Books-Philosophy: 2005年8月アーカイブ

・成長の限界 人類の選択
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賢人会議ローマクラブの命により1972年に出版された「成長の限界」から30年。コンピュータシミュレーションによるモデリングを用いて分析を行った1992年の続編「限界を超えて」に続く、同じ著者らによるシリーズ第3弾。

大学生時代に「限界を超えて」を読み、世界で何が起きているのか、をはじめて知った。一部の活動家の関心に過ぎないと思っていた環境問題が、本当は環境の問題ではなく、社会の問題、人類の問題であることを知った。

持続可能な社会とは「将来の世代が、そのニーズを満たすための能力を損なうことなく、現世代のニーズを満たす」社会である。(環境と開発に関する世界委員会(WCED)、1987)

私たちの世界は、かなり馬鹿げた間抜けな運営をしている。


国連開発計画(UNDP)が、世界人口のうち、最も豊かな国に住む20パーセントと、最も貧しい国に住む20%の一人当たりの所得を比べた数字がある。1960年、その差は30倍だったが、95年には82倍になっていた。ブラジルでは、国民のうち貧しい50%の人々が得た国民所得は、1960年には18%だったが、95年には12%に減っている。逆に最も豊かな10%の人々が得た所得の割合は、1960年の54%から、95年には63%に増えている。アフリカの平均的な世帯の消費は、1972年から97年の間に20%減っている。「経済成長の世紀」の後に残されたものは、貧富の差がより大きくなった世界だったのだ。

世界のシステムが成長させたのは所得ではなく、格差だった。そしてこの格差は成長を続けるに従って拡大していく。システムに格差拡大の構造があるからだ。資本や特権を持つ層はそれらを使って資本と特権を増大させる。


特権階級に対して、さらに特権階級になるための力と資源を与え続ける社会的取り決めが「成功者をさらに成功させる」フィードバックループを形成している。その一方で「もともと成功していない人たちは成功できない」逆のループも発生している。

その結果、未来は、


世界人口の四分の一以上の人々は電気を使えず、五分の二はいまなお伝統的なバイオマスにほぼ頼って基本的なエネルギー需要を満たしている。電気の供給のない人の数は、今後数十年間に減っていくが、それでも2030年時点で、14億人がまだ電気のない生活をしていると予測されている。調理や暖房用の種燃料として、木材や作物の残余物、動物の廃棄物を使う人の数が増えていくだろう

といった状況になる。

資源が足りないわけではない。たとえば食糧は均等に配分できれば、80億人を養える量が現在も生産されている。成長はこの格差の問題を解決しないだけでなく、成長モデルに依存した経済や社会を破綻させてしまうという予測が述べられている。

こうした格差拡大のループの中で、人口が増え、持続可能ではない資源消費が増え、エコロジカル・フットプリントと呼ばれる環境への悪影響が拡大していくからだ。


環境が悪化している大きな原因は、地球人口の大部分が相変わらず貧しいこと、そして、少数の人たちが過剰に消費していることの二つである。現状を続けることは持続可能ではなく、行動を遅らせるという選択肢はもはや存在していない

頑張って成長することで全人類が、現在物質的に最高水準の層に追いつけるという考えは不可能であることもわかる。


大まかな評価を見ると、自然資源やサービスの現在の使い方は、すでに地球の長期的な扶養力を超えてしまっている。もし地球上のすべての人が北米の人々と同じ水準を享受するとしたら?一般的な技術を用いて、地球全体の物質需要を満たすには、地球が三つ必要になる。今後四十年間に予想されている人口増加や経済産出の伸びに持続可能な形で応じるには、地球があと六から十二個必要になる計算だ(マーティス・ワクナグル、ウィリアム・リース、1996))

この本にはコンピュータ・シミュレーションによって世界の取りうる未来が、11パターンのシナリオとして示される。このまま成長が続くシナリオは存在しないが、持続可能なパターンで安定させる選択肢は僅かに残されている。

拡大ではなく均衡を、成長ではなく発展を目指す方向転換は必ずしも諦めの世紀にはならないという言葉に希望がある。「持続可能なシステムは、今日の世界に住む多くの人たちにとって、魅力的な消費水準を提供できるだろう。」とさえ結論されている。

満たされていない非物質的ニーズを満たせという提言がある。人が必要としているのは大型車ではなく、とっかえひっかえの衣服ではなく、賞賛や尊敬であり、ワクワクしたり、他人に魅力的だと思われることなのである。もう一台コンピュータやテレビが欲しいのではなく、自分の頭や感情を満たす興味深い何かがあればいいのだ。求めているのは非物質ニーズなのに、それを物質ニーズで満たそうとするといくらあっても不足してしまう。

だから、

豊かな人たちは「所得が半分になりましたが2倍幸せになりました」。貧しい人たちは「所得が2倍になって、4倍幸せになりました」。数十年前に比べて幸福の総和は地域に偏りなく何倍にもなりました。全体が衣食足りています。そういう選択を私たちは選ばないといけない。

そう理屈ではわかっているけれども、自分はこの選択のプロセスに、今、なにか貢献できているか、というとほとんどできていない。せめて、ここに要約ベースの書評をアップしておくくらい。お金持ちになって余裕ができたらいいことをしよう、では、そもそも成長指向であり、間違っているわけですが...。

経済と自然科学の分野の学生におすすめ。環境と経済と技術について全体像を知る名著。

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