2004年05月01日

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死の壁
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「日販」の週間ベストセラーの新書ノンフィクション部門で1年間第1位を守り続けた「バカの壁」(340万部超)。この連続首位記録を止めたのが、同じ著者の続編「死の壁」。初版20万部をすぐに売り切り、既に増刷しているらしい。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対して、養老氏は、生命やシステムは壊すのは簡単だが、二度と作ることができないから、と答えている。野坂昭如の有名な答え「殺しなさい、ただ君も殺される」には迫力で及ばないかなと思うが、後に続く死をめぐる考察を読むと、著者の独特の死生観が分かってくる。

現代社会は死を排泄物と同じように、見えないところ、考えないところへ追い出しているという。棺おけの入らない設計のマンションが都会にはあるのだという。人間の致死率は100%であるにも関わらず、都会生活では死や死体は隠される。人は生き続けるもの、人命尊重、救命医療、人の命は地球より重い、というタテマエが絶対視されていく。

その結果、人命尊重至上命題のあてはまらない例として


アメリカでコースト・ガードの制度を作ったことがありました。海岸で溺れた人の救命作業をする専門家を置いたわけです。その結果、どうなったかといえば、脳に障害を負った人が増えた。溺れかけて途中で蘇生したものの、脳に重い障害が残ったわけです。そうすると介護をする人が非常に増えた。社会的コストはあがってしまった」

という事例を挙げる。

「安楽死とエリート」という章では、重症サリドマイド児の死亡率を引き合いに出す。日本は75%、欧米は25%。一方、日本の幼児の死亡率と平均寿命は最高レベルにある。つまり、この国では、どこかで今もなお「間引き」が行われているのだという。

他にも戦争には過剰な人口の人減らし効果があることなど、敢えて公に言いにくいことをはっきりと発言する「暴論」部分が面白い。死はありふれたもので、生と同じくらいもっと意識すべきだという論。

戦争をすれば人の死に対して司令官が責任を負うように、本来はこうした穢れ仕事に対して責任を負うのがエリートの役割だったと著者は言う。現代のエリートは、高い地位や高い報酬だけを得て、責任を引き受けることがなくなった。著者はこれを「エリートの消滅」と述べている。確かにこれが現代における優秀な指導者不在の原因なのかもしれない。腹を切る指導者がいなくなったわけだ。

人は毎日確実に死に向かっている。日々回復不能で取り返しのない日々を生きていると著者は最後に繰り返す。だから、安易に殺すな、二度と戻せないから、というわけだ。

前作同様、口述筆記で書かれた本なので、読みやすいが、全体を通しての論旨がつかみにくい本であるのも同じ。何十年間、死体と向き合ってきた70歳を超えた学者の死生観の独白として各章を連続しないエッセイのように読んだほうが面白い。

・バカの壁
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001122.html


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Posted by daiya at 2004年05月01日 23:59 このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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