鑑真

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・鑑真
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井上靖の『天平の甍』で鑑真がマイブームなわけだが、この本は、奈良時代に日本に仏教の戒律を伝えた鑑真とは、いったい何者だったかについて語る。鑑真は本当に中国で高名な僧だったのか、戒律とは何だったのか、日本にどんな影響を与えたのか。

鑑真は日本に渡ると決心してから10年間で5回に及ぶ渡航の失敗(多くは鑑真に出国してほしくない仲間の密告、そして遭難)ののち、失明するがなんとか日本に漂着する。そして日本にはじめて戒律をもたらしたというが、戒律という情報そのものだったら巻物を運んで来れば十分だったはずである。なぜ鑑真はこんな苦難を乗り越え日本に集団で来る必要があったのか。

それは制度そのものを日本に輸入しようとしていたということらしい。それまでの日本の仏教界では自分で誓うことで戒律を体得したと認められていた。しかし鑑真は三師七証という資格を持った10人の僧による正式な授戒が必要であるとした。だから日本に渡るのは一人ではダメだったのである。

戒律の内容というのがなかなか面白い。もちろん殺生をするな、うそをつくな、盗みをするな、や高尚な部分もあるが、僧侶の日常生活を細かく規定した部分もあって、たとえば排泄時にあまり力んではいけない、体力を消耗するから、とか大真面目に排泄の仕方がプロセスとしてつづられている。帰りにはちゃんと手を洗え、と。

日本人が舶来物をありがたがるのはこの頃も同じなのだ。鑑真の渡来によってその後の日本の仏教は大きく変わり、日本なりの仏教として進化していく。外国から入ってきた文化を、進んだもの、正しいものとして、ありがたがっていただくことで、自分たちの文化の発展のプロセスへに取り込んでいく。この雑食のしたたかさは、日本人の強さなのでもあるなあ。

・天平の甍
http://www.ringolab.com/note/daiya/2012/05/post-1651.html

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このページは、daiyaが2012年6月11日 23:59に書いたブログ記事です。

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