千利休―無言の前衛

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・千利休―無言の前衛
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路上観察家として"トマソン"を流行らせ、ライカ同盟結成でカメラオタクとしても著名だが、本当はまともな文学受賞歴もある異才 赤瀬川源平が書いた利休の芸術論。

このくだりがいいなと思った。

「つまり利休の時代の、芸術という言葉の確立していない未分化な汎芸術状態というものは、それを究めれば、先の気功師が示した見えないスイカ玉のようなものになるのである。その時代の茶人たちは互いに茶会を開いてもてなし、もてなされながら、その見えない玉を少しずつ大きくふくらましていったのである。それを右手から出し、茶碗に盛り、茶筅でふくらませて差し出す。相手もそれを右手から体に入れて左手から出し、それを両手に包んで鑑賞する。その両手にお茶室の各所に潜むち茶気とでもいったものが吸い寄せられて、また散らばっていく。そうやって互いの気を感じながら、「私のはもうこのくらいになりました」「そうですか私のはまだやっとこのくらいで」などという具合に、それぞれスイカぐらいの玉や、ミカンぐらいの玉を空中に描いて、そういう見えないものを見せ合っていたというのがお茶の世界にはあったと思うのである。」

あったのだろうか?(笑)。いや、あったのかもしれない。それが芸の本質なのかもしれない。この本はタイトルからして千利休の研究書であり、著者は映画「利休」のシナリオを担当したくらいなのであるが、実は千利休について専門家というわけではないそうである。むしろ千利休をネタに、こんな風に、赤瀬川流の超芸術論を展開している部分こそ、面白いのだ。

「<略> どんな入れ方であれ毎日繰り返すうちには、お茶の入れ方にある筋道ができて、リズムが生まれてくる。そのおこない自体が、目的を離れて、少し浮き上がってくるのを感じる。ただのお茶を入れるというおこないに「道」が出来上がっていくのが、何となく自分でもわかるのである。」

こういう心理って男に多そうだ。そして、路上観察家でクラシックカメラおたく赤瀬川源平そのものだ。男のつまらないこだわりや見栄を張るような心理が、芸術の発達と関係があるのだと、この人が言うのは大いに説得力がある。響いてしまうのである。

千利休は太閤秀吉に切腹を命じられて死ぬ。お茶の先生がなにゆえ切腹を命じられることになったのか歴史の真相は不明だが、男同士の嫉妬の感情が関係していたのではないか
という分析がある。そうしたこだわりは命をかけるほどのものなのだ。

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このページは、daiyaが2007年7月14日 23:59に書いたブログ記事です。

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