2007年05月21日

岡本太郎 神秘このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加


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・岡本太郎 神秘
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これは大傑作だ。沖縄・久高島の秘祭イザイホーを写した表紙にひきつけられ、本屋でちらっと数ページ見て、これは凄いと感心し、即購入を決めた。写真集として5つ星をつけたい。

・日本人の魂の原郷 沖縄久高島
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003941.html
久高島については以前書きました。

「芸術は爆発だ」の岡本太郎と、「婆バクハツ」の写真家 内藤正敏の爆発系の二人のコラボレーション写真集。岡本太郎が遺した2万枚の写真ネガを内藤が現像して、岡本の文をキャプションとして配置した。

60年代に岡本は民俗学に強い関心を持ち、数年間の間、東北、関西、沖縄で撮影を重ねていたらしい。プロの写真家ではないからこそ、意図的演出ではなく偶有性の奇跡がしばしば顕れる。自らシャーマンとなることで神秘の写真を撮ることができた。

岡本太郎の養女 敏子の序文はこうある。

「神秘を感得する能力は現代人からはほとんど失われてしまった。だが稀に、そういう原始の資質を鋭く、なまなましく持っている異常な人がいる。岡本太郎はそういう人だった。フランスで育ち、教育を受けているし、本来極めて論理的な頭脳を持っている。合理的な人なのだが、感応すべき場や、ものに出会うと、ぴりぴりとし共振してしまうらしい。人に言っても解らないから、ふだんは黙って、底に秘めている。だが、あるとき、突如彼はシャーマンになる。直接、彼方の世界、神秘と交流する。」

岡本太郎の見つけた神秘の正体は民俗であった。貧しくぎりぎりの生活だが、本物の暮らしをする人々の原初的なパワーだった。ここに写された人々は現代文明から取り残された場所で、必死で一杯であるが故に、常に霊的力の源と隣合わせなのである。女、こども、水と火、生と死、性と聖、浄と不浄、リアルとバーチャルの際を、岡本のカメラはキワどくフィルムに写し撮る。情念のレンズが非生命の人形にさえも魂を写した。

「人間の純粋な生き方というものがどんなに神秘であるか」

「この運命に対して、下積みになりながら日本の土とともに働くもののエネルギーは、黙々と、執拗に、民族のいのちのアカシを守り続けてきた。形式ではなく、その無意識の抵抗に、私は日本文化の可能性を掴みたい。」

「芸術は芸術からは生まれない。非芸術からこそ生まれるのだ」

この写真集を見れば、岡本太郎の視覚芸術での圧倒的な表現力の根源が、神秘の感得能力にあったことは疑いようがないと思える。生の民俗こそバクハツの起爆剤なのだ。そこには生きる力のすべてがある。

内藤の白黒ネガの現像技術も芸術だ。白黒ネガの創造性は多くは現像の技法によって生み出される。機械的な現像処理ではこの傑作はなかったはずだ。露出の制御が絶妙である。昼夜がわからない暗く焼いた画像は被写体の時間を止める。粒子が粗く、ブレを効果的に見せる作風は、写真家 森山大道の作風に似ているが、神秘性の視覚化という点ではこちらが何枚も上にあるように感じる。

二人で一つの偉大な芸術を生むことに成功した、世界でも珍しい奇跡の写真集である。130ページの神秘。


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Posted by daiya at 2007年05月21日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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