きことわ

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・きことわ
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第144回芥川賞受賞作。

母親が管理人をつとめていた葉山の別荘で、東京からやってきた七つ下の貴子の家族と過ごした二十五年前の少女時代を思い出す永遠子。

「にやにやと貴子が笑う。永遠子も、これはどっちの足だと、貴子の足をくすぐりかえす。貴子が永遠子の頬をかむ。永遠子が貴子の腕をかむ。たがいの歯型で頬も腕も赤らむ。素肌をあわせ、貴子の肌のうえに永遠子の肌がかさなり永遠子の肌のうえに貴子がかさなる。しだいに二本ずつのたがいの腕や足、髪の毛や影までがしまいにたがいちがいにからまって、どちらがおたがいのものかわからなくなってゆく。永遠子が貴子の足と思って自分の足をくすぐり、貴子も永遠子の足と思って間違える。」

分別がつくという言葉があるが、大人になるとは、自己と他者を分ける、幼い自分と別れるというプロセスといえる。"きことわ"はそれができていない未分化の、幸福な子供時代の状態だ。

「貴子は、自分が母親に会えないのは、母親にみられている夢の人だからではないかと思った。母親が起きている間貴子は眠り、貴子が起きている間母親は貴子の夢をみている。自分は夢にみられた人なのだから、夢をいつまでもみないのではないかと、それこそ夢のようなことを、とぎれとぎれの意識のなかで思っていた。」

時がすぎて永遠子は今、四十歳で小学生の娘もいる。解体が決まった別荘の片付けのため、葉山にやってきた永遠子は、今でも思い出のなかでは今もひとつに溶け合っている貴子と再会する。現在と過去、現実と夢が曖昧になる永遠子の揺らぐ意識は、ふわふわとしていて、時制さえとらえどころがない。

曖昧な意識、夢遊病みたいな感覚を味わえる。

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このページは、daiyaが2011年2月23日 23:59に書いたブログ記事です。

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