Books-Philosophy: 2006年8月アーカイブ

系統樹思考の世界

| | コメント(1)

・系統樹思考の世界
4061498495.01._PE00_OU09_SCMZZZZZZZ_V62625077_.jpg


系統樹思考(tree-thinking=樹思考)と分類思考(group-thinking=群思考)という対比を、ここで考えてみましょう。前者は対象物の間の系譜関係に基づく体系化を意味し、後者は同じ対象物を離散カテゴリー化によって体系化することを指しています。たとえ対象が同じであっても、系統樹思考と分類思考では問題の立て方そのものが根本的に異なっています。分類思考は眼前にある対象物そのもののカテゴリー化(すなわち分類群の階層構造化)を目標とするのに対し、系統樹思考は対象物をデータ源としてその背後にある過去の事象(分岐順序や祖先状態)に関する推論を行うからです。

人間は先天的には分類思考をする、という。私たちは何かを見たら、似ていると認知して、あるカテゴリーへと分類する。世界にはばらばら(離散的)の群れがあると自然に考える。これに対して文化的に獲得する系統樹思考は、モノの歴史を推定して、カテゴリーを決めている。著者が専門とする生物の進化の系統はその考え方の代表例だし、祖先との関係を可視化する系図もそうである。

歴史を持つ対象を系統樹に位置づけるには、通常科学の推論方法である演繹と帰納だけでは間に合わない。サルがヒトに進化する様子は観察では確認できないし、ヒトに残るサルの痕跡を集めても、サルが直接のヒトの祖先だとは確定できない。だから、「理論の「真偽」を問うのではなく、観察データのもとでどの理論が「よりよい説明」を与えてくれるかを相互比較する」アブダクションが系統樹思考では重要な役割を占める。サルがヒトに進化したという説明が、他の説明と比べてもっともらしいと考えられるから、そのような系統樹を描いたのだ。

ツリー構造はIT技術でもたとえばXMLで使われており、おなじみの構造である。ある応用的な要素が、ある基本的な要素の子要素であるという形になっている。構造自体は疑いようがないけれど、親と子の要素の意味を考えてみると、この本が論じている系統樹思考があるのだと気がつく。果物という要素の下に、リンゴがあったりする。なんでそうなんだと考えていくと、リンゴは果物であるという説明が、野菜や肉だというより、もっともらしいからである。

生物学の進化論、言語学、世界中の神話や宗教など系統樹思考が文化文明の中に普遍的に現れる様をこの本は紹介している。なぜ普遍的な思考になったのか、諸要因とともにこんな説明がある。

「分類思考が静的かつ離散的な群を世界の中に認知しようとするのは、私たちが多様な対象物を自然界や人間界に見るとき、記憶の節約と知識の整理にとってたいへん有効な手法であると考えられます。そのような認知カテゴリー化は、記憶の効率化を通じて、私たちの祖先たちの生存にきっと有利に作用したでしょう」。

なるほど、私たちの世界認識の在り方は、記憶メカニズムに最適化されているのかもしれない。そうであるなら科学の進歩は、世界についての知識量を増やすのではなくて、一番簡単な説明方法を探す旅だといえそうだ。悟りの境地に至るというのもそういうことかもしれない。

日頃慣れ親しんでいるツリー構造の考え方を、改めて哲学的に考えてみる有意義な機会になった本。

このアーカイブについて

このページには、2006年8月以降に書かれたブログ記事のうちBooks-Philosophyカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはBooks-Philosophy: 2006年4月です。

次のアーカイブはBooks-Philosophy: 2006年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

Powered by Movable Type 4.1