とんかつの誕生―明治洋食事始め

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・とんかつの誕生―明治洋食事始め
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前にも書いたような気がするが、私はとんかつが大好物で、うまいといわれる店に食べに行くのが趣味だ。本屋で見かけてこりゃ読んでおかなきゃねと思って読んだら、お腹がすいて、その日は2食もとんかつになってしまった。

この本はとんかつの誕生というエポックメイキングを中心に、明治維新が日本人の食文化に与えた衝撃的な影響を丁寧に解説している。中盤までは明治維新がいかに料理維新であったかが語られる。とんかつの誕生の章は3分の2くらいのところでやっと出てくる。

天武天皇が675年にだした肉食禁止令以来、実に1200年間も日本人は一部の例外を除いて肉というものを口にしなかったそうだ。それが変わるのは、欧米諸国から開国を迫られ、近代化を余儀なくされた幕末のことだった。政府は西洋の肉食文化の輸入によって、日本人の体位の向上と体力的な劣等感の払拭を目指した。まずは明治天皇自ら肉食をデモンストレーションしてみせることから、洋食輸入がはじまる。

庶民は馴れない洋食を米飯にあうようにローカライズしていった。牛鍋(すき焼き)、あんパン、ライスカレー、コロッケといった現在の日本の洋食の原型がこの時期に生まれていく。しかし、それは簡単な道のりではなかった。先人たちの試行錯誤が紹介されている。

「『女鑑』(1904~05年〔明治37~38〕)にはカレーの味噌汁・牛乳入り汁粉・ハムの粕漬。刺身のマヨネーズかけ・マスタードつきのカバ焼き・牛乳入りのマグロぶつ切りが紹介されている。『紀伊毎日新聞』(1910年〔明治43〕)に、和歌山の宴会料理屋が、ハムの切り方がわからず、マグロの刺身のように分厚く切っている、と出ている。同じ頃の『婦人の友』には、牛肉吸物・牛肉酢味噌和え・牛肉飯・豚味噌汁・豚肉ぬた・豚肉刺身・豚肉茶巾絞り・豚肉飯・豚肉サラダがある。」

肉食解禁から60年の試行錯誤の時代を経過して、ようやく「とんかつ」が登場する厚いパン粉で厚切りの豚肉を揚げる調理法、生のキャベツの千切りをつけあわせにする工夫、ウスターソースの組み合わせも、欧米のカツレツにはない斬新な工夫であった。

「米飯は淡泊な味であり、さまざまな外国産の料理とも相性が良く、醤油や味噌の味付けにもなじみやすい。このような特色が、日本の食の多様性を可能にしたのだろう。」

米飯で食べるおいしさという方向性があったことで、日本ローカライズは成功を収める。かくして日本の洋食というジャンルが確立された。現在の日本人の食生活の約3割が洋食となっている。明治と比べて体位の向上も著しい。明治政府の料理維新は日本をまさに国家百年の計で大きく変えたのである。

とんかつとカレーライスはその偉業達成の象徴なのである。すばらしい。

で、最近、職場のある中目黒でうまいとんかつ屋をみつけた。一見すると古いビルの2F喫茶店風の内装で、大衆食堂のような雰囲気なのだが、味は一級のとんかつを出す。うまいので、値段はちょっと高めのメニューを頼もう(経験からすると1500円以下では本当にうまいとんかつは食べられない。)。塩で食べるロースがおすすめ。

・たい樹
http://www.tontei.com/taiju.html#menu

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このページは、daiyaが2008年6月11日 23:59に書いたブログ記事です。

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