2004年02月04日

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・ミシェル・フーコー 講談社現代新書
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政治専攻の学生時代にフーコーは夢中で読んだ。今もフーコーの考えたことの1%も理解できているとは思わないが、定期的に読みたくなる。この本は異能の哲学者ミシェル・フーコーの解説書。原典や位置づけを知っている読者向けに書かれた再入門書の趣き。

ITとの接点を無理やりこじつけようとしながら、読んだ。考えたこと。もし学校の試験でフーコー」について興味のあるところを中心にまとめなさい」と言われたら答案に書く内容を書いてみる。

■エピステメ

エピステメをどう訳すかは人によって異なるが、個人的にしっくりくるのが「視座」という訳。もしくは思考の台座。(この本では特に訳されていない)。

昔の「中国の百科事典」にはこんな動物の分類があったそうだ。

動物の分類:
 a.皇帝に属するもの
 b.芳香を放つもの
 c.飼いならされたもの
 d.乳呑み豚
 e.人魚
 f.お話に出てくるもの
 g.放し飼いの犬
 h.この分類自体に含まれるもの
 ...(以下略)

今の私たちからすると、これは分類とは思えないが当時の編集者や読者は、この分類で世界を見ていた。重複や矛盾、hなどはメタレベルの混乱さえ含んでいる。西欧においても17世紀頃までの自然を対象とした記述は、物事の類似や、印象、神話や昔話と結び付けられて語られた。観察、記録、寓話の混沌とした記述。それが自然を語るタブロー(表)だった。

1657年のヨンストンスの「四足獣の博物誌」は違うやり方をした。足が4本あるとか、夜行性だとか、30センチくらいだとか、草食だとか、動物の世界固有の要素に着目して、分類を行った。

18世紀、リンネが「記録すべきものは、数、形、比率、位置である」とし、動物の器官を構造と捉えた。眼に見えるものばかりだが、色彩、匂い、触覚などその他のものは排除される。伝説にどのように扱われるかは関係がない。4つの要素だけで世界を文節化する灰色の分類。博物学の始まり。

そして18世紀末になると、動物の諸器官の構造が織り成す機能、眼に見えない本質が記述の中心となる。表(タブロー)は系列(セリー)に置き換えられて、博物学が生物学へ進化した。

フーコーの言うエピステメは、それぞれの時代に生きる人々が、思考の外(フーコーの言葉では<外>の思考)にあるものとの関係性で、人間の思考が規定されているということだと思う。私たちは「中国の百科事典」の分類を笑うが、今の私たちの分類が数百年後、笑われないとも限らない。

フーコーは<外>の問題を言語や狂気、政治権力、セックスといった多面的な視点から分析して行く。一見、無関係そうに見える周辺的なそれらのテーマから、人間主体の本質、大きな哲学問題へと深く深く、切り込んでいくスリリングな語り。私がフーコーが好きな理由である。

<外>は、人間にとって見えず、思考不能で、永遠に到達できないものであるが、<外>と<内>が相互に影響しあう歴史の中で、エピステメという思考の台座を作り出す。この本ではその変化を「分解とずれの累積による一種のカタストロフィーを通して、トポロジカルな形態の変化、切断、異動」と説明している。

ITに絡めると、セマンティックWebの世界で重要視されている分野に「オントロジー」がある。オントロジーは、私は勝手に「概念のデータベース」と超訳して人に説明しているが、分類体系の記述をする情報技術である。

オントロジーの記述をXMLで行う技術はいくつもあり、標準化が進んできている。

・OWL
http://www.w3.org/TR/2003/CR-owl-features-20030818/
概念関係の記述方式
・TopicMap
http://www.topicmaps.org/
これも同じく。
・CYC
http://www.cyc.com/cyc/opencyc/overview
老舗オントロジー研究企業。6000概念のオントロジーがダウンロードできる。データセクション創業後、最初にやったのがこの無料公開のUpperClassの可視化でした。ちょっと懐かしい。

オントロジーはWeblogのRSSなどXMLメタデータの親玉みたいな存在であると思う。この出来次第で、セマンティックWebのその先の世界が変ってくると考える。セマンティックWebまでは、機械が読めるメタデータを作ろうというレベルなので、必ずしも普遍概念の体系を持つ必要はない。だから、技術分野の趨勢としては便宜的、簡易的、実用的な概念体系の記述方式が優先されている。

だが、それでは本質的な問題を先送りしているように見えなくもない。

オントロジー記述言語に交換(変換)機能を持たせて、ある分類とある分類を合体させたり、翻訳したりするとしても、それらを規定している普遍概念の存在や、それを規定する<外>がいつか露呈する。エピステメの問題を考える哲学者が、セマンティックWebやオントロジーの標準策定に、そろそろ必要となってきている気がした。

■パノプティコン

フーコーというと私は一番に連想するのがパノプティコンである。18世紀のジェレミー・ベンサムによって考案された「理想的な監獄建築」である。実際にはこれそのものは建設されていないと思う。

ドーナツ状の建物とドーナツの輪の中心に塔を配置する。ドーナツ状の建物は独房が分割配置されていて外周、内周どちらにも窓がある。塔にも監獄を監視するための窓がある。光がこの構造物の外側から入ると、逆光によって独房内の囚人のシルエットを中央塔の監視者は見ることができる。しかし、囚人は監視者を見ることができないようになっている。

囚人は個別化され互いに連絡できない。常に監視者から見られているのではないかと意識する。フーコーはパノプティコンのモデルを使って、権力がいかに効率よく影響力を発揮しているか、を語る。囚人たちは、見られているかもしれないという意識から、自分の精神の内面へ逃げ込む。権力との関係から、個人の内面=主体が発生する。

パノプティコンをインターネット(コミュニティ)と見ることは簡単であるし、現代の思想家も試している。監視社会とはいっても「ビッグブラザー」のように明示的に本当に監視する権力、余さず記録するモニタリング機構は必要ない。そんなコストは必要ないのだ。

見られているかもしれないという意識、内面にある監視の眼による自己監視の作用だけで、権力はフルに機能する。

この本の訳では、フーコーのいう「機械仕掛け」のポイントを3点にまとめている。

1 権力の行使が非常に経済的であること
2 権力が没個人化されていること
3 権力が自動的に作用すること

国家に限らず権力のネットワーク監視は進んでいる。インターネットは自由の象徴という時代も終わりつつあると、最近のニュースを見て感じる。むしろ、権力にとってインターネットは、パノプティコンとして機能するのではないかと思うくらいだ。

ただパノプティコンの考え方は、幾つかのアイデアを加えれば、ネットワーク上でのモラルを維持する仕組み、コミュニティの浄化機能として、活用することもできるのかもしれない。そんなことを考えた。


この本は、入門書ではなく、再入門書として要所がまとめられており、数時間くらいでフーコー思想の俯瞰をするのに良い本だなあと感じた。なお、今日のまとめ、要約は私の知っていることの要約であって、この本をそのまま要約していない。この本にはもっとまともにフーコーの体系を総合している。間違ったことを書いていても私の責任である。


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Posted by daiya at 2004年02月04日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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