Books-Misc: 2009年5月アーカイブ

・他人と深く関わらずに生きるには
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先日主催したイベントにスピーカーとして登壇いただき参加者から大好評だった池田清彦先生の本。痛快。

こういうことが学べる。

・濃厚なつき合いはなるべくしない
・車もこないのに赤信号で待っている人はバカである
・心を込めないで働く
・他人を当てにしないで生きる
・おせっかいはなるべく焼かない
・自力で生きて野垂れ死のう

とても共感した。

コミュニケーションに悩んで鬱になったり自殺したりするのは不幸だと思う。端から対人関係など気にしないで生きていけばよいわけである。私たちは子供時代に人口密度の高い教室に10年以上閉じこめられ、隣人と仲良くならなければいけないものだと信じ込む。友達を作れないことは悪いことであり欠陥だと思い込んでしまう。

だが池田先生曰く

「人間は社会的な動物であり、ひとりでは生きられない、とよく言われるが、それは現在の社会システムが強い分業体制になっているからであって、人は本来生きようと思えばひとりで生きていけるのである。」

他人と深く関わらずに生きる幸福について、歯に衣着せぬ持論を展開されている。もともとグループの外に立っていたいタイプの人間には共感ポイントの連続である。人を寄せつけない生き方に、ついつい引き寄せられてしまう。

「私は何を言いたいのか。他力を頼まず自力で生きて、力が尽きたら死ぬのが最も上品な生き方だ、ということだ。」

孤高な生き方は究極的な上品なのだ。他人とのつきあいに悩んで死ぬより、そもそも深くはつきあわないで果てる生き方もいいじゃないかと思う。逆説的だが、上品な孤高を守る人の周りには、この先生のように、人が集まってきてしまうもののようだ。

この本が"歯に衣着せぬ"というのは本当である。やりすぎなんじゃと思うところもあるがそれがまた魅力。

「たとえば、新しく引っ越してきた人に、「この町内会のしきたりはこうなっているんだから、さしでがましいとは思いますが、かくかくしかじかのようにした方がいいですよ」と言う。本当にさしでがましいと思うなら黙ってろ。町内会など知ったことか。バカヤロウ。矢でも鉄砲でも持ってこいって。私ならすぐケンカだな。」

わはは。

・やがて消えゆく我が身なら
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/03/post-212.html

・大ぐるめ―おとなの週末全力投球!悪魔のような激旨101店128品
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ここ数年、コンビニで毎月買っているグルメ雑誌『おとなの週末』。

辛口な自腹レポートが読み応えがあり、カテゴリ別に点数評価のランキングが掲載されるので参考になる。都内最新スポットの店の紹介やホリエモンの連載も面白い。だが何よりこの雑誌の魅力は冒頭の大きなグルメ写真である。撮影も印刷もよくて、A4の見開きいっぱいに食材の質感が伝わってくる。夜中に読み始めると後悔する。

それでこのムックはおとなの週末の冒頭の特集部分を編集したもの。いいとこどり。どれもこれもがシズル感を誘うビジュアルの連続である。ほとんどの料理はA4まで拡大してしまうと実物大を超える文字通りの"大"迫力。うまそうと思える店をみつけるのに最適な本である。

それにしても通常版「おと週」の表紙の変遷を見ると、日本の不況ぶりがよくわかる。もともとこの『おとなの週末』は、寿司とか鉄板焼きとか、ちょっと高級グルメ指向の雑誌だったのだが、この1年くらいは焼き鳥やハンバーグが表紙になり、B級グルメの特集記事も多くなった。

・おとなの週末 2009年 06月号
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景気観測にも使えるグルメ雑誌。

・快楽の本棚―言葉から自由になるための読書案内
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作家 津島佑子の自伝的な読書案内。太宰治の娘であるが故に、母親は娘を文学から遠い場所で生きるように導こうとした。文学は暗くて危険なものだと思い込ませた。結果として娘は本当のことを知りたい欲望から文学の世界へと引き寄せられていく。

性への好奇心が文学の入り口となり源氏物語、好色一代男、発禁処分の『チャタレー夫人の恋人』を英文で読んだ。長大な里見八犬伝を「壮大なでっちあげ」への感動で読破する。読んではいけない本、見てはいけない映画に夢中になる。あらゆるものから自由になるために。

「「背徳的」とはつまり、自分の生きている世界をしつこく疑い続けること、おとなたちが隠したがっていることを知りたがることなのだ」

凄く分かる気がする。私も自分の中学高校時代を振り返るとマルクスの資本論やジェイムズ・ジョイスのユリシーズなんかを訳も分からず読んでいた。危険な思想や難解な文学に憧れたからだが、教師から教養のために読めと言われていたら絶対に読む事なんてなかっただろう。

子どもに読書をすすめる上で大変参考になる記述があった。彼女の母親は小説の世界から遠ざけるべく、教育ものの本や図鑑ばかりを小学生の娘に読ませようとした。だが、太宰に惚れた女でもあった母親は、ふとしたはずみに画家北斎の浮世絵を娘に見せながら生き生きとその放縦な生き方を語ることがあったという。

「子どもは親の言葉など聞いてはいない。その顔しか見ていない。そして親の気持を読みとろうとする。私の母は本当にうれしそうに、北斎の話をしていたのだった。それで私も北斎のファンになった。それどころか、自分の生き方の手本として考えるようにさえなった。」

子どもに読ませたいなら、親が本当にうれしそうに読むところを見せると良いのだ。そして読ませたい分野があったら、そういう本は読んではいけないよ、危ないからと禁じておくべきなのだ。子供の健全な好奇心がやがてそうした本ばかりを自主的に開くようになる。知的好奇心とは本質的に天の邪鬼なものなんじゃないか。そんあ気づきを与えてくれる読書案内本であった。

古典のおすすめ本も多数。

・電気馬
http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-968.html

・ゲゲゲの女房
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よく読む水木しげるについて読書。

水木しげる夫人が語った夫唱婦随の半世紀。水木には子供時代~青年時代までの自伝的作品が結構あるが、奥さんの視点が加わって、妖怪漫画家の人生が表裏で見えてくる。基本的に夫を立てる書き方なのではあるが、前半は苦労話が多い。

水木しげるとはお見合い結婚だったそうだが、仲人から、

「当時は、戦後の復興期がすぎ、国民所得倍増計画が発表された時代でしたが、大学卒の初任給でもまだ1万8000円くらいでした。でも、その人は貸本マンガを月に一冊描いていて、それが一冊で三万円になり、その上、戦争で片腕を失ったので、その恩給まであると聞かされました。」

という話で結婚して、東京の水木の住む家に着いたら、予想をはるかに超えたひどいあばら屋で驚く。夫が家や結婚どころではない厳しい経済状態にあることがわかって愕然としたと振り返っている。そして妖怪漫画家との夫婦生活が始まった。質屋に着物を入れてミルク代を捻出した時代もあった。

「穏やかな表情で、飄々と生きている水木のどこからそんな怖い話が生まれてくるのか、不思議でならないほどでした。もうちょっと普通のマンガを描いてくれたらいいのにと思ったりもしました。」

だが水木が漫画を描くのに没頭する姿勢に感動し何も言えなくなったという。

「左腕がないために体をねじって左の肩で紙をおさえるので、自然に顔は紙のすぐ上。汗が流れ落ちて原稿にシミがつかないように、タオルの鉢巻をして、その体勢のまま、ひたすら描き続けていました。」

障害を抱えたが故のこの姿勢が、水木の鬼気迫る妖怪画を生んだのかもしれない。

その不気味なマンガが売れて、お金が入ると水木の自宅改築道楽が始まって、10回の改築でトイレ5カ所、風呂3カ所もある迷路のような家にしてしまったという。半生を奇妙な迷宮建設に費やした「シュヴァルの理想宮」のフェルディナンド・シュヴァルに通じる偏執的なクリエイティビティを感じる逸話。

そして妖怪ブーム。猛烈な忙しさがやってくる。多数のアシスタントを雇い寝る間も惜しんで仕事をする夫。つげ義春や池上遼一がアシスタントをしていたという事実をはじめて知った。池上遼一の絵のうまさに舌を巻いた水木がスカウトしたそうだが、どの作品で手伝っていたのだろう。人を多く雇えば心配も増える。

「水木はずっと順調に仕事をしてきたわけではありません。人気商売ですから、やはり波はありました。中でも、仕事が急に落ち込んだのが昭和五六(一九八一)年ごろからの数年間です。前年には二本あった連載が、その年、一本になり、新たな連載の依頼が途絶えてしまいました。」

水木の経歴を、受賞歴だけで振り返ると、1965年、第6回講談社児童まんが賞、1989年、第13回講談社漫画賞、1996年、第25回日本漫画家協会賞文部大臣賞の各賞を受賞、1991年、紫綬褒章を受章となっているから、途中で幾度か厳しい無風の時代があったことがわかる。

そして再びゲゲゲの鬼太郎や妖怪はブームになる。水木の地元には妖怪ロードもできて、紫綬褒章も受賞でこの本の副題「人生は...終わりよければすべてよし!!」となりつつあると書いている。

・お父ちゃんと私―父・水木しげるとのゲゲゲな日常
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水木しげるの娘が書いた父親伝もある。

・パノラマ島綺譚
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「少女椿」で知られる丸尾末広が江戸川乱歩の作品を見事に漫画化。既にベテランだが第13回手塚治虫文化賞「新生賞」を受賞した。丸尾末広というとガロ系でエログロ・マニアックのイメージが強い。だが、この作品では、その持ち味をいかしつつ抑えるところは抑えて(性交や性器描写は美を損ねないように描かれる。)、より幅広い層にアピールする出来になっている。

中年の三文作家の男が、元同級生で自分と瓜二つの容貌を持つ大富豪が死んだことを知る。男は本人になりすまし大富豪として生き返る。そして莫大な資産を使い、夢のテーマパーク「パノラマ島」の建設に乗り出すというストーリー。おなじみの名探偵明智小五郎も登場する乱歩のシリーズ作の一つ。

暗く退廃的な前半部に対して後半のパノラマ島の描写が幻想的で美しい。とても丁寧に描かれている。フルカラーだったら額に入れて飾っておきたいような印象的なコマも多くある。

乱歩作品の魅力を引き出して見事に映像化している。江戸川乱歩の作品というのは得体の知れない怪しさが魅力だと思う。丸尾末広の描く大正ロマン調の絵柄は現代において時代錯誤でいかにも怪しい雰囲気を醸し出す。この取り合わせで幻惑がテーマのパノラマ島というのは相性がばっちりだったのだ。暗い部屋で一本の傑作幻灯映画を見たような気分になる。

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