快楽なくして何が人生

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・快楽なくして何が人生
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「相撲取りが大食するように、精神を使って仕事する作家のような人間には、多くの快楽が必要と思います。私自身、人から快楽主義者といわれるような生き方をしてきました。」

故団鬼六の自伝的快楽主義論。腎臓が悪化して透析を拒否した75歳のときの著書。その後3年生きて今年の5月に78歳で永眠。才能に満ちたアウトローの無軌道人生はなんとなく知っていたが、本人の口から詳しく語られると、ゴクリと唾をのむ迫力。大学時代に仲間に大金を借りた相場に失敗して東京へ逃げ、ストリップ劇場の照明係として働くが、小説を書いたら一儲けすることができ、新橋で酒場を経営するも失敗して、再び夜逃げ。神奈川県の三崎の中学教師になって結婚する。落ち着くかと思いきや官能小説の執筆依頼にこたえているうちに、その道の第一人者となっていく。

「教師時代に「花と蛇」を再開することになる、それまでの花巻京太郎のペンネームを団鬼六に変えたのですが、別にペンネームにこれという意味はありません。団令子という女優が好きで、下からいくと昭和六年生まれの私、これからは鬼みたいになって団令子みたいな女を犯しまくる、といったところになりますか。」

教師時代には授業を自習にして教室の机で「花と蛇」の連載を書いていたという。

かつての恋人・愛人遍歴を実名を関係者含めて赤裸々に語る。何が不倫とか変態とかもはや一般の通念は通用しない。そもそも団鬼六は、学生時代に友人に彼女を寝取られるのだが「そして、このとき、私が感じたことは女性に口説きや振る舞いは必要ではない。一発、先にやってしまった方が勝ちだということです。 山の中でたった一発、セックスしただけで山田は私が四年間も真面目な交際を続けていた菊江の気持ちをかっさらっていったようなものです。」とここらへんに屈折の原点があったみたいだ。

快楽主義のむちゃくちゃな人生だが、文筆やプロデュースの才能があったため、団鬼六の人生は、作品への高い評価や有名人との交友による華やいだものになっていった。幸せな人だなあと思う。

2010年には団鬼六賞というのが創設されていて、第一回は団鬼六のSM小説の流れを組むバスガイド作家の作品『花祀り』が大賞を受賞している。追悼にと読んでみたが、いやー、これは文学というより完全に官能小説だった。『花と蛇』の流れはこの賞の周辺で受け継がれていくのかもしれない。

・花祀り
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「第1回団鬼六賞 大賞受賞作 京和菓子をモチーフに男と女、女と女が綾なす至福の官能小説。 京都に息づく秘めやかな悦楽・・・。 「濡れ場が手段になってはいけないと思うんです。目的であってほしいなと。ここを一番書きたかったんだ、という。その面では、『花祀り』の花房さんはこれを書きたかったんですよ、ヒヒオヤジたちに犯されていくところを」                     ―重松清・選考座談会より― 「官能小説っていろいろ書き方があると思うんですが、エンドレス、団先生の『花と蛇』みたいに永遠に終わらないというのが面白い。独特の世界。この『花祀り』も、終わらない感じがあるでしょう」                   ―高橋源一郎・選考座談会より― 「シットリ系エロの中で適度にバランスがよかったんですよ、濡れ場の配置が。官能としては、完成度はいいなと思いました。」 」

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このページは、daiyaが2011年5月25日 23:59に書いたブログ記事です。

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