ダーウィン・アワード 死ぬかと思ったインターナショナル

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・ダーウィン・アワード 死ぬかと思ったインターナショナル
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とんでもなく愚かな死に方で人類の自然淘汰に貢献した人を表彰するのがダーウィンアワード。この世界一不謹慎な投稿企画は90年代にインターネットではじまった。

・Darwin Awards
http://www.darwinawards.com/

「たとえばダーウィン賞を受賞したテロリストは、手紙爆弾を送ったが料金不足で返送されてくると、なんとそれを開けてしまうという信じられないことをしでかした。またある男などは、ダイナマイトに火をつけて氷原に放り投げたところ、忠実な飼い犬がそれをくわえて戻ってきてしまい.....、これまた晴れて受賞の運びとなった。」

ダーウィンアワードの評価基準は次の5つ。

1 遺伝子プールから自分を抹殺すること
2 あり得ない判断力の欠如を示すこと
3 自業自得の死であること
4 まっとうな判断力を備えていること
5 裏の取れる事例であること

現在、このアワードをテーマにした映画も公開中。

・映画ダーウィンアワード
http://www.darwin-award.jp/

日本語書籍の編者は「死ぬかと思った」の林雄司氏。ライト感覚の死ぬかと思ったに対して、こちらは本当に死んでしまったヘビーさが特徴。笑っちゃいけないかもしれないのだが、おもしろい。

さて、ついでに私の最近の「死ぬかと思った」体験。

先日、私は生まれてはじめて胃カメラを飲んだ。医師から検査前に説明があったかもしれないのだが、全身麻酔になることを私は理解していなかった。ベッドに寝かされ準備が進められている間、「胃カメラは痛い」という噂を聞いていた私は結構、緊張していた。「これで喉が鈍感になりますから」という看護婦の説明で薬を飲まされた。部分麻酔なのね、と思い込んだ。

いよいよ検査が始まりそうな雰囲気になって看護婦から「では麻酔注射をしますね」というので、その意味を深く考えずに腕を出した。注射が嫌いな私はその間は上を見て数を数える癖がある。数を数えている自分が記憶の最後であった。

ふと気がつくと別の部屋のベッドに寝かされていた。時計が目に入った。検査開始から2時間近くが過ぎている。検査中の記憶がまったくない。なぜ記憶がないのか?検査は行われたのか?喉が少しおかしいから検査は終わったらしい?そうか全身麻酔だったのか?と一瞬のパニックの後に気がついた。

しばらくして看護婦さんが「気がつかれましたか?先生が診断結果をお伝えします」と伝えにきた。医師いわく「病気はみつかりません。いわゆる食べ過ぎですね。薬をだしておきます」とのこと。診断結果はよかったのだけれども、そんなことはどうでもよいくらい、自分の記憶が簡単に飛んだことに動揺していた。

最後の記憶はスーッとフェイドアウトするのではなく、プツッとテレビの電源が消されたかのように途絶えていた。何の覚悟も前触れもなく世界が終っていた。もし私が検査中に死んでいたら、どうだっただろうと考えてしまうのだ。私は目覚めることができたが、もしも死んでいたら、人生の走馬灯を見るまでもなく、あのまま終わっているわけである。

拳銃で頭を後ろから撃たれるとか、ミサイルの爆心地にいたという状況ではなくて、ふつうの睡眠中に「プツッと電源が落ちるような死」は訪れる可能性はあるわけだ。その場合、朝目覚めることがないわけだから、自分が死んだことを振り返ることもない。人生がそれで終っちゃうのである。死とはそういうことか、とはたと思って愕然とした。

激辛ラーメンの食べ過ぎに端を発した胃カメラ診察は私の死生観を変える大事件となった。死ぬかと思ったでもないし、死んでもいないのだが。みなさんもメメントモリ、気をつけてください。

このブログ記事について

このページは、daiyaが2007年12月14日 23:59に書いたブログ記事です。

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