Books-Philosophy: 2006年10月アーカイブ

自分自身への審問

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・自分自身への審問
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1999年。「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤 淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒と せられよ。平成十一年七月二十一日 江藤淳」という書置きを残して江藤淳は自殺した。遺書まで名文だった。

芥川賞作家で、孤高のジャーナリスト、辺見 庸は、2004年春に脳出血で倒れた、命はとりとめたが、半身麻痺などの重い後遺症が残った。追い討ちをかけるように、腹部からガンが発見される。著者は、江藤淳の死を自らの姿に重ねながらの病床で、生死の境目にいる者としての感慨、現代日本社会への異議申し立て、そして、自分の生き様に対しての厳しい審問を行う。


...生物学的な生でしかなくなる私の、仮にあるにしてもおそらく海牛か薄羽蜻蛉みたいにごく乏しい心性(いや驚くほど豊かな心性かもしれないが)というものが、果たしてどんなものか私には実地に試してみたい衝動がないわけではない。にしても、結果どうであったかを表現できないとしたらつらい。その意思があるのに表現できなくなることと自死できなくなること......いまそれをとても恐れている。逆に、なにがしか表現でき自死できる可能性を残している限りは、軽々しく絶望を口にしてはならないと自分にいい聞かせている。


私を襲ったあれこれの病気が実際、因果応報であるにせよ、私はそれを哄笑して否定し、生まれ変わったら再びいわゆる罰当たりを何度でもやらかして、またまた癌にでも脳出血にでもなり、それでも因果応報を全面否定するつもりだ。それほど私はこの考えを忌み嫌っている。そのことと、私が秘めやかな罪や恥辱を感じているのはまったく別のことだ。」

壮絶。作家が文字通り命を削って書く文章。自己の生き様の手厳しい総括。これ以上はないほど重い内容であるが、表現者として、これだけは言っておきたいということが圧縮されている。ままならない身体状況でありながら、どこまでも冷徹な思考に圧倒された。

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