陰影礼賛

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・陰翳礼讃
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谷崎潤一郎が日本の伝統美について語った古典的名著。日本的情感の本質をとらえたエッセイ。

難しい本なのではないかと少し構えて読み始めたが、意外にも、とてもわかりやすい内容でびっくりした。

「漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻り声さえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。」

「思うに西洋人のいう「東洋の神秘」とは、かくの如き暗がりが持つ不気味な静かさを指すのであろう。われらといえども少年のころは日の目の届かぬ茶の間や書院の床の間の奥を視つめると、云い知れぬ怖れと寒けを覚えたものである。しかもその神秘の鍵は何処にあるのか。種明かしをすれば、畢竟それは陰翳の魔法であって、もし隅々に作られている蔭を追い除けてしまったら、忽焉としてその床の間はただの空白に帰するのである。われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自ら生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである。」

「「掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり」と云う古歌があるが、われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。」

薄暗くて、清潔で、静かなところに日本の陰翳の美はあらわれる、というのが陰翳フェチの谷崎の主張である。

日本の古風な離れにある厠(トイレ)や茶室がそうした建築の代表例として挙げられている(この人は相当のトイレフェチで、この本には「厠のいろいろ」というエッセイも併録されているが、そちらでも排泄や便所そのものに相当のこだわりを見せている)。「もやもやとした薄暗がりの光線で包んで、何処から清浄になり、何処から不浄になるとも、けじめを朦朧とぼかして置いた方がよい。」という。

天に対して屹立する西洋の建築は光に向かう様式美だが、まず瓦や茅葺の大きな屋根を作ってその下に四隅の暗がりを作り出すのが日本建築の本質だと指摘する。暗がりの中に、薄ぼんやりと見えそうで、見えないようなのが日本の、わびさび的な陰翳の美なのである。谷崎はそれを礼賛する。

谷崎は抽象論にいかず、ディティールにこだわる。蝋燭の明かりに映し出された味噌汁って色がうまそうだろう、日本女性の身体のつくる陰って白人女性にはない隠微さがあるだろう、漆器や金蒔絵なんかも暗いところの方がきれいに見えるものだ、とか書いている。明るくて清潔で騒々しい部屋の生活に慣れた現代人が忘れかけている闇の中の美をずばり言い当てているのが凄い。

そして、その闇の中には何があるのかというと、何もないのである。神社の結界が張られた聖域の中が、からっぽな空間であるのに似ていると思った。そこに何かがあると感じる心性こそ日本文化を生みだした日本人の精神の本質ということなのだろう。

「味わい深いもの」を作りたい人は必読の名著だと思う。

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このページは、daiyaが2007年6月18日 23:59に書いたブログ記事です。

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