黄泉の犬

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・黄泉の犬
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この本には「入魂の」という表現がふさわしい傑作。

著者の藤原新也は60年代にインドを放浪し、処女作「印度放浪」で作家として世に出た。バックパッカーの元祖みたいな人である。この本は、その34年後に、著者が取材したオウム真理教事件への考察にむすびつけ、かつてのインド放浪を総括する形になっている。

「近頃の若者」と「熱く生きてきた俺様」を比べるのがオヤジの悪いところである。人生観、価値観は各世代や各人に固有のもので、評価軸が違うものを並べて、どちらが凄いと比較することは無意味だと思う。そういう話は時代錯誤で退屈なのが普通だ。

しかし、それぞれの評価軸で高い、低い、ホンモノ、ニセモノは歴然としてあると思う。この60代の著者の俺様論は、その評価軸上では圧倒的ホンモノだと思う。内容的には、近頃の若者はバーチャルで軟弱だ、俺様がこの目で見てきたリアルはこうだ、参ったか、と著者は言うのである。そのリアルは、私のリアルとは違うのだけれど、正に熱くてリアルである。

藤原新也は、自分で見てきたものしか信じない偏狭者だが、その代わり、人の何倍もよく見ている。インドでは人間がモノみたいにバラバラにされて火葬され、イヌに食われる様子をみつめる。火葬を手伝ってみたりもするし、自身がイヌに食われそうにもなる。経験を通して、人間は燃やすと60ワットくらいの光を出す、あれは黄泉の犬だぜ、なんてことをいう。そして、それが自分や時代にとってどんな意味や価値を持つかを考えている。

現代はネットで調べれば世界中の情報が簡単に手に入ってしまうバーチャルの時代だ。インドを放浪するより、アメリカへMBAを取得しに行く時代である。この本の中で藤原新也は、そういう近頃の若者ツトムと直接対決する。情報と感性の時代のツトムと、世界や人生に意味と価値を追い求めた著者の世代の対比が鮮やか。

藤原新也の世界は劇画的だなと思う。世界を描く線の数が多いのだ。あらゆることを意味や価値に結びつけて、自分の哲学の完成を追及している。いちいち深いのだ。反発を感じつつも、魅了される。

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このページは、daiyaが2007年2月26日 23:59に書いたブログ記事です。

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