暗黙知の次元

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・暗黙知の次元
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ハイパーテキスト形式知の時代だからこそ読み返す意義がある、かなと思って再読。

言葉にできない知=暗黙知について書かれた古典。

「暗黙的認識をことごとく排除して、すべての知識を形式化しようとしても、そんな試みは自滅するしかないことを、私は証明できると思う。というのも、ある包括的存在、たとえばカエルを構成する諸関係を形式化するためには、まずそのカエルが、暗黙知によって非形式的に特定されていなければならないからだ。実際、そのカエルについて数学的に論じた場合、その数学理論の「意味」は、相も変わらず暗黙的に認識され続けるカエルと、この数学理論との、持続的な関係の中にあるのだ。」

ある理論が認識されるのは、それが内面化されて自在に活用されるようになってからだ、という。この考え方は、意識に上る0.5秒前に脳は準備をしているという、脳科学者ベンジャミン・リベットの意識の遅延論と符合するものなのかもしれない。

・マインド・タイム 脳と意識の時間
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005226.html
「自由で自発的なプロセスの起動要因は脳内で無意識に始まっており、「今、動こう」という願望や意図の意識的なアウェアネスよりもおよそ400ミリ秒かそれ以上先行していることを私たちは発見し、明らかにしました。」

ポランニーによれば、知識とは信念の一種である。信念は思いつきに先行する。だから発明や発見のプロセスは信念に導かれるように行われる。ポランニーによれば、

(1)問題を妥当に認識する。
(2)その解決へと迫りつつあることを感知する自らの感覚に依拠して、科学者が問題を追究する
(3)最後に到達される発見について、いまだ定かならぬ暗示=含意を妥当に予期する。
という3段階で、イノベーションを実現していく。

「すなわち、私たちは初めからずっと、手掛かりが指示している「隠れた実在」が存在するのを感知して、その感覚に導かれているのだ。」

アイデアを思いつくときの"神"が舞い降りてくる感覚を合理的に説明している。そしてそのエウレカ!な瞬間はどういう場所に訪れるのか?、ポランニーはこう答える。

「(1)発見を触発して導く場は、より安定した構造の場ではなく、「問題の場」である。(2)発見が起こるのは、自然発生的ではなく、ある隠れた潜在的可能性を現実化しようと「努力」するからである。(3)発見を触発する、原因のない行為は、たいてい、そうした潜在的可能性を発見しようとする「想像上の衝迫」である。」

形式知は暗黙知という巨大氷山の一角であり、たとえ自分の知識を書き出せる限り全部文字に書き出しても、なお知の本質的な大部分は隠れている。インターネット上に現れる知は膨大だがすべて形式知である。水面下にあるInvisibleな膨大な知をどう引き出すかが次の知の構造化の課題だ。「想像上の衝迫」はたぶん、活発なコミュニティの中にあるように思う。

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このページは、daiyaが2009年11月15日 23:59に書いたブログ記事です。

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