2004年06月11日

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ひらめきはどこから来るのか
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■ひらめきの4段階

素粒子物理学者のマレイ・ゲルマン曰く、ひらめきにいたる道には4つの段階があって、
没頭期
潜伏期
啓示期
証明期

と展開していくという。好きなことに没頭し、壁にぶち当たりながらも、考え続けていると、やがて啓示が訪れて、ブレークスルーが起きる。

著者は、以前書評した「複雑系とは何か」の著者でもある。ひらめきは、複雑系になぞらえると「自己組織化臨界」なのだという。テーブルに無造作に砂粒を落とし続けていると、円錐形の山ができ、いつか、なだれが発生する。なだれがひらめきにあたる。だが、それがいつなのかは予測することができない。

大切なのは、砂粒を落とし続けることと、円錐形の山ができるような落とし方をするということにある。少なくともテーブルの上に落ちるように意識していなければ、努力が無駄になる。問題の解決を常に意識しながら考え続ける、手を動かし続けることが大切だという。技能の学習や上達とほぼ同じパターンが、ひらめきにもあるといえそうだ。

ひらめいたと思っても、よく考えると間違っていることもある。

キリスト教の聖遺物(キリストの血痕だとか聖骸布だとか)が目玉商品の西欧の大聖堂では、年中、奇跡が目撃されたそうだ。だが、この奇跡の発生時間を統計的に分析すると、休日や寺院への参詣者が多い日に奇跡の発生が集中していたという。「意味への期待」が、偽の奇跡を引き起こしていたのではないかと著者は推測している。答えを追い求めている過程で、無理な意味付けをしてしまう人間心理があるということか。意味への希求はひらめきの源泉でもあるはずで、諸刃の剣と言える。

■情報糖尿病

「多すぎる情報はマイナスになる」、「脳は少ない情報の活用に向いている」、「現代人は情報糖尿病にかかっている」という指摘は、鋭い。情報化社会では、情報は栄養と同じように積極的に摂取されることが良しとされてきたが、過剰な栄養が糖尿病を招くのと同じように、情報過多によって、ひらめきをうまない脳がつくりだされている可能性がある。

大量の情報を表示しているパソコンの画面を前にして、ひらめくことって少なくないだろうか?。ひらめきの訪問は、一息入れているとき、散歩しているとき、誰かと会話をしているときだったりが、多い気がする。

この本では、多くの天才たちが夜の時間を思考にあてていたことが紹介されている。「歴史は夜つくられる」などという言葉があるけれど、夜は静かで物事を考えやすい。暗いから、目に入る情報量も少ないし、社会の動きも飛び込んでこない。情報を遮断する。周囲を取り巻くノイズをどうマネジメントするか、情報糖尿病を脱する、環境の技術が重要なようだ。

この本は、全編にわたって、ひらめきがテーマではない。もうすこし広い意味での考える力についての哲学的考察が真のテーマといえる。著者自身、長い潜伏期にあったようだ。そのせいなのか、少し話が拡散気味で読みやすいとは言えないのだが、いろいろ考える素材を提供してくれている。


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Posted by daiya at 2004年06月11日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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Comments

Youngの「アイデアの作り方」と似てる?
ような印象を受けました。橋本さんの文章を読む限りは。

Posted by: zerobase at 2004年06月12日 18:37