こうして世界は誤解する――ジャーナリズムの現場で私が考えたこと

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"最も影響力のある国際ジャーナリスト40人"に選ばれたこともある中東に強いフリージャーナリストが語る現代のジャーナリズムの問題点。ブログやツイッターの話ではなくて、国際ジャーナリズムの本質的議論がある。

中東特派員としてイラク戦争やさまざまな従軍取材を経験した著者は「もし欧米のマスメディアが戦争のあいだもきちんと仕事をしていたなら、テレビのまえに坐っていた視聴者は泣き叫び、反吐を吐いていたはずだ。」という。ニュースはまったく現地の実態を伝えることができていなかったのだと批判する。

たとえばイラク人が巨大なフセイン像を引き倒して歓喜の声をあげる印象的なシーンは世界中で放映されていてたが、現実は、アメリカ人将校が画策して200人くらいのイラク人が実行しただけのショーなのであった。危険だというテロリズムの現場に行ってみると案外に平和に人々が暮らしていたことなど、報道と違う事実を語る。

独裁国家では巧妙な情報操作が行われていて、欧米のジャーナリストも結果的に操られてしまっている。独裁国家に滞在中、監視されているのでメールを通信社へ出すことができなかった経験のある著者は、ジャーナリズムが存在しうる独裁国家はそもそも独裁国家ではないとも自嘲する。中東の現実をマスメディアが伝えることの困難が何重にもある。

そして放送局もまたPRコンサルタント会社やマーケティングの専門家が手助けをすることで、人々が見たがっているものを制作して放映している。視聴者のニーズが本質的なフィルターになってしまっている。たとえば視聴者はわかりやすい映像を好む。

だから情報としてのナレーションだけでは駄目で、現場のわかりやすい映像がなければ、テレビでは使うことができない。放送局は通信社から十分な情報は得ているのに、わざわざ危険な現地に特派員を飛ばして、原稿を読み上げさせる。映像と音声の二つの歯がかみ合わないとテレビでは流せない「ハサミの法則」があるからだ。

結局のところ現代のニュースは一種のショービジネスに過ぎないと嘆く。独裁者や権力者の情報操作や、カネになる映像ばかりが集められ流される構造ができあがってしまっているのだ。わかりやすいラベリングが過度の単純化やミスリードを招く。報道の最大の敵は検閲を行う権力ではなく、報道機関を存立させているはずの資本主義や市場経済にあるという根深い問題に突き当たる。

「情報の選択について市民が投票にも似た決定を下す際に、"何を聴く必要があるか"ではなく"何を聞きたいか"を基準にするなら、民主主義はどうやったら生き延びられる?。」

報道の可能性と不可能性の双方を自らの経験から訴える硬派のジャーナリズム論。

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このページは、daiyaが2012年2月 9日 23:59に書いたブログ記事です。

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