数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ

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18世紀中頃、ベルリン科学アカデミーの院長モーペルテュイは観察から

「自然の中に何らかの変化を引き起こすのに必要な作用の量は可能なかぎり小さい」

という原理を発見した。自然現象には無駄がない。最も単純な道を通って効果を生む。たとえば光は屈折させても点ABCの間の最短距離を進んでいくように見える。光は無駄な経路を避けて作用量を最小に節約しようと心がけているのだと結論した。世界は合理的に作られている。そこに世界の創造主としての神の叡智をみた。

我々が生きているこの世界は、ありえたかもしれない世界の中で、最も好ましい世界、最善世界である。ガリレオもライプニッツもこの世界は神によって創られたと信じていた。科学者の役割は神が創造をおこなうときに従ったルールを、人間が再発見することにほかならなかった。あらゆる自然法則を貫く最小作用の原理はキリスト教世界の形而上学と物理学を統一する大理論だとモーペルテュイは唱えた。

後に、最小作用の原理は数学的にも物理学的にも誤っていることが発見される。実現可能な一経路は、最小でもなく最大でもなく、アップダウンのある山上りの途中の峠のような停留ポイントに落ち着くと考える(停留作用の原理。)のが正しいことがわかった。

モーペルテュイの最小作用の原理は科学的には誤っていたわけだが、自然のはたらきには無駄がないという思想は、日常の経験的には共感しやすいものだと感じる。だから400年以上にわたって根強く残ってきた歴史がある。そして神と善の概念が切り離されても、現代社会の最適化の原理=最善の原理という考え方に通じるものだ。つまり現代では経済合理性が神になったということなのだろう。「神の見えざる手」というし。

力学と幾何学の関係性の本でもある。ビリヤード玉の運動モデルを使って、可積分系から非可積分系への移行、計算から幾何への移行とカオス状態の意味を説明する。ビリヤードの単純な運動モデルが、少し条件をひねっただけで、単純な計算が不能な、幾何的モデルに変貌していくのが面白い。

後半では最適化の精神を生物学、経済学、社会学の話題として展開していく。我々人間は理性を使って最善世界をどうつくるべきなのかという話になる。たどりつくのはデカルトの「仮のモラル」とにたもの。

「特定の理論を絶対視せず、科学が進歩してそれが使えなくなったら、新しい理論に乗りかえるように、よりよいモラルが見つかるまでの間、いわば「当面のモラル」でやっていくのだ。いいかえると、科学だけでなくモラルにおいても、わたしたちはすべてを包含する決定的な真理には到達していない。」。

著者は考えられる限り、これが一番賢明な方法じゃないかという。合理的精神と科学の方法論こそ最善であるという科学者の強い意見表明で終わる。合理性信仰の流れを肯定的にまとめた400年間の歴史書だ。

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このページは、daiyaが2010年4月 4日 23:59に書いたブログ記事です。

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