Books-Misc: 2010年5月アーカイブ

・私たちはいかに蟹工船を読んだか
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読書感想文というものに興味があって研究として読んだ本。

2008年、2009年の蟹工船ブームに拍車をかけた一要素として小林多喜二の出身校である小樽商科大学と白樺文学館多喜二ライブラリー共催の「Up To 25『蟹工船』読書エッセーコンテスト」(2008年1月開催)があったようだ。

このイベントは「30分で読める・・・大学生のためのマンガ蟹工船』(東銀座出版社)と、その原作小説「蟹工船」が評論対象で、応募資格は25歳以下の青少年対象のUpTo25部門と制限がないネットカフェ部門の2つがあった。この本には選者(精神科医 香山リカ、島村輝女子美大教授、由里幸子朝日新聞前編集委員など)の講評と共に120編の応募作の中から選ばれた優秀作が収録されている。

他人の読書感想文というものをのぞいてみたくて手に取った。

予想通り「根本的に今までも何も変わっていないのではないか」「私の兄弟たちが、ここにいる」「現代の「浅川監督」とは一体誰か」というように、プロレタリアート文学に対するものとして「正しい」連帯的憤り系の反応は多い。

基本的には「他人に干渉しない、ひたすらに自己責任に縛られたまま出口のない孤独の日々をふわふわと泳いでいる。そうだ、私たちは、支配者に闘いを挑む怒りを剥奪されている!」という風に、現代社会をいかにして、もうひとつの蟹工船に見立てるかのコンテストなのでもあった。

しかし、一方で「このエッセーは私のようなものが書くより、貧しくて一生懸命バイトしながら奨学金を貰って大学行って勉強している人が、「みんなで世界を変えていこう」と呼びかけるようなものを期待していると私は書く前考えていた。私もウソをついて、そういうものを書こうと思ったが、できるだけ本当のことを書くことにした。」というような、淡々と状況を客観する文学部生もいた。

登場する労働者たちの性欲に着眼して評論した人、チャップリンの映画との共通点を挙げた人、仮想テレビ番組内の鼎談形式にした人。選ばれているだけあってみんな実にいろいろな文体芸風を編み出している。10代前半とは思えぬ深い内容を書いてくる早熟な少年もいる。

多くの応募者はマンガと小説の両方を読んでいるが、特にマンガ読書体験に直截的で強い印象を持った書いている人が目立つ。彼らは小説を後で読むことで一層の理解を深めている。こうした反応を見るとやはりマンガ版の存在が今回のブームの大きな原因だったと言えるのじゃないかと思った。

・蟹工船・党生活者
http://www.ringolab.com/note/daiya/2008/05/post-754.html

・ラーメン屋の行列を横目にまぼろしの味を求めて歩く
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もう食べることができないまぼろしの味についてのエッセイ集。面白い。

昔はよかったとぼやく老人のつぶやきなんだけれど、名文がいっぱいだ。

「そもそもラーメンは、厳選された素材がどうのという料理ではない。どこかウソっぽいのに、しみじみと旨いというキラキラとした秘密を持っていた。その「悪」の魅力が、ラーメンの精神的スタンスだった。それがあってこそ社会の荒涼とした現実と自分との関係を噛みしめることができる、実存主義的食べ物であった。」

まず標題のラーメン論が深いのである。今のラーメンにはないラーメンの本質が語られている。3丁目の夕日の中のラーメン論というかなんというか。70年代、私の子供の頃のラーメンって確かにそうだったなと思い出す。

「キザな言い方をすれば、ラーメンには吹きだまりの詩情があった。悲しいのについつい口ずさんでいる街の歌がある。それがラーメンの味なのだ。あーあ。スープから東京の哀しさが匂った昔のラーメン。もうまぼろしになってしまったのだ。」

サントリー学芸賞の作家だけあって名文だ。1949年に新橋の美術商の長男として生まれて、銀座や東京の旨いものに親しみ、その後中国やパリで食べ歩きをした人なので、各国料理文化への造詣の深さ、舌の確かさは信頼できそうだ。しかし、この人の魅力は、そういうメインストリームの評論ではなくて、話が進むにつれて、だんだんジャンキーな味覚に偏っていくところにある。

鰻丼から鰻をよけて、焦げたにおいと脂が覆ったタレのかかったご飯だけ食べるのが好き。中華料理店でおみやげにやきそばを買ってきてアルミホイルに包んだまま冷蔵庫で24時間寝かし、ラードが白く固まっているがソバに味がしみ込んだ状態が好き。カツ丼も天丼も蓋をして熱いご飯で蒸されてシネッとしたのが好き。ああ、なんだかよくわかるんだけど偏った好みを熱弁する。

「染み込んだもの。それがまた染み込んだ先の味と混じり合って、またまた別のものに染み込んでいく。その染み込みは己の温度によってなされる。そのなんとも下世話な感じ。下品で慣れ慣れしい。しかし人を納得させる旨さ。いい湯加減の風呂にどっぷりつかった安心感。そんな下手な味に私は「下手味」と名をつけた。」

食通の下手味を紹介するというのが著者の真骨頂なのである。

で、そうした著者のお気に入りはしだいにまぼろし化している。現代のグルメブームには批判的な言及も多い。たとえば、ネットのクチコミについては次のような鋭い指摘がある。

「そのうち一大発見をした。驚くべきことにほとんどがランチへの評価だったのだ。つまり昼飯食べに会社の外に出た、もしくは主婦が食べ歩きをしたその体験記であり感想なのだが、それがグルメ評論家の記事のように、高所から料理の出来不出来がチェックされ採点されている。そうですか、世の中の飲食店はすべてランチだけで評価される時代になっていたのですか。」

そういえば食べログもそうだが、ランチの話ばっかりだ。夕食でちゃんといいものを食べたいとなると、信頼できる情報はまだネットには少ない。食べ歩くうちに舌が肥えてくると、世評の高さよりも自分なりの価値観の味を追求したくもなる。そういった大人のグルメ情報はネットのクチコミサイトにはまだ不足しているなあと思う。ひとつの評価軸で評価をしてくれる、こういうグルメ評論家はありがたい。ま、まぼろしの味ばかりで実際には食べられない話が多いんではあるけれど。

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