2005年05月05日

ヒトはなぜするのか WHY WE DO IT : Rethinking Sex and the Selfish Geneこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加


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・ヒトはなぜするのか WHY WE DO IT : Rethinking Sex and the Selfish Gene
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セックスと利己的な遺伝子についての再考という副題のとおり、ドーキンスの利己的な遺伝子論に対するまっとうな反論。

日本では少子化が社会問題になっているが、世界では第3世界における人口増加のほうが大きな問題である。人口爆発に対して最も効果的なのが経済政策だと言われている。経済的に豊かになると出生率が下がるからだ。アメリカにおいても収入で階層を区切ると、高い階層(お金持ち)ほど子供の数が少なく、低い階層(貧乏)ほど子供の数が多いという。ヒトは経済的に豊かになると子供を産まなくなる。少数の子孫に富を相続させたいと考えるからだ。逆に低い階層では目の前の労働力、老後の保障としての子供を作ろうとする傾向がある。

経済という文化が人間の生殖のあり方を支配していることになるが、これは経済的に成功したものがより多くの子供を残すという、自然選択の原理とは正反対の結果になっている。文化は遺伝に基づく本能的行動ではなく学習された行動であるが、はるか昔から人間の生態と生殖を支配してきた。いまやヒトは本能的行動とは無関係に、セックス、経済、生殖に向き合っている。

ヒトにおいては、セックスと経済的活動と繁殖の3つの間を結ぶヒューマン・トライアングルが形成されていると著者は説明する。この三者関係では、動物と違いセックスと生殖を切り離すことができる。セックスは単独で存在することもできる。経済と密接な関係を持つようにもなった(売春やポルノ産業)。

利己的な遺伝子仮説では、高次の行動(文化)には低次の理由(遺伝)があるとされたが、ヒトの場合、たいていは生物学的働きかけ(低次から高次へ)と文化的働きかけ(高次から低次へ)は別々にはたらいていて、互いに相容れない場合は文化が優先されるのだという。

そもそも利己的な遺伝子論の論拠ともいえる進化に与える影響について著者は否定している。地質年代ベースで生物の進化を追うと、大きな環境変化で生物種の大量絶滅があった直後に進化が爆発している。一方、その他の時期には進化はあまり見られないのだ。進化を推し進めるのは遺伝子ではなく、環境であると著者は結論している。遺伝子は何が何より優れているかを自然選択の決定に従って世代を重ねて書き連ねていく帳簿係に過ぎないのだとする。

浮気の説明にも使われる利己的な遺伝子論だが、浮気の動機が遺伝子の伝達や子づくりであることは滅多にない。強制的に遺伝子を拡散するための適応行為の残存と解釈されることもある、レイプ行為は世界中の社会で重い犯罪とみなされているし、動物の社会にもあまり見られない。結局、自然選択というひとつの原理で、複雑なヒューマントライアングルを説明することが不可能なのだ。なんでもかんでも遺伝子が原因だとする風潮を生んだ利己的な遺伝子論に対して、この本は真っ向から反論して警鐘を鳴らしている。

とはいっても、ドーキンスが利己的な遺伝子を書いたのはもう30年も前のこと。利己的な遺伝子を今もそのまま信じている素直な人は少ないと思うのだが、欧米では危機意識を持って反論本が出るほど再燃しているということなのだろうか?。

稼ぐこと、子供を作ること、セックスすること、の関係について、とてもわかりやすく述べられていて、楽しく読めた。


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Posted by daiya at 2005年05月05日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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