2007年04月06日

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えてこのエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加


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・世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて
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「私が本書で考えたいのは、資本=ネーション=国家を超える道筋、いいかえれば「世界共和国」に至る道筋です。」。評論家 柄谷行人著。

資本主義と国民国家というスキームでは、主役が資本であって肝心の人間が疎外されている。著者はこのスキームを超える世界観として、カントが提唱した世界共和国の概念にポストモダンの理想を追求している。

資本=ネーション=国家の基盤は貨幣を仲立ちにした交換様式である。この交換には非対称性が伴う。貨幣には商品と無条件に交換する権利があるが、商品には貨幣と交換する権利がない。商品は売れなければ価値がないからである。この非対称性が、資本の支配をもたらしている。

福祉国家資本主義、国家社会主義、リベラリズムという、既存の国家の形態に加えて4つめに、平等と自由を原理とする新しい交換原理を基盤とした「世界共和国」があるという。チョムスキーは、この第4の形態の例として、アナキズムや評議会コミュニズムを入れているが、これらはこれまでのところ、現実には存在しない「統整的理念」に終わってきた。

「むろんカントは、こうした「世界市民的な道徳共同体」は政治的、経済的な基盤が根底になければ成立しないと考えていました。しかも、彼はそれをきわめて具体的に考えていた。たとえば、カントのいう「他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う」という道徳法則は、資本主義においては実現できません。貨幣と商品(資本と賃労働)の非対称性があるかぎり、そこにおかれた個人は他者を手段としてのみ扱うことを余儀なくされるのです。もちろん、国家による統制や富の再分配によって、資本主義のもたらす階級格差を解消しようとすることは可能です。しかし、階級格差をもたらすシステムそのものを変えるべきなのです。」

「目的として扱う」とは自由な存在として扱うということ。自分が自由な存在であることが他者を手段にしてしまうことではならないとし、自由の相互性の実現こそカントの見出した道徳法則であった。

著者は再分配、互酬、商品交換という既存国家の交換原理に代わる新しい交換原理Xを世界共和国の基盤として見出す。カントはその世界を小生産者(かつての多数であった職人的労働者)たちのアソシエーションと、「神の国」の実現のために諸国家がその主権を譲渡する世界共和制として考えた。

著者はその考えを現代的に読み替えて、共同体の想像的回復(普遍宗教的な運動)によるアソシエーションと、各国が軍事的主権と国際連合へ譲渡し、それによって国際連合を強化再編する道筋に、世界共和国実現の可能性があると結論している。

難しい本なのだが、ひらたくいえば、自由や平等や友愛という崇高な理念にひとりひとりが共鳴するなら、相互の自由を尊重する交換原理による、新しい社会主義的な世界共和国は理論的には実現できるはずだという思想家の意見表明である。

今日、世界の運営方法を個人が直接に話し合う場として、インターネットがあると思う。オンラインで小さなネットワークや共同体は無数に生まれているが、国家に対抗する力にまでは育っていない。ネットで理想を唱えても、各人の足場は国家にあるからだ。著者は「下から」の運動は「上から」封じ込めることによってのみ、分断をまぬかれ、徐々に新交換原理にもとづくグローバルコミュニティは実現に向かうと書いている。

何が足りないのだろうか。やはりリーダーなのだろうな。


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Posted by daiya at 2007年04月06日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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