インターネット的

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・インターネット的
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コピーライター糸井重里が人気サイト「ほぼ日」の運営の中で考えたインターネット表現論。なにかネットで面白いことをやってやろうという人に考えるための材料としておすすめ。

著者が言う「インターネット」と「インターネット的」は違う。インターネットの新しさ、オモシロさの部分を「インターネット的」と表現している。だから、パソコンやThe Internetがなくても「インターネット的」なことはありうる。

インターネット的は、リンク、シェア、フラット、グローバルといった属性があるという、ある意味、当たり前の部分もあったが、表現者としてさらに本質に切り込んだ箇所があるように思えて、最後までいっきに読んでしまった。

■銀と毛、機械情報と生命情報

糸井重里氏は、さすがに言葉のプロであり、言い当てるのが難しいことを簡潔に表現してみせる。

未来人のイメージには毛と銀の全身服をきたやつがあるという話。

・ほぼ日 ダーリンコラム <銀と毛>
http://www.1101.com/darling_column/archive/1_0508.html
この部分はオンラインでも全文を読める


だいたい、テクノ音楽系のものが好きなやつは、銀。
ドクターペッパーが好きだったり、
ゲームがすごく好きだったりする人が多いわけ。
一方、毛のやつは、8ビート系というか、
言葉づかい乱暴だったり、飲み物でもコーヒーとかお茶。

(中略)

たとえば、椎名林檎は銀を飾りにつけた毛、でしょうか。宇多田ヒカルは毛がついた銀かなあ。北島三郎は毛で、藤あや子は、うすい毛?パンチョ伊東さんは......これが、なんと毛なんですねえ。何言ってるんだ、オレは?

野球選手は、全体的に毛の人が多いんだけれど、イチローはけっこう銀系です。サッカーの中田英寿選手はかなり銀でしょう。飲み物でも、ビールは毛だけれど、ライトビールは銀ですよね。ごはんはもちろん毛だけれど、パンもけっこう毛。スナック菓子は銀です。


毛=野生度であり、「毛もの=獣」度のバロメーターなのではないか。それで毛の方が意味が豊かだから、「「ほぼ日」は、インターネットという、非常に銀に思われやすいメディアを、毛に使っていくという意志を持って作ってます。」とサイトの表現方針を説明している。

何かを感じて、それが毛であるとか、銀であるということは、私も直感的に判断できるが、それは生きている人間だから分かる意味作用の結果であって機械で判断するのは難しそうだ。

■WHOLEでつながる毛ものの世界

インターネット的な世界では、WHOLE(全体)で渡せる、つながることが魅力とも著者は言う。WHOLEでつながるというのは、機能だけで部分的につながるというのではなくて、全体でつながること。雑多な部分も含めて全人的につながるという意味だ。


一般的に「定義」された夫婦というものは、経済と性を共用する共同体ということになるのかもしれませんが、それで表現できるはずがないことは、誰もがわかっていたことでしょう。もっと、わけのわからない謎のような時間や経験が絡み合っています。

そのとおりだと思う。デジタル化した情報のつながりは、あまりに部分的だ。例えば最近流行のソーシャルネットワーキングサービスでは、恋人同士のA君とBさんを「恋人」という関係でリンクする。二人のデータは登録した趣味項目の2,3個でもつながっていると表示されるかもしれない。だが、そこまでである。

毛もの、ケモノ的な男女のつながりは、それだけではないはずだ。もっと有機的で全体的で、ドロドロしていたりして、とてもビットで表現できる情報量を超えている。大恋愛関係にある場合なら、リンクが切れたら、刺すの死ぬのの騒ぎになるかもしれないわけだ。割り切れないのだ。だが、そういった濃密で多重で全体的なつながりは、デジタル化された段階で、必ずそぎ落とされてしまう。

機械情報、デジタル情報が作ろうとしているのがセマンティックウェブだとすると、糸井氏が言いたいのは、生命情報の織り成す「毛ものウェブ」の方がインターネット的で面白いよということかなと思う。

■豊かな意味をひきだすもの

考えたこと。

生命情報の視点に立てば、銀の世界は意味作用が貧困な世界である。身体性だとか全体性だとか、情動やら情念やら、不条理やら、そういう人間の持つ、むせかえるほど濃密な意味が、先端デジタルエンジンでフォーマットされると抜け落ちてしまうと思う。糸井氏はそれを避けて、もっと豊かな表現を指向しているのだと読めた。

茂木健一郎氏の「クオリア」は毛の世界の情報の表現形式を言い当てた概念なのではないかと思う。それに触れた人間のこころは、化学反応を起こして、自分自身の内側から、新たな情報を生み出し始める。記憶を再構成して、A=B以上の全体的な世界とのつながりの意味を取り戻す。ちょっとした簡潔な言葉に、心から笑ったりするのは、まさにそんな現象だろう。

言うならば、どうしようもなく豊潤で、ある意味「エッチ」な毛ものに触れて、「意味をもよおす」ということだと思う。銀の世界の情報に私たち生物は、決してもよおさないのだ。銀の世界には、それを成立させる再生の場がないからだ。意味作用のためのエネルギーが弱すぎるということだ。もよおさないのはつまらないよ、と糸井氏は考えたのではないか。

近代化、デジタル化、IT化の流れの中で、私たちの表現が生命力を失っているとすれば、そういう意味作用発生の場とのつながりが薄れてきているからに違いない。毛の世界は、物が腐って発酵して匂いがムンムンするけれど、そのるつぼからは、新しい意味と差異が、再生して現れる場である。

ただ、ツールをスマートに使いこなして、かっこよくホームページをつくっただけでは、インターネットであって、インターネット的ではないから、インターネット的な感動をもよおさせることができない。

この本は、ネットの表言論として、本質に迫っている面白い作品だと思う。糸井氏のポリシーどおり「話すように書かれた」本だが、それをわかりやすく書評できない自分の技量の差がちょっと悔しい。

#最近、とあるコミュニティで、とある先生から、あなたはセンスは悪くないが、他人から意味作用をひきだす表現が下手という意味のことをずばり言われ、そのとおりだなあと自分の表現方法を反省。毛の表現方法を修行中。

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sinc :

毛もの的ニオイのするサイト
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このページは、daiyaが2004年4月 9日 23:59に書いたブログ記事です。

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