提。


コンピュータと比べた時、人間の脳が新しいものを生み出す仕組みに潜む最大の驚異は、その「歩留まり率」が異常に高いことである。ある特定の状況で、新しいアイデアが必要とされる時、私たちはうんうんとうなりながらかんがえながらそれをひねり出そうとする。なかなかでなくて苦労することもあるが、いったん「これだ!」とひらめいた時には、そのひらめきの結果生み出されてきたものは、たいていの場合は意味のあるものなのである。


何の指針もなく、ただ単にランダムに自発的な活動をしていても、そこからは何の価値あるものも生み出されることはない。脳の神経細胞が自発的な活動をしていることは、創造性の前提条件である。その自発的活動を、意味のある創造的なプロセスに結びつける、何らかのメカニズムが必要なのである。

コンピュータで、発想支援ソフトというのはあっても、発想自体をしてくれるソフトでまともに機能するものはない。コンピュータがランダムか何らかの固定アルゴリズムに従って出す答えや、選択肢の順列組み合わせをすべて試す機械的発想法(MECE)からでは、クリエイティブなものは滅多に生まれない。文脈に対して完全に依存するのでもなく、ランダムでもなく、”自由に”ものを考えることから創造性が生まれる。

そしてこの創造性の歩留まり率を高くしているもの、その何らかのメカニズムの重要な要素として、直感、感情、意識があるのではないかといい、著者の持論のクオリア哲学へと展開していく。

■ぎこちなさ、退屈、一回性

ユニークなクオリアがあるかどうかが、創造性の質を決めるという「クオリア原理主義
」という言葉まで登場する。

新しいことをするときの「ぎこちなさ」の中に将来の創造性が隠れているのではないかという考え方がとても興味深かった。人間は大人になるにつれて、次第に器用になって洗練される分、型にはまったレディメードなものしか生み出さなくなる。不慣れな世界に恐る恐る一歩を踏み出すときの、ぎこちなさはレディメードと対極にある。

器用な芸術家は何でもそれなりにレディメードな作品を生み出せるが、過去に類例のない、オリジナリティのある作品を生み出す資質に欠けていることが多い。ぎこちなさこそ、まったく新しい何かの萌芽であり、一回性の人生において、創造性の源泉になるという考え方。

退屈する時間も創造性には必要な時間だと著者は説く。退屈することもまたオンラインの文脈から離れることであり、ユニークなクオリアの獲得につながる。青春時代に何かに熱中するだけでなく、無為な退屈した時間をもやもやしながら過ごす、というのも、実は必要なことなのではないか、と著者は自分の体験からも述べている。

一回性の人生を迷いながら生きているからこそ、人間は創造性を発揮できるのだということらしい。コンピュータには意識や感情や一回性の人生はないから、今の延長線上では創造性にあふれたパソコンと言うのは登場しそうにない。

やはり当面はコンピュータは人を創造的にする環境支援をする役割と言うことになりそうだ。死ぬほど退屈させてくれるメールソフトとか、ぎこちないブラウザーとか、一回しか起動できないソフトウェアとかが大切なのだな、いや、そんなわけないな、とくだらない、もやもやした思考の袋小路に陥ってしまった。面白いことってすぐにはなかなか思いつかない。それでも考え続けているといいことがあるよ、というような内容の本だった。

・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html

・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html

・意識とはなにか―「私」を生成する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000561.html

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2005年03月07日

脳のなかの幽霊

・脳のなかの幽霊
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■脳の中の幽霊

切断された手足がまだあるかのように感じる「幻肢」現象は中世から知られていたが、長い間、患者の気のせい、思い込みに過ぎないとして軽く扱われてきた。ラマチャンドランはこの現象は脳内にある身体地図と関係があるのではないかと考えた。

幻肢の患者は顔の一部を触ると幻の手足に触られたと感じるケースがある。顔のどこを触ると手足のどこを触られたと感じるかを調べると一定していることがわかる。脳内の地図では手足と顔は近い部分に位置している。切断された手足に対応する地図上の手足が、近接する顔の部分と統合するように、間違った配線が行われてしまったのではないかと著者は考えた。

そして、脳にそうした後天的学習が可能なのであれば、脳を騙すことで、逆に幻の手足を消す学習も可能なのではないかと考え、鏡で幻の手足を見せる実験で、見事に幻肢を消すことに成功する。

他にも、脳梗塞の患者に見られる、視野の半分しか意識できなくなる「半側無視」、視力ゼロの人間が渡された手紙を無意識にポストの細い穴に投函できてしまう不思議な現象「盲視」、近親者を偽者だと主張する「カプグラ・シンドローム」など、さまざまな脳の障害事例が紹介される。

こうした例外、異常から、脳の仕組みの解明に迫ろうとする。

著者の研究実験は危険な脳の外科手術やfMRIのような大掛かりな観察装置を必要としないものが多い。綿棒や視力検査のようなパターンを描いた図を使って、脳や感覚の奇妙を発見してみせる。

視覚の盲点の話はとりわけ興味深かった。人間の目には盲点がある。この本に掲載された絵はそれを証明する。片目である一点を注視した状態で、視点を前後にずらしていくと、描かれているはずの点が見えなくなる。あるいは二つの途切れた線が、視野をずらすとつながって見える。本来、人間の目には盲点があってその部分の情報が不足してしまうが、脳はその部分を周囲の情報から勝手に補足してイメージを作り上げてしまう。だから、視野の中に真っ黒な盲点を私たちは感じることがないのだ。

想像妊娠も脳の中の幽霊が関係している。

1700年代に想像妊娠は200例に1例もあったそうだ。現代ではおよそ1万人に1人の珍しい症例である。これは過去には女性はこどもを産まねばならないという社会的圧力が強かったこと、妊娠を早い時期で確認する科学的方法がなかったこと、などが原因だという。想像妊娠は実際に生理が止まり、お腹が大きくなる人もいるそうだ。死産でしたと告げるとすぐに膨れたお腹はしぼんでしまうらしい。

脳の中の幽霊は私たちの認識に大きな影響を与えていることの一例である。この幽霊は現実と区別がつかない。正常な知覚とされているものも、結局は幽霊を見ているのかもしれないと思えてくる。

■クオリアの三法則

脳の配線や情報処理回路の究明を進めていくと意識に突き当たる。終盤のテーマはやはりクオリア(感覚質、こころにうかぶあらゆるもの)である。人間は環境情報に対して自動的に反応するだけの哲学的ゾンビではない。自由意志を持って、状況に柔軟に対応するには、ゾンビにはないこころが必要である。こころとはクオリアを扱うシステムである。

ラマチャンドランはこの本でクオリアの三法則を定義した。

「クオリアの三法則」

・入力側の変更不能性
赤いものは赤いものとして存在する

・短期記憶に保持
記憶(知覚)のバッファに「赤いもの」が短期間保持される

・出力側の融通性
赤いものから自由に自己は想起するものを選択できる

こころに浮かぶクオリアは、どこまでいっても私だけのもの(主観)である。第三者の記述という客観の古典科学とは根本から立場を異にする。第三者が赤についてどこまで詳細な記述(赤とは600ナノメートルの波長を発し...)を行ったとしても、クオリアの持ち主にとっての赤はそれ以上のものだ。

言葉で表現できない生の体験である一人称のクオリアと、それを三人称で記述した科学の記述は、常に平行線をたどる。そして脳科学の先端ではついに、三人称の記述を実在のすべてとする考え方では、前進できなくなってきた。

■主観と客観の統合

脳やこころを脳内の電気化学的反応や情報処理過程へ還元してしまうことに対して、さまざまな異論を持つ人も多い。こうした悲観主義はドーキンスの利己的な遺伝子「人間機械論」に対して「人間は機械ではない、それ以上のものだ」と反論する意見とパラレルにあると思う。ある種のラッダイト運動(産業革命時の反動、機械打ちこわし運動)のパターンだと思う。

ラマチャンドランはインド出身であり、主観と客観の統合に際してそうした批判のあることを理解している。最終章では次のような回答を提示する。


自分の人生が、希望も成功の喜びも大望も何もかもが、単にニューロンの活動から生じていると言われるのは、心が乱れることであるらしい。しかしそれは、誇りを傷つけるどころか、人間を高めるものだと私は思う。科学は------宇宙論や進化論、そしてとりわけ脳科学は------私たちに、人間は宇宙で特権的な地位を占めてなどいない、「世界を見つめる」非物質的な魂をもっているという観念は幻想にすぎないと告げている。自分は観察者などではなく、実は永遠に盛衰をくり返す宇宙の事象の一部であるといったん悟れば大きく解放される。

客観と主観を統合して自己は宇宙の事象の一部であることを知るという考え方は、インドや日本の東洋思想、悟りに通じる。脳とこころの間に壁などないというのが著者の持論だ。


精神と物質のあいだには高くそびえる分水嶺などまったくないと論じたい。もっとはっきり言えば、私は、この障壁は単なる見かけであり、言語の結果として生じるだけだと考えている。この種の障害は一つの言語を別の言語に翻訳するときにかならず生じる。

クオリアは科学ではない、主観の科学なんてナンセンスだ、と退けるのは簡単だ。けれども、脳科学は少しずつ脳と意識の間のミッシングリンクを掘り当てつつある。ふたつの言語の翻訳上の問題が解決されれば、クオリアをエンジニアリングできる日も私たちの生きている時代にくるのではないか。古典科学と新しい意識科学の間でせめぎあいが起きている。この中から何が飛び出してくるか、見極める証人になるのが私たちの世代であるような気がする。

これは、そんなスリリングな先端状況の渦中にある一冊だと思った。

#とても面白かった。紹介してくれたPICSY鈴木さん、ありがとう。

・脳のなかのワンダーランド
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002735.html

・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002400.html

・脳の中の小さな神々
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001921.html

・脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000897.html

・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000718.html

・脳と仮想
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002238.html

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2005年02月20日

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方
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ブルーバックスは入門書が多いけれど、たまに大当たりが含まれているのであなどれない。これがまさにそう。オビで糸井重里が絶賛しているのはお世辞ではなかった。脳の仕組みの先端研究をわかりやすく説明しながら、記憶力強化にどう役立てるかを語る本。おすすめ。

■記憶の種類

専門的な定義では、記憶とは、

「神経回路のダイナミクスをアルゴリズムとして、シナプスの重みの空間に、外界の時空間情報を写し取ることによって内部表現が獲得されることである」

そうだが、著者はこれを一般向けに分かりやすく説明する。

おおまかに記憶には短期記憶と長期記憶がある。

短期記憶は30秒から数分で忘れてしまう揮発性の記憶でコンピュータのメモリに相当する。これに対して長期記憶はハードディスクで、保存されるファイルの種類にはエピソード記憶、意味記憶、プライミング記憶、手続き記憶の4種類がある。

これら5つの記憶は次の順で階層構造を形成している。意味記憶から下は顕在記憶であり、無意識に記憶するもの。

・エピソード記憶(顕在記憶)  個人の思い出
・短期記憶(顕在記憶)     一時的な記憶、7個くらいを同時に保持
・意味記憶(潜在記憶)     知識
・プライミング記憶(潜在記憶) サブリミナル効果
・手続き記憶(潜在記憶)    体で覚えるものごとの手順

このうち私たちの生活で重要視されるエピソード記憶と意味記憶を扱う脳の部位が、海馬であり、だいたい覚えてから一ヶ月程度は海馬の中に知識はとどまっているという。海馬の細胞は特殊で、訓練次第で後天的に細胞が増殖するらしい。タクシー運転手を長く続けていると空間把握に使う細胞が増えることなどが確認されている。

著者は海馬の専門家である。この不思議な海馬の中でどのような記憶メカニズムが動作しているかを解説する。

■脳内のプロセス

脳の神経細胞同士の情報伝達にはシナプスが使われる。シナプスのはたらきには「ヘブの法則」があることが分かっている。シナプスは十分に強い刺激があったときにだけ回路が形成され、長期的に維持されるという、シナプスの可塑性の原理である。

シナプスの情報伝達には次の3つの決まりがあり、

・協力性
 十分に強い刺激があったときだけ信号が受容され回路が形成される
 →覚えたいと強く思ったものだけを覚える

・入力特異性
 特定の強い刺激にだけ反応する
 →関係のないものは覚えない

・適合性
 同時に関連する信号が連合した場合、強力な回路が形成される
 →ものごとを関連づけると覚えやすくなる

という性質がある。ここに脳内の電気化学レベルの信号伝達と、日常的な記憶のメカニズムに対応関係が見出される。

人間は強い印象を持った事象や、覚えたいと集中したときによく記憶できる。特にものごとを他と関連づけて覚えようとするとき、記憶力は高まる。物語として覚えたり、語呂合わせで覚えることがなぜ効果的かが分かる。

■ミクロ(脳科学)とマクロ(記憶力)の統合、年齢に応じた記憶術がある

ご存知のように私はこの手の本をたくさん読んで書評している(末尾に関連リンクをまとめた)ので、長期記憶・短期記憶、シナプス、エビングハウスの忘却曲線、などのキーワードが出てきたときはまたかと思ったのだが、この本はよく書けていた。著者が脳科学の専門家だと大抵は脳内の電気化学作用の話に終始してしまいがちだ。逆に記憶力の専門家だと記憶のノウハウはあっても、脳内プロセスとの関係が不十分なことが多かった。この著者は脳科学の専門家だが、見事にミクロとマクロの関係について、説得力のある一応の結論を打ち出している。

著者は、海馬歯状回に電気刺激を与えるとシナプス伝達効率が長期的に強化されるLTP(Long-Term Potentiation)という現象こそ、記憶の正体だという。

年を取ると物覚えが悪くなり新しいことを学習することができなくなる、というのは嘘だという。神経細胞の数は加齢とともに減少するが、シナプスの数は逆に増えており、ものごとを論理的に把握する能力は年配者の方が上手になるそうだ。よって、記憶術は年齢に応じて最適なやり方が異なるというのが正解で、大人になってからは丸暗記よりも理論や理屈を覚えるべきなのだという。

著者は薬学部出身なので、薬剤でLTPを活性化させることで人間の記憶力を倍増できるとも考えているようだ。既に動物実験レベルでは天才ネズミをつくることに成功している。将来的には記憶力を良くする薬が実用化されそうな状況である。皆が天才になると世の中どうなってしまうのだろうか。

■天才と凡人の違い、天才と凡人の能力差よりも天才同士の差は大きい

将棋の名人は何千、何万の棋譜を暗記しているが、実際にはありえない手を指す棋譜は覚えられないそうだ。これは名人が棋譜をエピソード記憶としてではなく、手続き記憶と関連づけることで類型化し、局面として出現しうるパターンのひとつとして記憶しているからだと説明がある。

Aという事象を覚えるとき人間は同時にAの理解の仕方を手続き記憶として脳に保存している。だから関連するBという事象を覚えるときに、Aの理解の仕方が役立ってBが覚えやすくなる。AとBを覚えた人は、A、B、Aから見たB、Bから見たAという事象の記憶の相乗効果が働き、CやDを覚えやすくなる。つまり記憶力はべき乗で累積していく。最初の段階では相乗効果は2,4,6,8のように差が見えにくい。英単語を4個知っているのも8個知っているのもほとんど同じだ。

だが、ある程度まで努力で覚えた場合、1024、2048、4097のように目に見えて進歩が早くなる。凡人同士の差はたいした差ではないが、天才と大天才では差が極めて大きいのだそうだ。

結局、この本が科学的に結論したことは、

・十分に強いLTPを発生させるようにやる気を大切にせよ(シータ波の発生)
・復習は1週間後に1回目、2週間後に2回目、一ヵ月後に3回目をせよ
・年齢に応じて最適な記憶方法を選べ。加齢で物覚えは決して悪くならない。
・努力の継続が天才を生む
・学習中は6時間以上の睡眠をとれ。一夜漬けより4時間前に集中学習

などなど。

その他、参考になることが多くあった。経験のノウハウではなく原理から導かれるノウハウの数々。とにかく情報量の多い本で、ここでざっと概要を紹介してみたが、要約しきれない。記憶力について原理から考えたい人に、とてもオススメの一冊だった。


関連書評・リンク:

・記憶する技術―覚えたいことを忘れない
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002369.html

・「3秒集中」記憶術―本番に強くなる、ストレスが消える、創造力がつく
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001014.html

・記憶力を高める50の方法
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000974.html

・なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか―記憶と脳の7つの謎
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000470.html

・図解 超高速勉強法―「速さ」は「努力」にまさる!
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002998.html

・上達の法則―効率のよい努力を科学する
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000645.html


・記憶のマジックナンバー7±2とドメイン名の考え方
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000330.html

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2005年02月16日

アンドロイドの脳 人工知能ロボット"ルーシー"を誕生させるまでの簡単な20のトラップ

・アンドロイドの脳 人工知能ロボット"ルーシー"を誕生させるまでの簡単な20のトラップ
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ゲームはちょっと詳しい。90年代に日本で熱帯魚育成ソフトの「アクアゾーン」が流行していた頃、海外では「Creatures」という人工生命シミュレーションソフトが話題になった。画面の中で人工知能を持つグレムリンのような生き物を飼う。熱帯魚が本能のシミュレーションだったとすれば、「Creatures」は知能のシミュレーションだった。

・水中庭園 VISUALEDITION AQUAZONE 簡単3D熱帯魚ソフト
http://www.aztv.gr.jp/azve/

・Creature Labs
http://www.gamewaredevelopment.co.uk/creatures_index.php

開発者スティーブ・グラントはこのゲームがきっかけで英国政府から勲章を受けたと同時に会社を辞めた。貯金を切り崩しながら、市販の部品と半田ゴテを使って、環境を知覚し、状況を判断し、自律的に行動するアンドロイド「ルーシー」の開発に着手した。第1号は完成して一定の評価を得たが資金的にはなお苦しく、一般の理解と印税収入を得るために、この本を書いた。

著者のオフィシャルサイト
http://www.cyberlife-research.com
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ルーシーの動く姿を映像で見ることができる。情報量多い。

シンク・ディファレントでクレイジーである。これまでの人工知能研究の主流を否定し、独学で独自の人工知能体系を1から作り上げようとしている。一人人工知能学会状態。視覚、聴覚の認知系から、脳の情報処理系、身体の運動系までをひとつの統一システムとして確立しようという野心的な取り組み。

キーワードは「統合」ということのように思えた。知能の局面を切り出して狭い範囲で精緻な理論を作り、それを統合していくのが現行の”科学”のアプローチである。だが、著者の理論は最初から統合されたものを指向している。細切れにしたものを統合することでは、人間のような全体的知性はつくりだせないという。人工知能の研究は原理的に間違っていて、ジャンプ力を鍛えていけばそのうち月まで行けるだろうと考えているようなものだと批判する。

彼が作り出そうとしているものは生命の模倣ではなくて、彼が生命だと考えている何かである。厳密に生き物を模倣するのではなく、区別ができないくらい、同じようにふるまうものを目指している。

彼は綿密な生体機能の顕微鏡的観察をするのではなく、自らの直感を拡大してルーシーに実装していく。

目をつぶってひとつの光景を思い浮かべながら頭を傾けるとき、光景はどう見えるだろうか?と著者は読者に問う。光景は天地が傾いたりせずに、本当に見ているかのように、安定して経験される。「これはあなたの脳が傾きを補正するために、頭を傾けた方向とは反対に像を傾けていることを意味している」。

次にジグソーパズルのピースを想像しろという。ふたつのピースを頭の中で回転移動させてぴったりくっつけることはできる。だが3つになるととても難しくなる。左右より上下に重ねるほうが難しい。これは脳の半球がそれぞれのピースを受け持って処理しているからではないか、というのである。

そして、そういう風に自分の直感から導かれる論理的帰結を回路化してルーシーに組み込む。

彼の脳内では既に作るべき人工知能アンドロイドは完成に近づいているようだ。この本はアンドロイドの作り方の青写真。設計コンセプトから、脳の情報処理に近い人工知能のプログラミング方法、サーボモーターと人口筋肉を使った実装方法まで全体が論じられている。この理論体系の細部が正しいのかどうかはよく分からないが、この人本当に作ってしまうんではないか?という妙な説得力がある。

だが、実際のルーシー1号は置かれた果物の中からどれがバナナかを見分けることができるレベルに達した段階に過ぎない(それだけでも大変な努力だが)。資金が不足していて実際に作ることができないでいるのが主な理由らしい。

研究資金がないのは彼がアマチュアでマッドサイエンティストだから。サンデータイムズ紙から<二十一世紀に生活上の大変革をもたらす可能性の高い十八人の科学者>のひとりに選ばれているが、学会からは異端視されている。

ホリエモン、放送局に800億円ではなくて、この著者に100億円くらい投資してみたらいいのに、と思う。天才なのか狂人なのか、紙一重の著者の話は延々と続く。途中、難解でとらえどころがなくなる部分もあるが、それがまた紙一重の直伝の魅力。著者にとっては副題どおり「簡単なトラップ」らしいのだが...。

関連:

・ヒューマノイドロボットと踊り師範による会津磐梯山踊りの共演
http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2005/pr20050112/pr20050112.html
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東大と産総研による知能ロボット研究成果。映像が一見の価値あり。大爆笑。

・偉大な、アマチュア科学者たち
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001768.html

・Evolution Robotics
http://www.evolution.com/
伝説的なITインキュベータidealabの創業者、Bill Grossは現在この知能ロボット開発企業の会長に就任している。

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2004年12月24日

脳のなかのワンダーランド

・脳のなかのワンダーランド
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科学ジャーナリストが、脳障害や特異な症状の事例から、脳の仕組みを解明しようと試みる。

世界の左右半分を認識しない男性、3+3が計算できないのに12桁の素数を見分ける双生児、自分の左手は別人のものだと思い込む女性、40年前から何も記憶できなくなった男性、幻肢、体外離脱、相貌失認、明晰夢...。障害欠陥や異常な能力は脳の仕組みに由来していた。

カナダ科学ライター図書賞受賞作。

■燃え上がる家を選ばない理由と解釈装置仮説

原題はThe Burning House「燃え上がる家」。

脳卒中の患者の一部に半側無視という症状が現れる。この症状の患者は眼で見る世界の右側か左側かを認識できない。一般に右目で見たものは左脳に、左目でみたものは右脳に感覚信号が入力され処理される。彼らの眼には異常はないので、患者たちは視野が欠けているわけではない。脳に入ってからの認識ができないだけである。

この半側無視の患者に、二種類の家の絵を見せる。家の左半分は火事で燃え煙が出ている。右側は何も起きていない。すると、左半分を無視する患者たちは、二つの絵は同じで異常なことは何もない(火事など起きていない)と答える。

だが、二つの家を見比べてどちらに住みたいと思いますか?と質問したところ、17回中、14回は火事が起きていない平穏な家を選んだという。二つの家を同じだと答えたにも関わらず、片方を選んだのには理由があった。同じ家に思えるのに、こちらの方がゆったりしているからだ、とか、屋根裏が広そうだから、というこじつけの理由がでてきた。

これは「解釈装置仮説」で説明できるという。右脳と左脳を結ぶ脳梁を手術切断した患者は、もう一方の脳と連絡が取れない分離脳になる。別の実験では、患者に片目ずつ異なる絵を見せた。

左脳(右目):ニワトリの脚
右脳(左目):雪景色

そして、次に右脳(左脳)、左脳(右脳)順に「今見たものに合った絵を選んでください」と音声で片耳ずつ、指示すると、右脳は雪景色との関連でスコップを、左脳はニワトリを選んだ(左手、右手で絵を指指した)。

左脳(右目):ニワトリの脚 → 左脳(右耳) ニワトリ
右脳(左目):雪景色    → 右脳(左耳) スコップ

ここで患者が選択したふたつの絵を見せる。すると、右脳は事前に雪景色を見ていないので、なぜ左耳(右脳)で指示を聞いたときにスコップを選んだかの理由が理解できないはずである。右脳が見たのはニワトリの脚とニワトリだけだ。だが、患者は確固とした選択理由を答えるケースが多いという。例えば、「ニワトリの脚はニワトリと関係があって、ニワトリ小屋を掃除するのにスコップが必要だと思ったから」という具合に。

この説明は完全に事後のでっちあげである。脳には情報が錯綜して世界の理解が混乱しそうになると、無理にでも解釈をでっちあげる作話機能があるのではないかという仮説が取り上げられている。脳卒中の患者には自分の腕を「これは私の腕ではないのよ、誰か他人のもの」と主張するケースがあるという。これは動かせなくなった腕の説明を解釈装置が辻褄を合わせるために作り出した幻想で、病気の治癒にしたがって自分の腕だと認めるようになっていく。だが、なぜそう思ったのかは治癒後も説明できない。

著者曰く「われわれには解釈装置による作り話は認識できても、そのきっかけを与えた事象のほうは認識できない。」。私たちは「なんとなく」選ぶときにはこの解釈装置が働いている可能性があるという。

勘だとか第六感の解明ヒントはここらへんにあるのかもしれない。健常者にも同様に、感覚しているが認識していない外界情報があって思考を左右する可能性がありそうに思った。

この本には他にも、脳の特異な事例が満載である。世界で数例、数十例しかない症例をどこまで一般化して良いのか、という問題はあるのだが、これらの貴重な症例研究から学べることは多そうだ。普通は私たちは一生こうした体験をすることができないからだ。

軽いレベルなら、眠気や酔いはときどき意識のはたらきをおかしくする。

私は毎日のように通勤電車で座って本を読んでいる。うとうとしながら本をめくっていると、眠りに落ちる寸前に、自分の手が自分のものではないかのような錯覚にとらわれることがある。この本に出てくる事例とはちょっと違うのかもしれないが、自分の身体を自分だと認識する機能が眠気で妨害されているということなのだろうか。

この本に出てくる特異な事例を読むと、正常な知覚と錯覚の間に違いがないのではないかと思えてくる。健常と呼ばれる人の脳も、現実の一部を何十ものフィルターと、脳の無数の情報処理モジュールの入出力を経て、意識へのぼらせている。世の中を生きていくうえで面倒がない程度に他者と一致する錯覚が正常な知覚なのだと言えるに過ぎないだろう。
脳の特異な障害はその複雑な機構を解明するデータになりえるのかもしれない。障害によって機能を失うだけでなく、特異な能力を手にした人もいる。もっと機構を解明していけば、後天的に脳の性能を飛躍的に向上させる天才化技術が誕生してもおかしくなさそうだ。

この本は他の脳科学の本に部分的に引用されるユニークな症例がかなり網羅されるので、飽きずに読み進めることができる。

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2004年11月11日

脳と心に効く薬を創る

脳と心に効く薬を創る
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高齢化に伴い製薬分野は注目だと思っているので、その最先端はどんな状況なのかを知りたくて読んでみた入門書。著者は脳や心に作用する薬を研究する神経生理薬理学者。うつ病、注意欠陥多動性障害、統合失調症、痴呆、不眠症など現代人の脳と心の病の特効薬の研究成果が一般向けに易しく解説される。

多くの薬剤開発は実験用マウスを使ってテストされる。残酷であるが実験ではマウスの特定の遺伝子や脳の特定部分を意図的に壊すことで、病気と同じ症状を作り出す。これをノックアウトマウスと呼び、この症状を治すような薬を作る。

興味深かったのはノシセプチン受容体と呼ばれる脳内物質をノックアウトしたマウスは、学習や記憶力がよくなっていたという話。通常、何かをノックアウトすれば異常、不具合が観察されるはずなのに、この受容体に限っては逆にマウスの頭がよくなってしまった。それはノシセプチン受容体が痛みを感じることと、忘れることに関係する物質だったからだと判明する。

ノシセプチン受容体がないと骨が折れていようが、疲れていようがランナーズハイで走り続けられるし、あらゆることを覚えていられるらしい。だが、それでは体が持たないし、昔のことをくよくよと思い出していたら、新しいことへの意欲がわかなくなる。脳はノシセプチン受容体とその作動物質を使って、心身のバランスを調整しているのだそうだ。だから、頭が良くなるクスリは、作れそうだが飲みすぎてはいけないということになりそうだ。

この本を読むと、うつ病や統合失調症、アルツハイマーなど様々な現代の病気に特効薬がもうすぐ現れそうで未来は明るそうに思える。しかし、同時に人間の精神状態や考え方にまで強い影響を与える薬剤が可能になりそうだという怖い未来もある。誰かを毒殺するのではなく、うつ病に追い込んで自殺させる薬だとか、都合の悪いことを忘れさせる薬などが今でも可能なように思えた。

個人的には好物のコカコーラとチョコレートは食べると幸せになるクスリだという話も面白かった。人は褒められたときアナンダミドという脳内物質が分泌されて幸せになるそうだが、チョコレートにもアナンダミドが含まれているという。仕事中に疲れたとき、会社に導入したオフィスグリコに100円入れてチョコレートを食べると元気になるのは、そういう裏づけがあったのかと驚いた。

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コカコーラは、昔は本当にコカの葉を使い製造し、コカインが含まれていたそうだが依存性が問題になって廃止。今日のコカコーラには代わりにカフェインが含まれている。カフェインにも軽い依存性と興奮性があるそうで、コーラがやたらと飲みたくなる日がある理由が分かった気がした。

最近、こんな本も笑いながら読んだ。

Amazon.co.jp: 本: ビジネスマンのためのドーピング・ガイド
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いますぐ「仕事力」をアップしたい──。そう感じたら、まず食べ物や薬・サプリメントを活用すべきだ。簡単に自分の能力をアップできるだけでなく、上司を味方につけたり、部下にやる気を出させたり、顧客を口説き落としたりすることにも絶大な効果をもたらしてくれる。これが、ビジネスの新しい常識、「ビジネス・ドーピング」である。 具体的ノウハウについては、伝説のテレビ番組『カルトQ』で優勝した経験を持つ“カリスマ薬剤師”が、その知識をもとに49のシーンを想定して紹介(すべて合法、副作用なし)。

ということで、

 重要な決断には「イチョウ葉エキス」
 仕事のペースを上げる「牛レバー」
 パソコン仕事には「カレー」
 パソコンに疲れたら「ブルーベリージュース」
 資料を読む前に「石菖蒲(せきしょうぶ)」
 ブレストのときには「2時間前に食事」
 眠気に襲われたら「陀羅尼助(だらにすけ)」
 力仕事をするなら「和三盆と葛根湯」
 残業に効くゼリー飲料は「ウイダーinゼリー」
 仕事の追い込みには「マグロ刺身定食」
 徹夜仕事には「ミックスナッツ」
 朝イチ会議の前夜には「納豆+カラシ・ネギ」
 やる気が出ないときには「タケノコご飯(鶏肉抜き)」
 寝起きの頭に「ホットココア」
 朝の目覚めに強くなる「青汁」
 過労に効くビタミン剤は「アリナミンEX」
 たまの休みには「沖縄でソーキ」

などという処方が並べられている。即効性を重視しているらしいのだが、本当だろうか。楽しい本ではあった。

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2004年10月24日

マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く

・マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く
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名著「創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク」の著者の最新刊。これまた面白い一冊。

・Passion For The Future: 創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001285.html

脳科学の最前線のテクノロジーを自ら体験しながら、脳はどこまで科学的に仕組みが解明されていて、技術的にどう制御できるようになるかの可能性を探る。

■脳に埋め込まれた読心能力

著者は、Reading the mind in the eyesというテストを受ける。見知らぬ人物が様々な感情を表した時の写真の、目の部分だけを見て、その人物がどのような感情を持っているかを推測させ、4つの選択肢から選ばせるテスト。これはWeb上でも試すことができる。

・Mind in the Eyes
http://growe.homeip.net/BaronCohen/Faces/EyesTest.aspx

このテストは不思議である。やってみると試験中は難しく感じるが、深く考えず、直感で答えていくと意外に高確率で当たってしまう。逆に、よく考えたからといって正答率が劇的に高まることもないようだ。選択肢となる感情表現のマスターリストには412種類もあるらしい。微妙な違いまでをヒトは瞬時に読み取ることができる。

顔の表情、特に目の表情の読み取り能力は社会的動物であるヒトにとって、生存率に関わる重要な能力であるため、進化の過程で脳に専用回路がビルトインされているのだという。だから、意識がソフトウェア的にゆっくり考えるよりも超高速に、無意識がハードウェア的に判断することができるのだという。

著者はこの能力を「虫の知らせ」と呼んでいる。自閉症患者の中には、マッチ箱から床に落ちたマッチの数を瞬時に言い当てられる人がいるらしい。彼らは数えることなく、数字が頭に浮かぶのだそうだ。これなども理由は不明だが、脳内にハード的に数えるモジュールが生成されてしまった例なのだろう。第六感や女の直感もまた、同じような原理のようだ。

この「虫の知らせ」がはたらくときは、扁桃体が強く活性化している。扁桃体を損傷すると他人の感情が分からなくなる症例もあるという。「虫」の正体は扁桃体だというところまでは解明されている。こうしたモジュールを、自在に操ったり、新しく作り出すことができるようになれば、人間の能力は無限に拡大できるような気がしてくる。

■神経フィードバックで集中力強化

著者は、米国アテンションビルダーズ社の神経フィードバック装置による集中力強化トレーニングを体験する。これは下の写真のようにヘッドセット型をしている、脳波計測装置。集中力が高まるときに発生するシータ波のみを検出し、画面に波形を映したり、シータ波が多く出ていれば画面上の自転車が早く走る仕組みのゲームなどを行うことができる。
被験者は自らのシータ波の具合をリアルタイムに見ながら、意識を集中させることで、シータ波を最大にしようと練習することができる。この製品は、主に注意力に欠陥のある子供たちや、能率を高めたいと考えるビジネスマンなどに利用されているという。意識を研ぎ澄ますだけでなく、沈静化することもできる。練習すれば、いつでも、望むとおりの精神状態に入ることができるようになるという。心裡カウンセラーやコーチも真っ青である。

Attention.com
http://www.attention.com/
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こうした機器で測れるのは脳のおおざっぱなレベルの活動状態に過ぎない。科学的根拠の曖昧さや、宗教やスピリチュアルなセミナーなどに好んで使われてきたことから、神経フィードバックは長い間、似非科学として扱われてきたらしい。実際、科学とは縁遠い人たちが関わっていることも多いらしい。

だが技術の進歩もあって、もしかすると使えるレベルまできているのではないかと、著者の体験と考察を読んで、可能性を感じた。勉強も仕事も「その気」になれば、短時間に成果を上げられることは多い。問題はなかなか「その気」にならないことだ。ヘッドセットをはめてゲームを遊べば、「その気」をいつでも呼び出せるようになれば、人生はきっと違ったものになる。

■暗号解読からパターン認識へ

著者は続けて、攻撃・逃走本能や、ホルモン、ドラッグ、MRIによる脳のイメージ分析などの先端研究の状況を体験しながら報告する。脳は電気化学的な反応にかなりの部分が還元できることが再確認される。

かつて心理学者フロイトは無意識の存在を指摘した。それは正しかったが、無意識は隠れた性的抑圧によって支配されていて、その隠れた意味を解読すれば心を解明できる、という理論は、あまりに単純すぎたと著者は批判する。脳はもっとたくさんの、ひとつひとつは明確な理由のある要素が、複雑に絡み合っているパターンなのだという。

そして各要素を紐解く技術が次々に現れてきた。それらは、ある刺激に対して自動化された反応を返す単純なモジュールであるから、秘密は少ない。これからは隠れた意味の暗号解読ではなく、明らかなパターンを認識することが、脳科学の主流となっていくだろうと予言する。

愛情さえも自動化回路が形成されているらしい。脳のパターンを正確に認識できるなら、コントロールする可能性も見えてくる。こんな一節がある。


ところがある女性感謝の治療中、医師チームは誤って、脳幹内にある「悲しい気分の時の身体状態」を取らせる場所を刺激してしまった。電気刺激を与え始めて数秒もしないうちに、彼女は椅子でぐったりと崩れ落ちて不機嫌そうな表情を見せ、目に涙を浮かべながら「人生にはうんざりなの、もう充分よ...全部無意味なんだわ」とドストエフスキーの「地下室の手記」からでも引用したような文句をつぶやき続けた。だが意思が慌てて電気刺激を切るとその抑うつ感は一瞬にして消え去り、彼女は笑みさえ浮かべながら、なぜ自分が突然そんな状態に陥ったのかと不思議がって見せた」

■ある日突然天才になる可能性

私も子供のころより何十回か、脳波の検査は受けたことがある。頭に数十本の電極を糊でぺたぺた取り付けてプリンタへ波形を出力したり、CTスキャンやMRIのような最新の装置で、電気的、磁気的に脳の活性化状態をイメージ化する検査だ。自分の頭の中を可視化するのは面白い体験なのだが、医者からは「何を考えているかまでは分かりませんから安心してくださいね」などと言われる。検査は長時間に渡り、大抵飽きてしまうので、物思いにふけってみたり、エッチな想像をしてみたり、必死に計算してみたりといろいろ試すが、医者にはやはり何も分からないらしい。さすがに息を止めたり歯をくいしばるのは波形に出るらしく、ばれてしまうが、心の中までは読まれないのだ。

素人として知りたいのは精神活動の中身である。だから、いまひとつ、使えないじゃないかこれ、と思っていたのだが、この本で紹介される一歩先の脳科学の技術は、まさに心の中身を見たり、操作することができるものだった。

私たちの生きている間に、ある日突然大天才になったり、不幸のどん底から瞬時に幸福の絶頂になったり、1日に数万の英単語を覚えたりすることが、技術によって可能になるのだろうか。もしかするとできるかもしれないというのが、この本の伝えたいところのようだ。

著者は完全な還元主義者でもなく、技術楽観論者でもない。技術の未熟さ、倫理的な危うさも指摘しながら、冷静に脳科学の今を見極めようとしている。脳科学の知識に最新パッチを当てたい人に、このオススメの一冊。

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2004年09月29日

脳と仮想

脳と仮想
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クオリア論で有名な茂木健一郎氏の最新刊。

■主観的体験とクオリアと仮想

小林秀雄の講演「信ずることと考えること」のことばが前半で主題となる。「この科学的経験というものと僕らの経験というものは、全然違うものなんですよ」。科学は計量化できるものだけを対象とする。文学者、小林秀雄が生涯をかけて追い求めたのは、科学が捨て去っている計量化できない主観的経験の方である。著者の提唱するクオリアも、まさに小林秀雄が追究していたものと同じである。

小林秀雄は母を亡くしたとき、暗闇に舞う蛍を見て、あれは姿を変えた母親だと直感したという。科学的には何の意味も持たない考えだが、本人が切実にそう思ったのであれば、それは人間にとって真実の経験である。主観的経験を省き、こころの働きを脳の随伴現象として、あってもなくても良い物として扱う科学は間違っていると著者は言う。

主観的体験は仮想の世界である。私たちのこころは世界の特定の場所に目を向ける。世界のすべてを見ようとはしないし、見ることもできない。意識は志向性を持っている。この志向性の束が、仮想の世界の時空を構成していく。有限の脳細胞の上に無限の仮想世界を作り出す。

私たちは現実そのものに直接触れることができないが、現実がなければ仮想することができない。現実は意識にとっての脳と同じように、仮想の無限の探求を行うための安全基地の役割を担っている。精神は現実世界と仮想世界の二つの国籍を持つとまとめられている。

・小林秀雄 カセット 信ずることと考えること 新潮カセット文庫 小林秀雄講演
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4108001028/daiya0b-22/
著者べた褒めなので聴いてみたくなった。

■生まれる前の記憶と思い出せない記憶

私たちの身体は長い生物進化の歴史の痕跡から成り立っている。個体として生まれる前からの系統発生的な記憶を人類は連綿と持ち続けてきた。また、長い人生の中で、思い出せない記憶も、実は仮想に大きな影響力を持っていることを指摘する。言語化できない潜在意識の記憶も、顕在意識上に仮想を生成するための基盤となっているということ。言語もまた、それを受け継いできた膨大な経験から構成されている。

時間の経過は仮想を陳腐化していく。多くの仮想は生成の瞬間は躍動感に満ちたものであっても、次第にそれはありふれて俗っぽさを増していく。生成の躍動の連続として、過去を再評価することができれば、歴史は退屈なものではなくなる。そうした態度によって、世界を意味に満ちたものとして捉えなおせるのでないかと著者は言いたいようだ。つまり、私たちが意識していることなど氷山の一角に過ぎないということ。

こうした無数のクオリアが世界を構成したものがこの本の言う仮想ということになるだろう。仮想はバーチャルと一般に訳されるが、著者の仮想はコンピュータ用語のバーチャルリアリティとはだいぶ違うものを指しているように思えた。

仮想は無数の見えないクオリアから影響を受けて立ち上がる世界であり、要素還元式に単純化されたコンピュータ上のシミュレーション世界とは対極にあるといってもいいだろう。西洋式の思考は、対象を環境から切り離して眺めることで成立する。だが、生き物や生体の器官は環境から切り出したら死んでしまう。著者が追い求めているクオリアや仮想の考え方は、切り出さずに世界全体を理解する、まったく新しい方法論なのだと思う。

では、そのまったく新しい方法とは何なのかというと著者も率直に言うように、科学的にはまったくわかっていない。ポストモダンの先へ進むブレークスルーは、自然科学以外の世界から何らかのメタファーを引き出す必要がある気がする。だから、文学や芸術や精神世界にそれをみつけようと必死になっている著者がいるのだと思った。その切実で、未踏の知的探求を、同時代的に読めるのが楽しい。思想史を塗り替える何百年に一度の金脈が掘り当てられる日もいつかやってくるのかもしれないと予感。

この本は著者の本の中ではかなり文系的な本である。引用される人物も、小林秀雄、樋口一葉、夏目漱石、ワグナー、柳田国男といった具合で、脳科学の先端の話はあまり出てこない。そうした主観的経験の追究者たちが考えていたことと、クオリアや仮想の思想が向かっているものは、ほとんど同じであるというのが基調。相変わらず面白い。

最近精力的に著述を続ける茂木氏。クオリアの次は仮想だった。次はなんだろうか。仮想を究極的に濃密にすると宗教になる気がする。たとえば「祈り」とかどうだろうか。

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2004年08月03日

ユーザーイリュージョン―意識という幻想

・ユーザーイリュージョン―意識という幻想
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■情報とは生成するまでに捨てた情報量と生成の難しさである

デンマークの科学ジャーナリストが著した、意識をめぐる情報科学の本。歴史的名著といっていいのではないだろうか。個人的には、ここ数年で最も面白かった。★★★★★。

前半は情報科学の歴史が総括される。情報とは何かというテーマについて、近代〜現代の科学者、思想化家たちがどのように定義してきたかの変遷を概観する。

20世紀前半の情報の定義で有名なのは、クロード・シャノンによる情報エントロピー理論である。”情報量”という概念を導入し、通信ケーブルを流れるビット数でその量を計測できるとした。情報量が多ければ多いほど、情報の不確実性が低くなり、間違いなく情報を伝達することができる、という考え方だ。

シャノンは情報通信企業の技術者でもあった。広帯域に大量の情報を流せば流すほど、情報をたくさん伝達することができるという考え方は、ナローバンドよりブロードバンドの方が良いということだ。張り巡らせた電話線をもっと利用してもらいたいと考える情報通信産業にとって、打ってつけのコンセプトだった。

かくして情報マッチョ志向の情報システムの時代が到来する。情報量は多ければ多いほどいい。たくさんの情報を受け取れば、正しい決定ができるようになるという考え方である。

だが、私たちの日常の意思決定プロセスを考えてみると、情報量がすべてではないことがすぐに分かる。私たちは何かを決定するときには、やるか、やらないかの判断材料が欲しいだけである。それは0か1のほとんど1ビットの情報量になる。正しい意思決定ができるのであれば、扱う情報の量など少ない方がいい。意味のある情報が適度な量あるのが一番いい。

情報の意味を測る方法を1990年にチャールズベネットが考案し、数学モデル化する。


したがって、メッセージの価値は、その情報量(絶対に予測可能な部分)や歴然とした冗長性(同じ言葉の繰り返しや数字の登場頻度の偏り)にあるのではなく、むしろ隠れた冗長性とでも言うべきもの、すなわち予測可能だが、予測には必ず困難が伴う、という部分に備わっていると思われる。言い換えるなら、メッセージの価値とは、その発信者が行ったであろう数学的作業あるいはその他の作業の量であり、それはまたメッセージの受信者が繰り返さずにすむ作業の量でもある

彼はこの尺度を論理深度と呼んだ。送り手がメッセージを仕上げるのに苦労すればするほど論理深度が大きくなる。大量の情報に接した上で、よく考え抜かれた結果こそ、価値のある情報ということが言えるようになった。

情報は圧縮することができる。何百ページの本も、意思決定に必要な1行に要約することができる。結論の1行の価値を決めるのは、表面的な情報の量(文字の長さなど)ではなく、捨てた情報の量と、それを生成するのがどれだけ難しかったかであるという理論だ。
無論、情報深度にも突っ込みどころがある。官僚的な仕事は大量の書類と、複雑怪奇な膨大な手続きという、苦労の果てに、実につまらない情報を生成する。形式的な手順で、ある情報の論理深度を測ることは難しい。

私は遺跡だとか化石が大好きだが、それはこれらのモノが今ここに残って存在するまでの、人類や地球の歴史プロセスを知っているからだ。考古学マニア以外にとっては、それらは、単なるつちくれであり、地面にあいた大穴に過ぎないかもしれない。

■<外情報>と<会話木>によるコミュニケーション

コミュニケーションの中で考えたとき、論理深度はより大きな意味を持つかもしれない。
たとえば新聞の記事は表面的には何百字、何千字の文字である。だが、それを書くまでに記者は膨大な情報ソースに当たり、識者の意見を聞いて、考えたはずである。敢えて書かなかった情報が大量にある。

ある人物が大統領に選ばれたということは、落選する可能性もあったことや、対立候補者の顔ぶれや、打ち出していた公約の内容や、テレビ討論でのパフォーマンスの成功とも関係がある。

新聞記事は、ありえたかもしれない無数のマクロ状況のうち、ひとつが選択されたというミクロ状況を伝えている。読者はミクロ状況を表象するメッセージを受け取り、背後のマクロ状況を想像しながら、その意味を考える。マクロ状況を書き手と読み手が共有していないと、情報はうまく伝わらない。

著者はこのマクロ状況とミクロ状況の伝達プロセスを<会話の木>という図で説明している。メッセージの送り手は、巨大な木構造の中から、枝葉を捨ててあるパターンを選び、メッセージに託す。受け手はそのメッセージから、木構造の全体を想像して、パターンを自分の頭の中に再現しようとする。再現された木構造の大半は、意識にはのぼらないかもしれない、捨てられた情報である。著者はこの捨てられた情報を<外情報>と呼んだ。<外情報>量こそ、生成された情報の意味の価値を表す指標であるとする。

<外情報>で、情報の価値を測ることができるという考え方を支持する脳科学の研究成果もある。脳の活性化状態を電位測定すると、たんに何かを報告するときよりも、会話しているときの方が活性化していることが分かる。情報処理よりも<外情報>処理の方が、コストがかかっていることが分かる。故に出てくるのは、論理深度の深い情報ということになる。

■ナローバンドで、0.5秒遅れる意識

「論理深度」や「外情報」の研究が面白いのは、それまで情報科学が避けて通ってきた情報の「意味」を解明しようとする試みだからだ。

個人や組織が何テラバイトもの情報アーカイブを持ち、いつでもどこでも好きに情報ソースに触れることができるようになった情報マッチョ環境において、情報の量ではなく、意味の持つ重要性は広く認識されるようになってきたと思う。

私たちの意識はブロードバンド対応ではないという研究がこの本ではいくつも紹介されている。私たちの感覚器官は毎秒、何ギガバイトもの情報量を受け取っているが、意識に上るのは僅かに16ビット〜40ビット/秒程度に過ぎないのではないかという。具体的に何ビットなのかというのは重要ではないだろう。環境から受け取る情報量に比して、とても僅かな情報量しか、意識が処理できないという指摘こそ、意味がある。

また、意識は無意識に、無意識は脳の物理的プロセスの上に成り立っている。米国の神経生理学者ベンジャミン・リベットは、人間が何かを決意してから、意識するまでに0.5秒のタイムラグがあることを実験で証明した。人間が何かをしようとする直前に、脳には「準備電位」というシグナルが発生している。準備電位が発生した瞬間こそ、何かをしよう(背中を掻こうとかコップを手に取ろうとか)と決意した”今”なのだ。その今から遅れて0.5秒後に、その決意が意識にのぼる。人間には自由意志というものはなくて、無意識が決めた後に意識が承認するだけということになる。

これとは別に、複数の感覚器官の入力自体にもミリ秒レベルでの時差がある。光や音や触感が脳に伝わる時間にはズレがある。脳はこの時差を統合し、擬制としての「今」を制作している。結局のところ、私たちは、あらゆる意味で、現実そのものを経験することができない。

では私たちの経験の正体とは何か?。

■ユーザイリュージョン

この本のタイトルになっているユーザイリュージョンとは


パソコンのモニター画面上には「ごみ箱」「フォルダ」など様々なアイコンと文字が並ぶ。実際は単なる情報のかたまりにすぎないのに、ユーザはそれをクリックすると仕事をしてくれるので、さも画面の向こうに「ごみ箱」や「フォルダ」があるかのように錯覚する現象を指す

という意味。

私たちの意識はユーザイリュージョンそのものだというのが、この本の論旨である。顕在意識にのぼる<私>とは別に無意識の<自分>がいる。より多くの情報を現実から受け取る立場の<自分>は0.5秒前の存在で、私たちはそれをつかまえることができない。

しかし、私たちは<自分>の存在を知ることができる。その向こう側にある本当の世界の無限の可能性に目を向けることができる。意識と<私>が万能でないことを知るときがきたと著者は言いたいようだ。イリュージョンであることを意識して、先へ進めということか。


意識の文化と文明は途方もない勝利を収めてきたが、また同時に大きな問題を生み出している。私たちの存在に対する意識の支配力が強くなればなるほど、それが持つ情報の不足が大きな問題になる。文明は他者性と矛盾を奪い取っていき、イエスマンばかりに囲まれた独裁者に見られるのと同じような狂気へと、人を駆り立てる。

私たちはすべての支配権を手中にしているわけではなく、いつも意識を働かせているわけでもないことをあえて喜ぶべきだ。さらに無意識の生き生きした様を楽しみ、それを意識の持つ規律や信頼性と一体化させるべきだ。人生は意識していないときのほうがずっと楽しい。

清明な意識を持つこと、平静を得ること。それこそが最も捨てた情報の量が多く、生成困難でコストのかかる情報処理である。宗教の悟りの境地に至るまでに長く厳しい修行があることと、同じなのかもしれない。

■情報とは何か、意識とは何かを深く考えるガイドに最適

この本は、デンマークの科学ジャーナリストが1985年に書き、いくつかの賞に輝く。ベストセラーとなり、本国で13万部を突破。この数字は人口比換算で日本では250万部に相当する驚異的な数字だそうだ。その後8カ国で発売され高い評価を得ているようだ。翻訳はよいが、内容がやさしい本ではない上、500ページもある。読むのが大変だが、著者の論旨が明確で、洞察に富んだ読む価値のある本だと思った。夏休みの知的格闘に最適。

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2004年07月30日

脳の中の小さな神々

脳の中の小さな神々
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■みのもんたの脳科学

脳科学の成果をベースに設計したという”脳を鍛える”本が大変売れている。

たとえば、このシリーズは2冊で100万部を突破しているらしい。

脳を鍛える大人の計算ドリル―単純計算60日
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脳を鍛える大人の音読ドリル―名作音読・漢字書き取り60日
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(個人的には音読が楽しかった)

特に中高年のボケ防止に人気があるようだ。たまたま実家にあったので、私も試してみた。単純な計算と音読の繰り返し。確かに何もしないよりは、効果があるのだろうけれど、これで本当に脳を鍛えられるのか、釈然としない気持ちが残る。

これらの本の”脳を鍛える”根拠は、脳の状態を測定すると、単純計算や音読を行っているときに、特定の部位で強い活性化が見られるから、というものだ。だが、脳は複雑に全体がまとまって機能するものである。著者は、脳を部分的に鍛えても無意味だと、こうした機能局在論的なアプローチを批判する。これを食べれば頭がよくなる式の「みのもんたの脳科学」だとばっさり斬り捨てる。

■小さな神々の正体

この本のテーマは、以前書評した「脳内現象」とほぼ同じである。ただし、こちらの方がはるかに分かりやすい構成になっている。併せて読むと茂木氏の意識科学、クオリア論について一層の理解が進む。元「ユリイカ」編集長でジャーナリストの歌田明弘氏が聞き役となった13回の対談パート+書下ろしの特別講義で構成されている。

脳内現象
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001847.html

人間の意識は、脳細胞の活性化パターンから生まれるが、パターンは何者かが解釈しなければ意味を持てない。タイトルにある「小さな神々」とは、脳細胞の活性化パターンを見渡す超越的な視点を持つ小人(メタ認知的ホムンクルス)のことである。


ホムンクルスという主観性の枠組みは、脳の前頭葉を中心とする神経細胞のあいだの関係性によって生み出される。そのようにして生み出されたホムンクルスが、自分自身の一部である神経細胞のあいだの関係性を、「あたかも外に出たように」眺めることで、そこに「つやつやとしたリンゴ」というイメージが生じる。どうやら、私たちの意識はそのようにして生み出されているようである

■頭がよいってどういうこと?

「みのもんたの脳科学」という言葉が印象的だったので、以降の章を、本当の意味で脳を鍛える、頭をよくする、天才をつくるにはどうしたらよいかという視点で読んでみた。

著者は、無理をして想像力を発揮する(脳を活性化させる)ことはできないとし、脳が素晴らしい能力を発揮しているときには、むしろ抑制モードに入っていることを指摘する。脳細胞がある目的に集中特化したはたらきをするように、関係のない部位のはたらきを抑制する状態のこと。

「ウイナー・テイク・オール、勝者がすべてを取るというのが抑制の実態です。あるモードで脳を働かせているときにはほかのモードにならないように抑えているわけです。そうじゃないと混乱しちゃう」

だが、一方で、天才ピアニストの神がかった演奏や、アインシュタインのようなひらめきは、ある種のセーフベースがある上での脱抑制が必要なのだという。セーフベースとは意識せずに何かを行うことができる熟練した技能である。セーフベースがあると、自分のやっていること自体(ピアノの弾き方、物理学の基礎など)を意識せずに、やることができる。十分な練習で基本技能を修得した上で、リラックスして夢中になって何かをするときに、創造性が発揮されるということらしい。恋みたいなものだと著者は笑う。

俗世間的な頭のよさの尺度=IQについても興味深い話があった。ニュージーランドの軍隊が長期に渡って調べたところ、時代と共にIQは向上しているらしい。だが、まさか数十年でヒトが進化するわけもない。フリン効果と呼ばれるこの現象の原因は、IQは生得的なものではなく、ある解決法に対する教育効果が何世代にもわたって続いた結果の、文化依存的なものなのではないかと結論している。生物学的に頭のよい人がいるというわけではなくて、属している文化が頭のよさを規定しているのだとということ。なるほど。

ほかにも、聞き出し役の歌田氏のうまい質問設定によって、「脳内現象」よりも、著者の本音が聞けるのが面白い。意識の科学がアインシュタインの相対性理論級の大発見になる日がくる、と考えながらも、それは100年かかるかもしれないと述べ否定的な結論をしている。だが、著者が情熱的にクオリアについて語る口調から、まだまだ諦めていないような印象がありありと感じられる。

脳、意識、こころの探求は、21世紀に宇宙探検よりも大きな成果を生み出す分野なのかもしれないなと思った。

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2004年07月12日

脳内現象

脳内現象
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■主観と客観の間についての深い考察。

意識のはたらきを脳神経の電気的な情報処理モデルに還元して説明することは可能である。脳は特定の部位に特定の機能が局在しているわけではないようだが、特定の刺激に選択的に反応するモジュールが多重に結びついたネットワークであることが近年の脳科学で解明されてきている。1000億の脳細胞の相互反応のパターンを情報表現とみなすことで、全体を見おろす神の視点としての<私>を用いずとも、みかけ上の振る舞いの説明はできる。

この情報表現モデルを推し進めていけば、科学者は近い将来、主観や感情を持たないが、外面的には人間とまったく同じ反応を返すロボット(哲学的ゾンビ)を、作ることはできるかもしれない。強化学習モデルの人工知能などはその方向性にある。だが、このモデルからは、主観的な意識、<私>が現れない。それは、どこまでいっても、心がないロボットでしかない。

古典的認識論では、<私>は、脳神経の状態を外側から俯瞰して見渡す「小さな神(ホムンクルス)の視点」の存在として説明されることが多かった。「中の人」である。だが、脳科学はこれを否定する。脳の中の特定の部位に<私>が鎮座して意思決定や指示を出しているわけではないことが分かったからだ。

また、主体と客体を分離してホムンクルスの正体を要素還元的に突き詰めていくと、ホムンクルスの背後にも、さらに小さな認識の主体が存在し、さらにその背後にも何かがいる、という主体の無限後退が起きてしまう(ホムンクルスの誤謬問題)。

著者はこの問題を、難問とした上で、ひとつの答えとして、


ホムンクルスが脳の中に「小さな神の視点」を獲得するメカニズムは、主体と客体が最初から分離している通常の認知モデルでは捉えきれず、むしろ、自己の内部状態の一部を、あたかもそれを外から観察しているかのように認知する、「メタ認知」のモデルで捉えたほうが適切であると考えられる。

だとし、他の認識モジュールと並列して「メタ認知」のモジュールがあって、それが他のモジュールとの関係性を通して、<私>を発生させているのではないかと論ずる。ひとつ上の次元に<私>がいるのではなくて、メタ認知自体が仕事のモジュールがあるのではないかという推論である。

■<私>は高次の副作用、随伴現象なのか?メタ認知なのか?

我思う、故に我ありとしての<私>を否定することは難しい。生きている限り<私>が存在することだけは認めざるを得ない。<私>は高度な情報処理モデルの、副作用、随伴現象であるという考え方が、意識科学の代表的回答だと思うが、この主従逆転の論理は、とても分かりにくいのが欠点だと思う。

「脳細胞同士の複雑な相互反応のパターンが即ち人間の心なのだよ」という説明が分かりにくいのである。「社会の構成員同士の複雑な相互反応のパターンが即ち社会の心なのだよ」と説明するのと同じだろう。社会の心など想像しにくい。意識は随伴現象であるという禅問答に対して「そのココロは?」で回答するのは<私>である。<私>はやはり存在しているのだ。

科学とは客観的手続きであって、中沢新一の言う「トーラス(ドーナツ)」構造の外側を語るものだと思う。トーラスの内側にある主観の<私>は、外側の構造が緻密に描かれれば描かれるほど、地と図の関係ではっきりと浮かび上がってくるが、客観的な科学の言葉では内側自体を直接語ることができない。だから、分かりにくい。

この本では、意識の中のメタ認知のはたらきを、ホムンクルスの正体だとする。意識内部へ神の視点を統合することで、説明的にはかなり分かりやすくなったと言える。だが、<私>は他の意識のはたらきと完全に並列化されたわけではない。著者は、個物と個物の間に結ばれる私秘的な関係性について後半で言及しているが、<私>はやはり特別な次元にあるものである。

これは科学なのだろうか?。著者は科学からの独立宣言だと述べている。1000億の脳細胞の客観的振る舞いを意識だとする考え方では、人が哲学的ゾンビであろうとなかろうと変わりがない。著者の主張は、<私>がいるという事実を人は疑えないのだから、科学の公理自体に「我あり」を追加するべきなのではないかという大胆な提案なのだ。

そして、科学の基盤である、近代合理主義の出発点としてのデカルト地点まで引き返し、デカルトさえも見落としていたもの、主観と客観を統合する何かを、探すことが意識の謎の解明につながるのではないかと野望を述べている。茂木さんの言うことは大胆で、強烈に面白い。

・意識とはなにか―「私」を生成する脳
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000561.html

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2004年04月14日

天才はなぜ生まれるのか

天才はなぜ生まれるのか
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■天才を生むもの

知的障害が天才の秘密であると言う、先日書評を書いた本と極めて似たテーマ。6人の著名な天才の人生について一章ずつ語られる。この6人には脳に何らかの異常が認められ、その結果、

トマス・エジソンは注意欠陥障害でいつもうわの空
アルバート・アインシュタインは読み書きと計算ができず
レオナルド・ダビンチも同様で
グラハム・ベルは他人の気持ちが理解できない
クリスチャン・アンデルセンは文法が理解できず、
ウォルト・ディズニーは多動症で落ち着きがない

という機能障害を抱えて生きていたという。だが、脳は、その欠陥をカバーするために他の能力が異常に発達した。注意が狭いことが逆に人並みはずれた集中力につながったという説。だから、天才たちを語る上で、「障害があったにも関わらず」という表現は正しくなくて、「障害があったからこそ」天才になったのだという仮説を著者は展開する。


障害というのは必ずしも能力が劣ることだけを意味するわけではない。機能が不全の箇所が生ずると、それを代償して機能の亢進も起こる。生涯を持ったゆえに、障害を持たない場合には、生じえなかった能力が開花することを、無視してはならないだろう。それは個性にほかならない。

弱さが強さの秘密という見方は勇気付けられる半面で、障害を持つ人のうち、天才になる人の数は圧倒的に少ない現実もあるだろう。多くは日常生活や社会参加が難しくて苦しんでいると思う。その事実が分かっただけでは、状況は変わらない。だが、仕組みがわかれば、いずれは障害を天才に変える魔法を、医学は作り出すかもしれないことに期待したい。

著者は、知的障害と天才の仮説を述べるだけでなく、同時に天才たちの本当の姿を、丁寧に資料にあたって調べ上げた。天才たちの伝記には事実を捻じ曲げた表記が多い。私たちが子どもの頃に聞かされた内容がいかに間違っているかがわかって、とても面白かった。

エジソンは研究の人ではなく、他人の成果の横取りも辞さない、かなり強引な戦術を使うビジネスマンであること。レオナルドダビンチは万能の天才と言われるが、実は読み書き計算もままならず、言葉にもなじめず村八分状態だったこと。ディズニーが多動症をごまかすために園内のゴミ拾いをしていたことが、清潔なディズニーランドにつながったことなど。なぜ彼らの伝記は、ねじまげられたのかの秘密。

読み終わって気になったのは、天才の彼らは幸せだったのだろうか?という疑問。真実の伝記を読む限りは総じて、他人に理解されず寂しい内面を抱えて生きていたように見える。

天才の遺伝子を発見することも重要だけれど、幸せを感じる遺伝子を発見することの方がもっと価値があることのような気がしてきた。幸福についての研究は大昔からあまり進んでいないと別の本で読んだ。肝心のことがわかっていないのだ。天才もお金持ちも、結局は幸福でなければ意味がない。

人類史上、誰が一番幸福だったのだろうか?

私たちはその疑問にはまだ答えられないが、恐らく能力や財産の量に正確に相関するわけではないように思える。少なくとも天才たちは孤独で悩み多い人生を送ったのだから。

人を幸福にする技術が次世代のテクノロジー進化の方向性になって欲しい、と思った。

そういう科学をなんと呼ぶだろう?○○の科学か。

そういえばあったなそういうの(笑)

オチがついたところでまた明日

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2004年04月10日

天才と分裂病の進化論

天才と分裂病の進化論
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権威ある医学者による、大胆な仮説の発表。学術論文ではなく一般向けの著書として噛み砕かれた文章で、それをリアルタイムに読めるのはワクワクする。

■天才と名門家系に共通するもの

問題:次の天才たちに共通するものを挙げよ

ニュートン、アインシュタイン、エジソン、コペルニクス、メンデル、ダーウィン、カント、ヴィトゲンシュタイン、ハイネ、カフカ、プルースト、ベートーベン。

わかるだろうか。

答え:近親者に精神分裂病の患者がいる

この本には、精神分裂病(以下、現代的に言い換えて統合失調症と呼ぶ)を発病させる遺伝子こそ、知能を持つ人類の進化の原因である、という独創的な仮説が書かれている。

統合失調症の発病率は、世界のどの民族でも変わらず、およそ1%という興味深い事実がある。多くの病気が風土や人種によって発病率が異なるものらしい。これに対して、統合失調症は人類にとって普遍的な病なのだ。幻覚や幻聴、異常な行動がなくとも、分裂気質や軽い躁鬱病の人間ならば、もっと高い確率で誰の周囲に普通に暮らしている。また双極性障害(いわゆる躁鬱)もほぼ同じように発症するとも書かれている。

この1%という数字が、歴史上の天才や名門と呼ばれる家系では、何倍もの数字に跳ね上がっていることに著者は着目した。目立つところではノーベル賞受賞者の近親者に、患者がいることが多いと言う。稀にであるが映画「ビューティフルマインド」のモデルにもなった数学者ジョン・ナッシュのように、受賞者本人が患者と言うケースも複数ある。

■人類の進化と統合失調症の遺伝子と脂肪原因説

統合失調症の遺伝子を持つ人間に共通するのは、精神異常や知的後退と同時に、そのうちの何パーセントかに、独創的なアイデアや芸術的才能(音楽が多いらしい)、神をも恐れぬ強い意志や行動力があることにある。彼らは、凡人には不可能な偉業を精力的に成し遂げてしまう。その反面、奇行が目立ったり、社会生活が破綻したり、ひどければ犯罪を犯してしまうこともある。良くも悪くも、世の中に変化と革新をもたらす。

著者は人類の起源に強い関心を持ち、類人猿から分かれたホモサピエンスが、どのように地球上に分布を広げて、その文化を進化させて行ったかを、フィールドワークで調べた。そして、人類の脳が大きくなり二足歩行をはじめた時期と、技術や芸術と言う文化が花開く時期があまりに離れていることに気がついた。100万年前から20万年くらい前までの時期は文化的にはほとんど進歩しておらず、地域による同質性も高かったのに、20万年から5万年くらい前の時期になって、突然、高度な道具を作ったり、埋葬のような精神文化が地域ごとに多様に展開しているという事実である。

その時代に人の精神に何が起きたのかを探る。この仮説では、まず突然変異で統合失調症の遺伝子ができる。その時点では発病しないか、社会的に問題にならない時代が何十万年も長く続く。そして訪れた地球規模の気候の変動による食糧事情の変化。農業中心による穀物中心の食文化に移行すると、摂取する栄養の内容が変わる。発病の引き金となる脂肪酸の代謝が悪化する。それまでは発病しないか、軽症で済んでいた遺伝子ホルダーたちが顕著に発病をはじめる。それが社会に大きなインパクトを与えることになる。

そして、現れた異端者が、神の声を聞くシャーマンの役割や、真似のできない発明家の役割、あるいはカリスマ的政治指導者の役割を担った。狂気と天才が、急速に技術を革新させ、芸術を花開かせ、宗教を普及させた。ゆるやかな100万年間を急激な進歩の歴史に変えたのは、統合失調症の遺伝子であったというのだ。

■仕組みの解明と、コントロールの可能性

統合失調症は遺伝要因が強いとされ、その遺伝子の組み合わせ持った子どもは、35歳くらいまでの間に発病することがある。遺伝の発現には環境要因も絡んでいるとされる。環境しだいでは発病しないことも多いからだ。この遺伝子を持つ家系や、異環境で育った一卵性双生児、外部から長く隔絶されていた歴史を持つアイスランドの人たち、などを調べた結果、遺伝と環境の関係と同時に、やはり、顕著な業績をあげた家系に多く発生することが確認される。

著者は、ある種の脂肪酸の代謝能力を制御できれば遺伝子を持った人間を、狂人ではなく、創造性の豊かなイノベーターに変えられると考えている。マウスの実験レベルでは、既に天才マウスは誕生している。この病気は今は不幸な障害だが、やがてコントロールが可能になり、人類を豊かにする存在なのではないか、という。今は人生の破綻につながる素因が、人類の希望に見えてくる。

この仮説は、現在の科学では検証できていないが、ヒトゲノム解析はいままさに進んでいる話だ。数年というレベルの近い将来でも、根拠となる遺伝子が特定される可能性もあるかもしれないと著者は述べている。そうなれば、次はコントロールへの第一歩が進められるかもしれない。

私たちは、種の進化スピードをコントロールする技術までも手にすることになるのだろうか?

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2004年04月07日

創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク

創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク
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この本は粘菌の話から始まる。南方熊楠も粘菌の研究者であったが、時代の先端はいつも粘菌的なのかもしれない。

粘菌というアメーバ状の原始生物を人工的な迷路に閉じ込めて、一定の訓練を与えると、思考能力のないはずのこの奇妙な生き物は、入り口から出口までの最短ルートに広がる。粘菌を構成しているのは、何千、何万もの独立した単細胞である。細胞そのものは、思考する脳はおろか、高等動物レベルに発達した知覚器官さえ持ち合わせていない。

・粘菌が迷路を最短ルートで解く能力があることを世界で初めて発見
http://www.riken.go.jp/r-world/info/release/press/2000/000926/
理研の研究発表。

この粘菌の高度なふるまいは、近隣の細胞同士が化学物質による信号を出し合っていて、お互いが連鎖反応を起こすことを通じて実現されていることが分かったという。だが、不思議なことに司令塔やペースメーカーとなる特別な細胞がいるわけではない。ほぼ同質の単細胞が、自分の周辺の細胞の動きにあわせて、単純なルールで反応を返すだけなのだ。最短経路をみつけよという指示を出したリーダーはいないのだ。

周囲の他者の反応に対する自己の反応が、他者の次の反応を決め、さらに未来の自己に跳ね返ってくる。多重のフィードバックネットワーク。これが膨大な数の細胞の群れによって作動すると、その群れ全体は、観察する人間からみて、一見知的な振る舞いを見せることがある。

「一見」と書いたが、人間の脳の神経ネットワークもまた同じ構造であることが解明されてきている。ローカルな相互作用からグローバルな秩序を生む創発。それは一見どころか、それこそ知性そのものである可能性もある。この本では、アリの群れ、都市、ワールドワイドウェブ、オンラインコミュニティなどにも、粘菌と同じ創発性を見出して、未来の世界での応用可能性を探る。

■スティーブン・ジョンソン+山形浩生の最強タッグで挑む複雑性への挑戦

著者は、FEEDマガジン創設者で、ニューズウィークが「インターネットで最も重要な50人」に選んだオンラインの論客として著名なスティーブン・ジョンソン。訳者は日本にオープンソース概念を紹介した山形浩生。未来のネットワーク論を語る上でこの著者と訳者は最強の取り合わせ。訳者が内容を完全に理解できているおかげなのか、訳文が非常に読みやすい。

・stevenberlinjohnson.com
http://www.stevenberlinjohnson.com/
・山形浩生はいかにして作られたか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000141.html

米国ではネット論壇的存在のコミュニティ型情報発信サイトがいくつかある。Salon、Slate、TheWellなど。著者もこうしたネット発のコミュニティの流れを汲む人物で、このテーマをインターネット論と結びつけて語るにはうってつけ。

・Salon
http://www.salon.com/
・Slate
http://www.slate.com/
・TheWell
http://www.thewell.com/

当然、後半はインターネット、ウェブ、コミュニティも大きなテーマとなる。ネット論については、権威の学者にありがちな、実情を知らない的外れ感や、過度に理念的で空疎な論議は出てこない。長年ネットを使っているユーザなら共感しながら読める土台がしっかりとある内容。

ニューラルネットや複雑系の話は、難しくなりがちである。それはこうした系が要素還元的でない性質の系であることに起因していると思う。自然言語は、比較的単純な要素同士の関係、特に二項の関係を記述するのには向いているが、全体性や多重フィードバックモデルを語るのには論理的説明の語彙が一般に不足していると感じる。

言葉と言葉が、直線的、階層的、論理的に結びついて、部分が全体を構築するのが科学の言葉。むしろ、創発のキー概念と成る全体性や多重フィードバックモデルは文学や詩の言葉が得意とする分野だろう。

要素と要素が響きあい全体として作品を織り成す世界を、科学の言葉で説明しようとすると、よほどの技量のある書き手であっても、細部まで読者に伝えることは難しいことだと思う。美しいが、わかったようなわからぬような読後感を与えてしまいがちだ。

■5つの原則

この本は中盤までは、粘菌、アリ、プログラム、歴史上の都市など実験や観測可能なデータを論拠にして書かれている。わかりやすい言葉に意味をうまく圧縮している。

例えば、創発の起きるネットワークには次の5つの原則があると著者はまとめた。

1 多いとは違うことだ
2 無知は役に立つ
3 ランダムな出会いに期待しよう
4 記号の中のパターンを探せ
5 ご近所に注意を払え

細胞の数が多く、それぞれは全体が見えておらず無知で、ある程度ランダムにつながりが起き、パターンを認知することができ、そして近隣の細胞と密接な相互反応をする。そのような性質を持つネットワークは全体として、知性があるかのように動く、ということになる。

最後の第3部は、創発の分散知性の技術が、政治、経済、社会にどのような革新をもたらすかについて語る。階層がなくフラットで、ゆるやかに繋がる個人がローカルな判断をし、それが全体とのフィードバックを起こして発展していく組織、世界。この未来論は美しいが、さすがに、文章が詩的な印象は否めない。この詩をどう味わうか、でこの本の評価は分かれるかもしれない。

無論、聡明な著者も気がついていて、こんな感慨を述べている。


... 創発システムの予測不可能性は、本の推薦やゲームには理想的名プラットホームになるが、突然、何のはっきりした理由もなく中間管理職を大量にクビにしたりするような企業をほしがる人はいない。コントロールされたランダムさは、都市生活やアリのエサ集めにはすばらしい方式だが、CEOのかわりにそんなものをおいて株主たちが納得するとはなかなか思えない。(... 中略... )自分の投資が、何百万のランダムなビジネスプランの中から長期戦略を育ててくれるまで、じっと待とうなどという投資家はいない

■ウェブはグローバルブレインになりえるのか?

私たちは自らが高度な知覚能力、意識、自由意志を持っていると考えている。個のレベルでは、粘菌の単細胞のふるまいとまったく同一の反応パターンをしているわけではないと思っている。どこまで、このアナロジーが有効なのかが、当然、疑問も生じる。

だが、都市やネットワークを分析するとマクロレベルでは、粘菌と同じような反応モデルが顕れる。都市はマスタープランがなくとも(いや、むしろない方が)自然に機能的に最適化されたレイアウトになる。管理者が不在のコミュニティも、仕組みによっては秩序ある組織になることがある。そもそも、私たちの知性の宿る身体が単純な細胞の集合で作られている。

知性は個にあるだけでなく、ある条件下では全体にも現れる。それがより広い分野に適用できるなら、、無数のノードがつながって、ユーザが反応しあうワールドワイドウェブやコミュニティもひとつの大きな脳=グローバルブレインとみなせることになる。それにはまだ足りないパーツが幾つもあるし、検証できていない部分も残されているが、歴史は創発ネットワークの方向に向かっていると著者は考えているように読めた。

知的エージェント、セマンティックWeb、ソーシャルネット、先端コミュニティシステム、自律コンピューティング、分散グリッド。そうした最先端の技術とそれを使う人間が、ネットワークを変容させていく。その先に何があるのかを、考えてみたい人にこれは自信をもって薦められる本である。

ああ、面白かった。

物凄く「今が旬」な本だと思う。興味のある人はいつか、ではなく、今、読むべき。
評価: ★★★★☆

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2004年01月26日

快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか

・快楽の脳科学〜「いい気持ち」はどこから生まれるか
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疲れ、笑いと書評が続いて次、快楽です。情動と脳の仕組みに関心があって関連本を続けて読んでいます。

この本は、医学博士で理研にも在籍経験のある学者の書。およそ考えられる「気持ちいいこと」、「快楽」について語られている。

■管理職のサル

ここで紹介されている米国のジョー・ブレイディ博士の実験の紹介は面白い。

サルを椅子に座らせ、2頭並べて実験をする。どちらの目の前にもスイッチがあるが、一頭の前のスイッチは機能しないダミーである。ときどき不快な電気刺激がやってきて、本物のスイッチを押した方は、それを回避できる。ダミースイッチの前のサルは何をしてもだめである。

つまり、ここには二種類のサルがいる。

1 嫌な刺激を自分の力で回避できるサル
2 嫌な刺激を他人任せにするしかないサル

会社で例えると、前者は言わば「管理職」のサル。後者は「平社員」のサルとみなすことができる。

どちらがストレスを強く感じたかを計測すると、「管理職」の方が強くストレスを感じるという。サルの管理職は完璧な仕事をするストレスにやられてしまうのだ。逆に、完璧な仕事をする知能のないラットで同じ実験をすると、「平社員」にストレスがかかるという。有能な管理職はストレスが高い。無能な管理職の下の平社員はストレスが高い。世の中の構図そのものになってしまった

心理学の世界ではこれらの実験の積み重ねから、「予測できないこと」「対処できないこと」がストレスの主因であると考えられるようになったという。

■低次脳と高次脳のはたらきの統合

一般的に脳科学の世界では、快楽は報酬系と結びつけて考えられがちである。有名なパブロフのイヌの実験のように、餌と刺激の関係を学習し行動に反映させるような考え方だ。この本も前半は、そのような報酬系の基本原理から始まる。

報酬系の考え方では、生存確率を高めるような行動が「快楽」に対応している。栄養価の高いものを食べること、社会関係の中で認められること、気持ちの良い環境で過ごすこと、魅力的な異性と性関係を持つこと、など。快楽を得て、その行動を繰り返したいと思うおかげで、動物は生存や繁殖の確率を高めている。そういう古典的な考え方だ。

しかし、著者は、ヒトを報酬系による単純なシステムとはみなしていない。単純な報酬系では説明できない実験データや、最新の脳科学の研究で分かってきた事柄が次々に論じられる。現代的テーマが多数織り込まれているのが、専門家でない読者としては興味深かった。クスリやゲーム、過食、性的倒錯、暴力などへの依存、幻聴や統合失調症など分かりやすい事例満載。

著者の文章を引用すると、


私たちはこれまで「自分」という自我の主人公で、それが脳の各部に命令を出して、全身を統率しているのだと考えてきたが、本当はそうではないかも知れない。食欲や性欲の中にも「自分」が散在し、それぞれがそれなりに自己主張しているように思われる

低次の情報処理を行う動物的な脳と、高次の処理を行うヒト的な脳は複雑に相互作用していて、快楽や感情は、その織り成す綾なのだ、という議論が説得力を持って展開される。
特に後半は、精神の正常や異常を分ける現代精神医学への批判や、それを個性とみなして受け入れることで、実現できる豊かな社会へのビジョン提言など、脳科学、精神医学の範囲を超えた著者の深い洞察と哲学が語られて、深く感動してしまった。

一般向けに感情や快楽と脳の関係を語った名著。

■インターネットの快楽

この本にもほんの1行、インターネット依存症についても触れられていた。著者は「本気にしていない」らしいのだが、参照されたのはこの2003年の論文だ。

・Internet over-users' psychological profiles: a behavior sampling analysis on internet addiction.Whang LS, Lee S, Chang G.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=12804026&dopt=Abstract&itool=iconabstr

韓国で13,588人のユーザを調べたところ、3.5%が「インターネット依存症」で 18.4%が潜在的な依存症であると診断できるらしい。基準はともかくとして、精神的にインターネットによるつながり感が生活に欠くべからざるものとなった人が増えているのは間違いないだろう。

私はブログ依存症になっているような気がしている。情報をオンラインで発信することが快楽になっている。アクセス数が増えたり、読者から良い反応がもらえると嬉しくて、多忙な時期でも時間をなんとかとって書こうとする。仕事に支障がでないように、通勤時間と帰宅後しかブログの記事を書かないとルールは作り守っている。が、ぼうっとしていると脳はついついブログのネタを考えてしまう。

当初はブログが仕事の邪魔をしないように気をつけようと考えていたが、最近では、ブログを仕事と統合して折り合いをつけようとしている。コンサルタントという仕事柄、それは不可能ではないように思う今日この頃である。

正常と異常は多様性とみるこの著者の意見と同じように、結局、この依存症を正とするか負とするか、考え方次第の気がする。ああ、今日も快楽に負けて記事を書いてしまったのはダメな私なのだろうか?。

・あなたも「インターネット依存症」かも?
http://japan.internet.com/busnews/20031202/7.html

・米国のインターネット依存症の権威による治療サイト
http://netaddiction.com/index.html

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2003年12月25日

言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか

・言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか
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■言語の獲得と脳

もうすぐ5ヶ月になる息子は、国会の証人喚問風に「橋本○○君」と名前を棒読み口調で呼びかけると微笑む。普通にあやしても中々笑わないのに不思議。彼が言葉を話すようになるのは子育ての本によると生後12ヶ月くらい、らしいので、まだ言葉の内容を理解できているわけではないはずである。

自分が日本語をどう覚えたかの記憶はない。英語のように文法から憶えた記憶ももちろんない。ウチのこどもも脳の成長に伴い近日のどこかで、言語を獲得していくはずで、毎日小さな変化の観察に興味は尽きない。

この本は、人間の脳が言語をどのように獲得し、使っているかの先端的な情報を一般向けに分かりやすく教えてくれる入門書。計測装置の進歩により、人が物事を考えたり、話したりするとき、脳のどの活性化する部位を計測することができるようになった。しかし、言語と脳の関係はまるで解明されていない。分かっていないからこそ、この分野は熱い議論が交わされている。

この本ではチョムスキーの生成文法論を中心に言語と脳の深いつながりが解明されていく。生成文法理論では、人間の脳には生まれつき、文法を処理する機構が備わっているとされる。言語は学習によって後天的に身につけるものとする、従来型の言語理論とは異なる。興味深い多数の実験結果の報告から、「普遍文法」の存在が裏づけられていく。

■生成文法論とコンピュータ応用

近年チョムスキーの生成文法論が人気があるのは、コンピュータの普及と関係があるのではないかと私は考えている。主語はS、動詞はV、目的語はOと、記号化する。例えば、日本語の構文は通常の文章(平叙文)ではSOVである。英語、中国語はSVOである。この本によると、ウェールズ語はVSO、マダガスカル語ではVOS。理論的に組み合わせは6パターンが考えられるが、OSVになる言語は発見されていないそうだ。

記号化された言語の構造モデルを、いろいろなルールで構造変換することで、言葉のバリエーションが生まれる。例外だらけの自然言語という考えと違って、コンピュータで扱いやすい理論であり。今日のコンピュータによる言語処理や意味解析の研究に大きな影響を与えていると言われる。

以前プレゼンテーションを見せてもらったソフトに三菱総研のKnowledgistがある。これは、英語文書の構文を解析しS、V、Oのモデルを抽出した後、「やりたいこと→実現方法」を発見できるという野心的なソフトである。

同社の解説では、


自然言語処理技術を長年研究してきた米国インベンションマシン社が、「科学技術に関する文書では、述語と目的語の組み合わせが「やりたいこと=問題」を、主語が「その実現方法(解決策)」を意味しており、技術分野のコンセプトはこの形式で表現できる。」ことを発見したことがベースになっています。」

とのことだ。こういったソフトウェアはチョムスキー的アプローチのビジネス応用と言えそうだ。

・Knowledgist
http://www.internetclub.ne.jp/IM/products/knowledgist.html

#チョムスキーは同時に政治的活動を派手に展開していることも人気の秘密なのかも。

■ブレインーマシンインタフェース

もうひとつの本書のテーマの脳科学。脳の信号を使って機械を操作するハードウェアも既に市場に出ている。

・CyberLink
http://www.brainfingers.com/
脳波、眼球運動、筋肉の動きなどを使ってコンピュータを制御するシステム

・脳内の電気信号によるコンピューター制御へ
http://slashdot.jp/articles/03/11/15/1128201.shtml?topic=70

脳の指示を機械へ伝えるBrain->Machineインタフェースは研究レベルのものが多数みつかるが、逆に機械から脳へ直接に情報を伝えるMachine->Brainインタフェースは少ない気がする。倫理的に問題が大きい。技術的にも脳科学の進歩が追いついていない。そういった課題が山積みだと思うけれど、大容量の記憶装置や、数値計算、辞書検索、翻訳などのモジュールを脳から直接利用できれば、随分、生活や人生は変わりそうだ。

いわゆるサイバネティクスの研究がそれに当ると、言えそうである。以前書いた記事にこんなのがあった。脳に機械が言語的な指示を与えて身体を動かす生物ロボット。

・ゴキブリは電脳ウナギの夢を見るか?
http://sentan.nikkeibp.co.jp/mt/20030523-01.htm

ここでも紹介したが、今年見たショッキングなページに、ゴキブリの脳に電極を取り付けて、行動をコントロールする実験の紹介がある。虫とは言え、倫理的にどうなのか議論の余地はありそうだが。

・Robo-Roach(人によってはショック画像あり。虫嫌いの人はクリック前に注意。私もあんまり見たくない(笑))
http://www.wireheading.com/roboroach/robo-roaches.html

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余談であるが、URLの先に見たくないグロテスクな画像があることが想定される場合に、便利なコミュニティがある。この2ちゃんねるのスレッドにURLの確認依頼を出すと有志が実際に画像の内容を確認して報告してくれるのだ。Part496ということは過去に49万件以上の書き込みがあった大盛況のスレッドのようだ。

・勇気が無くて見られない画像解説スレPart496
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/entrance/1072323640/
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■チョムスキー一辺倒だけれど
著者はチョムスキーの生成文法理論の信奉者で、言語学を語る際に少々態度の偏りがあるように思える。そのかわりに、本書は、分かりやすい一本の筋が通っていると言える。著者は、後で全面否定するものの、必ず一度は対立する意見も紹介している。一般書なので、並列で異なる意見を紹介し読者に判断を任せるより、私はこう考えているのだという専門家の強い語り口で、論を進める戦略は成功しているように感じた。

紹介される臨床例、実験例は特に興味深い。一週間置きに、片方の言語が失語症になるバイリンガル患者がいるだとか、一見読めそうだが無意味な文字列を見ると脳は無意識に反応してしまう、ジャヴァウォッキー文の事例などわくわくした。

評価:★★★☆☆

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2003年11月29日

意識とはなにか―「私」を生成する脳

先日の記事に四家さんから頂いたコメントにヒントを得て書いてみました。

・意識とはなにか―「私」を生成する脳
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著者はソニーCSLの天才研究者茂木健一郎氏。ソニーのブランド名となっている「クオリア」は、本来は哲学用語。本書はクオリアをめぐる、意識と脳に関する深い洞察を、一般向けにやさしく語った本。要約しながらコメント。

■クオリア

「私がみている赤と、他人が見ている赤は同じなのかどうか」

クオリアとは、もともとは「質」を表すラテン語で、私たちが感じるさまざまな質感を表す言葉である。私たちが感じる、考える、ほぼすべての意味や概念はクオリアであるといってよい。(およそ心に思い浮かぶものでクオリアでないものを探すのは難しそうだ)。だから、上の質問は、私の「赤」のクオリアと他者の「赤」のクオリアは「違う」のか?という意味になる。「違う」も「同じ」と対立するクオリアのひとつである。

私たちは交通信号をみて赤なら止まる。科学者なら光の波長を計測してどこからどこまでが、おおよそ赤と定義もできる。社会的な意味での赤、科学的なコンセンサスとしての赤というのは確かに存在している。だが、主観的な感覚としての、私の赤と、あなたの赤は少しずつ違う。過去の経験や現在の脳の状態は一人一人異なっているから、主観的な赤というクオリアの内容は、1人として同じではないことになる。

「同じ」と「違う」はA=B、A≠Bと論理的に片付けられる問題ではないと著者は言う。例えば、私たちがお札を使うとき、「千円札」というクオリアが、買い手と売り手で「同じ」だから取引が成立するが、買い手が偽札業者と知っていれば、彼の出す札は偽札かもしれないと思う。「私」にとってのどんなクオリアも、文脈やプロセスが、二つのクオリアが「同じ」かどうかを決めている。<あるもの>が<あるもの>であるというのは、それをユニークなクオリアとして把握する脳のプロセスに支えられている。

■相手の心の中に、私の心の中と同じ構造の積み木をつくる


私たちの感じることのできるクオリアのレパートリーは、脳の中の自発的な生成のプロセスによってあらかじめ決まっていて、外界からの刺激がきっかけとなってそのうちのあるものが選択されるに過ぎない

私の好きな小説にもこんな例がある。プルーストが「失われた時を求めて」の中で何十ページにも渡って、主人公のマドレーヌの匂いへのこだわり、連想を披露するシーン。あるいはミランクンデラの「不滅」の冒頭のシーン。主人公はパリのプールサイドで見知らぬ女性が、軽やかに手を振るのを見る。その手の仕草にかつての恋人「アニェス」という名前が浮かび、長い物語が始まる。これらの豊穣なイメージは、どこまで説明しても、表現者のそれそのものを伝えきることはできない。クオリア同士が複雑に影響しあっている状態が、表現者にとっての「マドレーヌの匂い」であり、「軽やかに手を振る姿勢」を構成してしまっているからだ。

この一説からは小説のほかに身近なシーンも思い浮かんだ。これは仕事のプレゼンテーションや説得交渉でも日常的に体験することだ。私たちは自分のアタマの中のアイデアを、他人のアタマの中に再現しようと試みる。自分の頭の積み木を他人の頭に再現しようとする。しかし、クオリアは個人的なものだから、似たものを他人に説明しようとしても、完全にはできない。積み木の部品を共有しているわけではないからだ。養老猛の「バカの壁」とも通じる、人間は分かり合えない理由の説明になっている。

■人工知能アプローチ、機能主義、計算主義への批判

科学者は人工知能で人間の心を模倣しようとする。人間だったらこういう刺激を与えるとこういう反応が返ってくるから、そうなるようにソフトウェアを作ろうとする。脳の機能は解明されつつある。人間が思考や感情を思い浮かべるとき、脳のどの場所がどういうふうに活性化するかは分かってきたし、いずれは完全に解明できるかもしれない。

しかし、心を脳の機能としてとらえたり、脳の1000億の細胞同士の関係を、概念同士の関係としてコンピュータ的に計算すれば人間が何かを考えるのと同じ結果が出る、という従来のアプローチでは、クオリアが表現できない。なぜなら、何がクオリアかを決める肝心の「私」はそこにはいないからだ。「私」が無数のクオリア同士の複雑な関係性を作り出している。

クオリア同士の関係性は体験によって変化し続ける。脳の状態は常に変化していて同じではない。しかし個々のクオリアの意味は永続する。一晩眠ったからといって「赤」が「青」にはならないし、何年経っても赤のままである。著者はこのクオリアの同一性を保持する能力こそ、進化の過程で人間が獲得した自然の究極的なテクノロジーなのだと結論している。

これは、むずかしい問題についてのやさしい本である。著者もまだこのクオリアの研究をどう技術的に実用に結び付けるかは分かっていないと告白している。脳や心の科学、そしてコンピュータの科学は哲学と密接に関係する時代になった。クオリアの技術はきっと、現在話題のセマンティックWebの、何世代か先で、私たちの世界を根底から変えてしまうくらいのパワーを持ったイノベーション技術になると私は考える。だからこそ、茂木氏のような現代のベスト&ブライテストたちが今、すすんで取り組んでいるのだ。クオリアの研究からは目が離せない。その分野を俯瞰し、考えてみたい人の入門書として最適の一冊。

評価:★★★☆☆

参考URL:
・茂木氏のクオリアマニフェスト。
http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html

・公式メーリングリスト(過去ログ)
http://www.freeml.com/ctrl/html/MessageListForm/qualia@freeml.com
私も何年間も加入はしているけれどもとても発言できないでいます...。

・茂木健一郎 クオリア日記
http://6519.teacup.com/kenmogi/bbsご本人の日記。

・ソニーのブランドとしてのクオリア
http://www.sony.co.jp/QUALIA/

・過去関連記事:茂木氏監訳の脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html

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2003年11月25日

共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人

・共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人
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この本によると、10万人に1人(最新調査では2万5千人に一人)の割合で共感覚という特殊な感覚を持った人が、存在している。彼らの大半は何の生活の支障もなく、普通に暮らしているが、私たち通常感覚者とは、別の世界を体験している。大抵は話しても理解されないので、そのことを黙っている。

彼らは、食べ物を舌で味わうと指先にカタチを感じてしまう。この味はとんがっている、だとか、まるいだとか、手に取るように感じる。ある人は、音を聴くと色が見えてしまう。共感覚者が「このチキンはとんがった味がする」「これは赤くてまぶしい音楽ね」と言う時、それは比喩ではない。実際にそう感じている、という。

著者は、医師で共感覚の第一人者。偶然、友人が共感覚者であることが分かり、80年代ほとんど未解明だった領域の研究を開始した。18世紀からの文献調査に始まり、他の共感覚者も集めての臨床実験を繰り返して、遂にその実態を学会へ発表し、話題になった。今では、共感覚者の存在は広く認められている、ようだ。

著者の友人であり研究対象であるマイケルの料理は恐ろしく変わっている。彼は料理をレシピにしたがって作るのではなく、「おもしろい形」の料理をするのが好きだ。砂糖は味を「丸く」し、柑橘類で「とがり」を加え、調味料や香辛料で「線の傾斜を急に」したり、「角を鋭く」したり、「表面をひっこめ」たりする。すべて比喩ではない。触覚で感じている。

五感のどの感覚とどの感覚が結びついてしまうかは人によって異なる。視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の二つ同士で一方向に発生する組み合わせが考えられるが、視覚と聴覚の結びつく例が多いらしい。珍しいケースでは単語の音と身体の姿勢感覚が結びついていて、特定の単語が特定の姿勢を感じさせる14歳の少年の例が報告されている。

最初は著者は、これは脳内の配線が混乱していることから生じる異常な現象と考えていた。しかし、緻密な研究を進めるにつれ、意外な事実が分かってくる。実は、共感覚は人間(哺乳類)の誰でも持っている根本的な感覚で、脳の正常な機能だが、その働きが意識にのぼるひとが一握りしかいないもの、ということが分かったのだ。

共感覚は、脳の皮質の下にある海馬を中心に、いつでも誰にでも起こっている神経プロセスだが、通常は脳の最終処理を行う器官である、辺縁系の正常な処理を通過すると、意識から失われてしまう。ヒトの進化の過程でそういう仕組みになったのだが、共感覚者は原初的な神経プロセスをありのままに感じてしまう人たちであり、「認知の化石」と言えると結論される。歴史に登場する天才的芸術家にも共感覚者がいた可能性もあるらしい。

この本は2部構成になっており、第1部が共感覚の解明ドキュメンタリ、第2部は「情動の重要性についてのエッセイ」集。単なるおまけにしてはボリュームがあるなと思っていたが、こちらも素晴らしいできばえだった。脳や感覚、情動を長年観察、研究してきた著者が説く人間の意識や精神に関する独白。私たちがとらわれている合理性批判。

感覚とそれに起因する情動こそ、人間の精神の支配者であり、意識する心は私たちが自己と呼んでいるものの運転者ではない、という最小合理性(C.チャーニアク)の立場から、情動がいかに私たちの高い意識レベルでの意思決定や行動に強く関与しているかを、一般向けに分かりやすく語る。話題は、認知論から人工知能の限界、宗教、科学とスピリチュアリティにまで総括していく。第1部を読んで著者の科学者としてのスタンスを知っていると、すべてが頷ける。著者は医師であるが、科学者であり、哲学者として生きている。

評価:★★★☆☆

この本を読んだ動機は私が考えている未来技術「トランスモーダルメッセンジャー」に関連する事柄が書かれていないか期待した。微妙に違ったようだが参考にはなった。ここで、この私のおかしな空想技術をついでに説明すると、

・サンクスコーラ(感謝飲料)
飲むと「今日は来てくれてありがとう」というメッセージが伝わるソフトドリンク「サンクスコーラ」
・ワンダーウォール(嘆きの壁)
触ると「人生大変だよね、お疲れ様」というメッセージが感じられる壁
・告白フレグランス
匂いをかぐと「私はあなたを愛しています」と伝わる香水

意図しているのは、単なるサブリミナル効果ではない。もっと強くて複雑で、言語的な強いメッセージを人間の脳へ、非言語感覚を通して送り込めないか、ということ。映画未知との遭遇で宇宙人と人間が光と音でメッセージを交換したように、非言語を使った言語的なやりとりを作れたら異文化コミュニケーションがさらに深まると思うのだ。新しい感性の開発といってもいいかな。

経営者仲間の焼肉パーティーで話したら、「橋本さんも相変わらず妙なこと考えてますねえ」で一笑に付されてしまったが、結構本気である。この本は、共感覚について知るだけでなく、意識や感覚の仕組みを知って、新しい感性の技術を模索したい、こんな私のようなタイプの人間にも、とても参考になる。

参考URL:
・著者のサイト
http://cytowic.net/
・言葉や音に色が見える――共感覚の世界
http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20020325306.html
・脳の構造と共感覚および意識
http://www.ccad.sccs.chukyo-u.ac.jp/~mito/yamada/chap2/
・共感覚とセレンディプティと知識流通
http://sentan.nikkeibp.co.jp/mt/20030630-01.htm
・意識についてのオンラインマガジンPSYCHE(共感覚やその他の興味深い記事満載)
http://psyche.cs.monash.edu.au/

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2003年11月14日

なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか―記憶と脳の7つの謎

・なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか―記憶と脳の7つの謎
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著者ダニエル・L・シャクターは、ハーバード大学心理学部教授で学部長。記憶に関する第一人者で、記憶についての最新の科学的知識を、一般に伝えることに情熱を燃やす博士。その著書は全米心理学会賞やニューヨークタイムズの「ノータブル・ブック・オブ・ザ・イヤー」に選ばれている。

なぜ「あれ」が思い出せないのか、その原因は著者によると、7種類に分類される。物忘れ、不注意、妨害、混乱、暗示、書き換え、つきまとい。これらの「記憶の7つのエラー」が、正確に覚えることや、思い出すことを阻害しているのだ。この本ではそのひとつひとつについて、検証するための臨床実験の結果も交えながら、明快に脳の仕組みと記憶の性質の本質へと迫っていく。

例えば、こんな話題も出てくる。

■舌先現象(Tip-of-the-tongue state)

世界中の51の言語を調査すると45言語に「それは舌先まででかかっているんだけど」という、ど忘れを表現する慣用句があるという。舌先現象を故意に作り出す実験の結果、年齢に応じて一般的に発生する現象であることが分かる。「舌先現象がもっとも起こりやすいのは人名だが、地名、本や映画のタイトル、よく知っている曲の名前といった固有名詞でも、普通名詞と同様に起こることがある」この現象に陥ると、記憶がブロックされた最初の文字や音節数は分かるが、最後の文字はそうでもなく、中間の文字は最も想起が困難になる。あれは「K」で始まる言葉なんだけどなあ?といった具合だ。日本人には感覚しにくいが、仏語やイタリア語などを母国語とする人たちは、名詞の男性形、女性形は思い出せるらしく、それを想起の手かがりにもするという。

■最も古い記憶の研究

ある暗示を最初に与えた後、あなたの一番古い記憶を思い出してくださいという質問をする。暗示がかかったグループは、平均で一歳半の記憶を思い出した。その2分の1は一歳以前の記憶だった。しかし、暗示をかけなかったグループには二歳以前の記憶を取り戻した被験者はいなかった。人が通常、記憶を保てるのは三歳から四歳の頃からであり、それ以前は脳のエピソード記憶が未発達で難しいらしい。思い出せてしまったのは暗示の効果による捏造された記憶であり、別の実験では、15%が「おまえは幼い頃ショッピングセンターで迷子になってなあ」という年長者の言葉によって、ありありと、ありもしなかった迷子の記憶を想起してしまったらしい。
(実は私にも1歳の記憶があるのだが...)。

と、こんなかんじで、記憶の科学と特性が次々に紹介され、私たちの記憶能力の不確かさや、奇妙な振る舞い、どうすれば記憶を強化できるかの理論が一般向けの言葉で7つのエラーごとに一章が当てられて語られる。7つのエラーがなぜ存在しているか、その意味の分析にいたる最終章まで、非常に知的好奇心を煽られながら読みすすめることができた。

評価:★★★☆☆

ここからは私見。ITの時代になって、人間の記憶力は変化しているように思う。キーボードに慣れて漢字の字形が思い出せない人や、複雑な筆算ができない人、パワーポイント依存症で図を手で描くのが苦手な人、CGのツールの普及によって、美術大学ではデッサンの下手な美術志望者が増えているとも聞く。(私もほとんどすべてに該当している)。

手を使って書く、写す、声を出して読む、筆で絵を描く。身体を動かすことで強化蓄積されていくタイプの記憶が弱まっているのではないか。私は、それは時代の流れだし、必ずしも悪いこととは思わない。現代人が以前と比べて頭を使わなくなったとか記憶の総量が減ったとは思えないのだ。その代わりに、余ったメモリーに、新しい身体知を獲得しているような気がする。必要のなくなった能力は減退するが、その分、新しいタイプの感覚入力とその記憶の能力強化が始まっている気がするのだ。全体としては退化ではなく、変化だと考える。

例えば、モバイルやネットワークを自在に使い知識を引き出す、「ネットワーク感覚の記憶」。ビットで物を考える軽快でスピーディーな「デジタル感覚の記憶」。時間と空間を飛び越えた他者との「オンラインコミュニケーション感覚の記憶」。

例えば、このキーワードだったらこのくらいの検索結果数が見込めるだろうな、とか、このタイプの情報はネット上に濃い情報がこんな風に分布していたな、とか、それらはWebで発見できるまでに、もしくは、メールで専門家から答えをもらえるまでに、どのくらいの時間を要するな、といった感覚的な知識だ。(個人的な話でぜんぜん伝わらないかもしれないのですが私の場合には上のような情報の地図のイメージを検索前に想起します。人によってそういうイメージはたぶんかなり違うとは思うのですが。みなさんの情報検索のイメージもコメントでカミングアウトしてくださるとうれしいです。)。

ネットワーク(とその先のデータやヒトの頭脳)や外部記憶メモリーを前提として、ヒトが自分の脳内に蓄積しておくべき記憶とそうでない記憶の選別が必要で、今、私たちはその実証実験をやらされている、そんな気がする。そういった知識の記憶術もこれからは必要だろうけれど、それってどういうノウハウになるだろうか?。

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2003年09月04日

脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス

脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス

仏教徒やキリスト教徒が深い瞑想やトランス状態に陥ったときの脳の電気化学的な状態を調べることで、宗教体験による「こころ」の高揚や不思議な体験を、科学的に分析してみせる。

著者はバリバリの科学合理主義者。宗教者には敬意を払いつつも、悟りだとか解脱というのは脳が、極端な抑制または極端な興奮状態になったときの防衛反応として脳が外部からの情報を強制遮断するようになる。その結果、世界との一体感やら光のトンネルやらといった、どの宗教にもありがちな神秘体験をするのだよ、と述べている。そしてそれらはどの宗教でも似通った普遍的なもので、脳の構造に由来しているのだよ、と言う。

著者曰く、リアリティというのは脳が感じるものであって、現実体験も神秘体験も、その人にとっては、より強く現実と感じられるものがリアリティなのだ、と。神様は幻想とも言えるし、現実でもあるってことになりますか。

訳者はソニー、クオリアの提唱者の茂木 健一郎。ポピュラーサイエンス系の本としてはとてもよく書かれた面白い本でした。おすすめ。

評価:★★★★☆

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