世にも奇妙な人体実験の歴史

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・世にも奇妙な人体実験の歴史
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「何世紀ものあいだ、薬の安全性の検証は事実上、一般大衆の体によっておこなわれていた。用量を超えて飲めばほとんどの薬が危険だが、安全な服用量は誰にも分からなかった。とりあえず飲んでみて、様子を見るしかなかった。患者は薬を飲み、医者は患者が死ぬかそれともよくなるかを見るのだった。」

古代から19世紀にいたるまで多くの人々が病気の原因は悪い血であると信じていたので、腕を切開して瀉血したり、ヒルに血液を吸わせたりして、だらだらと何リットルも患者から血を奪っていた。医学的には患者を弱らせるのみの行為だった。

本当に効く薬や治療法を見つけるには、誰かが最初に試してみなければならない。動物実験というのも現代では盛んだが、結局のところ、最後は人間が試さない限り、本当に効くのかどうかわかりはしない。

ここに書かれているのは医学の本当の歴史である。一部の勇気のある医者が自らの身体をモルモットにして人体実験を行う無謀な行為が進歩させてきたという歴史である。有名どころではキュリー夫人はノーベル賞を2回もらった代わりに大量に放射線被ばくをしている。最後はそれが原因で死亡している。

キュリー夫人は危険性を知らなかったわけだが、知っていても挑むラディカルな医者たちがたくさんいた。黄熱病患者の吐瀉物を自分に注射したり、コレラ菌の入った水を飲んだり、ニトログリセリンを飲んで昏倒したり、自分の心臓にカテーテルを刺したり、梅毒患者の膿を自分の性器に塗布してみたり、急激な加圧や減圧実験で鼓膜が破れたり失明しかかったり...。

やばい人体実験の数々こそ現代医学の礎になっているのだ。最初に勇気のある誰かが食べてみたからウニとか納豆とかあるわけだが、最初に体をはった誰かがいたから、病気の治療法や薬ができている。

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このページは、daiyaが2012年11月14日 23:59に書いたブログ記事です。

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