Books-Philosophy: 2003年10月アーカイブ

・神の発明 カイエ・ソバージュ〈4〉 講談社選書メチエ
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気鋭の宗教学者 中沢新一の著。大学での講義をまとめたもの。

マイブームである「要約」の練習を兼ねて最初に概要解説。さすがにこの要約作業は今のソフトウェアではできまい。(長い要約の後、デジタル系のネタに落ち着くのでご安心を?)。

私はこう読んだという要約(ちゃんとした要約はAmazonの解説のほうがいいかも)

深い瞑想、熱狂、薬物トリップ、電気的刺激などによって、世界中の民族が共通する形状の抽象図形パターンを幻視するという。「内部視覚(リンク:entoptic formsの例)」と呼ばれるこのパターンは、旧石器時代の洞窟壁画にも、現代のインディアンや、アマゾンの森深くに住む部族の神聖な絵にも同じく登場する共通のカタチなのだという。普通の人でもこれを見るには目を閉じてまぶたの上をしばらく少し強く押さえればランダムな抽象模様としてこれに近いものを確認することができるかもしれない。このパターンは、意味を持つイメージ、言語化される以前の、人間の脳の深奥の情報の流れに由来するもの、つまり、情報伝達物質ニューロンの発火現象と深いつながりを持つものと考えられるそうだ。

この内部視覚という、はたらきが、宗教の超越体験と密接な関係があり、そこからスピリット(精霊)という概念が生まれていった。スピリットは、やがて多神教の神々を作り出し、その中でも高級な位置づけの「高いところにいる天の神」や、「外部からやってくる来訪神(マレビト思想)」、「おおいなるもの、グレートスピリット」や、ついには、絶対的な唯一神=Godを作り出す。王権や社会制度と強く結びつくことで、唯一神の思想はキリスト教や西欧文明の影響力にのって、世界に広がり、現代物質文明においては「政治・経済・社会のグローバリズム」という怪物に変身する。よくも悪くも世界を支配している、この現代の神も、もともとは内部視覚が生んだスピリットであり、生物的な構造が必然的に作り出したものということになる。

神々(または唯一神)のカタチがここまで多様になったのは、原初のスピリットのカタチが歴史の中で、繰り返し特定の変換ロジックで変容された結果である。そのカタチの変換は、「メビウスの帯」や「トーラス(ドーナッツ構造)」といった物理トポロジーを使うと説明がつく。表裏の区別(生と死、あの世とこの世、善悪、清濁)が連続する象徴であるメビウスの帯。いくら表面を言葉で埋め尽くしても、中心の空間(神)を語りきれないトーラス。これらのトポロジーを使ったカタチの変換が民族コミュニティにかかる自然環境や社会の圧力によって強力に推し進められた。私たちの生きる現代は、ついには圧力によって神を殺してしまった結果、自然に対する畏敬や、分かち合いや、内から湧き上がる原初的エネルギーを失った。代わりに、米国大統領が自らを正当化する破壊的な「善」や、科学という知の万能主義、物質化されたスピリットとしての「商品」が世界を埋め尽くしている。未来の「神」に希望を見出せるとしたら、それは私たちの心にかすかに残った野生のスピリットのはたらきをもう一度見直すことから始まるだろう。

以上、要約終わり。

とまあ、ざっとこんな感じの内容だ。世界の文化に見られる共通性の豊富な事例紹介や、物理トポロジーを使った変換の仕組み解説の巧みさ、イメージを広げやすい写真やイラストのビジュアル挿入といった仕掛けが、中沢の学生への語りかけ口調にテンポよくマッチしていて、学生気分でワクワク読めた。中沢の思想は、過去を振り返る宗教思想史ではなく、今の視点から未来も見据えた現代の宗教論となっているのが、いいなと思う。

で、このBlogネタ的に落とし込むと、分散協調するソフトウェアエージェント(AI)たちは、神の夢を見ることができるだろうか、というテーマになる。人間の脳と心を完璧にAIが模倣をしようとするなら抽象化の重要な過程である、神の概念の生成プロセスを避けて通ることはできないはずだと考える。

内部視覚の源となるニューロン発火のソフトウェア・シミュレーションができれば、中沢の言うトポロジー変換関数にかけることで、ビットの世界にも「神200X」(紙2001にかけてます、てへ)を現出させることも可能なのではないか。

私たちは、精神性の世界と、ビットの世界を遠く離れたものと考えがちだ。だが、ネット上にはバーチャルな御参りができるお墓や寺社、伝道ツールとしてのWebサイト、追悼サイト、自殺コミュニティといった精神性のパケットも流れ始めているわけだから、世代を重ねれば、ふたつの異世界の調和を受容する方向へ向かってもおかしくないのじゃないか。

私は無宗教であるが、誰も見ていないとしても、位牌につばを吐きかけられないし、お墓を蹴飛ばすことはできない、抵抗がある。何らかのスピリットの実在を感じていることになる。それと同じように、死んでしまった人の笑顔のデジタル写真ファイルやホームページファイルを、「ゴミ箱」に入れるのも少し抵抗を感じる。これって自然な感覚ではないか?そしてビットにスピリットを感じ得るという未来の宗教、精神文化の予兆と考えても、おかしくないのではないか。

最後に参考になるかならないか分からない参考URL。

・ネット墓参り
http://www.i-can.jp/nethakamairi.htm
ここにユーザがいるとすれば少なくとも契約者たちは画面に何らかの「スピリット」を感じていることになる。

・電子写経 本願寺大谷WEB
http://www.honganji.net/syakyou/index.html
PCで写経

・観音院
http://www.kannon-in.or.jp/
メールで参拝、バーチャル霊園

・ネット葬
http://www.d-uso.to/etcuso/funeral/netsou.htm
「ネット葬」は、故人のご遺骨の一部(あるいは全部)をポリゴン化(CADデータ)し オンライン上へ発信するメモリアルサービスです。(嘘だけど発想として)。

・神社のインターネット利用は進む? 矢先稲荷神社で研修会開催
http://www.watch.impress.co.jp/internet/www/article/980820/jinja.htm
寺社界インターネット利用の展望と問題点

・Archive for Religions in the Internet
http://ari.ijcc.kokugakuin.ac.jp/
国学院大学。「宗教と社会」学会「情報テクノロジーと新世代の宗教的インタラクション」プロジェクト有志による「宗教情報アーカイブARI」

・私の書評:脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000134.html

評価:★★☆☆☆

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