Books-Philosophy: 2011年9月アーカイブ

・意識は実在しない 心・知覚・自由
31aR8rSOlmLjpg.jpg

新しい概念としての「拡張した心」を中心に意識の問題を考察する。

「第一に、人間の心のはたらきと呼ばれているもののほとんどは、環境と円環的再帰的にインタラクションすることで成立していることである。人間の身体内部のはたらきは、そのループの一部をなしているにすぎない。そして、その円環的な相互作用のなかには、より小さな円環的相互作用が入れ子状に含まれている。」

そして著者は人間的環境を5つの構成要素に分類する

1 改変環境 都市や農村、人間の手が入った森林
2 構築物 家屋や建造物
3 道具 何かの目的を達成するための道具
4 他者 共同したり競争する他者
5 社会制度 言語や法、株式会社や保険、民主政治など集団行動のしくみ

こうした環境と連続的に相互作用をするアクターズネットワークが人間の世界なのだという。そして社会的アフォーダンスに反応する能力を持つ、自律的な存在として人間をとらえている。意識はないが、全体の文脈の中に自由意思はちゃんとあるのだと。「拡張した心」は環境や文脈と一体化している相互作用プロセスなので、ここに心とか意識がありますと部分的に切り出せるものではない。

著者が「実在しない」と否定するのは、脳の中に外界で起きていることが投影されるという「チューブタイプ」の意識だ。クオリアがやり玉に挙げられる。クオリア論者は、意識とは外界刺激を取り込んで映すスクリーンのようなものという。情報が神経系を伝わって脳に集まり、脳の中の心の座で情報が解読されるとする。しかし、著者は脳に伝達されるのは実際には刺激や興奮であり、それはどこかに終点があるわけではないだろう、と反論する。クオリアという主観的な内的性質は、外界の知覚対象のあり方から抽象された観念に過ぎないと批判する。

"脳が世界を見ている"のではない。あなたの心は"環境に広がっている"というのがこの本のメッセージである。後半では、人間には世界の中に実在する社会的な意味を読みとって相互作用をする存在たと言う「社会的アフォーダンス論」が展開されている。人間と環境の複雑な相互作用するアクターズネットワークとしての世界という世界観、ここも面白かった。