Books-Education: 2004年8月アーカイブ

早期教育と脳
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■三歳児神話と臨界期に大きな疑問符

著者は東京女子医大教授、日本赤ちゃん学会事務局長。

早期教育の市場は2002年度で推計1500億円。少子化の影響で親の教育熱が高まっている。特に親の関心は、「育児」から「育脳」へ移ってきている。適切な早い時期に適切な刺激をいっぱい与えて、ハイスペックな脳をつくることがよしとされる。

こうした早期教育の背景には、ある時期を過ぎると、脳が柔軟さを失い、ある種の行動の学習が不可能になる、という「臨界期」の理論がある。絶対音感や英語のLとRの区別など、視覚、聴覚の一部の機能においてはその現象が確認されている。動物実験でも、早期教育をしたマウスが高い能力を発揮した実験もある。こうした断片的なデータが、「3歳までに教えないと手遅れになる」という神話を広めてしまった。

だが、人間が社会で生きていく上で大切な、より高度な能力の学習については、科学的にはほとんど解明されていないのだ、と著者は述べている。そのあやふやな根拠の上で行われている早期教育や親の焦りに対して警鐘を鳴らす。

■テレビを長時間見せるのは

2004年、日本小児科学会は「乳幼児のテレビ・ビデオの長時間視聴は危険です」とする提言を発表した。言葉や表情の乏しい子ともに、長時間のテレビ・ビデオ視聴例が多かったことが、背景にあるそうだ。実際に、テレビやビデオの長時間視聴は言葉の発達を遅らせているという調査も出ている。育児コミュニティでもしばしば、話題になる。信じている人が多い提言である。

だが、著者はこれらの調査の手法に異論を唱える。発語の時期とその後の言語能力の発達に関係が薄いことを指摘したり、テレビを見せた結果、言葉が遅くなるわけではないという。喋る能力はその時がくれば自然に出てくるものであって、早い時期に出ればいいものではないとして、テレビ危険論の論拠を批判している。

長時間のテレビ視聴の問題は、テレビの内容ではなくて、視聴行動の結果として、

・周囲との双方向のやりとり
・物に触る感覚
・自ら積極的に物を見る

といった機会が奪われることに原因があるとする。テレビ、ビデオそのものが問題ではないということになる。見せ方が問題なのだ。だとすれば単純にテレビを禁止する提言は意味がない。

「1日に6時間も7時間もテレビを見せる家庭の背景にあるもの」こそ、こどもに影響を与えている要因であるという。そして、テレビを長時間つけるメリットは、面倒をみなくて済む、親のほうにこそあるのではないかと指摘する。

■早期教育を科学することの難しさ

この本は要約すると、早期教育で天才ができるということは証明されていない。脳科学もまだ原始的な段階で何も確たることはいえない。科学を装った提言に惑わされる必要はないし、親の焦りにつけこむような、育脳の教材や塾に高いお金を払うのはどうかと思いますよ、ということが伝えたいメッセージであるらしい。

もちろん、心理学的には、

何かが人より早くできると褒められて嬉しくなりさらにできるようになる。

ということは言えるだろう(ピグマリオン効果など)。自分の体験から、早期教育を進める親もいるのかもしれない。早いうちに教えないと手遅れになるのじゃないかという漠然とした不安は当然ある。

早期教育を科学する難しさは、

・時間は巻き戻せない。やり直せない。一回しかできない。
・無闇に実験できない(が、故に参考になるかどうか不明な動物実験を参考値にしてしまう)
・過去のデータとは環境が違ってしまっている。
・こどもの意見が聞けない

といったことが、絡み合って、こんがらがってしまっているようだ。この本はそういった現状を正直に専門家が話してくれる面白い本だった。後半では障害児研究での経験を、育児一般に普遍化して学べるのではないかという話が展開される。どんな風にこどもを育てたいのか、という社会のあり方から、私たちは見直すべきなのではないかという意見。

■ハンデのある楽しいスロースターター人生

私の息子もやっと1歳1ヶ月になった。まだ二足歩行はできない代わりに、高速なホフク前進をマスターしてしまい、「待て待てー」と追いかけるとゴキブリのようにシャカシャカと移動している。この完璧な高速ホフク前進ができてしまうと歩くのは遅くなるらしい。私自身や兄弟は1歳になる前に歩いていたらしい。1歳と3歳になる姪たちも早くから歩いている。いつうちの子は歩くようになるんだろうなあと思う今日この頃。

最初に話した有意語は「あった(在った)」だった。何か知っているものを見つけると「あった、あった」と嬉しそうに言う。「赤い」も覚えた。ベビーカーで移動中には、見るものを指差して意味不明の「らりらりらりー」などと喋っている。ことばの発達も、時期的には遅い方かもしれない。が、動詞や形容詞を先に覚えるなんて、すごいぞ、と思ったりする。

歩くとか話すとかの時期に一喜一憂してしまうわけだけれども、この本によると、話し始めた時期とその後の言語能力に関係はないらしい。むしろ、言葉の遅いこどもの中には、ある時期から高度な言語能力を獲得する例もあるそうだ。ちょっとほっとする。

息子には先天性の障害がひとつ見つかった。彼は目が悪く、年内には手術をすることになりそうだが、たぶん、その後も平均以下の視力になるだろう。ついてないなあと思う反面、これは彼にとってチャンスなのかもと思った。私も内容はまるで違うのだが、子供のころから持病があって育った。直る病気ではないので、現在も抱えている。だけれども、ハンデはあって良かったかもと今は思える。

勉強も体育も小中高と出来が悪かった。水泳とマラソンは見学、学科も1だらけの通知表の学期もあった。それでも劣等感を持たなかったのは「私は特別だから」「人より5年、10年は遅くなってもしょうがない」と思っていたから、平気だった。マイペースでゆっくりが幸運を引き寄せたのか、大検、大学受験は成功して、一次志望へちゃっかり受かってしまった。自慢になるけれど、当時(多分今でも)私大では最難関だった、はず。受験に悩まずに済んで、なんてラッキーな私の人生。

ハンデがあると「人より遅くてもいいのだ」と思えるから気が楽だ。周りができることができなくても、私の努力不足や能力不足ではないことになるからだ。無理をせず、健康に気を使うようになる。2年前の人間ドックでも、一緒に診断を受けた社内で、唯一オールAの「完璧です、この状態を続けてください」評価をもらってきた。

だから、息子にも「あなたは目が悪いから特別コースを歩ける特権者」なんだと教えてやろうと思っている。たぶん、教室でも一番前に座る配慮を受けられる。黒板の問題が解けなくても「よく見えないから」を理由にできる。そういう風に、障害は逆手にとってちゃっかり生きられるように教えるのが親の役割になるんだろうなあと思う。

もちろん、これは軽度の障害のケースの気楽な話なのかもしれないが、基本はそう考えている。早期教育も親としては実はかなり気になるのだけれど、悲劇の天才より、ツイテる楽天家の方がずっといいからなあと思う。

そういえば日本には大器晩成というスロースターターモデルがあることだし!

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