2003年10月17日

MITコンピュータサイエンス・ラボ所長ダートウゾス教授のIT学講義このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加


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・MITコンピュータサイエンス・ラボ所長ダートウゾス教授のIT学講義
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ダートウゾス教授は人間中心型コンピューティングを提唱している。人間がPCに隷属化されたり、過剰なストレスを受けたりすることなく、人間の能力を自然な形で発揮できるPC環境や、社会・経済システムのことだ。

その推進力を教授は5つ挙げた。

■人間中心型コンピューティング 5つの推進力

1 音声認識
2 自動化
3 個人化された情報アクセス
4 コラボレーション
5 カスタマイゼーション

各要素を、未来の生活シーンの中で描写しながら、コンピュータはかくあるべきと語る本だ。2001年の刊行の本と言うことで既に実現が進んでいる予見も混じるが、大半の記述は、まだまだ、新しい。むしろ、現実が追いついた分だけ、分かりやすく感じられるとも言える。

「セマンティックWebの陰謀」という興味深い章もある。通常のハイパーリンクを青いリンク、ユーザが作り出す意味のリンクを赤いリンクと呼び、ふたつのリンクがRDFメタデータの技術でセマンティックWebを織り成していくだろうという、今まさにネットで起きていることがずばり書かれていたりもする。

そして、教授らが推進している人間中心型コンピューティングの実現プロジェクト「オキシジェン」の解説で最後を締めくくる。オキシジェンとは、1999年に開始され、250人の世界の精鋭研究者と5千万ドルの研究予算を投じた、人間中心型コンピュータ環境のプロトタイプ制作プロジェクトだ。ネットワークプロトコル、ハードウェア、携帯デバイス、ソフトウェアなど研究は多岐にわたる。

オキシジェンは以下のURLで概要がある。

・MITオキシジェンプロジェクト
http://www.oxygen.lcs.mit.edu/

以下のムービーとスクリーンキャプチャは最新のオキシジェンとその周辺の研究状況を伝えるサマリーとしてちょうど良いもの。順番にクリックすればオキシジェン概要のイメージがつかめるかなというものを集めてみた。

・携帯デバイスH21のデモムービー
http://www.oxygen.lcs.mit.edu/videos/guide.mpeg

・Cricket 位置認識による最適ネットワーク構築
http://oxygen.lcs.mit.edu/videos/cricket.mpeg

・Software Proxy いつでもどこでも自分の作業環境を実現
http://www.oxygen.lcs.mit.edu/videos/proxy.mpeg

・Metaglue インテリジェント空間におけるソフトエージェントによるユーザ支援
http://www.oxygen.lcs.mit.edu/videos/metaglue.mpeg

・HayStack RDFメタデータを活用した未来派PIM
http://haystack.lcs.mit.edu/

・Grid アドホックなユビキタスネットワークプロトコル
http://www.pdos.lcs.mit.edu/grid/

・Annotea Webに対するコメントを共有する仕組み
http://www.w3.org/2001/Annotea/

・START 自然言語での質問応答システム(試すことができる)
http://www.ai.mit.edu/projects/infolab/ailab

オキシジェンプロジェクトに関連する研究はこのほかにも多数あり、全貌を把握するのは難しいが、「セマンティックWeb」「ユビキタス」「エージェント」「分散コンピューティング」などの先端キーワードの複合体みたいなものだ。目指すところや展望はこの本の最後に教授が語っている。

この本は名著と思うし博士の知見に共感する部分が多いが、ひとつ意見を言わせてもらうとしたら、人間中心型を唱える博士はおじいちゃん発想だなと感じた。若い世代はPCに隷属しているとそもそも感じていないのではないか、と思うのだ。物心ついた頃からコンピューティングに親しんだ層というのは、使いにくいインタフェースには見向きもしないか、あるいは、機械に対する適応力という柔軟性も数倍持っていて難なく使いこなしてしまう。最初から人間中心というか「ワタシ中心」コンピューティングができているのだ。

このワタシ中心コンピューティングの担い手たちがコンピュータを設計するようになったとき、コンピュータのアーキテクチャやインタフェースはどう変わるだろうか。今の私たちが20年後にタイムトリップしたとして、その時代のPC環境は、私たちにとって、使いやすく理解しやすいものとは限らないような気がする。PC進化の向かっているのは、コンピュータと人間の共生環境であって、客体としてコンピュータを捉える古い思想とは根本的に異なるものなのじゃないか、私たちは進化しているのではなくて環境に最適化しているだけのはずだ、そんな風に思う。

と、批評チックに書いたけど、この本の私の評価は高い。

評価:★★★☆☆


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Posted by daiya at 2003年10月17日 01:42 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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Comments

橋本さん

おっとっと、って思ってしまいました。
電車やバスに乗った時のことを思い出して
欲しいです。白髪交じりや、そもそも髪の影も
形もない人がいますよね。ついてこれない人は
知らない、ってことかなあ。

>私たちは進化しているのではなくて環境に
最適化しているだけのはずだ

それはそうなんだけど、バリアフリーの発想も
もってほしい。

「ワタシ中心」コンピューティングの旗手がいて
時代を開拓してくれるのは、ありがたい、
そういう人がいて欲しい。また彼らが
「ワタシ中心」コンピューティングの独自の
世界を形成するのもOK。

でも、世界は「ワタシ中心」コンピューティングの
世界だけで成立しないのも事実。

ダートウゾス教授のいう、音声認識技術が
今以上に精度をあげ、安価になれば、50代以降の
人にとってもありがたい。(無論、「ワタシ中心」
コンピューティングの世界の生産性も向上する
でしょうが)50代以降にはもっと大きな意味が
ある。

ワタシ中心コンピューティングの担い手たちが
コンピュータを設計するようになったとき、
是非、「人間中心」コンピューティングの実現にも
力を貸して欲しい。
そう思います。

P.S.
「紙」のコラムありがとうございます。
これにはまた別途、コメントさせていただきます。

Posted by: sansara at 2003年10月17日 13:12

橋本です。

ご意見ありがとうございます。

>白髪交じりや、そもそも髪の影も
>形もない人がいますよね。ついてこれない人は
>知らない、ってことかなあ。

いえ、決してそういう意味ではなかったです。私も実務では老若男女に優しいインタフェースの提案を考えています(つもり)から、バリアフリー、ユーザビリティ、アクセシビリティの重要性を否定するものではありません。その努力は社会に必要とされ、今後も実りのある成果を出し続けると思います。

そうではなくて、一般社会にPCやネットワークが普及して、年月が経ち、そろそろ、幼少の頃からITに親しんだ世代というのが登場しました。彼らの新しい世代は何を考えていくだろうなという視点は、この本からは感じられなかったので、意見として書いてみました。息をするようにITを使う新しい世代は、違う視点を持ち込むと思うのです。

PCのインタフェースはまだかなりプリミティブな時代にあると感じています。例えば私たちの手は、ピアノやバイオリンで美しく複雑な音色を奏でられますが、PCのインタフェースはマウス程度の単純な操作しか行っていません。身体知、熟練という人間の能力の特性が活かされていないと思うのです。熟練したとしてもキータイプが早くなる程度のものであろうと考えます。インタフェース側が複雑で柔軟な入力に対応していないからです。

たとえ熟練を要したとしても、もっと身体のようにビットを操れるインタフェースはあってもいいはずだし、これから育つ世代はその力を自然に身につけられるはずと思うのです。その世代たちのやりかたを「ワタシ中心」と呼んで見ましたがもっと適切な言葉はあったかもしれません。

既にアナログ系の大人になってしまった私たちはだめでも、今の子供たちであれば、そういったことができるんじゃないか、そう思って書いた次第です。


Posted by: daiya at 2003年10月17日 20:01

この本、初版が出版されたのは、もう2年前でしたっけ?原書で読みました。著者が書いたのは、それこそ3年前?その当時は、ショックを受けましたよ。今でも、時々読み返して、人間中心のコンピュータという考え方を忘れないようにしています。それが何を意味するかは、時代と共に移り変わっていくんでしょうけれどね。懐かしい本であり、新しい本でもあります。

Posted by: kenny at 2003年10月17日 21:10

橋本さん

パブロフの犬的に、単語に条件反射してしまった
ようです。
詳しくお聞きして言わんとするところよくわかりま
した。

>例えば私たちの手は、ピアノやバイオリンで美し
く複雑な音色を奏でられますが、PCのインタフェー
スはマウス程度の単純な操作しか行っていません。

慧眼ですね。

恐らく脳神経が美しい軌跡を描きながら、回転運動
をしているんでしょうね。今は。

で、未来はトムクルーズの「マイノリティーリポー
ト」の世界が展開するのですかね。

音声認識でPCの前でべらべら喋り捲っているのが
その一歩前の近未来のような気がしています。
黙って想い出そうとするより、誰かに話し掛けてい
る時のほうが、忘れていたことを思い出すってよくあ
ります。
また、議論をしている時に、ふっと構想がわ
くことがあります。

喉と横隔膜の身体知からPC的熟練の展開が
始まるのでは。

如何。

Posted by: sansara at 2003年10月17日 21:36

■sansaraさん、またまたコメントありがとうございます。

話しているときに思いつくことって私もよくあります。私の場合、それで思いついた話を始めてしまって、あらぬ方向へ会議を導いてしまい、良かったり悪かったりなんですが、逆手にとって、「しゃべる発想法」って作れるかもしれないですね。

Blogのコメントもそうです。こうしてコメントをいただけると発想が広がって、新しいエントリを思いついていきます。Blogはコメントやトラックバックによって、継続のための良いスパイラルに入れる気がします。今後もよろしくお願いいたします。

音声認識についてはとても興味があり、近日Blogの記事に仕立てたいと思います。

■kennyさん
師匠もこの本を読まれてたんですね。原書で読めるのはうらやましいです。私の英語力はかなーり、いいかげんなので、原書を読むのはひどく時間がかかってしまって、なかなか原書を読了できません。英語力鍛えねば。


Posted by: daiya at 2003年10月20日 03:13