匪賊の社会史

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・匪賊の社会史
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中世以降の世界史における匪賊(ひぞく)=ソーシャル・バンディットの果たした役割を分析する本。1969年出版で、訳書がみすず書房から出ていたのが、このたびちくま学芸文庫から復刊された。匪賊は義賊とも訳される。

「義賊についての要点はこうである。彼らは領主と国家によって犯罪者とみなされている農民無法者ではあるが、農民社会の中にとどまり、人々によって英雄、あるいはチャンピオン、あるいは復讐者、あるいは正義のために闘う人、あるいはおそらく解放の指導者とさえ考えられており、いずれのばあいにせよ、称賛され援助され支持されるべき人々と考えられていたことである。」

匪賊の代表格はロビン・フッドやジェシー・ジェームズである。貴族強盗、復讐者、ハイドゥク、収奪者などの類型が示されるが、政府から見ると犯罪者なのだが、それなりの大義や主張、そして大衆の人気を背負って組織的に活動するアウトローのことである。抑圧的権力に対する反抗の姿勢を示し、正義を求めた闘争を戦い、貧しい民衆の味方となるのが、匪賊だ。

若き毛沢東も「梁山泊の英雄たちに倣え」と言って紅軍ゲリラを組織したそうだが、梁山泊は『水滸伝』のなかに登場する匪賊集団である。彼らは時に政府軍の兵士を殺したり、富める者から収奪を行うので犯罪者、危険因子という側面もある。基本は奔放な荒くれ者であるから、組織統制になじまず、社会革命の本流を担うには非力で、一時的な存在でもあった。

工業化された社会では匪賊は存在しえないため、もはや伝説上の存在に近い。だが匪賊の生きざまには、自由、ヒロイズム、正義の夢、無邪気と冒険という物語性に満ちていたため、小説や映画のようなかたちで現代においても語り継がれるケースも多い。

古今東西の匪賊の研究で明らかになる事実のひとつとして、その理想的な単位は二十人以下であったという分析がある。その理由は、「たいていの現地首領にとって大きな兵員を装備させることや、あるいは強力な個性が直接統制しうる範囲を超えて部下をさばくことが、基本的にはできないことを示すものである。」というものだが、ゲリラ闘争をやるなら、20人以下でやるべきというノウハウでもあるのかもしれない。

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このページは、daiyaが2011年3月 4日 23:59に書いたブログ記事です。

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