津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇

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・津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇
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岡山県苫田郡西加茂村大字行重部落。昭和13年5月21日午前1時40分頃、農業 都井睦雄(22歳)は寝所から起きだすと、黒詰襟の服を着込み、足にはゲートルと地下足袋、頭に二本の懐中電灯をとりつけた。猛獣狩用猟銃を持ち、日本刀を腰に下げて、外に出ると、まず村の電線を断ち切り村を停電させた。世界的にも類例がないほどの単独犯による大量殺人事件の始まりであった。

犯人は最初に自分の祖母の首を斧ではね体に銃弾を大量に撃ち込んだのを皮切りに、次々に恨みのある家々を襲撃してまわり、深夜2時間ほどの間に村人30人を惨殺していった。何人かには逃げられたが、周到な予定通りの復讐を完了すると犯人は山に隠れて長い遺書を綴った(この本にはその全文も引用されている)。そして「もはや夜明も近づいた、死にましょう」と書き上げると自らの胸を銃で撃ち抜いて自殺を遂げた。

これは「八つ墓」のモデルとなった津山三十人殺し事件のドキュメンタリだ。捜査資料の精査と関係者へのインタビューを積み重ねて、事件の真相を解明していく。大昔の話とはいえ不謹慎を承知で感想を書くが、この本は読み物として最高レベルで面白かった。情報の整理と語りの順序が完璧で、物語のような進行感がある。よくできたドキュメンタリとはこういうものかと感心した。

前半は客観的な事実と村人の証言によって事件当日起きたことが明らかにされる。後半では丹念な取材情報を使って犯人の22年間の人生を振り返る。この二つのアプローチによって事件のリアリティが生々しく感じられる。事件は起こるべくして起きたのだと。

犯人は幼くして両親を亡くしたが祖母によって大事に育てられた。子供時代は優等生であった。しかし青年期からは病弱な体質と弱い性格が災いして、世間との折り合いが悪くなる。年を重ねるごとに内面に鬱憤を蓄積していく。村の女性達との関係悪化がきっかけで遂に心が決壊し、村人皆殺しの決意に至る。犯人自身が決行の前後に遺書を書いており本人の心情も明らかになっている。

「決行するにはしたが、うつべきをうたずうたいでもよいものをうった、時のはずみで、ああ祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ、二歳の時からの育ての祖母、祖母は殺してはいけないのだけれど、後に残る不びんを考えてついああした事をおこなった、楽に死ねる様にと思ったらあまりみじめなことをした、まことにすみません、涙、涙、ただすまぬ涙がでるばかり、姉さんにもすまぬ、はなはだすみません、ゆるして下さい、つまらぬ弟でした、この様なことをしたから(たとい自分のうらみからとは言いながら)決してはかをして下されなくてもよろしい、野にくされれば本望である、病気四年間の社会の冷胆、圧迫にはまことに泣いた、親族が少く愛と言うものの僕の身にとって少いにも泣いた、社会もすこしみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、実際弱いのにはこりた、今度は強い強い人に生れてこよう、実際僕も不幸な人生だった、今度は幸福に生れてこよう。」

犯人は自己中心的で弱い性格だが、数ヶ月前より周到に計画を準備し、犯行後も長文の遺書を書く判断力や冷静さを持っている。昭和初期だから舞台設定は今とは異なるものの、現代の、通り魔大量殺人事件の犯人らの精神構造と似通ったものを感じる。

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このページは、daiyaが2008年10月20日 23:59に書いたブログ記事です。

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