2005年03月24日

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・消滅する言語―人類の知的遺産をいかに守るか
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■消滅する言語

地球上から2週間に1つのペースで言語が消滅している。

世界には著者の調査では6000±1000の言語があるが、実際の話者の数を見ると、非常に限られた言語の話者が世界全人口60億人のかなりの割合を占めている。上位8つの言語(標準中国語、スペイン語、英語、ベンガル語、ヒンディー語、ポルトガル語、ロシア語、日本語)だけで24億人。上位20位まで広げると32億人で世界人口の半数を越える。さらにすすめると4%の言語が全人口の96%によって話されているという。

6000±1000の言語のうち、4分の1は話者1000人未満であり、半数は1万人以下の少数の話者しか持たない。消滅しようとしているのはこうした小さな言語のことだ。危機的な状況に陥っているのは6000の言語。つまり、数的には90%の言語が、話者が減少傾向が続いていたり、まさに絶滅しようとしている。

まず危機言語の問題を聞いて思うのは、深刻さがよくわからないということ。言語の消滅がどのような不利益や危険をもたらすのかがはっきりしない。

歴史や民族文化の多様性が失われてしまうという生態学的多様性の危機という学者の見解は一応、理解できる。しかし、消滅しようとしている言語の多くに、大抵の人間は一生に一度も触れることがない。1000人、1万人の小さな共同体の文化に具体的にどんな素晴らしい知的資産が含まれているのか知らないものだから、多様性論は極めて抽象的で、説得力の弱い意見に思えてしまう。遺伝子資源のように、それを使った特効薬のような成果が作れますという効用が見えないのが厳しい。

そこで著者は、たとえば、二十世紀最後に戦争が起きた地域、ベトナム、カンボジア、ルワンダ、ブルンジは、単一言語の地域であるという事実を指摘する。統一言語は相互理解だけでなく、衝突も加速させる面があるようだ。言語障壁があるおかげで、言語圏ごとに多数の経済が成立したり、多数の文化的英雄が活躍しえたりすることも、多様性の利益だという。

ただ、それでもなお、環境問題の如く言語消滅を人類にとって解決が急務の課題という共通了解をつくるには、まだ論拠が足りていない気はする。消滅言語の具体を私たちは知らないからだろう。

■言語の多様性を具体的に

言語の多様性を紹介する事例調査はとても興味深い。

英語では、Youは単数のあなたであると同時に複数のあなた方の意味を持つ。日本語の場合、あなたは単数を表す。ところが英語から派生したパプアニューギニアのトク・ピシン語では、

mitupela 私たち二人(あなたを含まない)
mitripela 私たち三人(あなたを含まない)
yumitripela 私たち三人(あなたを含む)
yutupela あなたたち二人
emtripela 彼ら三人
yumifoapela 私たち四人

という人称があるそうだ。数人単位のグループのコミュニケーションが生きていくのに重要な文化がうみだしたバリエーションなのだろう。

明証性と呼ばれる言語概念を含む言語があるという話も面白い。英語では「本が床に落ちた」というセンテンスは、自分で見たのか、誰かにその状況を聞いたのか、判断できない。明証性のある言語では、それを文法的に区別する。

オーストラリアのンギヤンバー語では、5つの明証性規則が分化していてとても複雑になる。(1)私が見た、(2)聞いたけれどみていない、(3)その証拠を見たがそれ自体は見ていない、(4)誰かに聞いた、(5)そう考えるのが合理的だ、の5つがあるそうで、観点をはっきりしないと文を作れないという。これは科学の議論に向いていそうな言語だが政治やビジネス営業では使いにくそうだ。

消滅寸前の言語には、きっと、こうした認知構造の違いにもとづくメジャー言語にはない視野が隠れている。昨日の日本の古代語の本のあったように言語に豊かな民族の歴史が刻み込まれてもいる。この著者がいうように、消滅言語の記録を積極的に残す施策は、有益だろうと思う。問題はそれ以上の”介入”は必要なのかということだ。

■何をすべきか、何ができるか

ITの普及と国際コミュニケーションの活発化は、言語の消滅を加速させていることは間違いないだろう。二言語を使うようにすることは、消滅の歯止めになると書かれているが、実際にはメジャー言語圏では、日本人のように日本語と英語の組み合わせがバイリンガルの大半だ。少数言語話者はメジャー言語を学習することで、言語経済学的に、メジャー言語に染まってしまうことの方が多いだろう。

山岳民族や騎馬民族など固有の地域の自然、風土と密接な関係がある共同体の言語も、生活の近代化によって、言語背景の特徴を失っていく。現代は急速に世界が狭くなり、異なる文化がかつてなかったほど接触する時代だ。多数の言語が混在するバベルの塔が、いままさに崩れようとしている。それが良いことなのか、悪いことなのか、誰の倫理基準で決めたら良いのだろうか。

著者はかつてのキリスト教布教の伝道師のように、言語の強者=英語圏(著者は英語学の大家)の善意の人間として、”予防言語学”を広めようとしているようにも見える。積極的に介入し、失われた言語を人為的に復活させることを理想としている。だが、成功例として挙げられている少数言語の復活事例(ヘブライ語など)が、どの程度の意義を持つのかはっきりしない。記録を残すこと以上の、消滅言語を救うアファーマティブ・アクションが本当に必要なのか、よくわからない。そもそも大量消滅を止めることはもう不可能だ。

ベンチャー企業の設立件数/倒産件数の比率と同じように、倒産件数が増えても、設立件数が上回っていれば良いという考え方もある。言語が生まれるスピードについてはまだよくわかっていないらしい。どこまでが方言で、どこまでが独立した言語なのか、判断が難しいからだ。政治的抑圧で消されようとしている言語はともかく、自然消滅する言語については、レッセフェールで自然に任せて、むしろ、新しい言語の誕生を加速させるような施策を進めてみるというのは奇策だろうか。

・コミュニケーション拡張装置としての機械翻訳
http://hotwired.goo.ne.jp/bitliteracy/guest/990817/
99年に書いた記事。ちょっと古いが今回のテーマに深く関連する。

・危機言語のホームページ
http://www.tooyoo.l.u-tokyo.ac.jp/ichel/ichel-j.html


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Posted by daiya at 2005年03月24日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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Comments

> まず危機言語の問題を聞いて思うのは、深刻さがよくわ
> からないということ。言語の消滅がどのような不利益や
> 危険をもたらすのかがはっきりしない。
 
橋本さんの意見はとても自然だと思いますが、マイナー言語の消滅は普通に暮らす人たちにとっては何も影響はないでしょうが、人類にとっては大きな損失です。理由はたくさんあるのですが、言語学の立場から見れば言語の多様性があるほど、未だに謎が多い「人間を人間足らしめる物=言語獲得能力」の解明につながるのではないでしょうか。もしかしたらそれが、脳の働きの解明にも関わってくるかもしれません。
 
言語の多様性は面白いもので、マイナー言語には変わった性質が含まれていることが多いです。性質というのはたとえばこういうものです:
 
・Parts of speech
・Coding properties of grammatical relations
・Word order of S, O, and V
・Word order of old and new information
・Relative clauses
・Passive
・Control constructions
-Coding as matrix subject/object
-Control of adjunct clauses
(授業のノートより)

> 1000人、1万人の小さな共同体の文化に具体的にどんな
> 素晴らしい知的資産が含まれているのか知らないものだ
> から、多様性論は極めて抽象的で、説得力の弱い意見に
> 思えてしまう。
 
小さい文化だからこそ適しているということもあります。例えば「人間が数を数えられるようになった経緯を調べたい」というテーマがあったときに、わたしたちはタイムマシンで過去に行って人類の祖先に会うことはできませんが、10以上の数の概念を持っていない民族がどのように大きな数を把握するのか調べることはできます。言語についても同じような調査ができるでしょう。
 
あと、文字を持たない言語なら特にですが、今の話者が1000人でも言葉は生き物ということを考えると、その民族がその言語を使いはじめてから現在に至るまでの総人口の重みも考えると価値がまた変わってくると思います。
 
> この著者がいうように、消滅言語の記録を積極的に残す
> 施策は、有益だろうと思う。問題はそれ以上の”介入”
> は必要なのかということだ。
「消滅言語」を「消滅文化」や「消滅民族」と置き換えてみてもわかるとおり、とても難しいテーマですね。
 

Posted by: shima at 2005年04月01日 05:10
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