Books-Science: 2012年2月アーカイブ

・魚は痛みを感じるか?
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魚は痛みを感じるか

世にも奇妙な、科学者による魚の福祉の本だ。

昔、活き造りを前にして、魚は痛みを感じないんだよ、と教えられた記憶がある。それ以来、単純に魚は痛みを感じないものと信じてきた。犬や猫、あるいは牛や豚が、目の前で切り刻まれて、痛くてのたうちまわっている様子をみたら耐えられない気持ちになるだろう。でも、魚の活き造りは少し気味が悪いし、後ろめたさも感じるが、哺乳類ほどではない。

生物学者の著者は研究資金を得て魚が痛みを感じるかというユニークな研究した。痛みを感じるという現象は複雑だ。まず魚の神経組織に損傷を検知する侵害受容体があるかを調べ、脳にその信号が伝達された結果、魚の行動が変わるかを実験で明らかにしていく。痛みに苦しむためには何らかの意識が必要だ。そして意識に似た現象が魚の脳に発生しているかを観察で見極める。出た答えは、おそらくYes、魚は痛みを感じるといってもいいという結論だった。さらに魚の意識は人間の赤ん坊並みである、とも言った。

この研究発表はメディアでセンセーショナルに取り上げられ、多方面に物議を醸した。最初の批判は、著者が虚偽によって釣り愛好家を迫害しているというものだったそうだ。魚に高度な意識があって痛みに苦しむのなのならば、捕獲や屠殺をするにあたり他の動物と同じレベルの配慮を行わなければならないことになる。

魚は針にせよ網にせよつりあげられるとき、水中で長時間、強度の苦痛を味わう。そして船にあげられ、のたうちまわり、空気中で窒息して死ぬ。深海の魚は膨張して内臓が口や肛門から飛び出し目は膨れあがる。もし彼らが意識を持ち、苦痛を感じているならば、こうした行為は倫理的に許されないというグループが魚類の取り扱いの規制法案を提出するかもしれない。実際、欧米ではクジラはそういう扱いになっているわけだから。

欧米でも日本でも、家畜の屠殺は動物が過度の苦痛を感じないように配慮されて行われる。多くの哺乳類や鳥類の虐待は違法行為になる。釣り針でひっかけて引きずり回すなんてもってのほかだ。著者が実験で使う研究用の魚も脊椎動物であるがゆえに、扱いにいくらかの規制はあるのだそうだ。そう考えると漁業や釣りの対象の魚の扱いは野放しにされていることになる。

著者は魚を福祉の対象に引き上げるべきかについては、科学者らしく中立の立場のようだが、検討に値するデータとして自身の研究を世に出したようだ。魚を食べる文化の日本ではこれがまともに生命倫理の問題に発展して行くことは考えにくいが、百年くらいしたら、キリスト教系の動物愛護精神が発達する国では、常識になってしまうのかもしれない?

哺乳類と魚類、そして他の動物とどこに倫理の線を引くべきなのかと著者は自問自答しているが、やはり、自分が食べる文化にいるかどうか、ではないか。刺身が切り刻まれた遺体と感じる人と、おいしい食材と感じる人が論理的に話し合っても、結論はでなさそうだ。クジラも魚も魅力的な食文化を広げておくことが、魚文化に生きる私たちの取るべき戦略ではないかな。

#注、もちろん魚の福祉は欧米でも一笑に付されるマイノリティであるはずです、現状は。