Books-Science: 2004年10月アーカイブ

人脈作りの科学―「人と人との関係」に隠された力を探る
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■ソーシャルネットワーキングの科学

ネットワーク分析の専門家が書いた一般人向けの人脈論。いろいろな学者の面白い理論を総花的に紹介してくれる。章ごとに原則がまとめられ全部で40の人脈ネットワークのルールが列挙される。40原則の一貫性は疑問も残るが、研究の面白い部分だけを抽出したソーシャルネットワーク入門として気軽に楽しめる本。

組織には4つの資本があるそうだ。経済的資本(資金)、人的資本(人材)、文化資本(風土)、社会的資本(人間関係)であり、人脈は4番目に属する。

マーク・グラノヴェッターが提唱する「弱い紐帯の力」理論が面白い。私たちは普段から高頻度で接し信頼しあう強い関係を結ぶことが、人脈力だと思いがちだが、現実の人間関係において、社会資本を生み出しているのは、社外や遠方で時々会うような人たちとの弱い関係の方なのだとした理論。

こうした弱い紐帯は強い紐帯よりも数は多いが維持が困難で、現実の人脈を分析すると1年で9割が消失してしまうそうだ。だが、この弱い社外人脈は情報収集機能を発揮する要になっている。社内の親しい人たちと話しても、新しいアイデアはでないが、異業種の人と話すとひらめきが生じたりする。この本では、くもの巣にたとえられていたが、密で小さなくもの巣よりも、疎で大きな巣の方が、幅広く情報を取り込みやすいのだ。

■広く浅いつきあいができる人が成功する

米国大手情報機器メーカー管理職の人間関係調査で、

「パーソナルネットワークに遠方の人を数多く含んでいる管理職は昇進が早い」

という分析結果もあるそうだ。広く浅いつきあいができる人が企業組織では勝ち組になるということか。

ただ知り合いを増やせばよいわけではない。量より質であり、質とは構造同値の低い関係のことだと、著者は結論している。構造同値が低いとは、他人と重複することがないユニークな人間関係のこと。社内の皆が知っている社外の偉い人を知っていても価値は小さいということ。皆が知らない人と私だけがつながっている関係(ブリッジ)を持つことが、二つの組織を結びつける仲介力につながる。仲介力の高い人=人脈の中心なのである。

しかし、ブリッジには多大な負荷がかかる。複数の異なる価値観や規範を受容する度量や、消えやすい弱い紐帯を維持するコストを負担しなければならないからだ。それができる少数の人脈構築の達人たちは故にさらに人をひきつける。

多くの研究が支持しているのは人脈はスケールフリーネットワークであるということ。少数の強力なハブと、ほどほどの人脈を持つ大多数のノードから構成される。人脈は意図的に微調整しないと成長しないと書かれている。仕事はできるのに不遇な人というのは、この調整ができていない人ということだろう。持てるものは富み、持たざるものはさらに貧しくなる。人脈は、富の集中原理と何か関係があるのかもしれない。

■見えざる大学

この本で最も興味深かった概念は「見えざる大学」。この本の説明を引用すると、


見えざる大学とは、個別の大学や研究所などの制度的な組織に限定されることなく、空間的には拡散しながらも高い生産性をあげ続け、最先端の研究を担うことにより、優れた研究者として、ここの学問分野において認知される人々の集団を指す。

という集団である。専門領域外の人間からは誰がその集団に属するのかは見えないため、見えざる大学と呼ばれている。そして、この集団こそ影響力ネットワークの中心であり、業界内の評価や人事に強い影響力を持っている。

著者は、日本の人工知能学会の共著関係、共同研究質所属関係、共同プロジェクト関係を分析する。ちょうどGoogleのPageRankと同じ手法で人脈価値を数値化し、見えざる大学の構成員の実名を挙げてみせる。

ちょっと驚いた。私に優しくしてくださる先生の名前が総合力でトップの一人に挙がっている。1ベンチャー企業の部外者をプロジェクトに巻き込んでくださる先生は、私だけでなく、非常に幅広い人間関係を構築維持できる人脈の達人だったことが改めて理解できた。

見えざる大学は学会だけでなく、企業やコミュニティにも存在していそうである。今後研究が進めば、見えざる大学に属する1万人くらいが世界を動かしていることが分かったりするのかもしれない。

■ネットワーク分析の限界と可能性

ネットワーク分析は人間関係のいくつかの要素に着眼して、シンプルな関係モデルを抽出する。そこに限界も感じる。例えば学会の人間関係ならば、出身大学、年齢、性別、社交性、趣味、居住地域、インターネット利用度なども、人脈構築に恐らくは無視できない影響を与えているはずだ。経済と違って人間関係は微妙なもの。共著などの公的な記録だけを探っても、生の人間関係の綾をとらえることは難しいのではないか、とも思う。

また、ほとんどの研究者は静的な人間関係マップを分析しているが、知り合う順番であるとか、好き嫌いだとか、一連の駆け引きなど、動的な要素も考えに入れる必要がありそうだ。

生きている人間は様々な人脈構築術を使う。例えば、この本で紹介されているエピソード。作家、池波正太郎は奥さんと母親を仲良くさせるために、二人を叱り飛ばして、共通の敵になることで円満な嫁姑関係を維持していたそうだ。人脈の達人たちはこうしたヒューリスティック(手練手管)を使いこなしている。AさんとBさんの間に引かれる一本の線がどう引かれたか、現場を調べるミクロの視点も必要だろう。

人脈の科学はまだ未踏の領域が多いようだが、インターネットや携帯が人間関係を今まさに変えつつあるのは確かだろう。GreeやMixiなどのソーシャルネットワーキングサービスは、動的なネットワーク分析の研究材料として可能性を秘めていると思う。


#14日は誕生日でした。GreeとMixi、メールとMSNで合計40人以上の方からお祝いメッセージを頂き感動しました。みなさん、本当にありがとうございました。人脈大切にしていきたいと思います。

内臓が生みだす心
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これは衝撃の一冊。人工臓器の開発で世界的に有名な医者の本。

著者は人間の心は脳の働きだという常識を覆す学説を提唱している口腔科医。心は脳ではなく腸とそこから分化した心臓や生殖器官や顔にあるというのだ。心肺同時移植を受けた患者がドナーの性格と入れ替わってしまった事例。ウズラの脳を持つヒヨコを誕生させた実験ではニワトリの鳴き方をする鳥に成長したという事例などが紹介される。つまり2種を合成したキメラを作ると、大脳より内臓を持った方が主たる性格を演じる。

大脳が心のすべてを生み出しているのではなく、かなり大きな部分を内臓器官が生み出しているのではないかというのが、この説の概要である。歴史上の長い間、ゲーテをはじめ識者の考えでは、心は心臓にあり、精神が脳にあるとするのが一般的であったらしい。これが現代になってすべてが脳の働きということになってしまった。だが、依然として心については内臓が生み出す部分が大きく、むしろ脳は副次的な機能を果たすに過ぎないというのである。


「一寸の虫にも五分の魂」ということわざがあります。高等生物のはじまりは、まず腸が発生し、それから徐々に複雑な体制が出来てきます。どうやら心や魂は腸を持った動物に宿るようです。脊椎動物の進化を解明すれば、心や魂や霊や精神の発生学も明らかとなるかもしれないと見当がつきます。

著者は高等な生命は腸なしには生きられないという事実を指摘する。高等生物は口と腸と肛門を結ぶ一本の管が基本形であり、この管が外部から栄養を取り入れて、細胞の再生産をするのが生物の生きる目的である。この一本の管を生かすためにその他の複雑な器官が発達してきたのであれば、一番最後に登場した大脳というのは、生物の器官としては副次的存在だということになる。

心肺同時移植を受けた患者がドナーの心と入れ替わってしまった事例については正直疑問が残る。引用される患者の手記を読むと、知らされていなかったドナーの名前まで把握していたことなどが書かれている。内臓を移植すれば体質、気質を提供者から引き継ぐことならありえる話だと医学素人でも納得する。だが、記憶まで受け継ぐのは解せない。トンデモ本か?と一瞬疑ったのだが、著者としてはこれを一般人にも分かりやすい一事例として取り上げたに過ぎなかったようだ。本論は別にある。

私たちの脳には、何らかの行動を意識する0.5秒前に、予兆となる準備電位が現れているという話が以前書評した本にあった。顕在意識に潜む潜在意識の影響は、他の認知心理学の実験でも証明されている。私たちの心は、目覚めた意識の下にあるものに依存しているのだ。著者が主張している内臓脳はそれに当たるのかもしれない。

例えば生物の生きる原動力である食欲、性欲は内臓なしには存在しない。感覚器官の入力を全面遮断してしまうと大脳は暴走してしまう。心は大脳単独では生み出しえないことになる。これは大脳一辺倒の現在の脳科学では心や意識を解明できないという行き詰まりを指摘する学説でもある。

確かに私たちの顕在意識は身体、特に内臓の調子に影響を受けていることは間違いない。心理学でも気質は体質に依存している部分が大きいとされている。高度な思考については大脳によるものであっても、その奥にある情動、あるいは無意識は内臓が駆動している可能性は十分ありそうだ。

著者の言い分にはちょっと飛躍しすぎではと感じる部分もある。心と精神の境界が若干あやふやにも感じた。だが、口腔科医という医学の支流に思える分野から、心の発生を生物進化論の定説を覆す大胆な理論として想像したのは偉大な人だと思った。この本は面白い。