2010年6月アーカイブ

・必要とされなかった話
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壮絶な漫画。。

食糧が底をついた村。もしも一人しか命を救えないとしたらおまえは誰を選ぶか?。長老が村の全員に尋ねて歩いた翌朝、誰にも必要とされなかった6人の森への追放が決まった。たったひとりの肉親の姉に、自分が選ばれなかったことに愕然としながら、主人公の少年 織春は死の森を彷徨う。

テレビ番組「サバイバー」のように、投票によって自分が追放者に選ばれるよりも、誰からも必要とされなかったから追放されるこの状況の方が辛いかもしれない。あからさまに追放されれば、憎しみを糧に生きていくこともできるが、これでは誰を恨んだらいいのかわからない。ただただ、さびしくて悲しいのである。

森の中で追放されたもの同士が出会う。心が荒んだ追放者たちはせっかく再会しても、助け合うことができない。織春は人間不信の絶望に陥りながら、厳冬で食糧のない森で、必死に生き延びていく。

人間は人の間と書くけれども、まさに人が人の間で生きる意味を真正面から問い直す劇画。作品は物語として完結しているが、連載が途中で打ち切りになったらしい。そのせいで後半の展開が少々かけ足気味なのが残念であるが、メッセージはちゃんと伝わってくる。読み応えあり。

映画化したら面白そうな佳作。

・「世間体」の構造 社会心理史への試み
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社会心理学者井上忠司による1977年出版の古い本。阿部謹也らが「世間」論の火をつけたのは90年代だから、かなり先駆けて日本人特有の行動原理を論じていたことになる。「世間」論は2000年代に入って「空気」論と一緒になって再燃している。狭い国土と民族の同質性の高さがある限り、日本人は世間というものをずっと気にしていかざるをえないのかもしれない。

世間体とは「世間」に対する「対面・体裁」のこと。世間は極端を嫌う。なにごとも世間一般の例を基準にして「世間なみ」にしていれば、はずかしい思いをしなくてすむ。やりすぎると「世間ばなれ」「世間知らず」の変わり者扱いされる。

「この「世間なみ」に生きようとがんばるエネルギーが、わが国の近代化のひとつの精神的な原動力となってきたといっても、けっして過言ではあるまい。その反面、異端のもつ大胆なエネルギーが発揮されることは、きわめてまれであった。」

世間体とは恥の文化であり、人々は子供のころから、世間の人々に笑われないようにする「笑いの教育」を教え込まれる。世間に準拠してはずかしくない行動とは何かをすりこまれる。西欧では神の目が人々の行動を律した。神の意にはずれることは「罪」意識につながった。日本では世間の目と恥が人々の行動を律してきたという。

「いうまでもなく、西欧の人間観は、個人の<自律性>ないしは<自立性>に、たかい価値がおかれてきた。自己を内がわから律することができる<自律的人間>に、たかい価値がおかれているのである。それにたいして、他者の思惑によって自己の行動を律するような<他律的人間>の価値は、たいそうひくいものとみなされている。かれらのあいだでは、「罪の文化」よりも、「恥の文化」が劣るとされている理由である。」

日本人は、他者から見てほしい自己像と実際にに見られている(と感じている)自己像とが、たえずくいちがいやすい社会構造の基盤のうえに生きていると著者は指摘している。社会全体のモラルの高さと個人の自由な生き方は、トレードオフにならざるをえないということか。

「世間体」をおもんぱかって生きてきた人々の、<生活の知恵>からうまれた「笑いの教育」が、主体性の欠如という観点からのみとらえられるとすれば、その考察は、あまりに一面的にすぎるものといわなければならない。「世間教育」と同様に、ただ封建的なものとして一掃してしまってはならないなにものかが、この「笑いの教育」にはひそんでいるのである」

世間を(70年代においてですが)再評価する本だった。それから30年たったけど、かわらない部分もある。

・「空気」と「世間」
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/11/post-1117.html

・「空気」の研究
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/11/post-1115.html

・タテ社会の人間関係 ― 単一社会の理論
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/02/post-702.html

・世間の目
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/08/post-131.html

・神話が考える ネットワーク社会
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いま考えるべきキーワードが散りばめられた本だ。もう少し咀嚼整理されると読みやすくなると思うのだが、考えるための素材としてはこれくらいの全部入り感があったほうがいいのかもしれない。

正直書き方が難解で私には理解できなかった部分もかなりあるが、現代のネットワーク文化の本質に迫った議論を展開している、ような気がする本である。面白かったな。

著者は文化的な営みをすべて情報処理のプロセスとして見立てる。その上で、神話を「文化における情報処理の様式」ととらえる。ここでいう神話は、レヴィストロースの神話というより、日々生起している現代サブカルチャーやネットカルチャー(ニコニコ動画、2ちゃんねるなど)を指している。神話とはあらゆる"ネタ"だと思う。

1 神話はコミュニケーションを通じて「理解可能性」や「意味」、あるいは「リアリティ」といったものを提供するシステムだということ

2 神話は変換、変形、圧縮、置換といった操作を内蔵したシステムだということ。

3 時間にまつわる処理が本質的である

皆が共有している神話があると、コミュニケーションが活発になって、文化がどんどん進化するということである。「ネットワークを拡張する想像の力に対して、ネットワークを凝縮する象徴の力」。神話は同時代のさまざまな変換アルゴリズムに従って変容してきた。ここではサブカルチャーとネットカルチャーを題材に、この10年くらいの変容パターンが分析されている。

文学の分析の章ではこんなことが言われている。

「戦後日本の純文学の歴史において、これまで高く評価されてきたのは大江健三郎や三島由紀夫、中上健次といった作家である。簡単にまとめれば、彼等は古典的な文芸に遡り、その資源を現実の世界に二重写しにすることによって──つまり、自分自身の肉声を一度遮断し、古い集団言語を再利用することによって──神話を構築してきた作家たちだと言ってよい。<中略>それに対して、もう少し下の世代に当たる村上龍や村上春樹は、集団言語を組成する際に、古典に遡るのではなくむしろ市場の財の助けを借りた。」

これは文学評論だけでなくて、他の評論の分野ででそうかもしれない。特にネットワーク社会で起きていることは、新しいタイプの出来事であって、古い伝統社会の物語の枠では解釈ができなくなっている。伝統的な解釈をするマスメディアの評論家よりも、ブロゴスフィアやソーシャルネットワークで、受ける(売れる)物言いができる評論家が、Webの市場で人気が出る、というのと同じだと思う。

古い神話はもともとは口承でゆっくりと伝わってきたものだと思うが、ネット時代の神話は変換・変形・圧縮・置換のスピードも速そうだ。ライフゲームのように神話素同士が発火や消滅を繰り返し、何百世代を経過していく様子が、まるで生き物のように見える。そういう様子が、この本のいう「神話が考える」という状態のことなのかなあ。まだよくわからない。

・アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1040.html
この本が好きな人はこの本もどうぞという関係。

・あぶさん 96 さようなら90番
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懐かしい。あぶさん。

「さようなら90番」引退試合の巻ということで久々に読んだ。

そもそも、あの『あぶさん』はまだ続いていたのか!と感慨に浸りながら表紙を開く。

設定にはかなり無理がある。この漫画の連載開始は1973年だが、劇中のあぶさんも1年に1歳ずつ年を取ってきた。だから連載37年=選手生活37年、62歳の現役プレイヤーとしてあいかわらずホークスで活躍している。あぶさんの絵は還暦を過ぎているとは思えない若々しさ。両親も健在でピンピンしており、息子の引退試合を見に来るが、この2人は今何歳なのか謎である。

他の脇役たちも少々絵が若すぎる。仕方がないのだろう。もしも全員を爺さん婆さんとして描いてしまったら成り立たない。野球漫画で登場人物をたびたび死なせるわけにもいかないのでみんな長生きせざるを得ない。長期連載で登場人物は増えるばかり。破綻が見えたからそろそろ引退っていうことなのではないかと思われる。

96巻目のストーリー。予定調和的な引退試合で意外性もなにもないのだが、長年のファンはこういう展開を期待していたのだろうから、これでいいのだ、たぶん。昔のあぶさんを思い出せば、読者は目頭が熱くなる。

私は店頭でみて最終巻かと思って手に取ったのだが、現在も連載中で、最新号では二軍助監督に就任しているようだ。あぶさんの活躍はまだまだ続くということでほっとしたが、この96巻では引退直後の、何もやることのない平和な日々が読める。

あぶさん。日本で最も長く連載が続いているスポーツ漫画となったそうだが、作者の水島新司は1939年生まれで今年71歳。長寿漫画家による長寿漫画としてまだ10年、20年、30年と続いていってほしいなあ。そうそう、ドカベン スーパースターズ編も。

・0.25mmの極細ゲルインキボールペン。
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試し書きして軽く感動した。驚くほど小さな文字をくっきりと書くことができる。本当に米粒の上に字をかけそうだ。軸径Ф8mmの細さが握りやすくて、立ちながら小型のメモ帳に書くときにも使いやすい。

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取材インタビュー、ビジネス営業などで対面して話すときに、小さい字でコソコソとノートをとるのにもいい。何を書いているのか相手に判読不可能なサイズで文字を書くことができる。「(とは言っているが)不安そうな顔」だとか「(うっかりもらした)予算上限○○○万円」だとか。ま、相手の視力が実は3.0もあって読まれちゃっても私は知りませんがね。

ぺんてるのプレスリリースによると「女子中高生を中心とした極細ボールペン市場」があるらしい。

・新極細ゲルインキボールペン
「Slicciスリッチ」の導入コンセプト及びメディア展開を発表
http://www.pentel.co.jp/news/2007/070110_04.html

私は黒しか使わないが、カラーバリエーションは多数ある。

・ぺんてる ゲルインキボールペン スリッチ 15色セット 0.25mm BG202-15
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先日、未来の雑誌をテーマにしたイベントのモデレーターをつとめましたが、モデレーターであるが故に、あまりしゃべらなかったので、ここで続きを。

iPadの登場で相次いでAppStoreに雑誌アプリが配信開始されましたが、多くの電子雑誌は紙のメタファーにとらわれてしまって、つまらないと思います。そもそもiPadやKindleのコンテンツに「○月号」「○ページ目」という形式が不要だし、「ページをめくる」必要がないし、表紙があって目次があって本文が始まる、というリニアな構成でなくて構わないでしょう。

紙のページレイアウトはすべてのページが同じ面積であるという当然の前提で作られますが、デジタルコンテンツの場合は、

・動く
・インタラクティブに変化する(詳細ポップアップや移動)
・ユーザーが拡大縮小できる

といったデジタルの特性を活かした新しいレイアウトデザインが必要になると思います。
私がこれはいいなあと思うのが、

・Cool Hunting
http://www.coolhunting.com/ipad/
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のiPadアプリです。

Cool

海外のデザイナーたちが2003年にパーソナルなプロジェクトとして開始したブログ型サイトで、デザイン、テクノロジー、スタイル、トラベル、カルチャー、フード&ドリンクというジャンルで、ちょっとクール(小粋)なものをビジュアルに紹介しています。美しい写真+短い本文+リンクで記事はできています。動画コーナーと特集連載コーナー(mini documentariesと彼らは呼ぶ)が別にあります。

7000本を超える記事、月に180万ページビュー、55万人の訪問者があるという規模だそうですが、iPadアプリ化して一層注目を集めているようです。Pulse News Readerも似たようなレイアウトをとっていますが、ブログ的なコンテンツを読ませるインタフェースとして定着するかもしれないですね。

・iPAd ビジュアルなインタフェースでニュースやブログを読む Pulse News Reader
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/06/ipad-pulse-news-reader.html

・ガラパゴス化する日本
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「筆者は日本の独自性を否定するわけではない。むしろ日本の独自性は強みになる。ガラパゴス諸島に多くの観光客が集まるように、希少性は差別化要因になる。本書でガラパゴス化という場合には、過度の垂直統合ビジネスによるデメリットや閉鎖性を強調しているのであって、希少性、独自性を否定しているわけではない。ただ狭いガラパゴス諸島の中で独自進化していても仕方がない。世界に向けて、独自進化した種が生き延びていかないといけない。」

欧米のグローバル・スタンダードに合わせないと日本は没落してしまうぞという、私が嫌いな単純グローバリズム論ではなくて、日本は脱ガラパゴス化してグローバルのゲームのルールづくりに積極的に関わるべきだという内容の本。これは結構、納得だった。

米国もガラパゴス化しているが、日本と違って人口が増えており、どんどん拡大するガラパゴス諸島として繁栄できる。一方の日本は人口が多いからガラパゴスでやってきたが、これからは減少に向かう運命にある。必要な分野は脱ガラパゴス化や「出島」戦略で、状況の変化に対応しなければ生き残れない。

脱ガラパゴス化のキーワードとして以下の6つが挙げられている。

1 リーダーシップ
2 形式知化
3 ゲームのルールをつくる、ゲームのルールをかえる
4 水平分業、モジュール化
5 新興国における新しい生態系の構築
6 ハイブリッド化

産業界ではとりわけ3のルールづくりへの関与が重要なのだと思う。結局のところ、国際標準を決めているのは少数の権威者や専門家エリートたちの密室政治だ。日本の技術力は高いのに、政治に関与しないから、国際市場では取り残されてしまう。携帯、テレビ、医療、教育、会計などのガラパゴス化の経緯が紹介されている。

「国際政治学では、時にこのような人々のことを知識共同体(エピステミック・コミュニティ)という。そして、知識の「もっともらしさ」は、このエピステミック・コミュニティの了解事項として、生み出される場合が多いのである。日本における問題は、エピステミック・コミュニティに属する人々が、相対的に少なく、またこれらの人々が日本の政策決定と直接結びつく割合が少ないということである。」

一足飛びにそうした国際交渉のできる人材は育たないので、まずは日本初のインデックス(指標)やランキングを世界に発信してみてはどうかと著者は提言している。日本の得意分野であれば効果はあるのかもしれない。

で、なんにせよ英語力は必要である。

今年に入って楽天とユニクロは社内公用語を英語にすると発表している。極端だがこれはこれでベンチャーとしては英断なのではないかと思う。成功すればこの本で言う「出島」として機能するだろう。特に海外中心へ移行するユニクロは、社員のダイバシティも高めるらしいので(13年には社員の4分の3が外国人)相当本気だ。

・三木谷浩史・楽天会長兼社長――英語ができない役員は2年後にクビにします
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/810ee47297d49033c2a4b43a0a5216e0/page/1/

・<ユニクロ>新世界戦略 英語公用化...12年3月から
http://mainichi.jp/select/biz/news/20100624k0000m020123000c.html

隔離小屋

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・隔離小屋
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表紙の絵のごとく凄まじい小説。

「ここはかつてアメリカだった。渡し場があるのは横断に十カ月はかかる陸地、海から海まで広がる土地。それはかつて、地上で最も安全な場所だった。」

荒廃して死の地となったアメリカ。人々は海の向こうに脱出するために、ひたすら東の船着き場を目指して歩いていた。『怒りの葡萄』(ジョン・スタインベック)の未来SF版のような世界観だ。飢餓と暴力が蔓延して、生存さえ危い世界で、忌み嫌われる伝染病にかかったマーガレットは隔離小屋にひとり置き去りにされている。苦しい旅の途中で小屋に偶然立ち寄り、彼女と出会った若者フランクリン。数奇な運命の糸によって結びつけられて、2人は終末の世を生き抜いていく。

無政府状態と厳しい自然環境。あらゆるコミュニティが破壊されていく。盗賊につかまって奴隷として売り飛ばされるものもいる。脱出のための船はどこに着くのか。人々はいまや「アメリカから自由になる望み」を抱いて旅をしている。

荒れ果てたアメリカを彷徨うという点では、同時期に書かれたコーマック・マッカーシーの『ロード』を彷彿させる。『ロード』も『隔離小屋』も絶望的な状況ばかり描くが、『隔離小屋』のほうが、遠くに温かい光明が見えている気がする。ロードの親子2人はやがて死んでしまいそうだが、隔離小屋の男女2人はなんとか生き延びそうな気がするのだ。パンドラの箱をあけて底に希望があるかないか。これは読後感に大きな違いが生じる。

衝撃的なのがロードで、劇的なのが隔離小屋。

・ロード
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/09/post-831.html

・ブラッド・メリディアン
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/02/post-1165.html同じくコーマック・マッカーシー。アメリカの開拓時代の荒野も似ている。

・視覚デザイン
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「デザイナーには誰でもなれる。今は優れたパソコンソフトがあるので、ある程度のものは容易に制作できる。しかし、視る人にとって見やすいものであるかどうかは、別物である。デザイナーを目指す方は将来の基礎を作るために、ぜひ絶対基礎である視覚デザインを習得してほしい。」

視覚の原理、視覚デザインの歴史、視覚構成、視覚心理、デザイン基礎技法の5章からなる視覚の教科書。著者はデジタルクリエイターを育成するデジタルハリウッド大学でトップクラスの人気を誇る南雲 治嘉教授。

ラスコーの洞窟画からWebまでカラー写真の資料満載で図鑑のようだ。眼の構造や知覚の仕組みの説明から始まっている。視ることと視せることのベーシックを学生にわかりやすく伝える。

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「見かけはカッコいい作品でも、ベーシックがないと、どこか粗悪な匂いがする。また若いデザイナーが2~3年で壁にぶつかり、悩むことがある。多くの場合、その原因はベーシックの欠如である。結局ベーシックがなければ、前に進むことができなくなる。大きく育つ人材はベーシックができているものだ。」

この本にはデザインの具体的なの技術はのっていない。だから、これを読んでもデザイナーになれるわけではないが、こういった知識を学ばずに、良いデザイナーになることはできない。デザインにはどんな分野やキーワードが広がっているか、教養を育てる内容である。デザイン系の授業の副読本として重宝しそうだ。

教科書的であるが、視る人を笑顔にする、幸せにするのがデザインの仕事だという南雲先生のメッセージが秘められていて温かい。

・46年目の光―視力を取り戻した男の奇跡の人生
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/10/46.html

・視界良好―先天性全盲の私が生活している世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/07/post-616.html

・眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/05/post-380.html

・美を脳から考える―芸術への生物学的探検
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/06/post-777.html

・脳は美をいかに感じるか―ピカソやモネが見た世界
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-742.html

・形の美とは何か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005144.html

・美について
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005145.html

・デザインにひそむ〈美しさ〉の法則
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004944.html

・黄金比はすべてを美しくするか?―最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004272.html

・美の呪力
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005223.html

天地明察

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・天地明察
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江戸時代。日本初の暦をつくることに情熱を燃やした初代幕府天文方で囲碁棋士 渋川春海の生涯を描いた大傑作。天文学、数学、囲碁。計算と証明で「明察」をとることが好きな理論家が、いくつもの挫折を乗り越えながら、正確な暦法の確立という現実世界の難問に挑む。栄光と挫折、友情、ライバルとの戦い、恋、政治的駆け引き、経営やマーケティングの話など、読みどころが無数にあるが、実話ベースの時代小説とは思えないほど完ぺきに構成されている。ノリは軽めの文体で読みやすい。この作品自体が小説として奇跡的「明察」。面白すぎて眠れなかった。

主人公だけでなく、保科正之、水戸光国、関孝和などの歴史上の有名人たちの人物の解釈もなるほどなあと思わせる。ある程度、この時代に予備知識をつけてから読んだ方が深く楽しめるかもしれない。受験生にもおすすめ、といえるか。

著者の冲方丁(うぶかた・とう)はライトノベル作家でゲーム・漫画原作者でもある。

ゲームでは、

カルドセプト サーガのシナリオ
セガガガのシナリオ
シェンムーのシナリオ

を担当している。ゲームを知る人ならわかると思うが、ちょっと伝説的なゲームばかりだ。小説家としての成功の勢いで、ゲームの方面でも歴史に残るような大作を期待したい。
次回作として、本作でも重要な役割を担った水戸黄門こと水戸光圀を主役にした時代小説『光圀』を書くそうだ。発表が待ちきれない。2010年吉川英治文学新人賞、本屋大賞受賞作。

・tow_ubukataのコピー - 公式ウェブサイト
http://www.kh.rim.or.jp/~tow/index.html

・ぶらりずむ黙契録 - 公式ブログ
http://towubukata.blogspot.com/index.html

これは素晴らしいiPadアプリ、常用。"1ページ目入り"。

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iPadのニュースリーダー。任意のニュースサイト、ブログサイトを雑誌をめくる感覚でパラパラ(なんて音はしませんけど、ノリとして)読むことができる。仕事で求めている情報を探すというより、なにか面白い情報のウィンドウショッピングをしたいという人に向いている。

これまでiPhoneでBylineを使ってGoogleReader経由でブログやニュースをコンパクトな画面で読むことに慣れていましたが、Pulse News ReaderはiPadならではの、ビジュアルなインタフェースが素敵です。記事内の画像とタイトルを使ったインデックスから記事を選ぶ。まるで雑誌の表紙みたいです。これが素敵なだけでなくて使い勝手も良いのです。ニュースリーダーの新しいインタフェースになるのかもしれません。

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アプリ内から自分のGoogleReaderアカウントに接続して、ニュースソースをPulseに設定することができます。最大20個までなので、たくさん読む人には向きません。プリセットで海外のニュースがいくつか登録されていて、このラインナップも捨てがたいものがあります。

記事に画像がないサイトは味気ないので向いていません。デザイン系、アート系、フォト系のサイトめぐりはバッチリです。

Pulse

・水木しげるの遠野物語
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2010年は柳田國男の遠野物語100周年。

妖怪が得意の水木しげるが漫画化した全119話。古典をわかりやすく漫画で、というのは、杉浦日向子の『百物語』と似たコンセプトといえる、かな。

オシラサマ、河童、山男、山女、など遠野物語の妖怪・怪異譚が、それぞれ数コマから数ページという短編で次々に語られます。わかりにくい言葉には注釈もついているし、文章で読むよりずっとイメージが膨らみます。原点は古くて難しいですからね。

なにより妖怪=水木しげるの画風が最初に思い浮かんでしまう、ゲゲゲの鬼太郎世代にとっては、水木さんが誰よりも適任者だと思いました。

各話は数コマから数ページと短いのですが、水木調のオドロオドロしさが濃密で、決してあっさりしていません。学習・情報系というより、ちゃんとした味わえる作品系です。水木さん自身が、物語に登場するご愛嬌シーンも何度もあります。

それにしても、この百周年祭り、岩手県遠野地方の地域振興として力が入っていて、水木しげるの漫画をもとにしたアニメまで制作しているようです。遠野市立博物館限定で上映している客寄せ効果抜群でしょうね(一般にはそうでもない?)。私は夏休みの旅行で遠野に行ってみたくなっています。

遠野物語百周年
http://tono100.com/tono100/

水木しげるの新作アニメ『水木しげるの遠野物語』が完成!
4月24日リニューアルオープン「遠野市立博物館」にて限定上映開始
http://www.shopro.co.jp/news/100419/index.html


・妖怪談義
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/07/post-796.html

・遠野物語 森山大道
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/07/post-600.html

・ゲゲゲの女房
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/05/post-986.html

・ツキの正体―運を引き寄せる技術
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二十年間無敗伝説を持つ雀鬼 桜井章一がツキの正体を語る。(得体の知れないところのある著者だが、怪しさも魅力だったりして、つい何冊も著作を読んでいる)。

ツキや運には3種類があるという。

天から授かる「天運」
場所につく「地運」 
人が作りだす「人運」

天運は人間にはどうしようもない。地運はパワースポットに行けばよい。この本が教えているのは3つめの人運のつくりかただ。「考えすぎない」「気づいたら行動」「一つのことに集中しない」「見返りを求めない」「遊び心をもつ」「気分よく生きる」など、著者が勝負体験から学んできたことを説く。

野生のカン=直感を大切にしろ、どんなに経験を積んでも、知識と常識にとらわれないビギナーズラックの境地を目指せ、という極意は、考えても分からない、必死のかけひきや勝負事では、確かに真理な気がする。

「そもそも、ツキというものは、確率とか理屈を超えたところで起こっていること。それを理解するのは、理性ではなく感性の領域になります。頭ではなく、身体なのです。それだけに、言葉で説明することが難しいのは確かです。」

結局、ツキに意味を見出すかどうかは生き方の問題だと思う。

ツキに意味を見出す人は、サイコロで6の目が続けて2回でたら、今日はツイているから、次の目でも6が出せると考える。何回連続で6が出た後だろうと確率上は6分の1だ。そんなことは頭では分かっている。それでもツキに賭けて勝負する。それで勝てれば楽しさ倍増である。信じる人にとってツキには心理的エネルギーの源泉としてのロマンという意味と価値がある。

ツキを呼び込んだという思いは自信につながる。自分はツイてると思って幸せに生きるのは決して馬鹿で無知な生き方ではないよなあと思う。世界にツキの概念がない文化はないだろう。ツキは、きっとさらなる探究の価値がある。

・努力しない生き方
http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/04/post-1195.html

・発想をラフにお絵かきする太書き黒鉛ホルダー PILOT Croquis 6B
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デッサンやおおざっぱなメモ書きに適した太書き繰り出し式黒鉛芯ホルダー

芯の太さが4ミリ。プラスチックボディの回転繰り出し式。

ぶっとい鉛筆なわけだけれども、特にこの6Bという芯の柔らかさが、ビジネスで普段使いしているどの筆記具とも違う。おおざっぱなラフデザインをささーっと描きたいときに、向いている。逆に言うとこれでは細かい絵は描けないということでもあるのだけれども。

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4ミリ6Bの太さ柔らかさは描き出しやすい。硬い鉛筆と柔らかい鉛筆では出てくる発想や数が、後者のほうが多くて柔らかくなりそうだ。ひとつ気をつけないといけないのは、黒っぽく手や袖が汚れること。

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目の前にあったものを描いてみたが、もっと絵のうまい人なら、雰囲気がある、味がある感じになるはず。撮影して、パワーポイントに貼りつけたら、目をひくプレゼンになたたりするのではないだろうか。

・社会とは何か―システムからプロセスへ
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いま改めて「社会」とは何かを考える。

「社会の語が歴史のなかでどのようにして作られ、どのような課題に応えるものとして練り上げられてきたのか。その過程をたどりながら、社会の概念を鍛えなおすことが、本書のねらいであり、執筆の動機である。」

まずこの本は、戦争と革命の17世紀をこえて今につながる「社会」の概念を発明したホッブズ、スピノザ、ルソーらの古典的な社会の概念とはどんなものであったかを振り返る。社会契約論、一般意思と全体意思、ゲゼルシャフトとゲマインシャフト、死の権力と生の権力など初期の社会思想家たちの代表的な議論の変遷が説明されている。社会について基礎知識をおさらいした後で、社会科学と社会主義が語られる。前半は大学の社会学の授業みたいだ。わかりやすい。

そして、メインテーマは多様性の時代の社会論である。多様な文化、価値観を内包する社会では、これまで社会を存立させてきた約束事が成り立たなくなる。ルソーは全成員の意思の一致が可能としたが、現代では明白に不可能である。著者は、異質のせめぎあいによって進化していくプロセス、"複数性の社会"を見ていくべきだという。

「もし社会が、その内部に齟齬をかかえない等質的なシステムであったとすれば、それはやがて硬直化した制度と化し、内的なエネルギーを失っていくであろう。むしろ社会は多様性からなるプロセスなのであり、そこに生まれる軋轢や葛藤を共同で、あるいは個人的に解決しようと努力するからこそ、社会は尽きることのない活力を得ているのではないか。」

近年の"コミュニティ"という言葉の意味内容が拡散しすぎていて問題だと指摘している個所があった。なんでもかんでも"コミュニティ"のおかげにする風潮は、インターネットをめぐるネット上の言説でもしばしばそうである。社会、コミュニティ、共同体、公共圏などの一般化した言葉の本来の意味を再認識させられる有意義な本だった。

・音楽好きな脳―人はなぜ音楽に夢中になるのか
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認知心理学者、神経科学者であると同時にレコード・プロデューサーとしての異色のキャリアを持つ著者が、音楽を脳はどうとらえているのか、研究成果を一般向けにわかりやすく語る。クラシックだけでなくロックやジャズなどのポップスを研究材料としてしばしば取り上げている。ビートルズやストーンズ、ジミ・ヘンドリクやチャーリー・パーカーが脳にどういう影響を与えるかという本なのだ。

音楽の魅力はどこから来るのか?。それは脳にとっての予測可能性と意外性のバランスであると著者は答えている。

「音楽は、期待を体系的に裏切ることによって私たちの感情に語りかけてくる。このような期待への裏切りは、どの領域──ピッチ、音質、音調曲線、リズム、テンポなど──でも構わないが、必ず起こらなければならない。音楽では、整った音の響きでありながら、その整った構成のどこかに何らかの意外性が必要になる。さもなければ感情の起伏がなく、機械的になってしまう。たとえば、ただの音階は、たしかに整ってはいる。それでも、子どもが音階ばかりを飽きもせず弾いているのを聞けば、親は五分もしないうちにうんざりしてしまうにちがいない。」

ピッチ、音質、調性、ハーモニー、大きさ、リズム、拍子、テンポ。私たちは音楽の時間に、音楽の演奏や鑑賞に必要な要素は一通り教えられている。しかし、これらの科学的な意味や、認知心理学的に持つ意味は、知らないことばかりだ。

たとえば、楽器の音の先頭部分は楽器ごとに特徴的な音色を持ち「アタック」と呼ばれている。このアタック部分を取り除いて、その後の持続する音だけにしてしまうと、人間の脳は楽器を区別することができなくなってしまうそうだ。

人間は絶対音感がなくても、自分の好きな歌は、かなり正確なピッチとテンポで歌うことができるという実験結果も興味深い。ハッピバースデーなど"オリジナル"として決まったキーがない曲以外は、だいたいオリジナルキーで歌いだせるものらしい。

音楽の好みについての研究もある。人は十代の頃に聞いていた曲を懐かしいと思う曲、「自分の時代」の曲として生涯覚えているという話は納得。アルツハイマーの老人も多くは14歳のときに聴いていた曲ならば歌える人が多いという。幼いころに聴いた音楽が自分の文化で決められた正しい音の動きとして、脳がスキーマをつくりあげてしまうため、その音楽は特別なものになるからだそうだ。音楽の好みに関して、親の責任は重大なのだな。
この本、実験と研究で解明されたことがいっぱい示されていて面白いのだが、同時に音楽と脳の関係には未解明の要素が多いこともわかる。ま、音楽も絵画も美は、ちょっとはベールに包まれていた方が神秘的でいいのかもしれない。

・マン・オン・ワイヤー スペシャル・エディション
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2008年度アカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞受賞作品。

高級な深夜番組的映画で面白かった。

1974年8月7日。今はなきワールドトレードセンターのツインタワーの間、地上400メートルにワイヤーを張って、綱渡りをした男 フィリップ・プティの伝説の映像化。ビルに侵入して危険行為を行うわけだから、はっきりと違法行為。綱渡り終了後は即逮捕を覚悟で実行チームは動く。

警備員に見つからないように、1トンもの機材を建設中のビルに持ちこんで、屋上間にワイアーを張るという設営作業がまず大変。フィリップを支援する仲間たちは、メタルギアソリッドのスネークのように、警備の眼をくぐりぬけて、最上階を目指す。

フィリップの集中した顔はスフィンクスのようだと言った人がいるが、本当に芸術作品のように厳しく美しい。この顔を見るだけでも価値があると思った。やってることは軽犯罪なのだけれども、毅然としている。凛々しい。かっこいい。

そしてこの映画の本当の主役は、ワールドトレードセンターの上の綱渡りを人々が拍手喝さいで迎えた時代。フィリップの支援者にはビルの関係者もいたし、後のWTC会長もだまされていた。登場人物たちはみな牧歌的でどこか抜けている気がする。今だったらセキュリティが厳しすぎて、上る前にアウトであろうし、綱渡り後の風当たりだって優しくないだろう。

1970年代という綱渡り、の映画なんだなあ。

2010年6月24日
下記イベントに出演することになりました。

電子書籍ネタが多いなあ。

「デジタル雑誌の未来と新たなビジネスモデルの可能性」です!
開催内容は以下のとおりです。

<第一部> (18:30-19:00)
基調講演
「iPadで雑誌はどう変わるのか?コンデナストが考える未来戦略(仮)」
講師:
有限会社コンデネット・ジェーピー(コンデナストデジタル)
カントリーマネージャー 田端 信太郎 氏

<第二部> (19:10-20:00)
パネルディスカッション
「デジタル雑誌の未来と新たなビジネスモデルの可能性」
講師:
株式会社 富士山マガジンサービス
代表取締役 西野 伸一郎 氏

株式会社サイゾー
代表取締役 揖斐 憲 氏

有限会社コンデネット・ジェーピー(コンデナストデジタル)
カントリーマネージャー 田端 信太郎 氏

データセクション株式会社
取締役会長兼CIO 橋本 大也 氏

終了後、20:30まで名刺交換などのお時間をご用意しております。
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日 時:2010年6月24日

場 所:イベントスペース フォーラムエイト 1105会議室
東京都渋谷区道玄坂2-10-7 新大宗ビル8階(受付)
地図:

http://www.forum-8.co.jp/parts/img/access/img_map.gif

時 間:18時00分 受付開始、18時30分 スタート 閉場 20:45
参加費:3,000円
定 員:50名
(必ず参加申し込みをお願いいたします。申し込みなさらずに当日会場にいらしても
参加できませんのでご了承ください。)

※プログラムは予告なく変更する場合がございます。何卒ご了承くださいませ。

http://www.epub-port.jp/epublishing-cafe/98/

・神様のカルテ
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第10回小学館文庫小説賞、2010年本屋大賞2位受賞。

信州の小さな病院で働く若い内科医 栗原一止は、医者不足の地方医療の現場で、慌ただしい毎日を送っている。患者の数が多すぎて、ゆっくりと考える暇がない。徹夜勤務の連続で1年前に結婚した可愛い妻とも、なかなか会うことができない。医局へ進んだ仲間たちと違って、出世の道が開かれているわけでもない。それなりに充実を感じてはいるけれども、自分の選択は本当に正しかったのだろうか、確信は持てない。そんな栗原医師のもとに、上司のはからいで、大学病院で最先端医療を学ぶ道への誘いがくる。

軽やかさの中に、重たいメッセージを入れ込んでいる。

心を打つのは、昔ながらの「医は仁術なり」っていうメッセージだけれども、それを真正面から直球で投げても、現代の読者には重たすぎて受け入れられない。夏目漱石マニアの古風な文体で喋るユーモラスな主人公に代弁させるという設定が成功している。

漱石の『坊っちゃん』のように特徴のある登場人物ばかりがでてくる。主人公が心の中で彼らに勝手にあだ名をつけるのも同じだ。現代のテレビドラマのごとく、わかりやすいキャラクター小説である。案の定、櫻井翔×宮崎あおいで2011年に映画化が発表された。

最近の小説で言えば『昨日の神様』のようなテーマを、『夜は短し歩けよ乙女』のようなタッチで書いたとても今っぽい作風。この二作品が好きな人に特におすすめ。

・夜は短し歩けよ乙女 森見 登美彦
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/03/post-956.html

・昨日の神様 西川美和
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/12/post-1133.html

・キャラ化する/される子どもたち―排除型社会における新たな人間像
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著者によると、子供たちが恐れているのは、経済的な格差ではなくて、人間関係の格差だという。そして格差をつけない「優しい関係」を維持するために"キャラ"がある。ボケとツッコミのような役割をバーチャルに身にまとうことで、自分を守り、人間関係を安定させるのだ。

「若い人たちは、グループのなかで互いのキャラが似通ったものになって重なり合うことを、「キャラがかぶる」と称して慎重に避けようとします。それは、グループ内での自分の居場所を危険にさらすからです。しかし、グループ内に配分されたキャラからはみ出すことも、また同時に避けようとします。それもグループ内での自分の居場所を危険にさらすからです。一般に、芸人の世界はボケとツッコミの相補関係で成り立っていますが、彼らもまた、ボケ役とツッコミ役のように互いに補完しあうキャラを演じることで、人間関係の維持を図ろうとしているのです。」

自分の居場所を、世界を放浪して見つけようとした旧世代に対して、今の子供たちは居場所を人間関係の中にみつけようとしている。世界がネットワークでつながってしまって、結局、どこにいようと同じになったということとも関係があるかもしれない。かつては、インドに行って悟ることも価値があったが、今は携帯やメールがあって、煩悩も人間関係も世界中を追いかけてくる。

結婚や就職が困難になったということは、社会的に認められた役割の仮面をかぶることが難しくなったということでもあるだろう。旧世代だって仮面を被って安心していた部分はある。著者はここで内キャラと外キャラという区別を与えている。

「こうしてみると、人間関係における外キャラの呈示は、それぞれの価値観を根底から異にしてしまった人間どうしが、予想もつかないほど多様に変化し続ける対人環境のなかで、しかし互いの関係をけっして決裂させることなく、コミュニケーションを成立させていくための技法の一つといえるのではないでしょうか。深部まで互いに分かりあって等しい地平に立つことを目指すのではなく、むしろ互いの違いを的確に伝えあってうまく共生することを目指す技法のひとつといえるのではないでしょうか。彼らは、複雑化した人間関係の破綻を回避し、そこに明瞭性と安定性を与えるために、相互に協力しあってキャラを演じあっているのです。複雑さを縮減することで、人間関係の見通しをよくしようとしているのです。」

現代では対抗文化の消滅によって、それを共有して強いつながりを意識することができなくなったというの指摘もあった。ヒッピー文化にせよ、不良文化にせよ、エスタブリッシュメントに対する対抗という姿勢が、現代のフラットな若者文化には希薄である。かつてのボブ・ディランや尾崎豊みたいなわかりやすい存在が音楽シーンに見当たらない。仮面、キャラもまたロングテール化してしまったのが、現代なのだなあ。

・ClipboardProcessor
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/util/se426830.html

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作業ファイルに書き出すのが面倒だなあ。クリップボード内で処理できたらいいのに、と思うことが、プログラミングやデータ処理をしていると、よくある。行をコメントアウトしたい、データをカンマで分割したい、クオーテーションで囲いたいなどだ。

ClipboardProcessorはALT + SHIFT + ○ を押すという操作で、以下のような処理を行う。文章の編集でも使えそうだ。

CTRL+ALT+# 「シャープ(#)」を使ってコメントアウト
CTRL+ALT+R 「シングルコーテーション(\')」を使ってコメントアウト
CTRL+ALT+/ 「スラッシュ(//)」を使ってコメントアウト
CTRL+ALT+' 全行を「シングルコーテーション(\')」で囲む
CTRL+ALT+" 全行を「ダブルコーテーション(\")」で囲む
CTRL+ALT+( 全行を「パーレン(())」で囲む
CTRL+ALT+T 全行を「アングルブラケット(<>)」で囲む
CTRL+ALT+, 全行の行頭に「カンマ(,)」を挿入
CTRL+ALT+. 全行の行末に「カンマ(,)」を挿入
CTRL+ALT+W タブを「シングルコーテーションとカンマ(',')」に置換
CTRL+ALT+S クリップボードのテキストをファイルに保存
CTRL+ALT+F クリップボードにコピーしたファイルをファイル名に変換
CTRL+ALT+P クリップボードにコピーしたファイルをファイル名(絶対パス)に変換
CTRL+ALT+U クリップボードにコピーしたファイルをファイル名(UNCパス)に変換
CTRL+ALT+G ファイル名(絶対パス)をファイルに変換してクリップボードにコピー
CTRL+ALT+L メールなどで複数行に改行されてしまったパスを一行に編集
CTRL+ALT+O クリップボードのファイル名(絶対パス)を全て開く
CTRL+ALT+Q クリップボードのテキストをキューに読み込み
キューの使い方
CTRL+[+] キューの次の行をクリップボードに書き出し
CTRL+[-] キューの前の行をクリップボードに書き出し


面倒な作業を瞬速で行えるツールを、たくさん知っておいて、すぐ使えるようにしておくというのは、情報力の基本だなあ。

・FRINGE / フリンジ 〈ファースト・シーズン〉Vol.1
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海外ドラマ。やっとファーストシーズンを制覇。これはXファイルの再来といえる。っていうか、超えたかも、面白かった。

主に人体に生じる超常現象事件を捜査するFBIと天才研究者のストーリー。

モルダーとスカリーの代わりに、今回はFBI捜査官オリビア・ダナムと、マッドサイエンティストのピーター親子3人が主役。

「「フリンジ・サイエンス」 とは?
非主流科学、疑似科学。研究者が 「科学」 であると主張しているものの、現時点では科学として認められていないもの。例えばサイコキネシス、テレポーテーション、マインド・コントロール、幽体離脱、予知、透明人間、死者の蘇生・・・など。

「FRINGE / フリンジ」 が熱狂的に支持される背景には、これらの世界中で発生している不可思議な現象が、"パターン"と呼ばれる人類を実験台にした巨大な陰謀であり、主人公たちが科学を用いて事件の謎を解明し陰謀に迫る、というリアリティにあるのだ。」

パイロット版の第1話は製作費10億円!。「LOST」 のJ.J.エイブラムスが放つ超大作ということだけれども、実は映画並みに長い第1話は、作りこみの気合が入っている割に、他の話ほど面白くないのです。第2話以降でだんだん面白くなっていきますので、何話か続けて見ることをおすすめします。

・FRINGE / フリンジ 〈ファースト・シーズン〉コレクターズ・ボックス
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謎が謎を呼ぶ展開はXファイルと同様ですが、Xファイルの不満は一向に謎が解明されないことでした。フリンジは物語が進むにつれて、謎がそれなりにわかっていきます。それが個人的に、満足度が高いのです。

米国では視聴率ナンバーワンになったりと大ヒット。ドラマ内に登場する巨大企業のマッシブダイナミック社のサイトや、謎に関連するサイトが本当に作られていたりして、ネットでも話題になっています。

・マッシブダイナミクス社
http://www.massivedynamic.com/

ノート研究中。

MIDORI/ミドリ スパイラルリングノート A5スリムサイズ 砂漠ラクダ柄 無罫クラフト紙


カフェで一人ブレストするときに似合うラクダ色のタテ長のノート(タテでもヨコでも使えるそうですが、アイデア出しなら断然タテでしょう。)。白ではなくて、砂漠・ラクダ色のクラフト紙は、いつもと同じペンを使っていても、書いた文字がどこか違った印象になるのも気分転換にいいです。

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綴じに余裕のでるリングノートなので、ページに雑誌切り抜きなどを貼り付けて厚みが加わっても問題なく使えます。白ではないので透けず裏ページの利用も大丈夫。それからこのA5スリムは、上着のポケットに突っ込むことができるサイズ。ちょっと持って出るのに便利。

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一緒に買ったのが縦長なノートに合わせて、背が高くて独特のシェイプのFisher Fine Point R84Fという輸入ボールペン。国内メーカーにはないデザインで、ポケットにさしていると異様に長いノック部分が目立ちます。

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・ツイッターノミクス TwitterNomics
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誰かに「ウッフィー、どお?」と挨拶代わりに聞かれるようなら、ウェブ2.0世界でしっかり受け入れられている証拠。「ウッフィー」の感覚こそ、ウェブの中でお金より価値がある通貨であり、ソーシャルキャピタルの指標である。そのためには、ネットのコミュニティで好かれること、つながること、一目置かれることを意識しなさい、というWeb戦略の本。企業とコミュニティの関係について非常に啓蒙的な内容。

ウッフィー・リッチになる原則として著者は次の5つのリストを繰り返し示す。

1 大声でわめくのはやめ、まずは聞くことから始める
2 コミュニティの一員になり、顧客との信頼関係を築く
3 わくわくするような体験を創造し、注目を集める
4 無秩序もよしとし、計画や管理にこだわらない
5 高い目標を見つける

企業がツイッターやフェイスブック、ブログをどう使うべきかという本ではあるが、各ツールについての本ではない。それらを使っていかにウッフィーを増やすかを論じる。増やすべきはビジター数でも売り上げでもないというのがポイントなのだ。もちろん何らかの指標は参照しなけれなならないが、

「たとえば、さきほどの「助け合いの文化」ということで言えば、新規登録会員の数はさほど意味を持たない。だが、既存会員が紹介した新会員の数なら、意味がある。こちらの数字は、既存の会員がサービスに満足しており、友達を誘ってもいいと考えていることを表わすからだ。」

というように、他にも多くのサイトの達成度とすべき指標が挙げられている。旧タイプのウェブマーケティングをやっている会社はまず読むべきだ。

「ソーシャルキャピタルは大きく二種類に分けられるという。第一は、ボンド・キャピタル。密着型の関係から生まれるソーシャル・キャピタルで、家族や親しい友人などとの信頼と愛情で結ばれた深い絆が、これに該当する。生きるか死ぬかの瀬戸際で頼りになるのは、これだ。ボンド・キャピタルは、生活をするうえでも、また心の安寧を得るうえでも、欠かせない。これに対して、ブリッジ・キャピタルは、広く社会における対人関係から生まれるソーシャルキャピタルである。 これに対して、ブリッジ・キャピタルは、広く社会における対人関係から生まれるソーシャル・キャピタルである。均質な環境から外に目を向け、新しい人と知り合って信頼を獲得するとき、ブリッジ・キャピタルが生まれる。パットナムによれば、ブリッジ・キャピタルは「これまで接触のなかった外の世界とのルートをつくり、情報を発信する」のに役立つという。ブリッジ・キャピタルは社会の潤滑剤であり、「懐を拡げ、持ちつ持たれつの関係作りをする働きがある」」

日米のソーシャルネットワークを見ていると、どうも米国の方がブリッジキャピタルが充実しているように思える。日本はリアルな学校や会社の仲間とつながってクローズドな日記を見せ合うが、米国ではそれに加えて積極的に外にネットワークを拡大している人が多いように見える。米国のフェイスブックの、グーグルに迫る勢いは、一般的信頼性が高いコミュニティのウッフィーパワーによるものなのではないかと思った。

・「分かち合い」の経済学
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競争原理ではなく協力原理こそ、現在の経済危機を乗り越える思想であるとする、新自由主義批判と再生ビジョンの提示。民主党に強い影響力を持つといわれる経済学者 神野直彦教授著。

「これまでの大量生産・大量消費に代わって知識社会では、知識によって「質」を追求する産業、より人間的な生活を送るために必要なものを知識の集約によって生み出していく産業、すなわち知識産業が求められる。それと同時に、人間が機械に働きかける工業よりも、サービス産業という人間が人間に働きかける産業も主軸を占めるようになる。」

農業社会から工業社会を経て知識社会の時代が来る。知識社会の創造の原理には「奪い合い」よりも「分かち合い」が有効であるという主張がある。創造的な場は、競争だけではつくれない。知識は共有することで深まる。日本は国際比較でみると、対人信頼感がかなり低い社会であり、情報や知識の流通がうまくいっていない。

「知識に所有者を設定して、市場で取引しても、知識による知識産業は効率化しない。真理を探究する知識人にとって、真理を探究することそれ自体が喜びであり、インセンティブとなる。知識は他者と共有し合うオープンな集合財と考えるほうがよい。知識へ支払われる報酬を目的として他者を蹴落とすような虚層が繰り広げられるような社会では、知識産業は活性化していくことはない。」

グーグルとかIDEOとかザッポスとか、知識を成長の源泉にしている会社の組織風土は、知識の共有と協力関係をベースにしている。そのうえで切磋琢磨の競争が遊ばれる。市場にまかせると経済は最適化されるが、人間関係は最適化できないということなのだろう。

「「市場の神話」では人間が他者と接触するのは、他者が自己の利益になる時だけであると信じ込ませようとする。市場における契約関係とは、まさに他者が自己の利益になると、双方が思った時に成立する。ところが、他者の利益は自己の利益であると人間が考えるようになると、「市場の神話」は成立しなくなってしまう。他者の利益が自己の利益だという原理は協力原理と言う「分かち合い」を支える論理である。協力原理は「仲間」の形成によって成立する。つまり、「私」の利益ではなく、「われわれ」の利益を求めるようになるからである。」

インターネットのことは触れられていないのだけれども、読めば読むほど、これはネット時代の知識創造原理であると思う。

次世代メディアセミナー The Future of Digital Contents 第三回 『キミはエンゲルバートを知っているか』
http://www.ovallink.jp/event/digital_publish3.html

こんなイベントを企画しました。当日はナビゲーターをつとめます。

コンピュータを人間拡張のメディアとしたダグラス・エンゲルバート
マウスの父ダグラス・エンゲルバートは、1960年代アメリカ西海岸で活躍したユーザ・インタフェースの研究者である。彼は知の増幅装置としてのコンピュータを、アラン・ケイよりも早く予見していた。
エンゲルバートは、コンピュータを人工知能のような人間の代替物としてではなく、人間を拡大して力を与えるものだと考えた。人間拡張としてのコンピュータ。その試みは、現在「集合知」と呼ばれる概念へと接続している。

次世代メディアセミナー The Future of Digital Contents 第三回では、2010年代のメディアの進化を、そのルーツのひとつであるカウンター・カルチャーにまで遡り、俯瞰する。

「パソコン創世『第3の神話』」
ジョン・マルコフ著、服部桂訳『パソコン創世「第3の神話」―カウンターカルチャーが育んだ夢』NTT出版、2007.
本イベントは、この書籍の影響の元に生まれた。事前に入手して読んでおくと、よりイベントを楽しむことができるだろう。

講演者:
服部桂氏(『第3の神話』翻訳者/朝日新聞社)
暦本純一氏(東京大学大学院情報学環教授/Sony CSL
ナビゲーター:
江渡浩一郎(産業技術総合研究所研究員)
柴村しのぶ(Wikiばな代表)
橋本大也(オーバルリンク代表/デジタルハリウッド大学教授)

各自が30分ずつ講演者自身のポジションから「エンゲルバートが現在に与えた影響」についてご講演いただき、その後1時間程度の全員参加のパネル・ディスカッションを行う予定です。

【概要】
■日時:2010年6月28日(月) 19:45開場(20:00開演)
■場所:デジタルハリウッド大学 メインキャンパス(秋葉原ダイビル7F)
千代田区外神田1-18-13 秋葉原ダイビル7階
■定員:100名
■会費:3000円、デジハリの学生は無料
■参加方法:下記お申し込みフォームより登録してください。どなたでも参加できます。
http://www.ovallink.jp/event/digital_publish3.html

■主催:先端研究集団オーバルリンク&デジタルハリウッド大学・大学院

■電子出版化協力:富士山マガジンサービス

■企画:江渡浩一郎、柴村しのぶ



【タイムテーブル】

20:00 開会

20:00~20:10 企画者による『第3の神話』の解説(10分)

20:10~20:40 服部桂「カウンターカルチャーとコンピュータ文化」(30分)

20:40~21:10 暦本純一「人間の拡張:エンゲルバートから未来へ」(30分)

21:10~22:00 パネル・ディスカッション、質疑応答(50分)

22:00 閉会



【参加者のプロフィール】

朝日新聞社ジャーナリスト学校主任研究員 服部桂氏@xirott

服部桂インタビュー

1951年生まれ。早稲田大学理工学部で修士。1978年朝日新聞社入社。1987年より2年間、MITメディアラボの客員研究員。科学部記者、「ASAHI パソコン」副編集長、「paso」編集長、「DOORS」編集委員、デジタルメディアプロデューサー等を歴任。著書に「人工現実感の世界」「人工生命の世界」「メディアの予言者」。訳書に「ハッカーは笑う」「人工生命」「デジタルテレビ日米戦争」「デジタル・マクルーハン」「パソコン創世『第3の神話』」等がある。



東京大学大学院情報学環教授 暦本純一氏@rkmt

http://lab.rekimoto.org/members-2/rekimoto/

1961年、東京生まれ。1986年、東京工業大学理学部情報科学科修士課程修了。NEC、アルバータ大留学を経て1994年、ソニーコンピュータサイエンス研究所の研究員に。1999年、同研究所インタラクションラボラトリー室長。2007年より現職。理学博士。ヒューマンコンピュータインタラクション全般、特に実世界指向インタフェース、拡張現実感、情報視覚化、ネットワークインテリジェンス等に興味を持つ。研究成果の一部がプレイステーション3用ゲーム「THE EYE OF JUDGMENT」(CyberCodeによる拡張現実感)や「みんなの地図2」(PlaceEngineによるWiFi位置認識)などに利用されている。主な受賞歴に2003年日本文化デザイン賞、2007 年ACM SIGCHI Academyなど。



江渡浩一郎@eto

http://eto.com/

オーバルリンク理事。独立行政法人産業技術総合研究所社会知能技術研究ラボ研究員。1997年、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。2010年、東京大学大学院情報理工学系研究科創造情報学専攻博士課程修了。博士(情報理工学)。ネットワークを用いた共同での創作活動を研究テーマとする。コラボレーションシステム「qwikWeb」を開発運用している。著書に「パターン、Wiki、XP ― 時を超えた創造の原則」(技術評論社)。



柴村しのぶ@freedomcat

http://www.freedomcat.com/

オーバルリンク会員。2004年よりWikiばなを不定期に主催。



橋本大也@daiya

http://www.ringolab.com/note/daiya/

オーバルリンク代表。データセクション株式会社取締役会長。起業家、ブロガー。デジタルハリウッド大学教授。多摩大学大学院客員教授、早稲田情報技術研究所取締役などをつとめる。著書に「情報力」(翔泳社)「Web時代の羅針盤213冊」(主婦と生活社)「アクセスを増やすホームページ革命術」(毎日コミュニケーションズ)などがある。



【ご案内】

公式ハッシュタグは #ovallink です。

公式Twitterアカウント @ovallink より最新情報を提供する予定です。

会場からの実況中継(tsudaり)をしていただける方を募集しております。備考欄にてお知らせください。



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本イベントはデジタルハリウッド大学・大学院のDHGSアカデミー教育活動の一環として開催しています。


・ネオ・デジタルネイティブの誕生―日本独自の進化を遂げるネット世代
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国内大規模定量調査によって、若年層の情報摂取行動を調べたという、日本版デジタルネイティブ研究報告。日本のデジタルネイティブを3つの世代に区分している。76世代、86世代、そして96世代=ネオ・デジタルネイティブだ。各世代のわかりやすい対比が面白い。たとえば、

76世代:PCで書く、ケータイで読む
86世代:ケータイで書く、PCで読む

という違いがあるそうだ。全般的に上の世代がパソコンでやっていることを下の世代はケータイでやっている傾向がある。もっともこれは、パソコンの所有率とも関係があるのかもしれないが。

情報行動だけでなく、コミュニケーションのスタイルも異なっている。

「まず76世代は、「他人にあまり影響されずに自分らしい生き方をすることがカッコいい」「世の中が言うことよりも自分の情報のほうが正しい」「社会がなんと言おうと自分だけの価値観が大切」といった考えを持つ傾向があります。一言でいえば「自分流」となります。 一方、86世代は、「自分だけの考え、信念を貫き通すのはカッコ悪い」「一人で生きているわけではないので我を通すのはおかしい」「社会があるからこそ自分も生きていける」「周りの人ともっと絡もうよ」といった感じで、"社会との調和""他人との調和"を重んじます。「自分流」と対照的な「調和型」です。」

86世代からは我を通す生き方をしなくなったという。そういえば、70年代には強かったツッパリ不良文化みたいなものも目立たなくなった気がする。そして76世代はネットで「世界とつながる」のに対して86世代は「身近とつながる」。クローズドで心地よい人間関係をつくることに魅力を感じているようだ。

若い世代ほど一般的信頼性が高くなっているという調査結果が出ていた。つまり赤の他人を最初から信頼しやすいということだが、ネット上の顔の見えないコミュニケーションにおいて、この性格は重要なのだろう。同世代に自分勝手に我を通す人が少なくなったという話とも関係が深そうだ。

電通総研と東大の先生による共著。日本のデジタルネイティブの独自の進化がよくわかる。76世代と86世代の話が多くて、タイトルにあるネオ・デジタルネイティブ(96世代)の実態はまだデータが少ないのだが、何かが変わろうとしているという予兆を知ることができる。

・モードとエロスと資本
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モードやファッションの激変を通して現代社会の消費行動を読み解く。

まずオトコとオンナの欲望の消費スタイルが大きく変わったのだという。

「資本主義と手を携えていたモードは20世紀までは恋愛の物語をエネルギーとしてそのサイクルを回転させていたが、資本主義の行きすぎに伴って、「面倒くさい」性愛を代行するビジネスが出現し、服を売るための過大な恋愛幻想が逆に本物の恋愛を遠ざけていき、結果、モードから恋愛の要素が薄まっていった。」

私が大学生の頃、トレンド雑誌には、クリスマスはドレスアップして、高級レストランで食事して、高級ホテルに宿泊なんて、大学生らしからぬ恋愛幻想がバブル経済によって、広められていたが、不況や男の草食化によって恋愛とモードの蜜月関係が崩れた。

「エロスが抜け落ちた、あるいは薄まったモードは、「倫理的」になる一方、恋愛や性愛の要素をあまり伴わない。女性主体の「カワイイ」と「エロい」という二極世界とも手を携えていく。どちらの世界も、女性がモードの力によって現実を超えていくために、マニアックに追求されるが、求道的にその道を極めれば極めるほど、エロスは遠ざかっていくというスパイラルを生んでいる。」

そしてラグジュアリーブランドの指向性も変わった。20世紀の有閑階級は富の誇示をすべく消費活動を行ったが、21世紀には消費の動機は富の誇示から良心の誇示へ、環境への配慮、社会貢献といった「深み」を持つブランドが支持されるようになったと説明している。その一方で不況経済下で、ユニクロ、ギャップ、H&Mのような激安ファスト・ファッションが流行する。ブランドは大きな転換点を迎えている。

恋愛と切り離されたファッションはこれからどこへ向かうのか。ファッションと男女の恋愛と資本主義の変遷を分析した興味深い内容。

・日本文化論のインチキ
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『菊と刀』『甘えの構造』『中空構造日本の深層』『陰翳礼讃』『タテ社会の人間関係ー単一社会の理論』『共同幻想論』『空気の研究』などなど、名著、ベストセラーとされる日本文化論、日本人論の100冊以上をメッタギリにする痛烈な日本文化論・論。私も日本文化論は好きで、このブログでも多く取り上げてきたが、そのほとんどが槍玉に挙げられている。

なにがイケナイのか?。これは日本独自のものだというもののほとんどが外国にもある、そもそも文化の本質などという"ないもの探し"をするのがおかしい、という論旨で、多くの日本文化論をインチキと認定していく。

「要するに、西洋の歴史から何か普通名詞、つまりカテゴリーを作り上げ、それに日本の歴史を当てはめようとするのが間違いなのだ、と普通には考えられるが、実際はそうではなくて、歴史に法則性や、何か深い原因のようなものを探ろうとする行為自体に、非科学的なものが潜んでいるのである。」

高名な学者が専門とは別に日本文化論をやるケースも多いから、そもそも社会科学の理論としてはいい加減なものが多いのは事実だろう。安易な比較文化論にも警鐘を鳴らす。

「比較文化論というもののもう一つの落とし穴は、日本人が、西洋を一枚岩的にとらえがちなところにある。少しでも西洋文化をまともに勉強した人なら、西洋も国によってだいぶ文化が異なり、国同士であれこれと比較をして、他国をバカにしたりしていることを知っているはずだ。」

著者の言いたいことはよくわかるが、私はこれまで日本文化論を社会科学として読んだことがなかった。文化論と言うのは、血液型性格診断と似ているのじゃないかと思う。A型は几帳面で、と言われると、多くの読者がそうかもと思う。だから売れる。そして科学的根拠はなくとも、みんながそう思うと、そう行動するようになるという面がきっとあるだろう。

だから、日本人は勤勉で礼儀正しい民族で、日本語は曖昧で非論理的な言語で、日本の天皇制は海外に類例のないユニークなものだという日本文化論が人気が出れば、実際に人々はそう自己評価し、そうなるように行動するだろう。文化論は分析でなくオピニオンであり、その提唱者は研究者ではなくて、オピニオンリーダーそのものなのだと私は考える。であるから、インチキもトンデモもなくて、成功した文化論と失敗した文化論があるだけだと思う。

私はこの本は、科学的体裁を整えて信憑性を高める戦略に出たが失敗した(実際にはよく売れたから成功したという見方もできると思うのだが)文化論の指摘のように思えた。学術的価値の確認の仕方が参考になる。

日本文化論が好きな人はぜひ読むといいと思う。文化論について客観的、多面的な見方を与えてくれる。そして何より著者の歯に衣着せぬ現代思想家、評論家への攻撃が痛快である。

・きりこについて
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両親に「可愛い、可愛い」と育てられたので、本当は自分がすごいブスだってことに、なかなか気がつかなかった女子きりこと、IQが700もあって日本語を理解できる(でも、きりことしか話さない)天才ネコのラムセス2世の物語。大人のためのファンタジー。

きりことラムセス2世のコミカルな対話はふわふわしていて軽快なのだけれど、扱っているテーマは結構重たくて、人間にとって大切なのは何?ということ。人間は見かけじゃないというけれども、見かけで判断されるのも事実。人生が充実している人はいい顔になるのも真実。

この本の面白さであり、救いは、きりこの容姿は、人間社会では評価されなくても、猫の基準ではとても魅力的という設定。異なる感性を持つ人から見たら美人というのは、多様な価値観が出会うインターネットでは、大いにありだろう。

異性の顔写真を10段階評価して、他の参加者の平均点を知って、へえええ、と自分の美人感を見直す美人評価サイト Hot or Notを眺めていると、グローバル社会では美人っていろいろだなと気がつかされる。

最近見つけたHot or Not WarというiPhoneアプリは、こうして付けられた美人度数を使って、カードゲームにしている。PCとユーザーに5人の美女(または美男)のカードが配られるので、一番美人度数が高そうなカードを選択する。PCが選んだカードよりも自分のカードが強ければ1ポイント獲得である。

・Hot or Not War
http://www.hotornot.com/iphone-war/
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このゲームで、きりこの魅力を探そう(違うか)。

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