2006年11月17日

夜市このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加


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・夜市
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人がいない夜の神社って怪しくて好きだ。目を凝らすと鳥居や古木の陰に普通は見えないものが見えてきそうな気がする。気がするのだけれど、やはり見えない。見たいと思っているときには見えない。いや、大人になってからはまったく見えない。こどもの頃には何か見えた思い出がある。真っ暗な木々の隙間に違う世界がちらっと見えたことがあった。
今考えると目の錯覚である。昼間に洗濯物の影が動く人の影のように見えることがあるし、天井の木目が顔のように見えることがある。経験からすると、そういう錯覚を起こすのは、多くの場合、植物と湿気と暗がりが関係している。

植物の輪郭は人工物に比べて複雑で、目が勝手に意味を読み取りやすいのだと思う。湿気や暗がりはモノの輪郭をさらに曖昧にする。神社のように古いモノは輪郭も綻んでいる。風景の情報量が多くなって認知が混乱したとき、潜在意識が作動して意味を見出そうとするせいだと頭では考えている。

それと同時にやはり何かいるんじゃないかと思う自分もいる。植物や水には過去の場の記憶を蓄積する機能があって、生きた人間はそれを呼び出す触媒になるのじゃないか、なんて非科学的なことを考えたりする。そういう妄想をするのが楽しい。だから、この作品はとてもはまった。

夜市は子供の頃、異世界に紛れ込み、自分が助かるために弟を向こう側に置いてきてしまった兄をめぐる怪異譚。一緒に収録されている「風の古道」は異界の古道に迷い込んだ少年の話。表題作が絶賛されているが、「風の小道」が私は好きだ。それは戻れない道なのでもある。

戻れると思って歩いているうちに、いつのまにか戻れない道を歩いているって人生のメタファーである気もする。何かを選択するということは、無数のありえたかもしれない世界を置き去りにしていくということ。置き去られた世界のうらみつらみが、神社の暗がりみたいな異世界との境目に滲み出てくるのではなかろうか。子供の頃に何かが見えた、鳥居や古木の枝ぶり、風に揺れる洗濯物の影、天井の木目もまた滲みが作り出すメッセージだったりするのかもしれない。そんなわけないか。

この本は異界に2時間旅をすることができる傑作。


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Posted by daiya at 2006年11月17日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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