ロボット

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・ロボット
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「ヘレナ、人間はいくらか気違いであるくらいでなければ。それが人間の一番いいところなのです。」

「ロボット」という言葉は、チェコスロバキアの劇作家カレル・チャペックの作品「R.U.R ロッスムのユニバーサルロボット」ではじめて使われた。発表は1920年のことだった。20世紀後半になると、ロボットという言葉は日常生活でも使われるようになり、モノとしてのロボットの実用化も進んだ。

チャペックが描いた最初のロボットは、きっとブリキのオモチャみたいなものだろうと想像していた。ところが、この作品に登場するロボットは、外観は本当に人間と見分けがつかないし、知性も人間同様に備わっている。機械というよりは人造人間といったほうが近い。

人間の労働を肩代わりするためのロボットの生産工場が作品の舞台である。人間に奉仕するはずのロボットたちが、やがて団結し主人である人間に反乱を起こす。工場設備をのっとり、自ら生産によって増殖するロボットの群れは、人間を次々に抹殺していく。ロボットという存在は、人間の脅威になりうるものとして描かれていた。

生き残った工場首脳部はロボットにみつからぬように逃げ込んだ部屋で議論する。われわれのせいなのだろうか?と。「あんたって人は結構なお方さ!生産の主人公が社長だなんて考えているのかね?そんなことなんて、生産をつかさどっているのは需要です。世界中が自分のロボットを欲しがったのです。われわれはただその需要の雪崩に乗せられていたのです。」

企業が倫理感を持たず市場の要求にこたえるだけの存在になると、技術が暴走して世界が破綻してしまうかもしれないという未来予想と警告の作品である。

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このページは、daiyaが2008年3月 9日 23:59に書いたブログ記事です。

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