Books-Philosophy: 2010年6月アーカイブ

・神話が考える ネットワーク社会
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いま考えるべきキーワードが散りばめられた本だ。もう少し咀嚼整理されると読みやすくなると思うのだが、考えるための素材としてはこれくらいの全部入り感があったほうがいいのかもしれない。

正直書き方が難解で私には理解できなかった部分もかなりあるが、現代のネットワーク文化の本質に迫った議論を展開している、ような気がする本である。面白かったな。

著者は文化的な営みをすべて情報処理のプロセスとして見立てる。その上で、神話を「文化における情報処理の様式」ととらえる。ここでいう神話は、レヴィストロースの神話というより、日々生起している現代サブカルチャーやネットカルチャー(ニコニコ動画、2ちゃんねるなど)を指している。神話とはあらゆる"ネタ"だと思う。

1 神話はコミュニケーションを通じて「理解可能性」や「意味」、あるいは「リアリティ」といったものを提供するシステムだということ

2 神話は変換、変形、圧縮、置換といった操作を内蔵したシステムだということ。

3 時間にまつわる処理が本質的である

皆が共有している神話があると、コミュニケーションが活発になって、文化がどんどん進化するということである。「ネットワークを拡張する想像の力に対して、ネットワークを凝縮する象徴の力」。神話は同時代のさまざまな変換アルゴリズムに従って変容してきた。ここではサブカルチャーとネットカルチャーを題材に、この10年くらいの変容パターンが分析されている。

文学の分析の章ではこんなことが言われている。

「戦後日本の純文学の歴史において、これまで高く評価されてきたのは大江健三郎や三島由紀夫、中上健次といった作家である。簡単にまとめれば、彼等は古典的な文芸に遡り、その資源を現実の世界に二重写しにすることによって──つまり、自分自身の肉声を一度遮断し、古い集団言語を再利用することによって──神話を構築してきた作家たちだと言ってよい。<中略>それに対して、もう少し下の世代に当たる村上龍や村上春樹は、集団言語を組成する際に、古典に遡るのではなくむしろ市場の財の助けを借りた。」

これは文学評論だけでなくて、他の評論の分野ででそうかもしれない。特にネットワーク社会で起きていることは、新しいタイプの出来事であって、古い伝統社会の物語の枠では解釈ができなくなっている。伝統的な解釈をするマスメディアの評論家よりも、ブロゴスフィアやソーシャルネットワークで、受ける(売れる)物言いができる評論家が、Webの市場で人気が出る、というのと同じだと思う。

古い神話はもともとは口承でゆっくりと伝わってきたものだと思うが、ネット時代の神話は変換・変形・圧縮・置換のスピードも速そうだ。ライフゲームのように神話素同士が発火や消滅を繰り返し、何百世代を経過していく様子が、まるで生き物のように見える。そういう様子が、この本のいう「神話が考える」という状態のことなのかなあ。まだよくわからない。

・アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/08/post-1040.html
この本が好きな人はこの本もどうぞという関係。