Books-Fiction: 2011年4月アーカイブ

・オリクスとクレイク
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ちょうど原発が水素爆発した時期にひとりで怯えながら読んでいた傑作SF小説。バイオハザードが起きた研究所と、福島第一原発がだぶって見えてくるのは仕方がないが、ハイレベルの作品なので、そろそろ、おすすめ。

エリート科学者たちが研究開発したバイオテクノロジーが暴走し、世界が破滅。人類最後の一人になってしまった主人公ジミーが、遺伝子操作で生まれた奇妙な生物に囲まれながら、そこに至るまでの破綻の道のりを回顧する。『侍女の物語』のマーガレット・アトウッドの最新邦訳。

人類は、エリート科学者が住む<構内>と庶民が住む危険な<ヘーミン地>に分かれて暮らしている。少年時代を共に過ごしたジミーとクレイクは、一緒に見たポルノサイトで美しい少女オリクスをみつける。その姿は二人の記憶に強烈に焼きつく。やがて高校で理系の才能を開花させて<構内>の階層の頂点へとのぼりつめていくクレイク。反体制派の活動家だった母親を持ち、紙の本と古い言葉を愛する文系のジミーは<構内>とは距離を保って生きる。だが、運命の少女オリクスが再び二人をむすびつける。

遺伝子操作で生まれた生物が不気味だ。現代のロボット工学の分野で「不気味の谷」ということばがある。これは人間に似せたロボットは、本物の人間との差異が微細であればあるほど、不気味に感じられるという現象。八本足のタコみたいな宇宙人よりも、この本に登場するヒトもどきの方がずっと不気味に感じられる。日本語版の表紙にヒエロニムス・ボスの『快楽の園』を使ったのは絶妙のセンスだと思う。まさにこれは不気味の谷の小説だから。

カズオ・イシグロの『私を離さないで』や映画『ガタカ』のような世紀末的世界ファン必見。3部作の第1作であるとのこと。

龍秘御天歌

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・龍秘御天歌
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北九州は黒川藩、龍窯で知られる辛島家の頭領十兵衛が死んだ。

妻の百婆(70)は、葬式の準備に集まった一族郎党を前に静かに言った。

「みんな聞いてくれ。いろいろおれは考えたが、この度の張成徹の葬式はクニの弔いでやろうと思う」

辛島十兵衛には、張成徹、百婆には朴貞玉という本当の名前があった。この村の多くの人間が、豊臣秀吉の文禄・慶長の朝鮮出兵で強制連行された朝鮮人陶工であった。

朝鮮式の葬式は「哀号!哀号!」と女たちが大声で泣き、親を先に亡くした喪主の息子は乞食のような服を着て葬式に坐る。

当時の日本で朝鮮式を決行するということはご法度だった。生前は窯の功労で名字帯刀まで許された十兵衛の葬儀には、代官所から弔問が来る。日本人の目には異様に映る朝鮮式の葬儀決行が役所に発覚すればただ事では済まない。だが、百婆の朝鮮人としての考え方では、日本式の火葬は魂を永遠に失うことであり、絶対に避けなければならないことであった。

日本で生きていくことを決めて、着実に築いてきた信頼を失うことを恐れる村人たちの心の葛藤。百婆たち朝鮮式の決行派は、あの手この手を使って、日本人にみつからないように、表向きは日本式で、本当は朝鮮式という裏をかく作戦で、クニの弔いを実現しようと企むが...。

どんなことがあっても魂までは渡さない。ゴッドマザー百婆たちの心の抵抗は、現代社会のしらがみに生きる読者にとっても、強く生きる勇気を与えてくれる傑作小説。抵抗の文学。

苦海浄土

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・苦海浄土
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1950年代、水俣市の大企業チッソ(かつて旭化成、積水化学、積水ハウス、信越化学工業の母体であった会社)の工場が垂れ流した水銀により、汚染された魚介を食べた付近の住民は、地獄の苦しみを味わいながら死んでいった。患者たちの生々しい声を軸に、水俣病の悲惨と公害事件の不条理を世に訴えた石牟礼道子の代表作。初版は1968年。

おとなのいのち十万円
こどものいのち三万円
死者のいのちは三十万

水俣病の患者に対して、昭和34年時点でチッソが支払った見舞金の契約内容はたったこれだけであった。患者たちは身体が不自由になり、視覚や聴覚を失い、精神錯乱まで引き起こして、死んでいく。一方的な被害者であるにも関わらず、差別を受ける。賠償を求めた裁判も、工場排水と病気の因果関係の解明や、患者の認定が進まず、なかなか立ち行かない。その間にも死者が増えていく。

重症患者の多くが工場排水口近くの貧しい漁民であった。水俣市の住民の多くはチッソ関係の労働者であり、チッソの功労者は水俣市の功労者でもあった。地元の経済基盤を支える企業に対して、約300世帯に過ぎない漁業水産関係者の立場は限りなく弱かった。

この作品は患者たちの嘆き、怒り、恨み、諦めの声を収録したドキュメンタリ形式である。患者の臨場感あふれる魂のこもった語りが多いので、聞き取りの再現をしているのかと思っていたが、実は著者は、ほとんど聞きとりをしていなかったと解説で明かされていて驚いた。つまり創作なのだ。著者自身が近隣の住民であり、患者たちの気持ちや生活感覚を正確にくみ取ることができ、彼らの心の叫びを自分の内面で自在に再現できたということであるらしい。一種のシャーマンの語りなのである。

内容的には水俣の悲惨を描いているのに、詩的な情感がある。鎮魂歌に美しさがあるのと同じように、鎮魂文学にも美しさがある。その美しさに静かに浸っていると自然と悲しくなってくる。レクイエムとして傑作である。

ただ、どうしても今の状況で読むと、水銀が放射能に、チッソが東京電力にだぶってくる。水俣病の補償と救済は、半世紀が経過した現在でもまだ完全には終わっていない。原発の放射線被害はまだその全貌がわからないが、新たな苦海浄土を生み出しつつある。今度は鎮魂に半世紀かかるだけで終わらず、放射能を鎮めるのに何万年もかかる。企業や政府や住民は、高度成長期の公害問題での経験をどれだけ活かせるだろうか。

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