2004年10月12日

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すばらしき愚民社会
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不遇の学者が世の中に対して愚痴をしゃべっている本。ちょっと恨みがましくて、新橋の居酒屋に通じるものがある。内容は私の意見とは違うものも多かったが、自称知識人の矛盾や欺瞞を実名で暴きだして、バッサリ斬るのが面白かった。

■すばらしき愚民社会

この本の批判する愚民とは、いわゆる一般大衆というよりは、大学教授や大学生、評論家などの知識人。


現在の「大衆社会」が、それまでのものと異なるのは、以前は「バカが大学へ入っている」程度で済んでいたものが、「バカが意見を言うようになった」点である。

本質的に民主主義とはバカの発言を認めること、なのだと私は思う。政治、経済、社会、技術や環境などについて特に専門知識がなくても、誰でも主観をベースに出来合いの知識で理論武装して、意見を作り出すことができる。それが社会人としてあるべき姿だとされ、意見を持たないことは未成熟だとされる。

そうした浅い意見が専門家から見て間違っていても、分かりやすさがメディアに愛され、増幅される。メディアに出たこと自体が権威を増す。資本主義市場の成功は神の見えざる手を神聖化した。その考え方は経済以外の場にも反映される。需要と供給の最適解を生みだす神の手と同じように、大衆の選択は常に善であり、衆愚という考え方は批判を浴びる。こうして大衆に迎合的な似非知識人が出てくるのだと思う。

この本で著者が叩くのはテレビにコメンテーターとして登場したり、一般向けの新書を量産するタイプの学者や評論家が多い。確かにこうしたテレビの「知識人」は、アカデミズムの世界では実績がないことも多いようだ。一般向けに分かりやすく話すために、話を歪曲したり、専門外のことにまで言及したりする。私は彼らは芸能人だと思っているのだが、彼らの人気ぶり、著者は許しがたいようだ。

■他人を嘲笑したがる者たち

そして愚民の集まる典型的な場所として2ちゃんねるが俎上に上げられる。

著者は2ちゃんねるの匿名で他人を揶揄する文化を、江戸町人文化と似ていると言う。徳川時代の戯作、黄表紙、洒落本、滑稽本の「うがち」「ちゃかし」と同じで、風刺とも批判とも言えず、現実の政治に力を持てない町人たちの歪められた精神の産物だと断じる。匿名で思想的系譜を持たない2ちゃんねらーに現実的な力はなく、「彼らに退治できるのはせいぜい日木流奈、田口ランディ程度であり、大きな現実を動かすことはできない」とピシャリ。マスメディアの知識人が2ちゃんねるに叩かれるのを恐れて何もいえない状況を嘆き、言論人よしっかりしろと渇を入れている。

2ちゃんねるは議論が白熱して「祭り」状態になってしまうと、

「○○、必死だな」
「オマエモナー」
「藁」
「厨房」

などのスラングが目に付く。

特にあざといなあと思うのが「必死だな」で、反論が面倒になると使われる。著者が言う「他人を嘲笑したがる者たち」の象徴的な言葉遣いかもしれない。

■「正しいおじさん」が正しそうな

若者とフェミに媚びる文化人、禁煙ファシズム、マスメディアにおける性と暴力など10の論点で、著者はこれでもかとばかりに実名で斬りまくる。一面の真理を渡り歩くだけで、まとまった思想を志向していない本なのだが、多様な分野の、物の見方が勢いある文章で提示されるのは参考になった。何より率直であからさまなのが楽しい。

じゃあ、著者は知識人として、どういう理想を持っているのだろうと思っていたのだが、こんな一節を発見。


鶴田浩二扮する吉岡指令補のように、あるいは現代の内田樹のように、「正しいおじさん」として説教しながら、いつしか若者に慕われたり、女子学生に受け入れられたりする者もいるが、残念ながら、私たちはみながみな、吉岡(鶴田)や内田のようにハンサムなわけではないし、人格的魅力に富んでいるわけではない。あるいは山田太一が書いた台詞や、内田の巧みなレトリックをその場、その場に応じて用いることができるわけではない。だから結局、正しいおじさんんいなろうとしてなり損ね、「うるせえオヤジ」「保守的」と思われるか、若者に媚びるか、どちらかしかないのだろうか」

実は内心、著者も「正しいおじさん」をやりたいのではないか...。

Passion For The Future: 出版考、ふたつの知、情報の適者生存、金儲け
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/001061.html

以前、言論に関わる人間には修辞学の資質が必要なのではないかと上記のエントリでコラム書いたのだけれど、どんなに偉大な知も、知られないと使われない。象牙の塔にこもる知識階級の時代は終わったのではないか。著者の言うような”すばらしき愚民社会”では、「正しいおじさん」になる技術も必要なのではないかと感じた。


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Posted by daiya at 2004年10月12日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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