2007年06月28日

レトリック感覚このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加


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・レトリック感覚
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「たとえば、現代の、いわゆる社会の指導者たちあるいはスターなどがインタヴューを受ける場面がよくある。そういう場合、欧米のリーダーたちと私たちの国のそういう人々との、質問者に対する受け答えに、平均的レベルの差を、あなたは感じませんか。答えたくない、答えにくい質問をかわすための、拒絶のしかたでさえ、欧米の彼らはしばしばユーモラスに明るい印象を残し、わが国の彼らは、しょっちゅう、憎々しいか、みじめか、傲慢かあるいは卑怯の印象を残す。」

この本の初版が書かれてから30年が過ぎたが、軽妙な受け答えについては、日本人は欧米に比較して、まだまだ下手だと思う。弁論術はあっても、ユーモア精神が欠けているような気がする。レトリックには両者が必要とされる。

アリストテレスによって弁論術・詩学として集成され、近代ヨーロッパで磨かれたレトリックは、2千年間の間に専門家によって体系化、理論化が行われた。たとえばレトリックの主な要素である比喩だけでも、10種類以上に分けた細かな定義ができる。この本では、直喩、隠喩、換喩、提喩、誇張法、列叙法、緩叙法の7つの技法が分析される。

「発生期には説得術というあくまで実用的な機能を担当するつもりでいたレトリックは、やがて自分にそなわるもうひとつの可能性に目ざめることとなった。それが、おおまかに言えば、芸術的あるいは文学的表現の技術という、第二の役わりである。」

そしてこの本の真の主題は、著者が提唱するレトリックの3つ目の役割「創造的認識の造形」である。

例えば隠喩では「あの隠密め...」というところを「あの犬め...」といいかえる。AにBを代入するわけだが、決してAはBに完全に置き換わってしまうわけではないと著者は指摘する。「本当は、隠喩においては、使われた語句の本来の意味と臨時の意味の両方が生きていて二重うつしになり、≪犬である隠密≫という多義的な新しい意味が出現するのにちがいない。いわば複数の意味が互いに呼びかけ合う緊張関係がそこに成立するのだ。そうでなければ、わざわざ言いかえるにはおよぶまい」。ことばのあやを分析していくことで、こうした「創造的認識」に至るわけである。

私たちは考えたことを表すために、心の中で言葉を探し、組み立てる。だが、考えたことAに対して、それを正確に表す言葉Bがあるとは限らない。言葉にしてみてはじめて自分の考えを認識することもある。レトリックとは説得要素、美的要素を超えた創造行為なのだということを、著者は実例多数を持って説明している。

言葉を使う仕事に就いている人、就きたい人必携の一冊と言えそう。


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Posted by daiya at 2007年06月28日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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