テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代

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・テレビだョ!全員集合―自作自演の1970年代
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「8時だヨ!全員集合」、「欽ちゃんのどこまでやるの!」、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「太陽にほえろ!」「熱中時代」「スター誕生」「夜のヒットスタジオ」。1970年生まれの私は、まさに70年代テレビを見ながら物ごころがついた。子供だったからテレビを批判的にみることはしなかった。家族と一緒に見るテレビ視聴は、ただただ楽しい体験だった。

まず面白さの原点をテレビに学んでいた気がする。そして画面に映る社会や未来はいずれ自分がその中に入って行く世界の予告編に思えた。今思えばテレビは子供の私に最大の影響を与えた学校だった。だから、70年代テレビを客観的に解体しようとするこの本は、自分の思考や感性を批判的に見直す機会にもなった。

「本書は、何よりもこの「情報」と「演出」の亀裂を埋めるようなテレビ的言説の構築を目指すものである。そのために本書では、「自作自演」を分析のキーワードとして捉えることにしたい。私たちがテレビを「面白い」と思うときには、そこに必ず「自作自演」性が存在するのではないか。」

ここでいう自作自演性には、いわゆる「やらせ」番組も含まれるが、本質的にはもっと宿命的で、メタレベルの自作自演性である。たとえば一般人や関係者にカメラを向けたとき、そこにありのままの自然はない。

「そのときテレビカメラはただ客観的に目の前の出来事を伝えるだけでなく、自分たちがいま取材していること自体から生じた現場の空気をも伝えていることになる。つまりテレビが自らつくり出した雰囲気を、他人事のように客観性を装って(=演じて)伝えているという意味で、そこには「自作自演」性が存在するのである。」

「テレビの外部」を透明に映していたそれまでのテレビが、この自作自演のうまみに気がつき変容していく。「誰かの意図や戦略には回収されない、不透明な出来事としての「自作自演」性が、70年代テレビにはあったのではないか」という問題設定のもと、7人のメディア研究者が、さまざまな切り口で70年代テレビを徹底分析する。バラエティ番組、歌謡番組、ドキュメンタリ番組、ドラマ番組、コマーシャル、テレビと大晦日、女子アナ、やらせ問題の8つの章から構成される。

「テレビと大晦日」の章は、大晦日のテレビ番組表の変遷を、新聞のラテ欄の複写を見ながら分析するもので、個人的にはたいへんおもしろかった。国民的王道となったレコ大→紅白ラインを打倒しようと、毎年あの手この手で大作戦を仕掛ける民放各社の戦略に時代性がはっきり表れている。私も毎年、どれを見ようかと迷ったが、結局レコ大→紅白だったのだ。

70年代とは、国民の半数が毎週決まった時間にテレビの前に座った最後の時代だった。それが自作自演だったにせよ、みんなが同じ文化を共有できた最後の時代だったともいえる。今の子供はチャンネル争いなどしていないだろう。ゲームもあるし、インターネットもあるし、携帯もある。テレビはもはや選択肢の一つだ。ロングテールなメディアに育った世代は何を共有していくのだろうか、とこの本を読み終わって考える。

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このページは、daiyaが2008年5月31日 23:59に書いたブログ記事です。

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