「歌」の精神史

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・「歌」の精神史
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日本人の叙情精神を「歌」という切り口で平家物語から現代歌謡曲まで通史的に振り返る。短歌や俳句も「歌」であるし、琵琶法師の平家物語や瞽女唄だって「歌」である。乃木将軍の辞世の句も、サラダ記念日も、浪花節や演歌、JPOPも歌である。

だからこの本は、こんな章立てだ。 幅広い。

・空を飛ばなくなった歌?美空ひばりと尾崎豊
・「短歌的抒情」の否定と救済?小野十三郎と折口信夫
・『サラダ記念日』の衝撃?斎藤美奈子と富岡多惠子
・浪花節と演歌?朝倉喬司と春野百合子
・『平家物語』の無常観?小林秀雄、唐木順三、石母田正
・吉川英治と『平家物語』
・挽歌の伝統と「北の螢」?古賀政男と阿久悠
・西行と啄木のざわめく魂
・道元と白楽天
・親鸞の「和讃」
・親鸞和讃と今様歌謡
・瞽女唄と盲僧琵琶?小林ハルと永田法順
・西條八十と北原白秋?日本的叙情

最後の転換期は美空ひばりと尾崎豊のあたりにあると著者は指摘する。

「私は美空ひばりの歌には、いつでも独特の悲哀感が漂っていたように思う。だが尾崎豊の歌には、苦しみと怒りの叫びがいつでもこだましていた。悲哀感は、それこそ「川の流れのように」人びとの胸の裡に浸透し、その内攻する心の扉の中に融けこんでいく。世代の垣根をこえ、誰にでもある観jこうの高ぶりや不安を慰撫して、それを鎮める役割をはたす。悲哀感とは、何よりも時代の感性を生みだす母胎のようなものではなかったのか。」

古の時代から昭和まで、日本人にとって「歌」とは「身もだえの調べ」が本質であった。琵琶法師の平家物語は時の流れに無常を嘆くわけだし、親鸞の和讃は自己の罪悪性に対する悲嘆でもあった。またかつて歌には魂鎮めとしての挽歌(死者を弔う)、相聞歌(愛の歌)という要素もあった。歌謡の底流には、寂寥感や喪失感から何かを嘆く叙情、生命の高揚感や無常観が流れていた。

湿っぽい歌を我々日本人はは長い年月、脈々と愛し、育ててきたのだ。

ところが現代では、湿った叙情に対する軽蔑、敵意さえ感じられるようになった。悲嘆や身もだえは現代の歌謡には、演歌をのぞいて見られなくなった。これは日本の1000年以上の長い歌謡史において、大変な変化であり喪失なのであると著者は結論する。

ユニークな視点で歴史資料を調べ、明解な解説をされていて、まさに歌の精神史として完成されている、よい本だ、面白かった。ただ現代のポップミュージックが本当に叙情を失ったかというと個人的にはちょっと疑問符だ。

私も、確かに昔の(自分が学生だった頃の)歌謡曲は良かったなあ、今聴いても泣けるなあと感じる。それに比べると最新のオリコンチャートのJPOPでは泣けない。悲哀感を感じない。

いまどきの歌謡の歌詞というのは、たとえば

"複雑にこんがらがった社会で組織の中で頑張るサラリーマン。安直だけど純粋さが胸を打つのです。知らぬ間に築いていた「自分らしさ」の檻の中でもがいてるなら照準を絞ってステップアップしたい。とはいえ暮らしの中で、今 動き出そうとしている歯車のひとつにならなくてはなぁ。"

みたいなものだ(ミスチルのマッシュアップ)。著者が言うように「言葉が、うたう対象と距離をおくように慎重に配置されている」ように感じる。なんだか冷静なレイアウトで叙情がないように思える。

ただこれで本当に泣けないかというとどうだろうか?。歌謡というのは同時代の大衆のもの(特に若者)であって、これを聴いて育った世代は結構、これで身もだえできるんじゃないのか?とも思う。実際、著者が叙情がないと指摘する尾崎豊の歌に、私は叙情をたっぷり感じられるのである。

歌謡の伝統は代々受け継がれてきたものであり、常に新しい世代の心を動かす歌が残ってきたのだろうから、1931年生まれの著者が、今の歌謡に響かなくても、大丈夫かもしれないと思ったりもする。まあ、それはともかく日本の「歌」の精神史として非常に興味深い議論の本であった。

・放送禁止歌
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001449.html

・案外、知らずに歌ってた童謡の謎
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003167.html

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このページは、daiyaが2009年9月 8日 23:59に書いたブログ記事です。

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