Books-Philosophy: 2004年7月アーカイブ

「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか
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小学6年生の夏休みに、2冊の本と出会った。ミヒャエル・エンデ「モモ」とユーリイ・イワノフ「九〇〇日の包囲の中で」。子供心に深い感動を覚えて、それ以来、読書が好きになった。どちらも、今読んでも考えさせられることが多そうな児童文学の最高峰だと思う。

「モモ」は時間とは何かについての深遠な物語である。一般には映画にもなった「果てしない物語」の方がエンデ作品としては有名かもしれないが、「モモ」の方が哲学者としてのエンデの思索の深さを示した作品だと思う。

・モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語
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時間を大切にしましょう、節約しましょうと町の人々に説いては、時間の貯金をさせる、灰色の時間泥棒が跋扈する世界。時間泥棒のおかげで、人々はあくせくとせわしない生活を送る。直感的に嘘を見抜いた少女は時間の国へ旅立ち、「時間の花」を見て、時間の本当の意味を知る。

自分も大人になって、いつの間にか、町の人と同じような、せわしない生活を過ごすようになってしまった。定規のように均等な目盛りのついた時間軸の真ん中に「現在」を置いて、その左右に過去と未来を置く。時間は過去から未来へ直線的に、一定のスピードで進んでいくイメージにとらわれている。1時間は3600秒だが、1時間より長く感じる1秒もあることは皆、気がついているのに。

この「時間を哲学する」という本は、そうした広く信じられている空間的な時間の概念に対して異議申し立てを行う。フッサールやハイデガーやカントの時間の考え方は間違っているとはっきり言う。哲学だから正しい答えなどないわけだが、全編を通して著者の論旨が明確で、面白い本だ。

■少年老い易く、邯鄲の夢

少年期の脳は老年期の脳よりも可塑性が高く、多くの出来事が記憶に残りやすい。逆に老人は多くの出来事を経験しても、忘れてしまうという、大脳生理学の研究結果があるそうだ(ジャネーの法則)。子供時代の1年は長かったという、多くの大人の実感を裏付ける法則である。

だが、これだけでは時間が短く感じられることの証明にはならないと著者は言う。客観的時間の長さと時間印象の長さの比が本当の理由だとする。例えば旅行や夏休みの最初の数日は新しいことが多いが、同じ要素を繰り返すとパターン化され、時間印象は短くなる。2ヶ月の休みでも、最初の数日と最後の数日では、後者が短く感じられるものだ。

また、加齢とともに時間の遠近感が狂っていく。数十年前のことがありありと思い出せるが、前日のことは忘れてしまう老人の記憶の傾向がその例として挙げられる。こうして、子供時代は1年が長かっただとか、人生はあっという間だったという感覚が生じる。

■制作される過去と想起

著者は、知覚と想起を区別し、根本的に過去の記憶とは想起なのだと考えている。そして、学者ラッセルの次のレトリックを紹介する。世界は5分前に始まったとしてもおかしくないという話。

「世界は5分前に、正確にその時そうあったとおりに、まったく実在しない過去を「想起する」全住民と共に突然存在し始めたという仮説に、いかなる論理的な不可能性もない」

つまり「3年前に起きたこと」は、本当に3年前かどうかと無関係に、3年前に起きたこととして想起したことであるということだ。一見、屁理屈のようだが、考えてみれば、キリスト教では世界は数千年前に創造されたことになっている。信者は長い間そう信じてきた。そして、ここ数十年の現代科学は、宇宙は150億年前のビッグバンで始まったと説明する。誰かが魔法をかけて5分前に世界は生まれたと全住民が信じているようなものだ。

過去とは想起によって「制作」されるものであり、<今ここに>たち現れれているものであると著者は言う。それは可能的過去であり、過去の単純な再現ではない。言語も深く関わっている。「痛い」だとか「暑い」はそうではない状態、不在への態度があって初めて成立する。「今日は暑かった」と振り返って言語化した瞬間が、「暑い」が「暑かった」へ移行する現在と過去の境目になるのだ。

■「客観的時間を考案したことの不幸」

前出の「モモ」のクライマックスは、少女が無から次々に時間の美しい花が咲いては消える時間の源を見つめる幻想的なシーンだろう。そこには管理されない、豊穣な時間の輝き、永遠と刹那の持つ美しさが描写されていた。それは湧き上がる想起のイメージとも密接に重なる。私たちは時間を想起によって、無限に美しく味わうこともできるということなのだと思う。それを難しくしているのは、古典的な過去、現在、未来の三等分の考え方や、定規で測るような客観的時間概念という「時間泥棒」のせいなのかもしれない。

時間をどう使うか、管理するか、そんなことより、時間をどう感じるかこそ、人生にとって有益な態度と言えるのかも知れないなと読みながら考えた。他にもこの本には、時間というものを哲学的に見直すための、斬新な考え方が詰まっている。現実の生活は多忙で、時間はないが、ゆっくりと考えてみよう。モモを時間の国に導いたカメ、カシオペアがやったように、ゆっくりゆっくりが一番早くたどりつけるかもしれないから。

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