daiya: 2009年2月アーカイブ

・gonein60s
http://www.donationcoder.com/Software/Skrommel/
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あ、しまった、閉じちゃったよ!

という覆窓盆に返らずな事故というのはしばしばある。

ウィンドウを大量に開いて作業をする私のパソコン上では週に2回くらいある。そうした事態に保険をかけておけるのがgonein60sである。このソフトを常駐させておけば60秒以内(秒数は任意に決めることができる)に閉じたアプリケーションのウィンドウを復活させることができる。

タスクトレイのアイコンをクリックすると、下のようなリストが表示される。ここから復活させたいウィンドウを選べばOKだ。ゴミ箱と同じで捨てはしたけどまだ取り戻せる。この仕組みはOSにあってもいいかもしれないと思うなあ。

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なお、復活リストに入れずに無視してほしいアプリや機能もユーザーが設定できる。

・ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている
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読書とテレビゲームではどちらが頭をつかうだろうか、タメになるだろうか?。

ずばりゲームであるという本である。

著者は過去30年間に映画や音楽、テレビやゲームなどのポピュラー文化の中身が複雑になり知的な要求度が高まったと分析し、その傾向を「スリーパー曲線」と名づけた。視聴者はテレビやゲームをするとき、平坦な読書体験よりも遙かに頭や五感をフルに働かせているという。

たとえば70年代のテレビ番組と現在のテレビ番組を比べると内容の複雑さや展開スピードの速さが段違いだ。マルチスレッド(複数のストーリーが並行して進む)、点滅矢印(わかりにくいヒント)、社会的ネットワーク(錯綜する人物相関図)といった点で最近の人気ドラマのスリーパー曲線を検証している。

ネットやゲームにはまると人間関係がおろそかになるというのも俗説に過ぎない。なぜならネットでもゲームでも実際に人気なのはコミュニティであり、ネットワーキングだからだ。

「でも実は、過去数年間でウェブで最ももてはやされてきた展開は、ほとんどすべてが社会的交流を増大させるツールだった:出会い系サイト、フレンドスターなどの社会的ネットワークサイトおよびビジネスネットアークサイト、2004年に選挙運動で政治組織の中核をなしたミートアップなどブロガー同士の会話増加を目的としたツールが多く作られた。」

私はゲームが大好きなのだが、特にロールプレイングゲームは私達の世代以降の日本人の人生観に大きな影響を与えていると思う。それはレベルと経験値によるドラクエ的人生観を植え付けたという意味で、だ。経験値を溜めていけば技能が着実に身について、いつか強い敵を倒すことができるという人生モデルを、スクエニは数百万人の若者の脳にインストールしてしまった。単純であるが結構まともな考え方だよなあと思う。

本書によると「ゲームをやる人のほうが、一貫して社会性が高く、自信があり、問題を独創的に解決することをためらわなかった」という研究結果もあるそうだ。ゲームも捨てたものではない。

ゲームが非行暴力を助長しているという一般論にもデータをあげて反論している。実際に数字の上では1992年から2002年の10年間でアメリカにおける暴力犯罪は半減している。そして学生のIQが全般的に向上している。教育的な背景を反映しない技能の向上(おもに流動知性)が目立つ。知能の中位から低位の範囲で向上が顕著である。あれれ、みんなゲームやネットの時代に、それにどっぷり浸かりながら、賢くなっているのである。

「ぼくの主張は、何が本当に認知的なジャンクフードで、何が本当にためになるものか、というのを見極める基準を変えるべきだということだ。番組の暴力や扇動性を心配したり、服装の乱れやfuckなどの言葉尻を心配するよりも、問題はその番組が頭を使わせるか、それとも考えさせないかということであるべきだ。」

ゲームやネットを悪者にする人たちに反撃する論拠が満載の痛快な本である。

花宵道中

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・花宵道中
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第5回R-18文学賞&大賞ダブル受賞。

それが何を意味するか?

新潮社のR-18文学賞というのは単なる官能系文学賞ではなくて「女による女のための R-18文学賞」である。応募者は女性作家に限定されているだけでなく、下読みレベルから審査員まで選考にかかわるスタッフすべて女性である。男の好みを入れずに、女が感じる官能小説の凄いのが大賞に選ばれる。大賞と別に読者賞があり、その投票も女性限定である。それで本作品は大賞と読者賞ダブル受賞している。女のエロティシズムの極みである。男が読んでもぐぐっときてしまう(ピュア)。

江戸の吉原を舞台にして遊女達の切なく悲しい生き様を描いている。彼女らの日常は性愛が中心となる。吉原という設定が際どい性描写を正当化する。状況設定によって単なるエロ話でなく文学作品として成立している。女優が脱ぐための芸術的理由があって脱いでいる感じ。そこらのアダルトビデオとは違うのである。だから多くの女性読者に支持されたのではないかと思う。

性交や性技に関する描写が満載だが、即物的に行われているコトがいやらしいだけでなくて、そのコトが行われている状況がエロ度を倍加させている。現代ではありえない人権無視の買われた女たちという設定を存分に活かしている。

仮に性描写がなくてもこの作品は極上の出来である。1976年生まれの新人作家と思えない完成度。オムニバス形式でひとつの遊郭に働く遊女達のそれぞれの視点で物語が語られていく。時間的にも重なる部分があり、そこで起きていることが読み進むにつれ立体的に見えてくる。見えれば見えるほど、遊郭人間模様の切なさが極まっていく。

とてもいやらしくて、とても切ない娯楽文学の傑作。あ、でも、おこさまは読んじゃダメですよ。

物乞う仏陀

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・物乞う仏陀
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2002年、25歳だった著者は仕事を辞めて東南アジアへ旅に出た。カンボジア、ラオス、タイ、ベトナム、ミャンマー、スリランカ、ネパール、インド。彼は普通のバックパッカーとは異なる旅行目的があった。それは各国にいる障害者の乞食の実態を知るということ。彼らを尋ねて共に暮らしてみるということ。無数の物乞う仏陀と触れあい、語り合った1年数ヶ月のドキュメンタリである。

障害者といってさまざまである。先天性の障害者もいれば後天的なものもいる。カンボジアでは地雷で四肢を吹き飛ばされた人たちが路上で物乞い生活をしていた。タイでは盲目の人間は流しのカラオケ歌手になるという職業選択がある。ミャンマーではハンセン病の乞食の村の悲惨を目にする。スリランカでは障害者が生まれるのは天罰だとして、家族までもが村人に非難される。

著者はアジアの障害者のおかれた悲惨な現実を報告しているが、決して高所から正義や理屈を振りかざそうとはしない。彼らの社会に暮らした体験を淡々と文章にする。人間的な触れあいもあるが、想像を絶する衝撃の事実もある。

インドには手足がない子供の乞食が多い。著者は心を開いたひとりの乞食から衝撃の背景を知ってしまう。

「彼はストリートチルドレンとして育ったという。貧しさから逃れようとしてこの町にでてきたのだそうだ。 初めは何人かの仲間とともに暮らしていた。ところが、十五歳の時、路上で眠っていたら突然数人の男たちにおさえられて、その場で足を切断された。彼はそのまま気を失ってしまった。 目をさますと、病院のベッドの上だった。すでに左足はなかった。数日後、マフィアがやってきてこういったという。 「俺が治療費を肩代わりしてやったんだ。利子を付けて返済してもらう。」」

さらに深入りして調査を進める著者の前にたちはだかるマフィアの影。スリリングな現地潜入レポートにドキドキな章もある。何の後ろ盾もない著者の緊張感が伝わってくる。フリーライターにしかできない価値のある仕事をしている。

昨日「21世紀の歴史――未来の人類から見た世界」という本を紹介したが、世界の最も貧しい人たち、最も弱い立場の人たちがどう生きているか、これもまた21世紀のもうひとつの現実。

面白いドキュメンタリだった。この人の他の著作も読みたくなった。

・石井光太オフィシャルサイト
http://www.kotaism.com/

・現代の若者
http://kotaism.livedoor.biz/

・21世紀の歴史――未来の人類から見た世界
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38歳にしてミッテラン政権の大統領特別補佐官になり、ヨーロッパ復興開発銀行初代総裁にもなったフランスの知識人ジャック・アタリ。「ヨーロッパ最高の知性」による21世紀の政治、経済を予測した未来の歴史書。本書はヨーロッパで大ベストセラーとなり、感銘を受けたサルコジ大統領は諮問機関「アタリ政策委員会」を設置した、そうである。

「いかなる時代であろうとも、人類は他のすべての価値観を差し置いて、個人の自由に最大限の価値を見出してきた」とする。自由主義は市場経済を選んだ。歴史上、市場の秩序は9つの都市における9つの形式(ブルージュ、ヴェネチア、ジェノヴァ、ロンドン、ボストン、ニューヨーク、ロスアンジェルス)をたどってきたと総括する。そして、その行き着く先は徹底した個人主義であり、金が全ての市場観である。

アタリによると21世紀には大きな波が3つやってくる。

第一の波 マネーが全てという究極の市場主義が支配する「超帝国」の世界
第二の波 多極化構造における様々な暴力衝突の起きる「超紛争」の世界
第三の波 市場民主主義と利他愛に満ちた「超民主主義」の世界

21世紀はノマド(遊牧民)の時代である。エリートビジネスマン、学者、芸術家、芸能人、スポーツマンなどの超ノマド、貧困者達が生き延びるために移動を強いられる下層ノマド、定住民だが下層ノマドになるのを恐れてバーチャル世界に浸るバーチャルノマド。国家は彼らを誘致し一時的にとどめておく囲い程度に過ぎなくなる。

「超帝国の支配者とは、サーカス型企業の所有者、ノマドとしての資産を保有する者、金融業や企業の戦略家、保険会社や娯楽産業の経営者、ソフトウェアの設計者、発明者、法律家、金融業者、作家、デザイナー、アーティスト、オブジェ・ノマドを開発する者といった人々であり、筆者は彼らを<超ノマド>と呼ぶ。 彼らは男女ほぼ同数で、人数は数千万人ほどである。その多くの者は自営業者で、劇団型企業やサーカス型企業と関わり合いをもち、情け容赦ない競争を勝ち抜いてきた者たちであり、雇われる側でも雇う側でもない。しばしば、同時に複数の職をもち、自分の人生をあたかも株式資産運用管理のように仕切っていく。」

こうした徹底した個人の時代はわがままで自分勝手な人たちの時代でもある。それが超紛争の混沌を呼び、その反動として超民主主義が育ってくるというのが大筋だが、その歴史観のもとに多数の歴史の法則を提唱している。

・巨大勢力がライバルに攻撃されると、勝利するのは、しばしば第三者である
・勝者は、しばしば、打ち負かした側の文化に傾倒する
・世界の権力は、主な富が東側に残っていたとしても、西に向けて移動していく
・専制的な国家は市場を作り出し、次に市場が民主主義を作り出す。」
・テクノロジーと性の関係は、市場の秩序の活力を構造化する
・多くの革新的な発明とは、公的資金によってまったく異なった研究に従事していた研究者による産物である。
・「新たなコミュニケーション技術の確立は、社会を中央集権化すると思われがちだが、時の権力者には、情け容赦のない障害をもたらす。」

21世紀は保険産業と娯楽産業の時代だという予言がある。

「すべての企業と国家は、保障と気晴らしという二つの要求の周辺に組織される。つまり、世の中の不安から守ってほしいという要求と、世の中の不安から解放されたいという要求である。」

最も希少なリソースは時間である。

「市場は<蓄積された時間>よりも生きた時間、工業製品よりもサービスに対する評価を高める。つまり、蓄積された時間の見世物は無料となり、ライブショーが有料となる。例えば、映画は無料となり、映画ファンは劇場の舞台で同じ俳優が演じるシーンに対してマネーを払う。同様に音楽ファイルは無料となり、音楽ファンはコンサートを観に行くためにマネーを払う。本や雑誌も無料になり、読者は著者の講演会や討論会に出席するために編集者にマネーを払う。こうして次第に生活必需品すべてが無料になる。」

テクノロジーは人間の行動を記録する。ユビキタスコンピューティングとライフログデータベースが「超監視体制」を実現する時代には、人の動き、製品の履歴がすべてが企業や政府に把握される。ビジネスとして「監視財」市場は巨大化する。

「隠しごとは一切できなくなる。これまで社会の生活条件であった秘密厳守は、存在意義を失い、全員が全員のことをすべて知ることになる。社会から秘密を知ることへの罪悪感は減り、寛容性は増す。」

かなり過激で奇抜な部分もあるのだが、全般的に深い洞察と刺激に満ちた予言の書である。これまでソ連崩壊や金融バブル、インターネット普及などを言い当ててきたアタリの予測では、2050年頃までの世界や日本の未来は明るくはない。せめてアタリのようなビジョナリが日本にもいてくれるとよいのだが。

どこに未来の市場があるかというビジネスマンの視点で読んでも、かなり面白い本である。

・未来ビジネスを読む 10年後を知るための知的技術
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/03/10-4.html

・二十年後―くらしの未来図
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/04/post-68.html

・歴史の方程式―科学は大事件を予知できるか
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000778.html

・22世紀から回顧する21世紀全史
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000419.html

・popIn(ポップイン)
http://popin.cc/ja/home.html
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これは大変に便利だ。GmailなどのWebアプリ内でも動作するのがうれしい。

マウスの右クリックひとつで検索や翻訳や投稿などの、ちょっとした情報処理を一発実行するユーティリティ。

その"ちょっとした情報処理"とは、今日時点では

Google検索、Google翻訳、Google地図検索、Wikipedia検索、Twitter投稿、YouTube検索、文章の難易度判定、価格.com検索、Amazon検索、楽天検索、Yahoo!オークション検索、Delicious登録などである。各サービスのAPIを利用して開発されており、機能は今後増えていくようだ。

検索はページを切り替えることなくその場に結果が表示される。

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読んでいる文章について、ちょっとWebを調べたいが、元ページは離れたくないというときに重宝する。翻訳機能は選択中の文章を日本語なら英語に、英語なら日本語に翻訳し、原文に並べて表示する。どちらも"その場"ですべてを完了させる主義で設計されている。

個人的に実用的便利な機能ベスト3。ブログを書くのに毎日使いそう。

1位 Google検索
2位 Amazon検索
3位 Google翻訳

面白い機能として難易度判定がある。難易度を測定したい文章を統計的言語モデルに基づいた解析に より、文章のレベルが「小学1年生」から「大学生以上」の13段階で判定して表示する。実際の各学年の国語の教科書とレベルが同じという意味だそうだ.

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こんな画面が表示される。

選択テキストをすぐにTwitterに投稿する機能もある。

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・[オーディオブックCD] 世界一おもしろい日本神話の物語 (CD)
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この価格(1365円)でこの内容は本当に素晴らしい。

イザナミとイザナミに始まる日本神話の代表的エピソードを50本、朗読してCDに収録している。こうした神話は、古事記や日本書紀の現代語訳で読むこともできるが、日本神話は神様の名前がやたらとむずかしい。天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギ)なんて読むこと自体が苦労である。だからこそ朗読を聴くといいのだ。

このオーディオブックは書籍版を元につくられている。わかりやすい現代語で丁寧に読み上げられている。音量や声のトーンがとても聴き取りやすい。

CDは7枚にわかれている。収録された50本全部を聴くと実に5時間半かかる。そんなに聴いていられるかという人向けに、なんと7枚中3枚は倍速再生用なのである。(パッケージ外装には倍速CDが入っているとは一切書かれていないのは何でなんだろう)。倍速で聴いても2時間半あるのだが。

・古事記・日本書紀の大ファン
・日本神話について教養を深めたいけれど読むのが面倒という人
・こどもに日本の神話を教えたい人

におすすめ。

・騎馬オペラ ジンガロ 「バトゥータ」公演
http://www.zingaro.jp/

公式サイト。まずはここをみてください。

・公演のDVD 主宰者バルバタスのインタビューもある
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紹介の都合上、DVDの画像にリンクしたが、ぜひ本物を見て欲しい。

東京木場で3月26日まで公演中の騎馬オペラ「ジンガロ」を観てきた。前評判の異様な高さに期待していたが、演劇の新たな可能性を切り拓くような、斬新なスペクタクルに圧倒された。この手のショーが好きな人は残り公演を絶対に観るべきだ。生きながら本物の「走馬燈」が見られる貴重な機会である。

ちなみに騎馬オペラ「バトゥータ」は曲芸サーカスではない。シルク・ドゥ・ソレイユでもない。無論古典オペラともまったく違う。人馬一体の幻想芸術である。高等馬術を習得した役者達が、美しい馬たちとともに走り、舞い、遊牧民の世界観を光と闇の中に創り出す。

ジンガロとはパリ郊外に拠点をおき、1984年以来、絶賛を浴びている劇団である。この劇団は人間と馬で構成される。人間よりも馬の方が数が多い。ジンガロとはかつて劇団の象徴でもあった名馬の名前である。そして出生や年齢不明の主宰者バルタバスは生きた伝説である。

・美しき野蛮人、バルタバス
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今回の海外公演「バトゥータ」では、ルーマニアの二つの楽団(管楽器と弦楽器)の生演奏が流れる小さな円形劇場が舞台となる。

セリフやナレーションは一切ない。ストーリーもない。だが内容は誰にでも分かる。夜明けから夜のとばりが降りるまでの間に、ゆりかごから墓場まで人間の一生のすべてを描いている。まさに90分間の走馬燈なのである。

荒くれ者の男達、純白のドレスを着た花嫁、がなり立てる老人、ひょうきんなクマ、主宰者バルバタスなど人間のパフォーマーと数十頭の馬がギャロップで駆け回る。1時間半の公演中に馬たちはここを何百周しているのだろうか、照明や水の演出が馬たちを幻想的にショウアップする。闇の中に佇む白馬の群れ、恋人に馬上で抱かれる花嫁、幕間を告げる女性騎手......美しさに何度も絶句した。

何十頭もの馬が走り回る劇場はかすかに馬のにおいがする。この野性のにおいとリズミカルな脚音が、観客の心拍数を引き上げる。舞台中央で天上からまっすぐ下へ流れ続ける水の音、そして動と静二つの楽団の奏でる音楽。五感に入ってくる刺激が相乗して昂ぶらずには居られない。まるで幻覚を見ているかのような夢見心地の世界に引き入れられる。

余韻が忘れられない人は会場で販売されているパンフレットがおすすめ。美麗なパフォーマンスの写真や背景知識がたっぷり収録されている。

・騎馬オペラ ジンガロ 「バトゥータ」公演
http://www.zingaro.jp/

公式サイト。まずはここをみてください。

・HEALTH HACKS! ビジネスパーソンのためのサバイバル健康投資術
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著者の川田浩志氏は東海大学医学部血液内科/抗加齢ドック准教授、東海大学ライフケアセンター副センター長、早稲田大学客員講師、海老名メディカルサポートセンターアンチエイジングドック顧問、医学博士。そしてブロガー。

・Dr川田浩志のアンチエイジングワールド・リポート
http://ameblo.jp/antiagingworld/

自称「健康オタク」であるこの先生は、世の中にあふれる健康情報を幅広く収集し、自身で体験し、エビデンス(科学的根拠)の有無を論じている。たとえば、水は沢山飲んだ方が良いとか、暗いところで本を読むと目が悪くなるとか、とにかくやせたほうがいい、沖縄県民は長寿だ、無理せず気持ちよく歩け、毛を剃ると剛毛になる、などは俗説でありエビデンスを欠いた眉唾健康情報だと切り捨てる。

この本が取り上げる健康法は、食事、睡眠、運動、サプリメント、長寿、病気予防、美容、脳力維持(認知症予防)、老化防止などオールジャンル。各分野で医学根拠のある健康法ばかりが取り上げられている。中には毎日コーヒーが健康に良いとか、ややツライくらい速歩きするほうがいい、カロリー制限が長寿の有効など、意外なエビデンスありの健康法もあった。

私はサプリメント類が好きなので、45種類のサプリを使い分ける(ほとんど趣味)医師の意見はとても参考になった。今後はビタミンAの代わりにベータカロテンを使ったマルチビタミンに変えよう、イチョウ葉を試したいなと思った。

ジューサーやホームベーカリーを使った健康術など家族単位の健康法も気になる。製品名を含む具体的なアドバイスも多い。紹介されている歯磨き粉や脂取り紙など、いろいろと買い物をしてしまいそうだ。

私はお酒を飲まずやせ型で健康診断では優良児なのだが「やせすぎもダメ」という事実をこの本で知った。肥満は心臓病とがんの死亡率が高いが「やせ」はそれ以外の死亡率が高い。やせていればいいというものではなかったのだ。カロリーは控えめでタンパク質をたくさんとり適度な運動で体重を増やす、今年の目標になった。

この本は超健康法の本ということだが、こうしろという一つのやり方が示されるわけではない。巷に溢れている多くの健康法には無理がある。効果がない、続かない健康法はダメだとした上で、効果がある健康法を分野別に大量に取り上げている。この何百ものTIPSの中から、自分なりに続きそうなものを試していけばいいということだろう。

内容盛りだくさんの健康百科であり、付箋だらけになった。その後、妻と会話も弾んだ。オタク系の人、ビジネス系の人も楽しめる異色の健康本だと思う。

ところで、この本は見出しや図表のいたるところに、ビジネス書づくりのノウハウが活かされている。著者はビジネス書マニアであるらしく、あとがきに「お世話になった書評ブログ」として私のブログを紹介していただいた。医師の書く健康本に、何らかのお役に立つことができたのは大変うれしい。

johoryokubook01.jpgのサムネール画像1月9日に発売になりました。情熱の"情"、報恩の"報"、"力"道山の力と書きまして皆様のお役に立ちたい情報力です。じょ・う・ほ・う・りょ・くでございます。ネット書店だけでなく、リアル世界の店頭にもございますので、情報力に清き一票を、なにとぞ、どうかよろしくお願いします。

・猿はマンキお金はマニ―日本人のための英語発音ルール
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来日35年の外国人タレント ピーター・バラカンが書いた日本人のための英語発音ルールの本。Moneyはマニ、Monkeyはマンキ、McDonaldはムクドヌルドと発音しないと英米人に通用しませんよという。カタカナ語に対応する正しい発音方法を、発音記号とカタカナで教えてくれる。

・NHK出版|猿はマンキ お金はマニ 日本人のための英語発音ルール
http://www.nhk-book.co.jp/gogaku/monkey/

私たち日本人は英単語をカタカナにすることで柔軟に母語に取り込んでいる。だがカタカナ発音=英語発音というわけではない。著者は日本に来る前、ロンドン大学の日本語学科に通っていた。カタカナを学ぶ時間に「Oxford」をカタカナで書けという問題がでたそうだ。

「ぼくは躊躇せずにカタカナで「オクスフッド」と書きましたが、返ってきた解答用紙には×がついていました。なぜ不正解なのか、まったく理解できなかったので先生に尋ねると、正解は「オックスフォード」だと言うのです。」

英語では-fordで終わる地名や人名はすべてフッドと発音するものなのに、日本語のカタカナ表記はおかしいという。さらにStanfordはスタンフッド、Cambridgeはケインブリッジュ、Berkeleyはブークリが正しいという。カタカナ発音のおかしさを半分日本人のような著者が日本人の心情も理解した上で指摘していく。発音のそこがよくわからなかったんだよという例が続出だった。

英語では後ろから二つめの音節を強調することが多い
-ageで終わる単語の多くの発音は〔-ij〕
最後のgはほとんど発音しないでよい
最後に来るoはオでなくオウ

などの一般法則も多数紹介される。

実は著者はこの本を執筆する際にカタカナで発音を表記するのはやめようと考えていたそうだ。日本語と英語では発音体系が異なるので、安易に英語の発音とカタカナを対応させるのはよくない。だが発音記号だけではどうにもわかりにくいので、本文では敢えてカタカナ(アクセントを太字)との併用で書くことにしたそうである。本来は深くて正しい理解を推奨している。

本を読んでいて、とにかく気になったのは自分が実際に使う機会のあるIT業界用語である。この本に収録された数百の単語から私がよく使うものを抜き書きしてみた。

シリコンバレーは シリクン・ヴァリ
イメージは イミジュ
メッセージは メシジュ、
コミュニケーションは クミューニケイシュン
メディアは ミーディア
デジタルは ディジトゥ
ソリューションは スルーシュン
エキスポは エクスポウ
イグジットは エクシト
コンテンツは コンテント(単数)

そうそうこういうリストが欲しかったのだ。英語と同じと思って安心して使ったカタカナ語がネイティブには逆に通じにくかったりするものだ。上の対応表記を見てネイティブの発音を思い出すと、自分でも本物の英語っぽい発音ができる気がする。付け焼き刃的だが、発音を手っ取り早くよくする一夜漬け本として、効果のある本だと思う。出張前に効く。

とはいえ、日本人同士の会話で本物っぽい発音は気をつけないといけない。特に仕事ができない新卒社員が「ディジトゥ・ミーディアのメシジュクミューニケイシュンが...」なんてやっていたら、先輩から軽く張り倒されるかもしれないわけであるから気をつけてほしいものである。

読書論

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・読書論
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大正昭和の経済学者で慶応義塾塾長や、天皇陛下の皇太子時代の家庭教師をつとめた小泉信三による読書論の古典。自身の学者人生を振り返り、読書の理想形、何を読むべきか、いかに読むべきかを語った。岩波新書の初版は1950年だ。

名言の連続であるが3つほど感銘したポイントを抜き出してみた。

1 大著を努力と忍耐で読め

「つとめて古典を読むこととともに、私はつとめて大著を読むことを勧めたい。名著は必ずしも大冊ならず、大冊は必ずしも名著でないが、しかしそれぞれの時代を制した名著の多くは大冊であり、そしてこれらの大冊に、偉大なる著者の創始と刻苦と精励とが体化されるのが常である。それを読むことによって、吾々は単にその書の内容を知るばかりでなく、辛苦耐忍、いわば格闘してものを学ぶという、貴重な体験を得るのである。読む本のページ数のみを数えて喜ぶのは無意義であるが、努力して大冊を征服することは、人生の勉強としても大切なことであり、十数日、或いは数十日わき目もふらず一冊の本に取りついて、それを読み、且つ読みおえるという努力と忍耐とは、必ず人に何者かを与えずにはおかない。」

「難解の箇所にぶつかっても、辟易して止めるな、ともかくも読み進んで、読みおえて顧みれば、難解の書と思われたものも意外によく解るものだというのが私の主旨である。」
これはもう知的スパルタ精神論なわけであるが、大著をともかく読み切ると読んだ気になって前へ進めるという経験論は真理といえるだろう。頑張って読み切る過程で精神的に鍛えられるのも事実だ。

2 読んだら何かを書く 漱石と鴎外のやり方

本を読んだら何かを書く習慣を身につければ、読書の感興が大きくなる。少なくとも読書の歩留まりを多くするとして、明治の二人の偉大な思索家の対照的なスタイルを取り上げている。

夏目漱石は蔵書の余白に自分の意見をびっしり書き込む癖があった。意に沿わない部分があると「ソンナ馬鹿ナコトガアルカ」に始まる激しい反論をびっしり書き込んだ記録が残されている。脳内議論家である。一方、森鴎外は、本を読むとすぐに紙に粗筋梗概を書く習慣があった。まとめブロガーであった。

「読み且つ考える読書家の最も立派な一例は漱石であろう。漱石はこの点において鴎外と或る対照をなし、著者に対して、納得できないことはどこまでも争う気むずかしい読者であった。鴎外の博覧は絶倫であったが、彼はしばしばその読み得たものを、興味を以て取り次いで、そこにしばらくの拠り所を借るということをした。」

確固たる信念と定見を持つ漱石と、マイブームを乗り換えていく鴎外。思索のスタイルは違うが、読んだら何かを書くという点では共通していた。とにかく書くべきなのだ。そして著者は読書の功を取り上げるだけでなく、読書の罪、すなわち自分の目で見たものより本に書いてあることのみを信用して観察や思考を怠る危険に警鐘を鳴らしている。

3 古典を読め 

「前にもすでに説いたように、人は意外に定評ある古典的名著をおいて、二次的三次的の俗書を読むことに労と時を費やすものである。読むほうはしばらくおき、買うほうでも実につまらないものを買い込み易いのである。それは一には鑑識の不足ということでもあるが、また一つには本が好きだという弱みにもよるのである。」

すぐに役立つ人間はすぐに役に立たなくなる人間であるように、すぐに役立つ本というのはすぐに役立たなくなるものだという。実用や時事の本はすぐ役立つがすぐ使えなくなる。それに対して淘汰を生き残ってきた古典の寿命は長い。吸収した知識は一生物になる。
この本自体が60年近く読み継がれてきた古典だが、速読術や多読術とは次元の異なる読書という行為への本質的な洞察なのである。背筋を伸ばして改めて自分の読書を見直したい人におすすめ。

読書について
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/01/post-913.html

読書という体験
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/05/post-569.html

・儲かるオフィス 社員が幸せに働ける「場」の創り方
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知識ワーカーがクリエイティブに働くためのオフィス論。多摩大学大学院教授(知識経営論)の紺野登先生の本。

「クリエイティブなオフィスというとフリーアドレスを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、すでに指摘したように実は創造業務には向いていません。創造業務に必要なのは「対話」の質や密度、その背景となる組織の知の質であって、自由に座ることではないからです。ちなみにフリーアドレス制が向いているのは、営業部門のように在籍率が低い組織です。」

「組織図をそのままオフィスレイアウトに反映させてしまうと、創造的な環境は生まれません。したがって、無思想なファシリティ・マネジメントは、「儲からないオフィス」のきっかけになりかねないのです。」

私はフリーアドレスも組織図レイアウトも経験があるが、結局レイアウト云々というより、隣に座る人が誰かによって生産性、創造性が一番大きく影響を受けるように思う。そして真横に並ぶのではなくて、斜めに向き合うのがちょうどよいと思う。真横の同僚には話し掛けにくいからだ。こちらが声をかけようとするのを、向こうも瞬時に察知して向き合う位置関係が私は好きである。対話が多くなる気がするのだ。この本も、コミュニケーションが増えるオフィスの作り方を大企業の事例を中心に紹介している。

「つまり「場」の創出とは、各部門が組織横断的に協調したり、自社外の人々をも巻き込んでプロジェクト業務を行ったりできるよう、組織内外の人的・知的ネットワークが企業の価値創造プロセスに直結するソーシャル・キャピタル(社会観系資本)を生み出すことを意味します。」

信頼関係や人間関係の豊かさが知の移転や共有、アイデアやイノベーションを生み出し「儲かる」につながっていく。だからちょっとした打ち合わせ、リラックスしたコミュニケーションができる空間を作ることが大切という話だ。

儲かるオフィスづくりのポイントとして次の7項目が詳説される。

1 トップが積極的に関与する
2 本社を「事業創造のための場」と位置づける
3 階段とエスカレーターをコミュニケーションツールにする
4 集う場、発信する場をあえてつくる
5 インサイド・アウトによるデザイン・アプローチをとる
6 環境への配慮は前提となる
7 本社は社会・都市機能を担う

で、結論は

・「有機的な」空間の構成─従来のように機械的でなく、組織図にとらわれない人間的ネットワークを重視する
・切れ目のないレイアウト─身体的、感情的なつながりを重視し、組織文化、協調的リーダーシップの生まれる場となる
・環境への配慮─自然を巧みに取り入れ、組織、職場が社会の動きに応える

ということなのだが、働き方の多様化、人材の流動化、コンピュータネットワークの進化によって、知のワークプレイスも変化に臨機応変に対応する柔軟性が求められている。新しいオフィスのあるべき姿を考えている人に特におすすめの本である。


ところで、著者の紺野先生と私は昨年、多摩大学知識リーダーシップ綜合研究所を設立しました。知識創造型の企業を、「人材マネジメント」と「リーダーシップ開発」に焦点を当てて研究する機関です。セミナーや研修も請け負っています。お問い合わせ下さい。

・多摩大学知識リーダーシップ綜合研究所
http://www.ikls.org/

黄金旅風

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・黄金旅風
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歴史小説の大傑作。いや、面白い、面白い。

徳川秀忠から家光の治世、寛永年間に鎖国体制は完成し以後ペリー来航まで2世紀もの間、日本と海外の国交は厳しく制限されることになった。そのまさに日本が閉じようとしている時代に、長崎はわずかに残された海外貿易都市として栄華を誇っていた。史上最大の朱印船貿易家と呼ばれた末次平左衛門とその親友の町火消組頭の平尾才助。貿易利権を巡る内外の抗争と謀略から長崎を守ろうとした人たちの生き様を描いた長編小説である。

当時の長崎は幕府の貿易統制とキリシタン弾圧が進められる中、なお海外から渡ってくる自由な風を感じることができた。二人は体制の中に生きる日本人であると同時に、黄金旅風の中に育った型破りな発想と行動力で人々を魅了していく。

黄金旅風というタイトルだが海外を飛び回る海洋冒険小説ではない。たしかに海の冒険譚も冒頭はじめ何カ所かあるのだが、物語の大半は長崎の陸の上である。魅力的な政治小説なのだともいえる。長崎代官となった平左衛門は朱印船貿易の本質を見抜いていた。

「そう考えていけば、結局のところ朱印船の制度も、同じ図式であることに平左衛門は気づいた。一見国内商人による貿易振興策のように見えていながら、その実は家康による貿易統制策の一環でしかないものだった。父平蔵始め、朱印船貿易を許された者たちが、特権を与えられているように見えていながら、実は大名資本や、西国大名と結びつく危険性のある商人たちを排除する目的で開始されたと見るべきなのだ。」

莫大な富を得られる貿易利権を巡って、将軍家や幕臣、大名と奉行らが繰り広げる政治的な駆け引き。平左衛門は、策謀の犠牲になる長崎の人々の利益を守るべく、決死の覚悟で政敵に立ち向かう。冒険の前半に対して後半は読み応えのある政治小説といった感じ。

二人の主要人物以外にも魅力的な脇役のサイドストーリーもたっぷりある。本格歴史小説だが娯楽性も高い。『本の雑誌』2008年度の文庫ベストテン第1位に選ばれた。

・hatehate
http://exeonline.client.jp/hatehate.html
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hatehateははてなダイアリの新着キーワードと注目キーワードを表示するためのデスクトップアプリケーション。キーワードをクリックすると、はてなに登録された解説文と関連サイトへのリンクが表示される。

連想語機能で発想を広げていくこともできる。一人ブレインストーミング用の思考支援ツールとして結構使える。

さらに面白いのが「キーワード抽出」機能。任意のテキストを右上スペースにはりつけてキーワード抽出を押すと、文章内の単語からはてなに登録のあるものだけを抽出してくれる。はてなを辞書的に使いたいとき大変便利な機能だ。

・タイプ数カウンター
http://www.vector.co.jp/soft/win95/util/se399353.html
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このソフトはキーボードのタイプ数とマウスのクリック数を常駐して計測する。その結果は表とグラフでリアルタイムに表示される。自分がどんな風にキーボードやマウスを使っているのかを把握したいときに使える。

時間帯別、曜日別に回数をグラフ表示させると、やはり平日昼の仕事時間と夜中のブログ執筆時間が山を描いていることが分かった。

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116日間計測して、113万回のタイプ数を記録した結果、私のよく使うキーのベスト10は

1 ENTER
2 BACKSPACE
3 A
4 O
5 I
6 U
7 N
8 SPACE
9 K
10 E

となった。母音が多い。私はローマ字入力である。仮名入力の人とは違った結果になるだろう。1日平均1万回タイプするという事実もわかった。

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マウス操作は17万クリックを分析すると左クリックが16万7千回、右クリック3千回であった。右クリックというのは2%に満たないものなのだと知る。そして1日約1500回ほどクリックはするのだ私は。

・少将滋幹の母
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「今昔物語」のエピソードを題材に人間の業の深さを描いた谷崎潤一郎の時代小説。

80歳になる大納言 藤原国経には年若い絶世の美貌の妻がいた。国経の甥の左大臣藤原の時平は噂を聞き、その女を我が物にしたいと企む。そして国経の家を訪れて宴を開いた帰りに「引き出物が少ない」と言いがかりをつける。年齢は上だが官位は低い国経の立場は弱い。ついには時平は戯れのように美貌の妻をお持ち帰りしてしまい、そのまま返さない。嘆きながら国経は世を去っていく。続いて権力者の時平も、菅原道真の祟りだったのか、若くして病で亡くなる。

時平の友人の平中も世に知られた色男であった。美しい女とあれば口説いてまわる。時平の屋敷で出会った侍従の君にも思い焦がれる。平安貴族のプラトニックな男女のコミュニケーションが現代人からするととても可笑しい。

思いを込めた歌を詠んで送り、返歌を待つ。返事は来なかったりして「見たという返事だけでもください」と手紙を書けば女から「見た」とだけ2文字の返事がくる。もうたまらんと夜這いをかけたら、女の企みで部屋に閉じこめられ、朝まで一人女の枕を抱いて泣いている。

いっそ女を嫌いになれたらと思った平中は、彼女の使ったおまるを召使いの女から奪い取る。その中の汚物を見れば彼女も普通の人間に過ぎないと諦めが付くだろうと思ったのだ。ところが中身を開けてみると、かぐわしいにおいがする。不思議に思った平中はそれをなめてみる。

「で、よくよく舌で味わいながら考えると、尿のように見えた液体は、丁字を煮出した汁であるらしく、糞のように見えた固形物は、野老や合薫物を甘葛の汁で煉り固めて、大きな筆のつかに入れて押し出したものらしいのであったが、しかしそうと分かって見ても、いみじくもこちらの心を見抜いてお虎子にこれだけの趣向を凝らし、男を悩殺するようなことを工むとは、何と云う機智に長けた女か、矢張彼女は尋常の人ではあり得ない、という風に思えて、いよいよ諦めがつきにくく、恋しさはまさるのみであった。」

平安貴族達の尋常ならざるラブストーリーが延々と続くが、かわいそうなのは国経と平中の間に生まれた一人息子である。幼い頃に親戚のおじさんに母を奪われて以来、四十年間以上も会うことができない。「お母さま」。年齢を重ねるにつれて母への思いはつのるばかり。

盲目的に恋する男、見栄を張る男、母を慕う男など、執着する男の子供っぽさを、あらゆる側面から格調高く描いている。長い年月を経て母と息子の再会するラストシーンは美しい。

・数学で犯罪を解決する
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このドラマは何度かみて注目していたのだが、こんな本が出ていたのだな。

・天才数学者の事件ファイル
http://tv.foxjapan.com/fox/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/8
シーズン2を放送中

海外人気ドラマ 「NUMB3RS:天才数学者の事件ファイル」は天才数学者がその知識を使って兄のFBI捜査官を助けて難事件を次々に解決していくという内容。この本はそのドラマの各話に登場する最新数学の手法を一般向けにわかりやすく解説している。

たとえば第1話では連続する複数の事件の発生場所をプロットし、その座標をある数式で分析することで、犯人の住処を特定した。ドラマの内容の総括の後、こうした地理的プロファイリング手法は現実の犯罪捜査でも効果を発揮しているという話が事例を挙げて紹介される。

データマイニング、ニューラルネット、変化点検出、ベイズ理論、暗号理論、ゲーム理論、指紋とDNA、画像解析などたくさんの数学的な分析手法が取り上げられている。ドラマでは簡略化されたり誇張された部分も、現実にはどの程度まで実現されているかがよくわかる。

大量の過去データを分析して変化の予兆を発見する「変化点検出」が個人的には一番興味を持った。たとえば野球の試合データを「シルヤエフ・ロバーツ変化点検出方式」で分析すると、選手のドーピングがわかるなどという話。

「選手が能力向上ドラッグを使いはじめた時期がわかるのだ。野球史上でステロイド剤を使っていた選手の成績や行動を慎重に調べることで、キットナーはステロイド剤を使っていた選手の成績や行動を慎重に調べることで、キットナーはステロイド利用の指標として使える統計がどれかを見極めたのだった。───長打数、攻撃的なプレー(死球など)、かんしゃく(口論、退場処分など)だ。そして数学的な監視システムを作って興味ある選手すべてに関する詳細な統計を見張り、だれかがステロイド剤を使っているかどうか、世間に知られるずっと前に信頼できる形で判定できる。」

薬物疑惑がある日本の相撲やオリンピックでもやったらどうだろうか。発見に成功したら話題になりそうだ(少なくともブログネタにはなるだろう、笑)。変化点検出の現実問題への応用は次のような分野に適用されているという。数学者とビジネスマンの接点には大きなビジネスチャンスがありそうだ。ITビジネスマンにおすすめ。

・医療モニタリング
・軍での利用(通信チャンネルの監視)
・環境保護
・電子観察システム
・犯罪活動容疑の監視
・公衆衛生監視(たとえばバイオテロ防衛)
・テロ防止

どれも人間には監視できないような圧倒的大量のデータの中に隠れた相関を発見して重大なカタストロフを事前に予測するものだ。そして数学者はこうした変化点の検出方法を発明するだけでなく、同時にその限界も数学的に証明したりしている。コンピュータが神の如くすべてを予見できる日は論理的に来ないようで、ほっとする。

巻末の訳者(代表は山形浩生氏)によるあとがきは、単なる訳者の立場を超えた本書の評論であり参考情報もたっぷりで、翻訳本に付加価値を高めている。

・NUMBERS 天才数学者の事件ファイル シーズン1 [DVD]
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・自己信頼[新訳]
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アメリカの思想家、詩人 ラルフ・ウォルドー・エマソン(1803~82)。18歳でハーバード大学を卒業し、教師、牧師を経て、ニューハンプシャー州コンコードに定住し、独自の思想の著述と講演を展開した。成功哲学、自己啓発の祖みたいな人である。

この本は「自己信頼」と題された短い論文だが名言の連続で構成されている。感動的な演説を聴いたかのような読後感が残る100ページの小冊子である。1ページ当たりの文字数はとても少ないのですらすら読める。読みやすい訳文が光る。

「自分の考えを信じること、自分にとっての真実は、すべての人にとっての真実だと信じること───それが天才である。」

「自分を信じよ。あなたが奏でる力強い調べは、万人の心をふるわせるはずだ。」

「一個の人間でありたいなら、社会に迎合してはならない。不滅の栄誉を得たいなら、善という名目に惑わされることなく、それが本当に善かどうかを探究する必要がある。」

「私にとって、自分の本性に係わる法則以外に神聖な法則はない。善や悪はたんなる呼び名にすぎず、簡単に他の言葉と置き換えられる。正しいものは私の性質に即したものだけであり、悪い物は私の性質に反したものだけである。」

「自分自身にこだわるのだ。ゆめゆめ模倣などしてはならない。」

エマソンは自分の信じた道を行けばそれが絶対正しいと繰り返す。一貫性がなくてもそのとき考えたことを断固として語れ、それで他人に誤解されても気にするな。「偉大であることは誤解されることなのだ」と説く。徹底した自己信頼は「もし私が悪魔の子なら、悪魔に従って生きていくまでです」という断固っぷりである。

自身を失いそうなとき、迷いのあるとき、心の栄養補給ドリンクとなる本だ。逆に躁状態で読むと効き過ぎて困ったことになるかもしれない。エマソンの言葉は強烈に薬にも毒にもなる。本物なのである。

・現代を読み解く ラブホテル人間学―欲望マーケティングの実態
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アベックホテル、ファッションホテル、ブティックホテル、カップルズホテル、レジャーホテル。つまりラブホテルの話。著者は昭和40年代から実に40年以上にわたり1638ものホテルをデザインしてきたラブホテルデザインの第一人者だそうだ。

幼稚園で子どもが好んで座るおまるをデザインしたところからキャリアが始まったというが、「セックスするときは、みんな子どもに戻る」を持論に、回転ベッドや鏡張りの非日常的な空間を次々にプロデュースしていった。その斬新奇抜で話題性のあるデザインはマスコミが連日取り上げて時代の寵児となった。

「余談ですが、私はラブホテルのデザインをするにあたって、利用者の声をあまり取り入れませんでした。というのも、お客さんの好みといっても、セックスはとても個人的なもの。表には出にくいものだからです。取り入れようにも、アンケートをとったって、誰も本心をいうわけはありませんから、意味がないのです。」

ラブホテルは世界的に例がない日本だけの文化だ。著者は「日本人は器で食事をする。外国人はカロリーで食事をする」が持論。淫靡さ、猥雑さ、ドキドキ感を伴うスケベな雰囲気にこだわって、想像力をかき立てる部屋、五感を刺激する空間を演出して一時代を築いた。最近のラブホテルはシティホテルのように清潔で上品になり、活力を失ってしまったと嘆く。

「昭和50年代のラブホテルは一日につき、一部屋四~五回転は当たり前、中には八回転という化け物的な部屋もありました。売上も、一月当たり一部屋100万円が当然で、多くなると180万円というものもありました。しかし、現在、一部屋が稼ぎ出す金額は、平均40万円くらいでといわれています。」

不動産投資コンサルタントの分析によるとラブホテル市場は売上規模で3~4兆円。デジタルコンテンツ市場と同規模なのだという。繁華街型、郊外型、インターチェンジ型などのモデル別経営事情が明かされている。5%程度が平均の不動産投資商品の中で、ラブホテル投資は20%近いリターンがあるケースも多いそうで投資物件として格別の魅力があるという。新市場AIMに上場したラブホテルファンドもあるらしい。

なかなか見ることができないラブホの裏側をじっくり観察できる新書。個性的な著者の話が面白い。欲望マーケティングの実態、よくわかった。

・愛の空間
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/oso.html

・性の用語集
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004793.html

・みんな、気持ちよかった!―人類10万年のセックス史
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/005182.html

・ヒトはなぜするのか WHY WE DO IT : Rethinking Sex and the Selfish Gene
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003360.html

・夜這いの民俗学・性愛編
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002358.html

・性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004747.html

・武士道とエロス
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004599.html

・男女交際進化論「情交」か「肉交」か
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004393.html

・芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神
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ユニークな芸術論の本。

「十八世紀末から十九世紀初頭にかけてヨーロッパでは宗教と芸術の位置は完全に逆転する。宗教は個々人の内面の慰安、今日のわたしたちの言葉でいえば「癒し」の領域にとり込まれ、代わって「芸術」が市民社会の公共の典礼となる。美術ミュージアムや芸術展覧会、あるいは古寺巡礼の訪問者達が「芸術」に癒しを求め、作品との美的交流、魂の対話をおこなっているというのはひとつの幻想であって、真実は「芸術」という観念に身をゆだねるのである。政教分離が確立されていく西欧近代社会にあっては宗教はかつてそうであったような不可抗力的な社会制度ではない。まさに「芸術」こそが近代社会の不可抗力な制度となっているのである。」

「芸術」とは過去200年前にヨーロッパで創出された観念、発明品に過ぎなかった。だが政教分離や科学の台頭の時代に、芸術は宗教に代わって独自の崇高さと聖性を帯びていく。

天才的な芸術家は人々に神のような存在として伝説化、神話化される。たとえば前近代の人々は「今にも夜ごと抜け出てきそうな」幽霊や獣の絵画を見て、超絶技巧や本物そっくりという職人技を賛美してきたわけではなかった。今にも抜け出てきそうなバーチャルリアリティを導出する魔術に驚いたのだ。

「この完璧な「伎倆」伝説が伝えようとするのは、実物に酷似させる画工たちの伎倆への無条件名賛美ではなく、画人たちが真に迫真性のある現実とは別の現実世界、いいかえれば別世界や未来の世界、過去、現在、未来に制約されない自由な時空世界を出現させることに対する賞嘆の念だということである。それはまさに「魔術」の世界であり、「魔術師としての芸術家」の伝説だったのである。」

だが皮肉なことにこの「聖性」を確定させてきたのは、その絵を極めて高値で買い取った俗物たちであると著者は指摘する。金銭という世俗的欲望の象徴が聖なる絵にかかわることで、芸術は近代資本主義と結びついた。「合理的な価値算出を大幅に逸脱し、一般的な常識を裏切って、法外な高値を付けられれば付けられるほど作品は「芸術」的価値を高めるのである。」。

そして現代において真の芸術家は反権力的、反社会的でなければならない。芸術家はもはや君主やパトロンに奉仕する従属的な存在ではなくなった。「制作者の自由な想念と遊び心のなかで感性をみた作品の美は「自由美」「純粋美」と呼ばれ」現代の自由思想と相性が良かった。

こうして「かつての「テクネ」「アルス」は啓蒙主義を通じて「芸術」「技術」「科学」に分化し、それぞれが「宗教」と「神」を押しのけて、みずからが神となり、みずからが新しい「伝統」と「権威」となっていった」。著者はこの本で、その高みにのぼりぎた芸術思想を、民族、歴史、文化の問題とからめて論じて、絶対的な価値の解体、相対化を試みる。制度化された芸術はつまらないのである。

「本書は西欧中心に組み立てられてきている「芸術」の概念を一度でもよいから白紙に戻し、非西欧圏の芸術も西欧の「周縁」芸術としてではなく、それぞれが「中心」を構成しうる芸術作品の新しい評価体系を再構築すること、そしてそのような思考を育てあげていくべき時期にきていることを提唱する書である」と著者の志は高い。

小林秀雄の芸術論批判だとか、ミュージアム論、民族と歴史と芸術思潮の関係論など各論部分にも読み所の多くあってとても面白い本である。


・美学への招待
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/03/post-710.html

・限界芸術論
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/11/post-878.html

・アウトサイダー・アート
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/04/post-739.html

・今日の芸術―時代を創造するものは誰か
http://www.ringolab.com/note/daiya/2007/07/post-612.html

・美の呪力
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/01/izo.html

・今日のナカツリ
http://nakatree.jp/
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中吊り広告が結構好きである。下世話な週刊誌の見出しは、実際に買うことはまずないのだけれど、アテンション・エコノミー時代のコピーライティングの勉強になる。長い間積み上げられてきた中吊りの広告テクニックは、Webビジネスにだって活かせるはずである。(逆も然りだが)。

これは今日の中吊り広告をデスクトップに好きなだけ表示させることができるソフトウェア。デスクトップに小さく表示させておいて、気になった広告があれば全画面で見ることができる。

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書店サイトと提携しており、雑誌を購入することもできる。

iPhoneやiPod Touch版、ブログパーツ版(アフィリエイト対応)もある。

・今日のナカツリ on iPhone/iPod touch
http://nakatree.jp/services/iphone.html

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これがブログパーツ版。

・SwitchApp
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/util/se462160.html
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SwitchAppはWindowsのアプリ切り替えユーティリティだ。

原稿執筆の時のブラウザとエディタ、開発作業のためのブラウザと開発環境、企画書作成のためのエクセルとパワーポイントなど、作業で何か特定のアプリに戻りたい作業というのはよくある。ウィンドウをたくさん開いていると、どれがそうだっけと迷って操作に時間がかかったりする。

このソフトを使えばCTRL、Alt、Shiftキーの連打に対して、呼び出すアプリケーションを割り当てることができる。タタッと連打して呼び出せるのがかっこいいと思う。作業がはかどるかもしれない。

呼び出したと同時にアプリケーションに対して送信キーを指示することも可能だ。たとえば掲示板サイトを表示しているブラウザを呼び出すたびに「F5」で更新表示させるとか、エディタにCTRL+Nで「新規作成」を指示するなど。

大量のウィンドウを開いて定型的な作業をする人におすすめ。

・私たちがやったこと
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受賞作「体の贈り物」で知られる現代アメリカ作家のレベッカ・ブラウン短編集。7本の中から以下に印象に残った作品を3つ概要紹介。

表題作「私たちがやったこと」

「安全のために、私たちはあなたの目をつぶして私の耳の中を焼くことに合意した。こうすれば私たちはいつも一緒にいるはずだ。二人ともそれぞれ、相手が持っていないもの、相手が必要としているものを持っているのであり、二人ともそれぞれ、相手に何が必要なのか、相手をどう世話したらいいかが完璧にわかっているのだ。」

この本に収められた連作はどれも満たされない愛、すれ違う愛、ほどけていく愛を幻想的に描いている。甘くはない愛のおとぎ話といった感じ。現代的。

レベッカ・ブラウンはレズビアン作家として知られている。作品には中性的なセクシュアリティの登場人物が多くて、読んでいて「この主人公は男かな、女かな」と明確な記述がでるまで落ち着かない気持ちにさせられる。おそらく作者にとってはそれはどうでもよいことなのだろう。男女を決めてくれないと落ち着かない読者のほうがセックスにとらわれているわけだ。「私たちがやったこと」でも二人が求めあうのは視覚と聴覚であり、男性性、女性性ではない。IとかYouとか一人称二人称に性別の区別がない英語の作家ならではの文体といえるかもしれないが。

新婚の夫婦の新婚旅行先に、ひっきりなしに友人知人が訪れて解放されずに困り果てる「結婚の悦び」。秘密と愛は密接な結びつきがある。男女の営みは隠さなければならないし、隠すからこそ悦びなのだ。秘め事というしね。何日たっても帰らないお客たちと連日連夜のパーティを繰り返す夫に辟易させられる花嫁。みんなに祝福されながらも満たされない。寓話的な話だが、男女の普遍的な何かを象徴しているように思える。

最後に配置された「悲しみ」も10ページの超短編だが味わい深い。去っていく人と送り出す人の本音と建前。遠くに行っても忘れないからね、毎日手紙を書くねといって別れた後、私たちはどうあるべきだろうか。

独特のタッチで7パターン、愛のスケッチがある。

・アメリカ下層教育現場
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タイトルをみて興味本位な格差問題の本かなあと思ったら、まったく違う内容で驚いた。熱血教師の体当たりドキュメンタリとして面白い本なのである。

著者は1969年生まれ。大学在学時にプロボクサーになるが怪我で挫折。週刊誌の記者を経てフリーライターになり96年に渡米。ネヴァダ州立大学でジャーナリズムを学んだ後、米国の著名なスポーツ選手にインタビューを重ねてドキュメンタリ書籍を出したという経歴の人物。バイタリティたっぷり。

大学の恩師の依頼で、著者は米国の高校で代理教員の仕事を引き受ける。着任先は市内で最も学力の低い学生が集まる最底辺校。進学率は1%に満たず、あまりの学生の質の低さに教員が次々に去っていく学校なのであった。科目は「日本文化」。

赴任第一日目。初回の授業では日本とアメリカの関係を説明する30分間のビデオ教材をみせることにした。だがそこには、ビデオを見るだけの授業もままならない学級崩壊の現実が待っていた。

「トイレに行きたい」と数人が立ち上がる。ポケットからMP3プレイヤーを取り出して聴き始める者、名にも告げずに教室から出て行く者、眠り出す者、クラスメイトの髪を熱心に梳かし始める女子学生、ハッキーサック(小さな布の弾を地面に落とさないように蹴りあう遊び)に夢中になり出す男子5人、UNOを机の上に並べる女子3名......と目を疑う光景が広がっていった。子供たちの倫理観は、私の予想を遙かに超えていた。」

元プロボクサーとして戦い、フリーランスとして世間と戦い、有色人種マイノリティとして米国社会の差別と戦ってきた闘魂に燃える著者は、そんな荒んだクラスを前にしても決して諦めなかった。日本と違って体罰は許されず、少しでも生徒に手を出せば教師が刑務所行きになる社会だ。熱血先生はまず殴りたい気持ちをぐっとこらえた。そして日本文化の授業を通して、クラスを再建し、ひとりで生きていける力を生徒に学ばせようと決意する。

ほとんどの生徒は貧困や家庭崩壊、差別という劣悪な環境に育っていた。著者は自身の学歴や、使い捨てライターとしていいように使われてきた過去と重ね合わせて、自分がお手本になってやろうと考える。「きっと使い捨てにされる者にしかできない授業があるに違いない。人種の壁に直面しながら教壇に立つサンプルを見せることこそ、真の教育ではないか」。

熱血先生の渾身の授業は生徒の心を開いていく。一進一退であるものの少しずつ心の距離は縮まっていく。だが、ほのかに希望がみえた頃には悲しい諸事情によって授業も終わりが近づいていた。先生は最後に「日本文化」よりも大切な「生き方」を生徒に教えてやろうと考える。

教員免許も持たない米国在住のフリーライターが、学級崩壊したクラスの立て直しにチャレンジするドラマが読み物として面白い。その過程を通してアメリカの下層教育現場の実態が垣間見える。ここで描かれたのは2つの学校で、共に短期間の経験であるために、米国の教育全体がこうした問題を抱えているのかはわからない。だが、日本よりひどい状況があるのは確かのように思える。

(日本は)「ただ米国とは貧しさの度合いが違うため、子供が働かなくても何とかなる。日本で話題となっている引きこもりや、成人のニート現象は、「平和ボケ」の典型と呼べるものであろう。アメリカの貧困家庭には、引きこもる部屋も、ベッドも、そして満足な食糧も無いのである。」

日本にはなかなか伝わってこないアメリカの貧困社会の様子がわかりやすく読める良い本だ。続編があっても良いなあ。

・性と暴力のアメリカ―理念先行国家の矛盾と苦悶
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004747.html

・ルート66をゆく アメリカの「保守を訪ねて」
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004412.html

・エンジェルス・イン・アメリカ
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004715.html

・アメリカ 最強のエリート教育
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/002864.html

・現代アメリカのキーワード
http://www.ringolab.com/note/daiya/2006/10/post-464.html

・独立外交官 国際政治の闇を知りつくした男の挑戦
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「外交はよく、チェスのようなゲームにたとえられる。外交に関する本の表紙やウェブサイトをチェスのコマが飾っていることも多い。ゲームとして描かれる外交。そこでの目的は勝つことだ。駒の動き、チームの目的と能力は有限で、ややこしいけれど理解可能だ。チェスは白と黒が戦うゲームだ。外交ゲームでも同じ。外交が論法として機能し、合理的だと思われ、現在の形でこれからもずっとつづくには、ゲームの参加者が二つのチームにはっきり分かれる必要がある。「われわれ」と「彼ら」だ。」

イギリスのエリート外交官だった著者は15年間に、パレスチナ問題、湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク侵攻など現代史の最前線で活躍してきた。先進国の代表者として著者の属した「われわれ」は常勝チームだった。しかし、国連常任理事国のような一部の有力国が圧倒的な情報力や交渉力を持ち、多くの貧困国は発言権さえ与えられない国際外交のありかたに大きな疑問を持った。そこでイギリス外務省を退職し、外交コンサルティング組織「インディペンデント・ディプロマット」を設立、国際社会で弱い立場の国や人々のために自身の能力と経験を使うことを決意した。

著者は国際外交の問題点を次々に指摘していく。民主的でないこと、外交官と国家の同一視、エリートと市民の無責任な協定関係、国際関係を競争ととらえる思考法、時代遅れの国益の駆け引き思考、事実認識の構造的欠陥、「世界は理解可能だ」という思い上がり、根深いところの不均衡、不公平など。

問題は山積みだが、国際関係というメタレベルのコミュニケーションには愛やこころ、哲学がないことが最大の問題であり、著者が外務省を辞めて独立した最大の理由でもあるように思える。極めて有能で合理的判断のできる外交官達が、有能で合理的であるが故に人間らしさを失っていく様子がこの本に描かれている。

「情報量が増えるにつれて、何が起きているかを「説明する」ために、単純化した「ストーリー」が求められるようになっているのだ。 どのような情報も、どれほど包括的であろうとしても、現実の取捨選択と単純化を避けることはできない。だれも、神の眼で見ることはない。手に入る膨大な情報のなかで、政策決定にどれを使うべきか、どうしても、何らかの選択がなされることになる。外交界には、自分たちの世界観を裏付けてくれる情報を見つけ出して伝えるという、あまりに人間的な傾向がある。そして現実から遠ざかれば遠ざかるほど、この傾向はひどくなる。調停していたイラクの現実から、僕たちは一万キロ近くも離れていた。ときには、月の表面について話しているも同然だった。」

大国の外交官達は駒のひとつひとつに生命がかかっていることを忘れて「われわれ」と「彼ら」のチェスゲームに熱中してしまう。現実と議論の乖離、道徳や感情の欠如が世界に悲惨な結果をもたらす。そんな外交を変革するために何をすべきかを著者は徹底的に考察している。

そして「外交につきものの限定、単純化、虚構、恣意性を解体することは、外交という概念自体の解体を必要とするのかもしれない。」という。この問題は結局、政治外交に限らず、グローバルコミュニケーションの普遍的な論点でもあるだろう。異文化間で情報の大枠は記号的に伝達できても、前提の情緒的な部分が共有されなければ、紛争とか差別というのはなくならない。

だから著者はもっと深いコミュニケーションのために「国益」概念を捨て大使館を出た。2004年からはコソボ、ソマリランド、西サハラなどの紛争地に飛んで国の独立に向けた外交を支援している。世界初の独立外交官は国際政治のあり方を変えるだろうか。現在進行形のドキュメンタリである。

・読んでいない本について堂々と語る方法
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ネタかとおもったら本気の本だった。本を語るのに読む必要はなく、むしろ読まない方が創造的になれて、うまく語れるものだという内容。著者はまず本を読んでいない状態がいかに普遍的なものかをうったえる。パリ第八大学教授の著者の哲学的な考察が深い。

「「読まない」にもいろいろある。もっともラディカルなのは、本を一冊も開かないことだろう。ただこの完璧な非読状態というのは、全出版物を対象として考える場合、じつは近似的にはすべての読者が置かれた状態であって、その意味では書物にたいするわれわれの基本スタンスだといえる。たしかに、どれほど熱心な読書家であっても、存在するすべての書物のほんの一部しか読むことはできない。したがって、話すことも書くことも一切しないというのでないかぎり、つねに読んだことのない本について語らされる可能性があるのである。」

日本では毎年7万冊超の出版物が刊行される。いくら熱心な読書家といっても新刊の1%も読むことはできない。だから本を読んでいないことはまったく恥ずべきことではないのだ。そして読書という行為には文化的に強力な3つの規範がはたらいていると著者は指摘する。

1 本を読まねばならない読書義務
2 読むなら全部読まねばならない通読義務
3 語るためには読んでいなければいけないという規範

凄くよくわかる。私はこのブログでこれまで1000冊以上を書評している。本によっては半分くらい読んだところで全容が把握できてしまうことがある。だが、全部読まない限りブログに書いたらイケナイじゃないかと自制がはたらいて絶対に書けない。なにがイケナイのかの正体がまさにこの3つの理由、3つの強迫観念のせいなのだ。

そして、未読といってもいろいろある。著者は4つの状況を挙げている。

・ぜんぜん読んだことがない本
・ざっと読んだことがある本
・人から聞いたことがある本
・読んだことはあるが忘れてしまった本

ぜんぜん読んだことがなくても、その本の位置づけを正確に把握することは可能だ。たとえばプルーストやジョイスの難解な作品は、どういう内容なのか、あらすじや作風は広く知られているが、本当に読んだ人は少ないだろう。そして実際に全部読んだからといって、なにか深いことがいえるかというと、それは別問題なのだと著者は指摘する。むしろその本をめぐる全体の見晴らしを得るには読まないほうがよく、読まずに本を語ることは創造行為なのだと賛美する。

本書では、未読本へのコメントを求められる状況が、「大勢の人の前で」、「教師の面前で」、「作家を前にして」、「愛する人の前で」などパターン別で分析されている。有名な本(著者はそれらの作品を読んでいなかったりするのだが...)を題材にして、いかに読まないでも有益な話を語れるかを著者は熱心に語る。

ちなみに未読本へのコメントのコツは

1 気後れしない
2 自分の考えを押しつける
3 本をでっち上げる
4 自分自身について語る

だそうである。

一般に、義務感で読んだ学生の読書感想文はつまらないものである。一方、自分語りに終始してちっとも内容について触れないプロの書評が面白いということがある。著者は「読んでいない本についてのコメントが一種の創造行為であるとしたら、逆に創造も、書物にあまり拘泥しないということを前提としているのである」と書いている。

この本の書評を読まずに書けたらかっこいいのだろうなあと思うが、もう全部読んでしまった私の負けである。ま、面白かったからいいや。

金閣寺

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・金閣寺
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「写真や教科書で、現実の金閣をたびたび見ながら、私の心の中では、父の語った金閣の幻のほうが勝を制した。父は決して現実の金閣が、金色にかがやいているなどとは語らなかった筈だが、父によれば金閣ほど美しいものは地上になく、又金閣というその字面、その音韻から、私の心が描きだした金閣は、途方もないものであった。」

昨年の夏に新幹線で三島由紀夫の「金閣寺」を読みながら京都に本物の金閣寺を見にいった。修学旅行以来だったが金閣寺は相変わらず金色に輝いていた。外国人観光客と一緒に写真をパチパチと写してきた。デジタルな被写体としてはなかなか面白いのだが歴史の重みを感じられない。タクシーの運転手さんに「金閣は新しいもので趣がありませんなあ」と言われてしまうくらい地元では人気がないらしい。

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1394年に創建された金閣寺は1950年に21歳の僧侶による放火で全焼している。今のピカピカ金閣は1955年に再建されたもの。金閣の美に魅入られ寺に入門した主人公が、なぜ『金閣を焼かねばならぬ』という決意に至ったのか。犯人自殺により真相は不明となった事件だが、三島はそれを狂人の仕業とは片付けず、魂の遍歴の帰結として告白の文体で作品化した。

主人公は放火したあと、金閣を出て左大文字山の頂きへ駈けて逃げるのだが、実際に現地に行ってみると、山までの距離感が分かって臨場感が感じられた。

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画面の左が入り口。奥が左大文字山。

以前、中国で孔子の故郷を訪ねながら「孔子」を読んでみたことがあったが、この旅行しながら読書というスタイルは、訪問地も作品も強く印象に残るのでおすすめの読書スタイル。

・孔子
http://www.ringolab.com/note/daiya/2004/11/post-168.html

以下、金閣寺を撮影してきた写真。

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