2004年10月03日

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切腹
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これは抜群に面白い。面白がってはいけないのだろうけれども...。

■ややこしい切腹の論理

世界的に有名な日本の自殺方法である「切腹」。古くは鎌倉時代から江戸時代までに切腹で果てた400人以上の事例を分析していく。切腹の背景にはもちろん濃い物語が隠されている。

時代によって切腹に対する感じ方が違う。戦国時代は君主に切腹を命じられたからといって素直に死ぬ必要はなかった。不服ならば国を抜けて別の君主に仕えればよかったし、下克上の論理で君主と武力で戦う人までいた。時代が下るとともに社会は固定化され、脱藩者は他の藩でも採用されなくなる。切腹は強制的で、刑罰的な色合いを強めていく。

伝え聞く通り、切腹は名誉でもあった。斬罪のところを情状酌量して切腹という判例が多い。切腹は特典であり、切腹を許されると嬉しいと思うのがタテマエ。単なる犯罪者では切腹は許可されない。

江戸時代の、今の世なら大蔵大臣に当たる官僚が、藩札発行でインフレを招いてしまったことを原因として切腹を命じられた例が紹介されている。藩主も了解していた政策であっても、結果だけが重視される。書類上の価格表記のミスだとか、事件の取調べミスで、切腹せざるをえなかった無念の官僚もいる。江戸時代後半の複雑な官僚世界では、真面目に働いた結果が審議過程で、切腹モノと判断されることもあるようで、直前まで「自分は処罰されるのか、ご褒美をいただけるのか分からないが」と上申する武士もいた。

武士の喧嘩は両成敗という公式ルールも存在していて、喧嘩を売ったほうも買ったほうも、刀を抜いてしまったらどちらも切腹が基本なのだが、複雑なのは売られて逃げると臆病で武士の面目をつぶしたことになり、やはり、切腹になるのだ。

「悪口を言われて辱められたから」という理由で切腹する奇妙な論理もある。悪口を言われること自体が不徳であるという道徳観、切腹することで自身の潔白を世に証明しようという考えが根底にある。それで周囲も感じ入って納得したらしい。

内容はどうあれ藩主の機嫌を損ねたということも立派な切腹の理由にもなったらしい。結局、切腹は藩主が命じるものなので、藩主がお前は死になさいといえば、それ以上の道理は通らない不条理な世界であったようだ。

だが、そんな厳しい掟の中にも人情のある人ももちろんいた。食事にネズミの糞が混ざっていても、そっと隠した優しい殿様の話には感動する。これを指摘してしまうと、責任追及のプロセスが公式に発動して、結果として後日、食事に関わる誰かが腹を切らねばならないからである。殿様としてはそんな些細な事で部下に死んで欲しくないので、同席者にもばれないように隠蔽してあげるのだ。この殿様は偉い。

■生々しい切腹の現場

興味深いのは切腹の現場が垣間見えること。江戸時代、お上の公式な判決は遠島であっても、実質的には、切腹するようにと担当役人から告げられて腹を切る例が多数。記録上はこれらは蟄居中の病死などとされている。

こうすることで親戚縁者はお咎めなし、お家も存続となる。これはある種の水面下の司法取引であるようだ。実際には、親戚縁者が集まって、納得しない本人に切腹を強要したり、無理やり殺した上で切腹に見せかける工作をしたような話も紹介されている。お上も内情は分かっているので死体はよく調べない。切腹は名誉の死とはいえ、死ぬのはいつの世も怖かったのだ。現場にはきれいごとで済まない現実があったことが推察される。

また、十文字に腹を切るのが美しいなど独特の美学作法があるわけだが、実際には、そこまで精神力を保てる当事者は少なかったようだ。刀を腹に当てた瞬間に介錯人が首を刎ねたり、刀さえ用いず、三方の上においた扇子を腹に当てた振りをさせて介錯する扇子腹という切腹方法も紹介されている。当事者が動揺していたら、介錯人は、酒を飲ませたり、紙を渡して遺言を勧めたり、あの手この手で気持ちを落ち着けさせるノウハウまであったという。

■責任を取る文化

この本を読み終わって、切腹は連帯責任の波及を個人が止める唯一の方法であったのだなと理解した。江戸時代後半の武士社会では、部下の失敗の責任を、上司や親戚縁者も負わされる。重大な過失があれば、さらに上司や藩主にまで処罰が及んでしまう。追求しているうちに周辺の小さな瑕疵まで取り上げられて、問題はどんどん大きくなる。最悪は中央に伝わって藩のおとりつぶしにまで及ぶ可能性がある。が、現場で切腹があると追求は弱まる。

現代の常識では切腹など論外の奇行なのであるが、当時は異なる常識の世界だった。よく評価すれば、立場のある人間が責任を取る文化が確立されていたということだろう。現代では、残されるもののためや一族の名誉のため、死を持って責任を引き受けようとする政治家や経営者は殆どいないだろう。そこまで真剣に仕事をする人たちのいるサムライ社会は、今とは違う価値もあったに違いない。

この本は切腹を精神論ではなくて、400人の実例から調べていく、というアプローチをとる。巻末には切腹した当事者の実名リストまである。そうすることで、ミステリアスなイメージでとらえどころがなかった、切腹の実態が見えてくる。知らないことがいっぱい書いてあった。日本文化の研究におすすめの一冊。


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Posted by daiya at 2004年10月03日 23:59 | TrackBack このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーをはてなブックマークに追加
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Comments

この本には時世の句は載っていましたでしょうか?
人生の最後の句ってその人間の生き様が凝縮されている様ですきなのです。なければ時世の句を集めた歌集など知っていたら教えてください。

Posted by: 俊寛和尚 at 2004年10月04日 05:14

辞世の句はたしか少しだけ触れていたかなあと思います。

やはり、次は参加者全員で辞世の句を読む辞世会議ですかね。

Posted by: daiya at 2004年10月04日 12:13
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