2006年02月28日

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・楽しみの社会学
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社会学者チクセントミハイの「楽しむということ」(1973)の新装改訂版。「フロー体験」という概念はこの本から始まった。いまや古典に位置する社会学の本。

楽しいから、やる。

楽しいの正体とは何か?。なぜ楽しさが発生するのか。

著者らは、ロッククライマー、チェスプレイヤー、職業作曲家、モダンダンサー、バスケットボール選手、外科医といった集団に楽しさについてのアンケートを実施した。各集団には世界トップクラスの熟達者もいれば、初心者もいた。


研究対象グループにはすべて一つの共通点があった。それは、世俗的報酬をほとんど生まない活動に、多くのエネルギーを注ぎ込んでいる人々から成り立っていたということである。しかし世俗的な誘因の欠如は、報酬の欠如を意味しない。彼らは明らかにこれらの活動から、何らかの満足を引き出しており、その満足自体が報酬となるが故に、これらの活動の追求へと動機づけられている。我々の研究の目的は、彼等が外発的に報いられることのないさまざまな異なった活動から引き出してくる、これらの内発的報酬が何であるかをよりよく理解することである。

そして回答の因子分析から発見した楽しさの秘密が「フロー体験」であった。それは「全人的に行為に没入している時に人が感ずる包括的感覚」のことで、フロー体験自体が行為の目的となる、自己目的的体験の一種である。フロー体験こそ人間の行動における最大の内発的報酬となる。

本を読んでいるとたまに内容に集中するあまり、通過駅を忘れる。夢中で好きなことをしゃべっていると時間を忘れる。演奏体験に没入して楽器を弾いていることを意識しなくなる瞬間がある。そうしたときがフロー体験である。

フロー体験に関係する変数は二つあるという。不安と退屈である。挑戦に対して自分の技能があまりに低いとき、人は不安になる。逆に挑戦のハードルに対して技能が高すぎると退屈になる。挑戦と技能のバランスが適切に設定されたとき、人はフローを体験する。

内発的報酬としてのフロー体験で行動する人間に対しては、金銭や名声などの外発的報酬は、効果がないばかりか、時に逆効果に働くことが知られている。純粋に楽しいからやっている行為に、時給を与えても、生産性は高まらないことが多い。

フロー体験は技能の向上やピークパフォーマンスの秘訣でもある。Linuxの創始者リーナス・トーバルズは「それがぼくには楽しかったから」という自伝を書いている。彼は儲からなくても、ただ楽しかったから、大組織にも困難な独自のオペレーションシステムをつくることができたのだろう。

日常生活の中にもマイクロフローと呼ばれる小さな自己目的的体験が無数に存在していることを著者は発見した。なんとなくテレビを見る、雑誌をぱらぱら流し読む、喫煙する、無駄話をする、ぶらぶら歩く。こうした無目的な活動を剥奪する実験を行ったところ、被験者たちの創造性は低下し、全般的に生きる意欲が減衰してしまった。

仕事を成し遂げるためにも、毎日を楽しく生きるためにも、フロー体験をいかに増やしていけるかが、重要なポイントになる。この本は、さまざまなフロー体験者たちへのアンケートとインタビューから、楽しさの秘密に迫っていった。

統制群を使わない実験であったことや自己評価ベースであることなど、研究手法として完璧でないことは著者も最初に触れている。だが、楽しいと感じるときにベストパフォーマンスが出ることは誰しも実感していたことだろう。楽しさと成果は両立し得る。その方法を自分なりに考えてみたい人におすすめの一冊。


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Posted by daiya at 2006年02月28日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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