合併後の地名の決まり方が面白かった。
全国に○○橋という地名が多いのは、合併の影響であるケースが多いらしい。どちらかの名前にすると角が立つから、「該当する市町に他の市町が吸収されるイメージを避けるための方便」を考えたり、「みんなが足並みを揃えて新しい自治体名に」したりするのだが、橋があるとその名前が採用されやすい。橋はその構造上「両岸の仲を取り持つ性格」になるのだ。
「整理すると、まず橋があり、電停名に採用されて周辺の通称地名的役割を担っていた。その後は震災後の町名地番整理(昭和初期)で統合新町名としてこれらの橋の名が採用され、その後は住居表示で町域が拡大されるか、あるいは別の町名に呑み込まれて消滅する、という過程をたどった。」
合併後の名前を決める過程では、下・影・沼・北はマイナスのイメージがあるとされて消滅する傾向があるという。3つ以上の市町村が合併するときには大胆な新自治体が合成される。数百の事例が紹介されているが、発想がぶっとんだものも多い。
谷津、久々田、鷺沼から一文字ずつとって「津田沼」はまだわかるが、鳥羽、吉野、新田、成相の合併で頭文字ト・ヨ・シ・ナをとって「豊科町」は大胆だ。十一村合併で十一を縦に書くと土になるから「土村」はちょっとあきれる。本当にそんなのでよいのか。
日本一長い地名「愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹之郷ヨタレ南ノ割 」とか、学芸大がない学芸大駅、都立大がない都立大学駅の話とか、地名の雑学がたくさん紹介されている。トリビアの事例をたくさん読んでいくうちに、多様な力のせめぎあいの中で地名が決まっていくパターンがみえてくる。
この2本はなかなか面白い。
・あなたの寿命まで...
http://tadamatu0001.web.fc2.com/program/lifetimer/index.html

あなたの寿命まで自分の寿命を設定すると残り時間を年、月、日、時間、分、秒数で教えてくれる。寿命以外にも3つ何らかの期日を設定できる。○周年記念日だとか年齢の大台越えなどを設定しておくとよいかもしれない。そうか余命は15000日くらいかと思うと1日1日が貴重に思えてくる。
・まさまのホームページ なんにち?
http://homepage1.nifty.com/masama/msoft1/nannichi.html

なんにち?は、指定した期日への残り日数または期日からの経過日数を表示するソフト。自由に期日をメモ感覚で追加できるのがよい。そうかブログをはじめて1800日経過したかなんてことがすぐにわかる。

月と日だけ指定した場合や、日だけを指定した場合は次の年のその月日、次の月のその日までの日数を表示する。この機能を使うと短期的なタイムマネジメントにも使うことができる。
日本史学に衝撃を与えた岡田史観の文庫化。
「一口に言えば、われわれ日本人は、紀元前二世紀の終わりに中国の支配下に入り、それから四百年以上もの間、シナ語を公用語とし、中国の皇帝の保護下に平和に暮らしていた。それが、紀元四世紀のはじめ、中国で大変動があって皇帝の権力が失われたために、やむをえず政治的に独り歩きをはじめて統一国家を作り、それから独自(?)の日本文化が生まれてきたのである。」
中国史が専門の著者は日本史をアジアの歴史の一部としてとらえなおす。
「大和朝廷は存在しなかった。」
「日本の建国は紀元六六八年であり、創業の君主は天智天皇である。」
「古事記は偽書」
「邪馬台国は存在しない」
などと、これまでの日本史観を覆す大胆な論考の数々が展開されている。
古代日本の状況は国内に文献資料がなく中国の史書の一部に「魏志倭人伝」として軽く触れられているに過ぎない。魏志倭人伝というと立派な書物かと勘違いするが、実際は中国からみると野蛮な境の歴史をまとめた三国志魏書東夷伝の「倭人条」という一記事であり、文字量にしてたった2000字である。
そんな小さなコラムみたいな魏志倭人伝が、本当に信頼できるものなのか。中国の史書の成立を調べていくと大きな疑問符が付くと著者はいう。そして、日本側の主な文献資料である古事記や日本書紀の記述も信頼性が疑わしいといい根拠をとともに「大和朝廷は存在しなかった。少なくとも『日本書紀』にあるような天皇たちはいなかった」と言い切る。
強く印象に残ったのは、「歴史というものは、何か一つの時代が終わったという実感があり、新しい時代が始まったという主張があって、はじめて書かれるものだ。」という洞察である。歴史書が編まれるときというのは、一区切りついて視座が固まった特殊な状況なのだ。編纂コストもかかるから為政者の意図も色濃く反映される。わずかな文献資料に基づいた日本の古代史学の足場は、科学的に見てかなり危ういものなのだ。
著者はそうした古代史研究の状況に一石を投じた。極めて大胆で独特だが説得力のある分析に基づいていて、トンデモの類とは明らかに一線を画す研究である。この歴史観が発展していくと、未来の教科書はずいぶん違ったものになるのだろうなあ。
(ちなみに本書の表紙の人物は今では聖徳太子ではない説が有力らしい。歴史学は数十年で大きく変化する。)
記録に残る江戸時代の敵討ちを、作法と法制度の観点からふりかえる。
江戸時代の敵討は制度化されていた。敵を討とうとする者はまず主君の許可を得て免状を受ける。主君は幕府の三奉行書に届けを提出する。そして奉行書は所定の帳簿にその旨を記載して討手は謄本を受け取る。この書類を持っていれば藩領を越えて全国どこでも敵討ちをすることができた。
「本来、敵討は権利でも義務でもなく、ましてや見世物でもなかった。作法がないのが復讐の作法。だからこそ、何らかの枠を設けないかぎり憎しみは増殖し、復讐はさらなる復讐を生み、憎悪は世代を超えて深化せざるをえないだろう。」
」
だからこそ、喧嘩の活着を最小限の犠牲にとどめる方法として敵討は制度化されていったのだという。もちろん激しい憎悪が敵討ちの動機だから、この手続きをきちんと踏んだ事例は多くなかったようだが。
敵討ちにはいろいろな形式、流儀作法があった。実例を多数交えた敵討ちの解説が興味深い。現代とは違う感情や社会の論理が見つかる。
敵を名指しして自ら切腹すると名指しされた相手も切腹しなければならない「さし腹」。
敵の処刑の際に遺族が申し出て死刑執行人を引き受ける「太刀取り」。
離婚後すぐに再婚した家を前妻らが集団で襲う「うわなり打」。
男色の絆で結ばれた者の敵を討つ「衆道敵討」。
名誉を人間の生死よりも重んじる武士たちの復讐が長い江戸時代に次第に文化に飼い慣らされていったのが、敵討なのであった。実は息子の敵や弟の敵を討つことは公式には認められなかった。討つべきは目上の親族の敵、つまり父の敵であり兄の敵なのであった。目下の敵を討つのは仇討、縁者、親類の敵を討つ意趣討と区別されている。ただの殺人にならぬためにタテマエ、名誉が大切なのだ。
「復讐を抑制(違法化)するのは、幕府にとって、中国の歴代王朝以上に困難だった。復讐は儒教の「礼」にもまして、武士の倫理において不可欠な行為だったからである。」
現代では法律で敵討ちは禁止され、殺人事件の遺族たちの復讐感情に直接的なはけ口はなくなってしまった。しかし、復讐感情は自然のものだから無念の想いだけが残されるようになった。犠牲を最小にする復讐法が存在していた江戸時代の話を読んで、いっそ現代でも死刑を廃止して敵討ちを復活したら?などと考えてしまった。
江戸の歴史や文学理解に役立つ一冊だ。面白かった。
・ConsoleEditor
http://www.vector.co.jp/soft/winnt/util/se435776.html
![]()
WindowsのDOS窓(コマンドプロンプト)をよく使う人に便利なフリーソフト。Cygwinと組み合わせれば、本格的なシェルやTelnetで使うことができる。
コマンドラインでの操作は、同じコマンドを何度も入力することが多い。特定の引数付きの指示や、特定のディレクトリへの移動などが繰り返される場合には、定型コマンドとして保存しておいて、呼び出せると効率が良い。
ConsoleEditorは左側がテキストエディター、右側がコンソール画面になっている。エディタに記録しておいたコマンドを選択してCtrl + E を押すだけで何度でも実行できる。コンソールでの出力結果をエディタにとっておくという使い方もできる。複数コマンドを選択して順次実行することも可能なので、その場しのぎの処理であれば、バッチファイルをわざわざ作らなくても済む。
・Desksave
http://www.desksave.de/

文書ファイルを探すためにデスクトップ上に散乱した大量のアイコンを名前や日付順で整列させる。すると文書ファイルはみつかるのだが、アプリのショートカットが使いなれたレイアウトから崩れてしまう。いつもの場所にいつものアレがないと使いにくい。
Desksaveは記憶させたアイコンのレイアウトを復元するためのソフトウェアである。Save Primary Layoutで初期状態を保存して、Restore Primary Layoutで初期状態に戻す。(ただしフォルダへ移動したアイコンは元には戻らない)。
Desksaveはデスクトップを監視しており、レイアウトを変更するたびに自動的にバックアップをファイルに記録する。任意の時刻のレイアウトを呼び出して再現することができる。任意の瞬間のレイアウトをファイル保存しておくことも可能。

WindowsのOSと同時に起動させるオプションをチェックしておけば、毎朝、再起動するたびにいつものレイアウトで作業を開始できる。共同利用するPCにいれておくといいかもしれない。それと、ときどき、アイコンを円上に配置したり、会社のロゴ風に並べている人がいるが、そういう人には最適だろう。
私はよく営業に行く前に、Webで相手の会社の情報をクリップして印刷する。
・会社概要
・社長の写真
・地図
・ニュースサイトに報道された記事
・取り上げられたブログの記事
・株価や業績
などをいろいろなサイトから集めるわけだが、Webを丸ごと一覧できるように印刷しようとすると、不要な部分が多くて困ってしまう。コンパクトにまとめたいのに複数枚になってしまう。
HP Smart Web Printingは、Webクリップ機能をMSIEに追加する。ツールバー上のスマートセレクトアイコンをクリックしてから、Web上の任意の範囲を選択すると、情報をクリップしていくことができる。
「クリップを編集」をクリックすると、ため込んだ情報の断片の一覧を、配置換えや拡大縮小で自由にレイアウトできる画面になる。こうして1ページにたくさんの情報をまとめてしまうことができる。

こんな風に詰め込んだら、そのまま印刷したり、PDFに変換することが可能だ。簡易的な調査報告のフォーマットとして重宝する。
・gAttach!
http://www.gattach.net/index.html

gAttach!は、
Windows Explorer
Microsoft Office
Adobe Acrobat
Windows Live Photo Gallery
Internet Explorer
Mozilla Firefox
などのアプリケーションからGmailを標準のメールソフトとして呼び出すように設定するユーティリティ。
たとえばFirefoxのこんなメニューがあるが、

こうしたメール機能の呼び出しにGmailが割り当てられるのだ。今見ているページをMSIEやFirefoxから一発で誰かにGmail経由でメールすることができるようになる。

さらにエクスプローラでファイルを操作しているときに、右クリックメニュー「送る」から「メール受信者」を選んでもGmailが起動する。フォトギャラリーから写真を送るのにも使える。このGmailメール送信に対応しているアプリはかなり幅広い。
「滑らかで淀みがなく、抵抗を排してムダがなく、モダンで先進的であり、趣味が良くて優雅である。そして、なにより美しい。流線形イメージとは、そうした言葉たちを集約したところに成立してくるなにものかである。」
1930年代の自動車、飛行機にはじまり日用品や家電、衣服や建築、女性のボディラインなどあらゆる分野で理想的なデザインとしての流線形が急速に浸透していった。自然界の無謬性は説得力があった。当初は物理学の専門用語だった流線形は、人工物の規範として世界中に感染して20世紀前半の時代精神となる。本書には無数の流線形デザインの採用例が時代別、国別(米国、ドイツ、日本)に解説されている。
「簡単にいえば流線形の正しさは自然が証明しているというメッセージだ。じつは、流線形がたんなる専門用語から、時代のキーワードになっていく変容の過程にとって、自然による流線形の根拠付けというこの系譜こそ、重要な意味をもつことになるのである。」
流線形シンドロームは、最初は自動車や飛行機の設計者が自然界の魚や鳥の流線形のシルエットを高速化に有利な構造として取り入れることに始まった。だが実際に空気力学的な効果が得られるものはわずかだったようだ。曲線的な先端や円い窓といったデザインの多くは効率的、合理的、都会的、未来的にみえるからという理由で採用されていった。
やがてその言葉の指す対象は拡大していき、人工物のみならずサービスにも適用された。たとえばカフェの看板に「流線形サービス」、ハイセンスな「流線型アベック」、昭和10年の流行歌「流線型ぶし」など、流線形という最強ミームの増殖はとどまることをしらなかった。
流線形シンドロームは危険な優生学的メッセージを内包していたと著者は指摘する。たとえばミスコンテストは、理想的なボディラインに適合する女性を選び出すプロセスだし、流線形の最新の車は富裕層の乗る高級車であった。流線形に対応しないものを時代の効率化プロセスから落ちこぼれたものとして排除する構造がうまれていく。何かを優れたかっこいいと決めつけると一方で劣ったかっこわるいものが生まれる。それはまさにナチスドイツ台頭と同時代に起きていたのだった。
表象文化論の専門家である著者は20世紀前半の流線形シンドロームを分析することで「科学イメージの神話作用」のメカニズムを説き明かそうとする。膨大な量のデータで時代の推移を検証していく緻密な分析に圧倒される。
この流線形シンドロームは21世紀まで続いていると考えて良いのではないだろうか。エヴァンゲリオンでもスターウォーズでも、未来の都市イメージはいまだに流線形の建築や乗り物、人で構成されている。その方が無骨な四角いデザイン世界よりもなんだか納得できるからだ。逆に言えば、私たちは無意識のうちに流線形以外の未来の可能性を排除してしまっているということでもある。
絵本作家の五味太郎が大人向けに書いた教育論。
子どもにとって大人は有害だと宣言する。子どもに問題があるのではなくて大人"は"問題であり、大人"が"問題であり、大人"の"問題であるのだ。大人問題の本。かつて大人や学校や大嫌いだった人(私はそうでした)には、拍手喝采の名言集である。
「行きたい方向がなんとなくあると、人生それなりに甘いよ」
「一般論としては、だいたいの親は子どもに「集中力」をつけさせたいと思っているのですが、ファミコンに関しての集中力というものは認めません。」
「子どもって、いつの時代も大人から見ると「ばっかりやってる」ように見えるらしいのです。」
「アニメばっかり見ていると「アニメおたく」と言うけど、それは、アニメの地位が低いからにほかなりません。」
「親はなぜか、わが子が「バランスのいい子になってほしい」と思っています。偏らない子になってほしいと願います。富士山があるからなんでしょうか。」
絵本作家らしく簡潔な短文が並ぶ。読者の中の子どもの部分に強い共感を呼び覚ます。著者は、型にはまった教育を与えていればよしとする大人の思考の怠慢ぶりを徹底的にやり玉に挙げている。親となった今これを読むと、著者に拍手を送りたい気持ちと、すこし後ろめたい部分もある。自分もいつのまにかそういう有害な大人化している部分があるんじゃないかと考えてしまう。
うちの息子も最近はゲームばかりやっている。父親の私がゲーム好きだから遺伝なのだが、彼が黙々と何時間も同じゲームをやっている姿を見ると大丈夫なのかなとやっぱり思ったりする。何かに習熟することと偏ることは表裏一体に思える。
何にせよ、どっぷりはまる体験って重要だなあとも思うわけだ。没入しないと何かをつかんでこれない。結果として一時的に偏るのは仕方ない。息子にはいろいろなものオタクになってほしいなあと思う。いろんな方向に没入してバランスをとってもらいたい。これって大人の考え方なのだろうか。
「この世からもし「いじめ」というものをなくしたいと思うなら、まず今の学校システムをなくせばいいと思っています。つまり、学校にいじめがあるのではなくて、学校という構造がそもそもいじめなのだと思います。」
PTAや教育委員会(飽くまでイメージ)が聞いたら激怒しそうな学校批判もある。でも確かにそうなんだよねと思う。大勢の生徒を十把一絡げで教えざるを得ない学校教育というのは、理想からはほど遠くて、せいぜいが必要悪なのだ。背の順番に並ばせて「前へならえ」で整列させるなんて、今思うと動物の調教みたいである。
五味太郎は物事をシンプルにとらえるのがうまい絵本作家だ。その作家としての目で教育の問題、大人の問題をずばっと言い当てている。自分もすっかり大人になってしまったなぁと反省気味に嘆いている人、ぜひ読んでください。
古いイスラーム世界には「名誉の殺人」と呼ばれる風習がある。婚前交渉を行った女を家族の名誉のために父親や兄弟が殺す行為だ。処女を奪った男ではなくて、奪われた女を殺す。21世紀の現在でも一部の地域で行われている。こうした社会では日本や西洋とは処女の価値がまったく違うものなのだ。
「純血の証」「身体への害毒」「富の象徴」...
西洋社会の中でも中世から現代までの間、処女の意味と価値は大きく変化してきた。中世文学・文化・ジェンダー論を専門とする著者が、処女の変遷を、医学的視点、キリスト教的視点、文学的視点、政治的視点に俯瞰する。
中世ヨーロッパ世界の王族達の間では処女の娘の身体は、国家間の同盟関係を維持するための有効な手段であった。
「処女の娘は父親が家族を取り仕切る能力の鏡と見なされただけでなく、父親の経済的・政治的な取引上の価値ある財産だった。また長男がすべてを相続するという長子相続権の結果、花嫁を捜す男性とその家族は、処女の花嫁を選ぶことで、生まれてくる長男が嫡出子であることを確実にしようとした。」
一方、中世の教会においては処女とは聖母マリアであり、神への汚れのない捧げものであった。同時に処女はエデンの園で永遠に失われてしまった人間の無垢さの象徴でもあった。
「教会が処女を「守り抜かれた宝」と(理想的には)見なしたのに対して、世俗の世界では流通させるべき価値ある商品だった。神への捧げ物と、リアルポリティークのための授かり物との違いだ」。
処女の価値が大きい社会では医学的に処女の判定法が盛んに議論された。処女膜神話が浸透した。「処女の尿は透き通っている」「胸が下を向いている」「伏し目がち」など俗説も広がった。長く処女でいることが身体に悪いだとか、ヒステリーの原因だともいわれた。
結局、処女とは何なのか。
学者である著者は「初体験」がアナルセックスの場合、それを「処女喪失」と言えるのかと真面目に考察したりもするのだが、処女と非処女を医学的に判別することが難しいし、処女膜なら修復も可能だ。身体的には初めての行為前後で何かが変化してしまうわけではない。不可逆的に変わってしまうのは本人や周囲の見方であり、女性の社会的価値である。
処女とは普遍的であると同時に多様性のある文化なのだということを探究する内容。
・Social IME ~ みんなで育てる日本語入力 ~
http://www.social-ime.com/

Social IMEは日本語入力の変換候補辞書をWeb上で共有する仕組みである。この無償ソフトウェアをWindowsにインストールするとMS IMEやATOKと同列の日本語入力ソフトとして選択可能になる。
固定辞書を持つ市販の日本語入力は、辞書に未収録の新しく作られた言葉に弱いといわれる。みんなの日本語入力の履歴から、こうした辞書を生成すれば、理論的には流行り言葉に最強の日本語入力環境になる、はずである。
早速使ってみた。

まだユーザーが少ないということなのだろうが、変換候補はMSIMEやATOKとは全然違う無軌道ぶりである。なんというか、実にバラエティ豊かである。きっとどこかの誰かが最近、入力したのであろう単語の並びが共有されているのがわかる。
実用的かどうかというと疑問符がつくのだが、同時代の人たちと言語の実践を共有していく感覚が新鮮だ。コンピュータの時代になって私たちの日本語を書く能力は、日本語入力ソフトに依存している部分が大きい。手書きでは書けない薔薇だとか魑魅魍魎なんていう字もどんどん使うようになった。辞書にある言葉だから自信を持って使える。
だが新しい言葉、流行語に対してはまだ多くの人は保守的だ。ロミオメロンだよなレミオロメンだっけ?とか、こんな言い方するかな?とか、みんなはどういう綴りで書いているんだろう?と不安に思って使用をためらうことがある。
このソフトはみんなの使い方が書いているその場にオンデマンドに表示される。そのためらいを消し去ってくれる。流行語や新しい言い回しの入力回数が自然と増えてしまう。もしも日本人全員がこのソフトを毎日使ったら、日本語という言語は進化を加速するのではないかと思う。凄い潜在的可能性を秘めたソフトだと思う。
・画像梱包
http://www.vector.co.jp/soft/win95/writing/se377893.html

この発想はかなりヒットかもしれない。
複数枚のデジカメの写真データを誰かに渡したいときに、画像を圧縮ファイルにすると受信者はファイル解凍の知識がいる。複数枚の画像を閲覧するのも面倒だ。複数の静止画をスライドショー動画にするという手もあるのだが、これはつくるのが面倒だしファイルサイズが巨大になる。
画像梱包は複数の画像をひとつのPDFファイルにしてしまうソフトだ。PDFなら多くの環境で閲覧可能だ。セキュリティ的にも安心感がある。印刷も容易である。またJPEGデータの場合はデータを加工せず、丸ごとPDF内に収納するので、必要であれば写真データを取り出すことができる。パスワードをつけることもできる。メリットが多い。写真配布にPDFを使うのってもっと一般化してもよいのではないかと思った。
使い方は簡単。タイトルや画質、パスワードなどのパラメータを設定して、写真データをドラッグアンドドロップするだけで以下のようなPDFが作成される。
・作成したPDFの例
pics01.pdf
こちらはPDFから画像を抽出する設定パネル画面。

パスワード設定してWebで公開すれば仲間内での限定公開にも向いている。
・最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?

元世界銀行の開発研究グループのリーダーで、アフリカ問題のイギリス政府顧問をつとめた著名なオックスフォード大教授の経済学者が、世界の貧困問題の本質を語る。開発をめぐる状況はこの40年間で大きく変化した。かつて開発問題とは10億人の豊かな世界と50億人の貧しい世界の問題であった。しかし、発展途上国の多くが経済成長をはじめた今、世界人口の8割、50億人の大部分は開発が急速に進んでいく国にくらしているという。
その一方で開発に失敗した国々(主にアフリカの小国)は国家経営に破綻しており、今後も自力改善の見込みがたたない。「なんらかの対策が立てられないかぎり、この10億人のグループは今後20年間も世界経済から取り残され、窮乏と不満のゲットー的状況を形づくることになるだろう」。
著者は最貧国の多くがはまった罠に共通点を見いだす。紛争の罠、天然資源の罠、劣悪な隣国に囲まれている内陸国の罠、小国における悪いガバナンスの罠の4つだ。「人々の73%は内戦を経験し、29%は天然資源の収入に支配される国に住み、30%は資源に乏しい内陸国で劣悪な近隣諸国に囲まれている。さらに76%は長期にわたる劣悪なガバナンスと経済政策を体験してきた。」。
最貧国には天然資源に恵まれた国も多い。しかし、掘れば出てくる天然資源のレントに依存することで通常の経済活動の成長がとまる。通貨レートが上がると他の輸出項目が国際競争力を失い。採掘利権を巡って腐敗や紛争が起こる。天然資源の発見によって成長できない「資源の呪い」と呼ばれる失敗パターンに陥っている。サウジアラビアやクエートのように膨大な石油資源で成長できた国は例外的なのである。
従来型のばらまき援助では効果がないという。それを受け取って効果的に使うスキルを持つ人材が最貧国にいないからだ。「独立前夜にある国の小中学校の生徒」のたとえ話がわかりやすかった。クラスの聡明な子供達は国家建設に従事するため行政機関に入る。一方頭の悪いいじめっ子の同級生は軍を志望する。クーデターが勃発し政権を軍が掌握する。将軍達はかつての優等生達を好まないから追い出してしまう。優秀な頭脳は国外へ脱出していく。内発的な改革や成長の道が閉ざされる。
貿易を通じた近隣国との関係も国家建設には重要な環境だ。世界的に見ると隣国経済が1%成長すると自国も0.7%成長するスピルオーバー効果が期待できる。本来は低所得国は安いコストを武器に貿易で格差を縮めていくことができるはずである。EUで低所得国が高所得国に急速に追いついた「収斂」効果として知られる。ところがアフリカの最貧国では近隣国経済も絶望的に貧困であり、利用すべき格差も小さいため、相互的な経済発展もゼロに等しい。
著者はG8各国の政策担当者に向けて、最貧国救済のための、(1)新しい形の援助、(2)軍事介入を含む安全保障、(3)法整備と国際基準や憲章の設定、(4)貿易政策の見直しの4つの提案を掲げる。一時的な援助は焼け石に水だから、最貧国が自力で内側から成長できるように、環境のパラメータを積極的に変えてみようという内容。
最貧国の状況改善のために強硬な介入オプションを辞さないという著者の強い意志が特徴である。ソマリアで米軍に18人の犠牲がでて以降、米軍は軍事介入に消極的だがルワンダでは大虐殺が放置されたが故に50万人が殺された。割ってはいるべきときは入るべきだというのが論拠である。
世界銀行時代の観察とデータにもとづいており論旨明確である。この本はニューヨークタイムズやエコノミスト、タイム誌などが「必読の書」と推薦している。その一方で長期的軍事介入の積極検討などは、著者の経歴もあって白人インテリ・エリートの新たな植民地主義として批判する人もいるようだ。それは本人も意識するところのようで、冒頭で学生時代に自分は「オックスフォード革命的社会主義学生同盟」という、「今ではパロディにもならない」組織に参加していたと告白している。
私は良書だと思う。貧困の悲惨さを感情的に訴えるだけで、現実的施策を示さない開発読本が多い中で、著者の分析的態度には、冷静な外科医のような印象を持った。世界の貧困の病にどうメスを入れるか、権威の意見がわかりやすく示されている。
・Paul Collier
http://users.ox.ac.uk/~econpco/
ポール・コリアー教授のサイト。
ソ連SFの巨匠ストルガツキー兄弟が原作小説を書きタルコフスキーが映画化した「ストーカー」。大江健三郎が著書の中で何度も言及していたので知り、ずっとその映画が気になっているのだがDVDが品切れで、なかなか見ることができない。数年が経過。
もう先に原作を読んでしまうか、と思って手に取った。
あるとき異星人の「来訪」があった。彼らは人類にまったく接触することなく、痕跡「ゾーン」のみを残して地球を去っていった。「ストーカー」とは危険な「ゾーン」に不法侵入して、異星人たちが残した正体不明の物体の数々を持ち出してくるアウトローな職業の呼び名だ。
彼らがゾーンから運び出す「空き缶」「魔女のジェリー」「うごめく磁石」「黒い飛沫」などと通称される謎の物体は、地球の物質とは異なる性質を持ち、希少価値として闇市場で高く取引される。ゾーンの奥深くには人々の願望を叶える「願望機」があるという噂だ。ゾーンはあらゆる死の危険に満ちた空間だがストーカーたちは高い報酬を求めて侵入を繰り返す。
ロシア語の原題は「路傍のピクニック」。人類に比較して圧倒的に高度な知的生命体は、地球にピクニックにきたけれども、彼らにとって人類の存在は地球にたかっている虫レベルの意味しかなかった。人類がゾーンで漁っているモノは、人類へのメッセージなどではなくて、彼らの行楽で残したゴミの山に過ぎない、という皮肉なテーマなのである。ストーカーは命がけでゴミを漁っていることになる。
設定がハードSFである上にアウトローの主人公の生き様がハードボイルドに描かれるので全体的に超硬派な印象だ。人間の生き様、人生観を描いているのはロシア文学の伝統っぽくもある。文学作品として上質なSF作品。








